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13、二人きりの夜と計画の開始
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ラムセスは慌ただしく出立の準備を整えていた。ラムセスが率いるホルエムヘブ直轄隊は全員でやっと五十に手が届くほどの数だった。しかし誰もがその腕その足を誇る、研ぎ澄まされた精鋭たちだ。
本来隊長が身につける武具をラムセスの腹心が纏っている。対してラムセスは単なる一隊員の格好をし、左の腰に長剣、右の腰に短剣、背に矢を背負っていた。
「隊長、万端準備が整いました」
「よし」
短く答え、馬に飛び乗った。隊を率いて走りだす。二階のバルコニーにホルエムヘブがいることを確認すると、右腕を高く掲げて応えた。ホルエムヘブも腕を上げる。やがてホルエムヘブの視界からラムセスたちの姿は見えなくなった。
そんなラムセスは真っ直ぐ自身の実家にやってきた。そして出迎えた中から沙良を見つけると、彼女を手招きした。
「なに?」
そう言って心配そうな顔で駆け寄る沙良の腕を掴んで引っ張り上げると、無理やり馬に乗せた。
「なにするのよ!」
「タテガミをしっかり掴んでいろ! 振り落とされるぞ」
「ちょっと! ちょ――うわぁ!」
馬の腹を蹴り、走らせる。いきなり走りだした馬に、沙良は悲鳴を上げた。
「お前も連れていく」
「冗談事じゃないのよ! 降ろしてよ! 馬を止めて!」
振り返ってラムセスの顔を見ると、その顔は微笑まれていたが、目は真剣だった。鋭い眼光がそれを語っている。
「そうだ、冗談事じゃない。今回の作戦にお前が必要なんだ。俺のために活躍してもらう!」
「か……活躍って」
「毛色の違う女がいるんだ。うまく奴隷女を演じてくれ。女慣れしたヒッタイトの王子は無理でも、下々の兵士くらいはなんとかなるだろう」
馬はスピードに乗って疾走している。いかにラムセスの体が壁の役割を果たしているとはいえ、体が上下左右に揺れて心もとない。沙良は必死で馬のタテガミを掴み、落ちないようにしていた。
「どういうこと?」
「エジプトを守った最高の立て役者にしてやろうってのさ。表で堂々とは言えないが」
「…………」
とてつもなくイヤな予感がし、沙良は黙り込んだ。きっとろくでもないことを考えているのだ。そんな様子をラムセスは嬉々としながら見、手綱を振るった。
それからかなり走った。ほとんど休まず走り続けた。ろくに会話する時間もなく、何日も突き進み、ようやくカデシュの街が間近に迫ってきた時、その手前の街で馬を止めた。まだ夕暮れには程遠い時間だったが、ラムセスは宿を取り、久しぶりにたっぷりと休息を取るよう部下たちに命じた。
「カデシュに行かないの? 目と鼻の先なんでしょ?」
沙良の不安そうな顔を覗き込み、ラムセスがニッと悪戯っぽく微笑む。
「行くさ。行かなきゃ話にならんだろ? だが、真っ直ぐ向かうのは部下たちで、俺たちは別行動」
「俺たち?」
「そ。俺とお前だ」
沙良の顔がみるみる不服そうに歪む。ラムセスはハハハと軽快に笑った。
「……隊長なのにそんな格好をしているのは、そのため?」
「お前は本当に勘がいいなぁ。女にしておくのはもったいないくらいだ。その通りだ。部下とは別の形でカデシュに入り、お前はヒッタイトの兵士の一人をかどわかして本隊から引き離すんだ」
「……かどわかすって、私に色仕掛けで迫れっての!?」
「そうだ」
「できるわけないじゃない!」
「寝屋まで連れてくればいいだけだ。本当に相手をすることはない」
「当たり前よ! どうして私が男の相手をしなきゃいけないのよっ」
「お前の相手は俺だけだ」
「!」
沙良の顔が真っ赤に染まった。
「他の男に触らせるわけがないだろ? お前は俺の女なんだから」
「…………」
「どうしてもヒッタイトの兵士に成りすましたい。サーラ、頼む、この通りだ」
ラムセスが胡坐をかいたままだが、両方の拳を床につき、頭を深く下げた。そんな姿を見て、嫌だとは言えなかった。
「……わかった」
仕方なく応じる。ラムセスは顔を上げ、嬉しそうに笑うと、沙良の腕を取って胸の中に収めた。強く抱き締められ、沙良は言葉を失いつつも感じる体温にドキドキと心臓を高鳴らせた。
「あ」
重なる唇。熱い吐息。唇が離れると沙良は大きく息を吸った。そしてラムセスを見ると、なんだかひどく驚いている。
「どうしたの?」
「お前、もしかして」
「え?」
「……いや、なんでもない。乱暴に扱って悪かった。この役目を見事果たしたら、俺たちは武勲を立てられ、評される。その時に」
「? あっ」
いきなりラムセスは沙良の頭に手を置いてわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
「なにするのよっ」
「俺の吉星を愛でているんだ」
チュッと沙良の額にキスを落とす。
「サーラ、お前はきれいだ」
「なにを突然」
「白くて、滑らかで、吸いこまれてしまいそうな肌だ。この黒髪も美しい。手触りがいいし、ずっと触っていても飽きない。お前の澄んだ目で見つめられると心が乱れる。溺れて自分を見失いそうになる。女神のようだ」
言うなりラムセスがギュッと抱きしめてきた。
「俺はすっかりお前に参っている」
「ラムセス」
「本当だ。だから欲しくて仕方がない」
体から鼓動と体温が伝わってくる。熱くて激しい。沙良はクラクラした。
(ラムセスには婚約者がいる。愛人を何人も持てる世界だってわかってても、やっぱり、そんなの、つらい。サトラーにも申し訳ない。でも、私、この人が好きだ。この自信家で、ふてぶてしい人が。それだけじゃなく、愛されたいって思ってる。こんなこと思ったは初めてだ)
ずっと一人ぼっちだった。友達と呼べる存在などいなかった。友達は本だけだ。坂下というクラスメートとは少しばかり親密ではあったけれど、受験で必死だったこともあって特別な関係ではなかったし、坂下に求められたいとも、好きだと言われたいとも思ったことはなかった。
(ラムセス、あなたが好き!)
抱しめられるたびに思う。強く思う。ここにいろと言われたら、きっとわかったと答えてしまうだろう。
沙良は同じようにラムセスの背に手を回して抱きしめ返した。
「このままだと……」
「ん? なに?」
「せっかく頑張った自制心が崩壊する」
「え?」
「やっぱりここで押し倒してもいいかな?」
「! ダメ!」
慌てて離れると、ラムセスが笑っている。そして傍にあったブランケットを沙良の体に巻きつけた。
「明日は早い。寝よう」
「うん、おやすみ」
一気に照れが湧き、沙良はブランケットを頭からかぶり直して横になったのだった。
本来隊長が身につける武具をラムセスの腹心が纏っている。対してラムセスは単なる一隊員の格好をし、左の腰に長剣、右の腰に短剣、背に矢を背負っていた。
「隊長、万端準備が整いました」
「よし」
短く答え、馬に飛び乗った。隊を率いて走りだす。二階のバルコニーにホルエムヘブがいることを確認すると、右腕を高く掲げて応えた。ホルエムヘブも腕を上げる。やがてホルエムヘブの視界からラムセスたちの姿は見えなくなった。
そんなラムセスは真っ直ぐ自身の実家にやってきた。そして出迎えた中から沙良を見つけると、彼女を手招きした。
「なに?」
そう言って心配そうな顔で駆け寄る沙良の腕を掴んで引っ張り上げると、無理やり馬に乗せた。
「なにするのよ!」
「タテガミをしっかり掴んでいろ! 振り落とされるぞ」
「ちょっと! ちょ――うわぁ!」
馬の腹を蹴り、走らせる。いきなり走りだした馬に、沙良は悲鳴を上げた。
「お前も連れていく」
「冗談事じゃないのよ! 降ろしてよ! 馬を止めて!」
振り返ってラムセスの顔を見ると、その顔は微笑まれていたが、目は真剣だった。鋭い眼光がそれを語っている。
「そうだ、冗談事じゃない。今回の作戦にお前が必要なんだ。俺のために活躍してもらう!」
「か……活躍って」
「毛色の違う女がいるんだ。うまく奴隷女を演じてくれ。女慣れしたヒッタイトの王子は無理でも、下々の兵士くらいはなんとかなるだろう」
馬はスピードに乗って疾走している。いかにラムセスの体が壁の役割を果たしているとはいえ、体が上下左右に揺れて心もとない。沙良は必死で馬のタテガミを掴み、落ちないようにしていた。
「どういうこと?」
「エジプトを守った最高の立て役者にしてやろうってのさ。表で堂々とは言えないが」
「…………」
とてつもなくイヤな予感がし、沙良は黙り込んだ。きっとろくでもないことを考えているのだ。そんな様子をラムセスは嬉々としながら見、手綱を振るった。
それからかなり走った。ほとんど休まず走り続けた。ろくに会話する時間もなく、何日も突き進み、ようやくカデシュの街が間近に迫ってきた時、その手前の街で馬を止めた。まだ夕暮れには程遠い時間だったが、ラムセスは宿を取り、久しぶりにたっぷりと休息を取るよう部下たちに命じた。
「カデシュに行かないの? 目と鼻の先なんでしょ?」
沙良の不安そうな顔を覗き込み、ラムセスがニッと悪戯っぽく微笑む。
「行くさ。行かなきゃ話にならんだろ? だが、真っ直ぐ向かうのは部下たちで、俺たちは別行動」
「俺たち?」
「そ。俺とお前だ」
沙良の顔がみるみる不服そうに歪む。ラムセスはハハハと軽快に笑った。
「……隊長なのにそんな格好をしているのは、そのため?」
「お前は本当に勘がいいなぁ。女にしておくのはもったいないくらいだ。その通りだ。部下とは別の形でカデシュに入り、お前はヒッタイトの兵士の一人をかどわかして本隊から引き離すんだ」
「……かどわかすって、私に色仕掛けで迫れっての!?」
「そうだ」
「できるわけないじゃない!」
「寝屋まで連れてくればいいだけだ。本当に相手をすることはない」
「当たり前よ! どうして私が男の相手をしなきゃいけないのよっ」
「お前の相手は俺だけだ」
「!」
沙良の顔が真っ赤に染まった。
「他の男に触らせるわけがないだろ? お前は俺の女なんだから」
「…………」
「どうしてもヒッタイトの兵士に成りすましたい。サーラ、頼む、この通りだ」
ラムセスが胡坐をかいたままだが、両方の拳を床につき、頭を深く下げた。そんな姿を見て、嫌だとは言えなかった。
「……わかった」
仕方なく応じる。ラムセスは顔を上げ、嬉しそうに笑うと、沙良の腕を取って胸の中に収めた。強く抱き締められ、沙良は言葉を失いつつも感じる体温にドキドキと心臓を高鳴らせた。
「あ」
重なる唇。熱い吐息。唇が離れると沙良は大きく息を吸った。そしてラムセスを見ると、なんだかひどく驚いている。
「どうしたの?」
「お前、もしかして」
「え?」
「……いや、なんでもない。乱暴に扱って悪かった。この役目を見事果たしたら、俺たちは武勲を立てられ、評される。その時に」
「? あっ」
いきなりラムセスは沙良の頭に手を置いてわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
「なにするのよっ」
「俺の吉星を愛でているんだ」
チュッと沙良の額にキスを落とす。
「サーラ、お前はきれいだ」
「なにを突然」
「白くて、滑らかで、吸いこまれてしまいそうな肌だ。この黒髪も美しい。手触りがいいし、ずっと触っていても飽きない。お前の澄んだ目で見つめられると心が乱れる。溺れて自分を見失いそうになる。女神のようだ」
言うなりラムセスがギュッと抱きしめてきた。
「俺はすっかりお前に参っている」
「ラムセス」
「本当だ。だから欲しくて仕方がない」
体から鼓動と体温が伝わってくる。熱くて激しい。沙良はクラクラした。
(ラムセスには婚約者がいる。愛人を何人も持てる世界だってわかってても、やっぱり、そんなの、つらい。サトラーにも申し訳ない。でも、私、この人が好きだ。この自信家で、ふてぶてしい人が。それだけじゃなく、愛されたいって思ってる。こんなこと思ったは初めてだ)
ずっと一人ぼっちだった。友達と呼べる存在などいなかった。友達は本だけだ。坂下というクラスメートとは少しばかり親密ではあったけれど、受験で必死だったこともあって特別な関係ではなかったし、坂下に求められたいとも、好きだと言われたいとも思ったことはなかった。
(ラムセス、あなたが好き!)
抱しめられるたびに思う。強く思う。ここにいろと言われたら、きっとわかったと答えてしまうだろう。
沙良は同じようにラムセスの背に手を回して抱きしめ返した。
「このままだと……」
「ん? なに?」
「せっかく頑張った自制心が崩壊する」
「え?」
「やっぱりここで押し倒してもいいかな?」
「! ダメ!」
慌てて離れると、ラムセスが笑っている。そして傍にあったブランケットを沙良の体に巻きつけた。
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一気に照れが湧き、沙良はブランケットを頭からかぶり直して横になったのだった。
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