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第三章 倒せ大川スパローズ

第12話-3 雨が降り出す前に

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 次のバッターは一番の稲川だ。三十前後の若い男性である彼は、足の速さを売りにしている左バッターであり、走塁技術にも長けている。いってみればスパローズの切りこみ隊長というところだ。
 都合のいいことに、ここにきて風の勢いが少し弱まってきている。今なら先ほどよりもいいピッチングができるだろう。ならば強気の勝負でゲッツー狙いだ、一気にけりをつけて打撃陣の出番といきたい。

 それに、西詰の体力もそろそろ限界に達しつつある。これ以上は無理なのだ。そういう意味でも、ここであっさり勝負を終わらせることが望ましい。
 西詰はセット・ポジションに入る。そして、体の疲れに逆らいながら一球目を投げる。

(初球打ち!?)

 カンッ、打球は三塁側のファール領域へ転がる。

「ファール!」

 どうやらチャンスに乗じて攻め立てるつもりらしい。西詰の疲労に気づいたのか? 動揺を隠し、彼は二球目を投じる。
 球種は直球、狙うは外角低め。球が西詰の手から離れていく、やや高めに浮いている。おまけに球速が前よりも遅い、九十二キロ前後だろうか。明らかの疲労の悪影響を受けている。

 稲川はまったく打とうとせず、それを見送る。

「ボール!」

 カウントはワン・ワン、できれば次でストライクをとって有利な立場になりたいものだ。風も穏やかなことだし、今ならコントロールを乱すことなく変化球を投げられるのではないか? 西詰はそう思う。
 谷下がサインを示す。(外角、直球、ストライク狙い)。西詰は首を横に振って拒否する。再度の指示、(外角、直球、ストライク狙い)。やはり西詰は首肯しない。

 三回目の指示が来る。(外角、ドロップ、ストライク狙い)。頷く。作戦はこれで成立した、後は運を天に任せて勝負するだけ……。
 球を握り、投球姿勢をとり、うまく決まることを願いながら投げ込む。八十キロの遅いドロップが外角の低めに向かっていく。

 それは、率直に言えばボール球になるコースだ。球が低すぎてゾーンの下にいってしまう。だが稲川はそうだと見抜けずに打つ。彼のバットが球をセカンド方向へ弾き返す。
 ゴロとなった打球をめぐみが捕りにいく。西詰の脳裏に例のエラーの光景が蘇る、思わず叫ぶ。

「セカンド投げて!」
「うん!」

 ショートのテイターが二塁をカバーしに行く。めぐみがきっちり球を捕る、テイターがもう二塁に着いているのを確認し、彼女に送球する。
 ボールは無事にテイターに届き、審判が宣告する。

「アウト!」

 テイターは即座に一塁へ投げる。山阪、今度は何のエラーもなくしっかりミットでボールを捕る。

「アウト!」

 文句なしのゲッツー成立だ。くだらないボール球に手を出してしまった稲川の失敗である。
 いや、違う見方もできるかもしれない。つまり、思わず打ちたくなるような見事なドロップを投げた西詰の功績である。

 まぁ何にせよこれで五回の表が終了した。天気はまだどうにか持ちこたえている、これなら降り出す前に攻めきって点差を逆転できるかもしれない。
 都合のいいことに次からのファルコンズ打線は一番から始まる。最も火力に期待できるところだ。勝ちの芽はまだ死んでいない。



 五回の裏が始まる。一番デイビッドがいつも通りに左打席へ入る。彼の姿を見ているベンチの西詰は矢井場にたずねる。

「デイビッドさんって、今日は二打席一安打でしたっけ?」
「ちょっと違うな。二打席一安打、そして四球が一つだ」

 風は再び強くなってきている。おまけに、空気の湿り気が増してきたように感じられる。雨が降るまでもう秒読み段階だ、間違いなくこの回の途中でそうなるだろう。
 マウンドには藤ノ原が立っている。彼はロジン・バッグの粉を左手につけた後、投球を開始する。

 一球目は緩いボール球、二球目も緩いボール球。どれも思いっきりストライク・ゾーンから外れている。
 不思議そうな顔で山阪が言う。

「なんだあいつ、やる気ねぇピッチングしやがって。ケガしてるのか?」

 スコアブックを手にしているめぐみが答える。

「いえ、違うと思いますよ。あれはきっと時間稼ぎです」
「なにぃ……?」
「のろのろやって試合を遅らせ、雨で試合終了になって勝ち逃げするのを狙ってるんです」
「なんだよそれ、クソッタレ! 汚ねぇぞ!」
「でも、勝てば官軍っていいますよ。反則じゃない限り、どんな方法を使ったって勝ちは勝ち。あの人は勝利投手になれます」
「お前それで納得してんのか?」
「……まぁ、一応……」

 言って、めぐみは少し顔を伏せ、視線をスコアブックの上に落とす。そして震え声で呟くように言う。

「仕方ないじゃないですか……。ルール的にはOKなんですから……」

 これでフル・カウントだ。
 いくら時間稼ぎ狙いといってもフォアボールはまずい。藤ノ原もさすがに次はストライク狙いでくるだろう。もちろんそれはデイビッドも承知している。気を引き締めて彼はバットを構える。

 六球目が投げられる。球は内角低めに向かってくる、デイビッドのバットが振られ、打球が三塁方向へ飛ぶ。

「ファール!」

 ボールはファール領域を転がっていく。ついにフル・カウントというわけだ。
 ここで藤ノ原が本気を出す。彼は三振を狙って七球目を投じる。直球よりも少し遅い球、変化球か? 得意球のスライダーだ、それはゾーンの中間低めから外角へ抜けるようなコースで進んでいる。

 デイビッドは変化球打ちを得意とするバッターではない。だが彼はかつてプロを目指した男であり、それ相応の実力を持っている。たとえヒットにできないにしても、どうにか打つぐらいはできるのだ。
 彼はバットの先で引っかけるようにして球を打つ。打球は先ほどと同じように三塁方向へ行く。

「ファール!」

 藤ノ原は少し不快な顔をする。だが気を取り直して八球目を投げる。今度もスライダーだ、デイビッドは打つ。

「ファール!」

 時間稼ぎがしたい藤ノ原とはいえ、得意球を二球連続で打たれるのは不本意だ。彼は「チッ!」と舌打ちしてマウンドの土を蹴り、今度は直球を投げる。
 いらだちが災いし、コントロールが乱れ、それは外角の高めに入る。デイビッドはこういう投げそこないを絶対に見逃さない、力強く打つ。

 三遊間へゴロが飛び、ショートの横を元気に通り過ぎていく。デイビッドは一塁へ行って止まる、余裕のシングルだ。
 貴重な時間を失ったものの、そのかわりにヒットが出た。無死一塁、ファルコンズは逆転への第一歩を踏み出した。
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