嗜虐的なこの世界で

夏野かろ

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4話 生き残った僕と死んだ猫 Relentless reality

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 数時間後、猫は逝った。呆気ない最期だった。
 結果論に過ぎないが、やはり老いた体では手術に耐えられなかった。そういうことだ。



 死んだ直後、猫の体は温かった。こちらが力を加えればその通りに体が曲がった。
 でも、それから2時間後、体の汚れをきれいにしてやろうと思って棺桶がわりの段ボール箱から取り出した時、もはやそれは冷たくなっていた。死の冷たさだ。

 体の向きが少し変なので、いくらかでも楽な姿勢にしようと思って曲げようとした。動かなかった。死後硬直のせいだ。固まっている。
 茹でた肉の固さ。そんなことを思った。



 僕と妻は、ささやかながら彼のお葬式をした。
 いつもお世話になっている教会に相談し、こういった案件を引き受けてくれる教会を紹介してもらい、そこに葬った。

 こうして全てが終わってみると、なにもかもが不思議に感じられる。
 僕も猫も成功したのだ。なのに猫は死んだ。僕は生き残った。なぜ?

 神は何を考えている? どうしてこの世での別れを強制する? そうやって悲しみを生産する?
 祈りはなんの役に立ったのだろう。ルワンダ、信者、ツチ族の人々の祈り。しかし虐殺された。ならば祈りは無意味では?

 いや、僕は生き残った。それは祈りが聞き届けられたからではないのか? 待て、ならばなぜ猫は死んだ? どういうことだ?
 疑問が疑問を生んで、風船が膨らむように謎が膨れ上がっていく。洗濯機の槽がぐるぐる回るように僕の心も回る、回り続ける、止まりそうもない。



 お葬式から数日後。僕は猫の墓に供える花束を買うために外出した。
 無事に買って帰る途中、雨が降り出した。確かに朝から曇ってはいたが、そこまで湿った空気ではなく、天気予報は降らないだろうと言っていた。突然の不意打ちは卑怯すぎる。

 いま歩いている付近には商店などない。もちろんコンビニも。つまり傘を緊急で買うのは無理だ。
 このままこうやって雨に打たれながら帰るしかない。真冬の冷たい雨。それは情け容赦なく僕の体を叩く。もちろん花もだ、どんどん濡れていく。

 一刻も早く帰宅しなければ。必死に急ぐ。目の前に下り坂が見えてくる。
 これはかなりの勾配で、こういう天気の時はとても滑りやすい。おまけに、坂の終点は四ツ辻になっている。頻繁に車が通るところだ、危険極まりない。何年か前には交通事故で死者も出ている。

 回り道すべきか? この雨の勢いからするに、そんな悠長をすれば下着までずぶ濡れになるだろう。最短で帰るためにはリスク覚悟で突っ切るしかない。
 慎重に歩き出す。赤子を抱くように胸に花束を抱え、一歩、一歩、一歩と進む。

 坂の半ばに着く。上着はとっくにびしょ濡れだ。寒い、冷蔵庫の中にいるみたいだ。
 負けるものか。もう少しで終点なんだ。歩き抜いてみせる。

 慎重に、慎重に、慎重に。一軒家の前を通り過ぎる。犬の鳴き声、「ワン、ワン! ワン!」。雷鳴のようなものすごい音量だ、驚いた僕は滑って転ぶ、うつぶせに倒れる。
 花束が四ツ辻へと投げ出される。車が近づいてくる音がする。

 地面にはいつくばっている僕の目の前、そこに転がっている花束、車、大型トラックだ、何が起こるかわかる、やめろ、来るな、避けられない、大きな車輪が問答無用で花束を踏み潰していく。
 トラックは去っていく。とりあえず立ち上がる。泥だらけでぐちゃぐちゃの花束が見える。

 とにかく僕は死なずに済んだ。これが神の思し召しというなら素直に感謝すべきだろう。だが花束はもうどうしようもない。諦めるしかないだろう。
 回収する気になれず、そのまま見捨てて歩き出す。冷たい雨は相変わらず降り続けている。下着まで浸食し、上着と同じように濡れている。

 雨が顔を叩き続ける。洗顔した直後のようにびっしょりだ。今この状態なら、泣いたとしても涙か雨水か分からないだろう。そう、本人である僕にすらも。
 黙って歩き続ける。もはや何がなんだか分からない。寒い。冷たい。後で風邪をひかなければいいのだが。さて、どうだろう。



 きっとずっと雨だろう。もちろんいつかは止む、しかし日が経てばまた降る。
 これから先、死ぬまでの間、いったいどれだけの雨を経験するのだろう。

 差し当って言えることは、傘の準備を忘れてはいけないということだ。なぜなら、未来に何が起きるかは分からないからだ。
 万が一を覚悟して行動しなければならない。未来は闇に包まれている、一寸先は闇、その通り。

 たとえ10秒後に落とし穴にはまって死ぬのだとしても、この闇を進む以外に生きる道はない。
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