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第一章 おーい西詰、野球しようぜ!

第1話-2 ボールも気持ちもコントロールが大事

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 それから数日後の夕方、ちょっとした練習に呼ばれた西詰は、大学の講義を聞き終えた後、自転車に乗って玉手川の河川敷へと出かけた。服装はジャージ、彼が高校時代から使い続けているそれは、ところどころに小さな穴が開いていたりほつれていたり、何ともダサい。
 まぁそれは仕方のないことだろう。今の西詰は、大学の体育の授業以外では運動などしないのだから。頻繁に使うわけではない品を、いちいち金を払って新調するのはもったない。体育の単位を取るための一年間だけ誤魔化せれば問題ない、それが彼の考えなのである。

 自転車を漕ぐこと約三十分、五月の気温のせいで少し汗をかいた西詰が、内心で(別の方法で行けば良かった……)などと後悔を始めた頃。彼はようやく河川敷に到着した。山阪から指定されたそこには、素人の手作りとおぼしきお粗末な野球場があり、その中で二人の中年男性がキャッチボールをしている。
 そのうちの一人は山阪で、彼はファルコンズのユニフォームに身を包んでいる。残りの一人も同じような服装をしていて、どうやら山阪のチーム・メイトらしい。長身痩躯のその男について、西詰は(誰なんだろう?)と思いつつ、二人のところへ近寄って行って挨拶する。

「こんにちは、西詰です」

 山阪は、キャッチボールをやめて大きな声で返事をする。

「おう、こんちは! おーい、谷ちゃん、こっち来てくれ!」

 谷ちゃんと呼ばれたその男が西詰たちのところへやって来る。彼は西詰に言う。

「話は山阪から聞いてますよ。こんにちは、西詰くん。初めまして、ファルコンズのキャッチャーをやっています、谷下です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「なかなかいい目をしているね。山阪が言ってた通りだ。野球センスありそうじゃないか」
「それは買い被りですよ……。野球部じゃあ、いつも補欠だったのが俺ですよ」
「まぁまぁ、今はそれくらいにしておこうよ。それで、ピッチングの自信はどうだい? やれそう?」
「実際にやってみないと、何とも……」
「はは、そりゃあそうだ。まぁとにかくやってみよう、とりあえず準備運動からだ!」

 誰もが学校の体育の授業で経験したような、お決まりの準備運動が行われる。それから三人で軽いランニング、その後、投球練習……といえばいいのだろうか、西詰の練習が始まった。
 ピッチャーズ・プレートこそあるものの、あちこちがデコボコして実に状態の悪いマウンド。西詰はそこに立ち、借りたグラブを左手にはめ(彼は右投げ右打ちだ)、ボールを投げる態勢に入っている。ちなみにボールは軟式だ、草野球ではこれが一般的なのである。

 彼の前方、ホーム・プレートが置かれているところの後ろには、キャッチャー用の防具を身に着けた谷下がいて、西詰がボールを投げるのを待っている。

「とにかく投げてみようか! 準備OK、いつでもどうぞ!」
「はい!」

 西詰はセット・ポジションになってからボールを投げる。彼の右手から放たれたそれは宙を駆けてホーム・プレートの横を通過し、谷下のミットの中に納まる。誰がどう見てもボール球である、断じてストライクではない。谷下の表情が渋いものになる。

「うーん、なるほど……。もうちょっといってみようか」
「はい!」

 谷下から西詰へとボールが投げ返される。再度の投球、またもやボール球。それからも数回繰り返される投球、だがすべてはボール球に終わる。
 西詰の様子を少し遠くから見守っている山阪が声をかける。

「お前、ピッチング・フォームはそれでいいのか?」
「どういうことですか?」
「ぜんぜんワインドアップしねぇじゃん。それじゃまるで野手の投げ方だよ」
「だって、やってもスピードは上がらないって中学の時に教えられました。いちいち腕を上げるの疲れるし、なら、こういうフォームでいいかなって」
「そんなん若い奴らの理屈だろ。ピッチャーなら、やっぱ大きく腕をあげてよぉ……」

 そうやって二人が話しているところに、キャッチャー・マスクを脱いだ谷下が来て声をかける。

「まぁまぁ、落ち着いてくれ、山阪。最近はそういうのが流行じゃないか。ダルビッシュなんていつもワインドアップ無しだろう」
「しかしなぁ……」
「無理にフォームを変えると余計にコントロールが悪くなる。紅白戦まで時間がないんだ、今回はこれでいこう」
「しょうがねぇな、ったく……」

 不満を残しつつ山阪は黙る。彼にかわって谷下が喋る。

「西詰くん、草野球で一番大事なのは何だと思う?」
「球のスピードですか?」
「いいや、違うね。答えはコントロールだ。きちんとストライクを取れるようになることが第一目標、スピードや変化球はその次だ」
「まぁそれは分かりますよ。フォアボールばかりだったら試合が成立しませんからね」
「そういう理由もあるけど、草野球の場合はちょっと違う事情もあるんだよ。野球で楽しいのは球を打って飛ばすこと、だから、ボール球ばかりでろくに打てないとすっごい盛り下がる」
「なんかそれを聞いてると、打たれるために投げるような感じがしますよ」
「正直そういう部分はあるね。もちろん真剣勝負だとこうは言ってられないんだけど、まぁとにかくコントロールだ。きちんとストライクを取る、バッターが打てる球を投げる。今日はそれを目指して頑張ろう」
「俺に出来るんでしょうか?」

 山阪が会話に参加する。

「安心しろよ、だってお前はズブの素人じゃねぇ、野球経験者だ。昔はもっとストライク取れたんだろう?」
「えぇ、まぁ……」
「なら大丈夫だ。もうちょっとやって昔の勘を取り戻せばよ、そこそこのピッチングができるようになる」
「でも不安ですよ」
「なにも完璧じゃなくていいんだって。それに、お前が七イニングス全部やるわけじゃない。二イニングスも投げてくれりゃあそれでいいんだ」
「あの、七イニングス?」
「そうだよ。草野球は七回で終わりってのがよく採用されるルールだ。あるいは、試合時間が一時間半になったらそのイニングでおしまい、そういうのもある」
「そのへんは中学野球とあまり変わらないんですね」
「おうよ。だから、そんな不安がらなくていいんだ。もう一度言うが、二イニングス、いや一イニングだけやってくれればOKかもしれねぇ。だからそういうつもりで頼むぜ」
「はい」
「お前、その分じゃあ知らないことが多そうだな……。どれ、ちょっと教えてやるよ」

 山阪が語ったことは以下のとおりである。

・その一。変化球を投げてはいけない。草野球レベルでは、変化球が打てない人が多いからである。どんなピンチであろうと直球のみで勝負する。(もっとも、西詰は変化球など投げられないのだが)。
・その二。バントしてはいけない。バント処理が出来る人は少ないからである。
・その三。盗塁してはいけない。なぜなら、バンバン決まるからである。
 草野球といえどもランナーの足はそこそこ早い。だが、それに比べてキャッチャーの肩は弱く、ピッチャーのクイック技術も拙劣である。よって、盗塁が成功しやすい。だからといって走り回られては試合にならないので、それを防止するための取り決めである。

「西詰、ちゃんと覚えたか?」
「はい」
「声は大きくしていけよ!」
「はい!」
「おし、いいじゃねぇか。それじゃ、まだ時間もあることだしよ。もう少し練習してこうぜ」

 その後も西詰の練習は続き、彼はどうにかストライクを取れるようになった。とはいえ、毎回毎回きちんと取れるわけではない。場合によってはボール連投でフォアボールになる時もある。それでも、練習開始時に比べればだいぶ上達したといえるだろう。

 彼は、どうか試合でもうまくいくよう、寝る前に祈りながらその日を終えた。
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