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16、戦争の幕開け
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そこへ伝令係が駆け込んできた。
「サナドエル様! エジプト兵がやって参りました。ホルエムヘブ将軍の隊で、隊長はラムセスと申しております」
「…………」
「サナドエル様」
サナドエルは目を見開き、しばし硬直している。それから伝令係に顔を向け、小さく頷いた。
「カナンド、カナンドはおるか」
男が傅く。
「王子のお体をきれいに拭き、寝かせて差し上げるのだ。それから急ぎ棺を用意せよ」
「かしこまりました」
サナドエルは立ち上がり、部屋を後にした。外に出るとラムセスが待っていた。サナドエルの姿を確認すると、歩み寄って膝をついた。
「吾はエジプト軍、ホルエムヘブ将軍直轄隊を預かるパ・ラムセスと申します。このたびはヒッタイト帝国ザンナンザ王子をお迎えする先遣隊を任され申した。道中、よしなにお頼み申し上げます」
そう言い、一段深く頭を下げる。
「私はザンナンザ王子の臣官、サナドエル。先遣ご苦労です」
サナドエルの顔は青ざめていた。握り締められている左右の拳がブルブルと震えていた。一方、それを迎えるラムセスは、その理由を理解しつつも無表情で礼儀正しく振る舞っている。二人の間に鋭い緊迫感があった。
「こたびの件はまことにめでたいと、我がエジプトでは祝いに揺れております。ザンナンザ王子には可能な限り早くエジプト入りしていただきたいと、現在政を預かる王太后、アメン大神官、エジプト軍大将軍が申しておりました。ゆえに、早朝の出迎え、ご容赦いただきたい」
「…………」
「サナドエル殿?」
サナドエルは小さな吐息をわずかについた。気を入れたような仕草だ。
「ラムセス隊長、残念ですが、ザンナンザ王子は今朝がた急逝なされた。エジプトに参ることはできません」
「なんですと?」
「何者かに毒を盛られ、先ほど死亡を確認したところです。ラムセス隊長、こちらに来られる道中、象牙、もしくは真珠の肌をした女を見かけませんでしたか?」
「女? 犯人は女なのですか?」
「いかにも。容姿はこの辺りでは見かけない人種なので目立つことでしょう。肌の色が、今も申し上げたような色をしています。髪も瞳も黒く、エジプトの衣装を纏っておりました」
「…………」
「腰のベルトには、スカラベの意匠が施されておりましたので間違いございません。それに――」
サナドエルがギロリとラムセスを睨んだ。
「お遺体の様子から、毒はエジプトのものと察せられます」
「お言葉の意図がよくわかりませんな。もしやエジプトの輩が王子の暗殺を謀ったとでもおっしゃりたいのか?」
「そうは申しておりません。エジプトの要素が随所にあると申し上げているだけです。エジプトの衣装を身につけた女を使って、エジプト製造の毒による暗殺など、そのような見え見えの手を使うなど考えられませんから。しかしながら異国の王子を王に据えることに諾としない者もおりましょう。そういう輩に心当たりはございませんか?」
鋭い目つき。しかしラムセスは首を捻って見せた。
「申し訳ないが、心当たりなどござらんな。そもそも腑に落ちません。吾は単なる軍人で、難しい謀などとても練られる頭なぞ持ち合わせておりませんが……見かけない珍しい肌の女など、いかにも目立つでしょうに。エジプトの策略と思わせようと謀ったのなら、あまりに稚拙ではござらんか?」
サナドエルはわずかに目を動かした。痛いところを突かれたと言いたげだ。
「しかも、いかに珍しい人種と言えど、王子が即座気に入り、寝所に導くとも限りません。それとも、それだけ魅惑的な女だったのですか?」
「……いや」
「では、尚更です。どうか我がエジプトの謀だという疑いだけは持たずにいただきたい。とはいえ我が国の王妃との縁談相手が暗殺されたとあっては、我が国にとっても許し難い由々しき事態でございます。直ちにこの辺りを調べさせ、その女を捕らえねばなりますまい。すぐに着手いたします」
ラムセスは深く頭を下げ、立ち上がった。
「ラムセス隊長」
「はい」
「我らは王子のご遺体を首都ハットゥシャに運び、丁重に葬りたく願っております。隊は犯人逮捕に残しますが、官位者に関しては帰路につきたく存じます」
「それはおっしゃる通りでしょうな、わかります。まだ夏には間がありますが、長く滞在なさると王子のご遺体が傷むことでしょう。早期にお戻りになることをお勧めします。非常事態ゆえ、吾から我が直属の長に伝えましょう」
二人の目が合い、見つめる。サナドエルの目が「食わせ者め」と物語っていることをラムセスは察していた。彼の目もまたサナドエルに対し「愚か者め」と語っていた。
「では、御国の本隊を率いられる将軍殿、並びにエジプトの王妃様方々に、よろしくお伝えください」
サナドエルが頭を垂れた。ラムセスもそれに応じて再度礼をする。二人はほぼ同時に身を翻した。
「サナドエル様! エジプト兵がやって参りました。ホルエムヘブ将軍の隊で、隊長はラムセスと申しております」
「…………」
「サナドエル様」
サナドエルは目を見開き、しばし硬直している。それから伝令係に顔を向け、小さく頷いた。
「カナンド、カナンドはおるか」
男が傅く。
「王子のお体をきれいに拭き、寝かせて差し上げるのだ。それから急ぎ棺を用意せよ」
「かしこまりました」
サナドエルは立ち上がり、部屋を後にした。外に出るとラムセスが待っていた。サナドエルの姿を確認すると、歩み寄って膝をついた。
「吾はエジプト軍、ホルエムヘブ将軍直轄隊を預かるパ・ラムセスと申します。このたびはヒッタイト帝国ザンナンザ王子をお迎えする先遣隊を任され申した。道中、よしなにお頼み申し上げます」
そう言い、一段深く頭を下げる。
「私はザンナンザ王子の臣官、サナドエル。先遣ご苦労です」
サナドエルの顔は青ざめていた。握り締められている左右の拳がブルブルと震えていた。一方、それを迎えるラムセスは、その理由を理解しつつも無表情で礼儀正しく振る舞っている。二人の間に鋭い緊迫感があった。
「こたびの件はまことにめでたいと、我がエジプトでは祝いに揺れております。ザンナンザ王子には可能な限り早くエジプト入りしていただきたいと、現在政を預かる王太后、アメン大神官、エジプト軍大将軍が申しておりました。ゆえに、早朝の出迎え、ご容赦いただきたい」
「…………」
「サナドエル殿?」
サナドエルは小さな吐息をわずかについた。気を入れたような仕草だ。
「ラムセス隊長、残念ですが、ザンナンザ王子は今朝がた急逝なされた。エジプトに参ることはできません」
「なんですと?」
「何者かに毒を盛られ、先ほど死亡を確認したところです。ラムセス隊長、こちらに来られる道中、象牙、もしくは真珠の肌をした女を見かけませんでしたか?」
「女? 犯人は女なのですか?」
「いかにも。容姿はこの辺りでは見かけない人種なので目立つことでしょう。肌の色が、今も申し上げたような色をしています。髪も瞳も黒く、エジプトの衣装を纏っておりました」
「…………」
「腰のベルトには、スカラベの意匠が施されておりましたので間違いございません。それに――」
サナドエルがギロリとラムセスを睨んだ。
「お遺体の様子から、毒はエジプトのものと察せられます」
「お言葉の意図がよくわかりませんな。もしやエジプトの輩が王子の暗殺を謀ったとでもおっしゃりたいのか?」
「そうは申しておりません。エジプトの要素が随所にあると申し上げているだけです。エジプトの衣装を身につけた女を使って、エジプト製造の毒による暗殺など、そのような見え見えの手を使うなど考えられませんから。しかしながら異国の王子を王に据えることに諾としない者もおりましょう。そういう輩に心当たりはございませんか?」
鋭い目つき。しかしラムセスは首を捻って見せた。
「申し訳ないが、心当たりなどござらんな。そもそも腑に落ちません。吾は単なる軍人で、難しい謀などとても練られる頭なぞ持ち合わせておりませんが……見かけない珍しい肌の女など、いかにも目立つでしょうに。エジプトの策略と思わせようと謀ったのなら、あまりに稚拙ではござらんか?」
サナドエルはわずかに目を動かした。痛いところを突かれたと言いたげだ。
「しかも、いかに珍しい人種と言えど、王子が即座気に入り、寝所に導くとも限りません。それとも、それだけ魅惑的な女だったのですか?」
「……いや」
「では、尚更です。どうか我がエジプトの謀だという疑いだけは持たずにいただきたい。とはいえ我が国の王妃との縁談相手が暗殺されたとあっては、我が国にとっても許し難い由々しき事態でございます。直ちにこの辺りを調べさせ、その女を捕らえねばなりますまい。すぐに着手いたします」
ラムセスは深く頭を下げ、立ち上がった。
「ラムセス隊長」
「はい」
「我らは王子のご遺体を首都ハットゥシャに運び、丁重に葬りたく願っております。隊は犯人逮捕に残しますが、官位者に関しては帰路につきたく存じます」
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「では、御国の本隊を率いられる将軍殿、並びにエジプトの王妃様方々に、よろしくお伝えください」
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