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15、暗殺
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優しいキスだった。
激しさを感じさせるラムセスとは真逆だと、ぼんやりと思った。
(好きでもない人に――だけど、逃げられない。体が動かない。助けて、ラムセス)
ゆっくりと床に体を倒して横になると、ザンナンザが腰のバックルを外して沙良の上衣を脱がせた。
「翼を広げたスカラベ、か……コブラとともにエジプトでは聖なる生き物だ。神の使いであり、富と恵みを与える」
ベルトのバックルのことを言っているのだ。しかし沙良の耳には届いていない。
「象牙色の肌が美しい。スカラベの恵みだな」
露わになった沙良の乳房の頂に、ザンナンザの唇が触れた。
(イヤだ!)
温かな唇の感触を痛感し、突如、猛烈な嫌悪感が頭と体を駆け巡った。
(イヤだ! 絶対、イヤ! 好きでもない人に、こんなことされるのはイヤ! 私はラムセスが――)
体が動いていた。
そこに自分の意志はなかった。
咄嗟に足に手をやっていた。
太ももの内側に巻きつけて隠している毒の入った筒を素早く抜くと、歯で蓋を押さえて封を開け、そのままザンナンザの口に突っ込んだ。
「ぬ? う、あぁぁぁぁ!」
声にならない声を上げ、ザンナンザの体が刹那に震えた。
目を剥き、激しく喉を掻き毟る。
バタバタとのた打ち回る姿を、沙良はガタガタと震えつつ、顔面蒼白になって見ていた。
ザンナンザは声を上げるどころか、呻き声すら上げられず、泡を吹いてのた打ち回っている。時間はさしてかからなかった。
たいした時間も要せず、ザンナンザは目を剥いたまま、まったく動かなくなった。
「――――――!」
沙良は恐怖に打ち震えながら立ち上がった。
衣装を体に巻きつけ、部屋を飛び出そうとした。その時、ベルトと二つに分かれた筒が目に入った。沙良は咄嗟にそれらを拾い、乱れた姿のまま部屋を飛び出した。
「!」
外には兵士がいた。扉を閉めつつ、兵士の顔を見る。目が合うと、兵士はニヤリと笑った。沙良はその笑みの理由がわからないまま走り出した。恐怖から逃れたい一心で、ひたすら走った。
いつ館から飛び出し、いつ外に出たのかまったくわからない。恐怖にパニックとなった体を誰かが掴み、引っ張り、抱き締めた時、沙良は悲鳴を上げた。
が、その悲鳴はすぐに掻き消された。自分の唇が誰かに塞がれ、それが手ではなく、同じ唇であることを悟るまでずいぶんな時間を要したことに、まったく気づかなかった。
「あ――」
視界いっぱいにラムセスの顔がある。
「……ラム、セス」
「サーラ、落ち着け。お前は俺の腕の中にいる。落ち着くんだ!」
ラムセスは今一度唇を重ね、深く長いキスを沙良に与えた。
「サーラ」
沙良の瞳に感情の色が灯る。
「サーラ、聞いているか?」
「ラムセス? ラムセス? ホントに?」
「そうだ。サーラ、落ち着け。ここはまだマズい。今、馬が来る。もう少し待つんだ」
ラムセスの吹いた口笛に反応して愛馬が動いている様子だった。ほんのわずかな時間のあと、蹄の音が近づいてくる。
その聞きなれた音にわずかな理性を取り戻した。しかし震えは止まらなかった。
記憶がまったくない。ラムセスに抱き締められながら馬に乗り、ザンナンザの宿泊場を後にしたこともまったく覚えていなかった。気がついた時は、最初に押さえた路地裏の小さな宿の中だった。
「ラムセス! ラムセス! ラムセス!」
沙良は夢中になってラムセスにしがみついた。ずっと追い求めていた姿がそこにある。放してしまえば永遠に失ってしまいそうな気がした。
「サーラ、もう大丈夫だ」
「ラムセス! 私! 私!」
ワァ! と叫んで泣き崩れる。そんな沙良の体をラムセスは力を込めて抱き締めた。
「私、人を殺した! 人を殺してしまったの!」
火がついたように泣きじゃくる沙良をラムセスは無言で抱き締め続ける。乱れた衣服からなにが起こったか、聞かなくても想像がつく。しかし彼女の口から出た『人を殺した』という言葉は、状況を悟っていたはずのラムセスを驚かせるには充分すぎた。
「私、殺してしまったの!」
「サーラ」
「私、ザンナンザ王子を殺してしまった! 毒を口に押し込んだのよ! 苦しそうに足掻いてた! 目を剥いて! こんなのイヤだ! 自分の世界に帰りたい、帰りたいよぅ!」
声にならない声を振り絞り、ラムセスにしがみついて泣いた。どれだけの時間をそうしていたのかは定かではなかったが、長い時間を要して、沙良は少しずつ落ち着きを取り戻し、ラムセスと会話ができるようになっていった。
「誰も追ってこなかった。部屋を守っていた兵士も、部屋で王子が死んでいるのに確認しようともせず、ニヤニヤ笑うだけでまったく動かなかった。どうして?」
「楽しむだけ楽しんで、眠ってしまったんだと思っているんだろう。夜が明けたら大騒ぎになる。サーラ、すぐにここを出てトルテティブたちと合流しよう。連中は躍起になってお前を捜すはずだ。夜の間に動くんだ」
沙良の顔に再び恐怖が浮かぶ。それを察し、ラムセスが力を込めて再び抱き締めた。
「言ったはずだ。お前は俺が守る。もう二度と怖い思いはさせん。俺を信じろ」
沙良は涙を流しながら固く目を閉じた。ラムセスの言葉に体中の力が抜けた。
「ラムセス――」
「悪かった。俺がお前を傷つけた。もうなにも考えるな」
ラムセスはそう言うと、もう一度キスをし、それから宿を出て馬を走らせた。
激しさを感じさせるラムセスとは真逆だと、ぼんやりと思った。
(好きでもない人に――だけど、逃げられない。体が動かない。助けて、ラムセス)
ゆっくりと床に体を倒して横になると、ザンナンザが腰のバックルを外して沙良の上衣を脱がせた。
「翼を広げたスカラベ、か……コブラとともにエジプトでは聖なる生き物だ。神の使いであり、富と恵みを与える」
ベルトのバックルのことを言っているのだ。しかし沙良の耳には届いていない。
「象牙色の肌が美しい。スカラベの恵みだな」
露わになった沙良の乳房の頂に、ザンナンザの唇が触れた。
(イヤだ!)
温かな唇の感触を痛感し、突如、猛烈な嫌悪感が頭と体を駆け巡った。
(イヤだ! 絶対、イヤ! 好きでもない人に、こんなことされるのはイヤ! 私はラムセスが――)
体が動いていた。
そこに自分の意志はなかった。
咄嗟に足に手をやっていた。
太ももの内側に巻きつけて隠している毒の入った筒を素早く抜くと、歯で蓋を押さえて封を開け、そのままザンナンザの口に突っ込んだ。
「ぬ? う、あぁぁぁぁ!」
声にならない声を上げ、ザンナンザの体が刹那に震えた。
目を剥き、激しく喉を掻き毟る。
バタバタとのた打ち回る姿を、沙良はガタガタと震えつつ、顔面蒼白になって見ていた。
ザンナンザは声を上げるどころか、呻き声すら上げられず、泡を吹いてのた打ち回っている。時間はさしてかからなかった。
たいした時間も要せず、ザンナンザは目を剥いたまま、まったく動かなくなった。
「――――――!」
沙良は恐怖に打ち震えながら立ち上がった。
衣装を体に巻きつけ、部屋を飛び出そうとした。その時、ベルトと二つに分かれた筒が目に入った。沙良は咄嗟にそれらを拾い、乱れた姿のまま部屋を飛び出した。
「!」
外には兵士がいた。扉を閉めつつ、兵士の顔を見る。目が合うと、兵士はニヤリと笑った。沙良はその笑みの理由がわからないまま走り出した。恐怖から逃れたい一心で、ひたすら走った。
いつ館から飛び出し、いつ外に出たのかまったくわからない。恐怖にパニックとなった体を誰かが掴み、引っ張り、抱き締めた時、沙良は悲鳴を上げた。
が、その悲鳴はすぐに掻き消された。自分の唇が誰かに塞がれ、それが手ではなく、同じ唇であることを悟るまでずいぶんな時間を要したことに、まったく気づかなかった。
「あ――」
視界いっぱいにラムセスの顔がある。
「……ラム、セス」
「サーラ、落ち着け。お前は俺の腕の中にいる。落ち着くんだ!」
ラムセスは今一度唇を重ね、深く長いキスを沙良に与えた。
「サーラ」
沙良の瞳に感情の色が灯る。
「サーラ、聞いているか?」
「ラムセス? ラムセス? ホントに?」
「そうだ。サーラ、落ち着け。ここはまだマズい。今、馬が来る。もう少し待つんだ」
ラムセスの吹いた口笛に反応して愛馬が動いている様子だった。ほんのわずかな時間のあと、蹄の音が近づいてくる。
その聞きなれた音にわずかな理性を取り戻した。しかし震えは止まらなかった。
記憶がまったくない。ラムセスに抱き締められながら馬に乗り、ザンナンザの宿泊場を後にしたこともまったく覚えていなかった。気がついた時は、最初に押さえた路地裏の小さな宿の中だった。
「ラムセス! ラムセス! ラムセス!」
沙良は夢中になってラムセスにしがみついた。ずっと追い求めていた姿がそこにある。放してしまえば永遠に失ってしまいそうな気がした。
「サーラ、もう大丈夫だ」
「ラムセス! 私! 私!」
ワァ! と叫んで泣き崩れる。そんな沙良の体をラムセスは力を込めて抱き締めた。
「私、人を殺した! 人を殺してしまったの!」
火がついたように泣きじゃくる沙良をラムセスは無言で抱き締め続ける。乱れた衣服からなにが起こったか、聞かなくても想像がつく。しかし彼女の口から出た『人を殺した』という言葉は、状況を悟っていたはずのラムセスを驚かせるには充分すぎた。
「私、殺してしまったの!」
「サーラ」
「私、ザンナンザ王子を殺してしまった! 毒を口に押し込んだのよ! 苦しそうに足掻いてた! 目を剥いて! こんなのイヤだ! 自分の世界に帰りたい、帰りたいよぅ!」
声にならない声を振り絞り、ラムセスにしがみついて泣いた。どれだけの時間をそうしていたのかは定かではなかったが、長い時間を要して、沙良は少しずつ落ち着きを取り戻し、ラムセスと会話ができるようになっていった。
「誰も追ってこなかった。部屋を守っていた兵士も、部屋で王子が死んでいるのに確認しようともせず、ニヤニヤ笑うだけでまったく動かなかった。どうして?」
「楽しむだけ楽しんで、眠ってしまったんだと思っているんだろう。夜が明けたら大騒ぎになる。サーラ、すぐにここを出てトルテティブたちと合流しよう。連中は躍起になってお前を捜すはずだ。夜の間に動くんだ」
沙良の顔に再び恐怖が浮かぶ。それを察し、ラムセスが力を込めて再び抱き締めた。
「言ったはずだ。お前は俺が守る。もう二度と怖い思いはさせん。俺を信じろ」
沙良は涙を流しながら固く目を閉じた。ラムセスの言葉に体中の力が抜けた。
「ラムセス――」
「悪かった。俺がお前を傷つけた。もうなにも考えるな」
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