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第一話 アーテル村 ココアウサギファミリーとペルシャネコファミリー

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プロローグ

この世界は獣人と呼ばれる種族たちが人間のように暮らす世界である。
獣人が生活しているだけで人間の世界と、特に変わらない生活をしている。
この世界に生きているのが人間か獣人かの違いだけで後は何も変わらないのだ。

この国は【アーテル国】という名前の国である。
国の大きさは、そこまで大きくもなく小さくもなく、といった国である。
理由は様々だが、別の国からこの国に移り住む獣人が増えているが、もちろんこの国から出ていく者もいる。
これはそんな国に住む者達のドキュメンタリーである。


第一話 アーテル村 ココアウサギファミリーとペルシャネコファミリー

アーテル国はいつも通りどんより雲の天気だ。これでも新しい朝を迎えているのである。
この国の住人はどこか[朝が苦手]としている者が多くいる。朝を迎えた事にどこもかしこも不満や文句があふれていた。

アーテル国にあるアーテル村は、国が出来て獣人が住み始めた時からこの国にある村で、多くの者がずっとこの村に住んでいる。
中には別の国から来た者もいるが、いわゆる『元々住んでいる者。』が多い村だ。
そんな村に住んでいる獣人の中で、耳の先がココア色でそのほかは白っぽい毛色で短毛種のウサギの獣人[ココアウサギ]と呼ばれている種族がいる。
アーテル国では良くいる種族だ。
その村のとある家族は赤城という姓を名乗っている。
その家族が住む家は二階建ての赤い屋根の家で、この国ではよくあるタイプの家だ。
庭を挟むようにもう一軒、水色の屋根の家も建っている。
水色の屋根の家も二階建ての家で、こちらにはココアウサギとは違う種族が住んでいる。中庭をのぞき込んでいる影が見え隠れしている。どうやら庭を挟んで建っている赤い屋根の家の様子が気になっているようだ。その家から女性の声が響いている。
「史織!朝だよ!しーおーりー?」
赤い屋根の家の中では階段を上がる女性がいる。
どうやらその女性がこの家の「お母さん」である。
お母さんは二階に上がり子供部屋に入って行った。
「史織!朝だよ!起きなさい!」
史織と呼ばれている子が寝ているベッドの所まで行くと、お母さんは子供の顔を覗き込んだ。
「全く、起きているなら、返事してよ」
「うるせー、くそババア。朝から怒鳴るなよ」
「あんたは毎日、毎日!その言葉使いを止めなさい!」
「くそババア、毎日起こしにくんの止めろよ、うるせーな」
「どうしてお母さんに、そういう言葉使いするの?」
「うるせーって言ってるだろ!「お母さん」じゃねーよ、淫乱ババア」
「まっ、あんたって子は!そんな言葉、どこで覚えてきたの?」
「どうでもイイだろ」
「どうでもよくないわよ!ところで、今日は学校に行くの?行かないなら、コアラさんの所でも、行ってちょうだい」
「ジジイいるの?」
「朝帰りして酒飲んで、リビングのソファーで寝てるわよ」
「なんだよ、ジジイもいんのかよ、帰ってくんなよー」
「そう言わないの、一応、お父さんなんだから」
「ババアは、お母さんじゃないし、ジジイはお父さんじゃない。淫乱ババアと酒乱ジジイだよ」
「史織!言葉使い!気をつけなさい!!」
「くそババア、パートに行く時間じゃねーの?早く行けよ」
「分かってるわよ、あんたが早く起きないからでしょ?あんたが早く起きてくれれば、何も問題ないのよ」
「わかった、わかった、起きりゃいいんだろ」
「いい?学校に行かないなら、コアラさんの所に行くのよ?」
「へいへい」
お母さんは史織の言葉を聞いてどうするか少し考えて、これ以上何を言ってもしょうがないと思い、史織の好きにさせる事にした。
確かに史織の言う通りパートに出かける時間が迫っている。
史織の事は気になるが、お母さんはもう一度史織に声をかけて部屋を出て行った。
一階に戻ると史織に言われていた通り、酒臭い夫がソファーの上で寝転がっていた。
別れる、別れないというのは常に考えている。
確かに別れるのも悪くはない。ただ、一人ならともかく娘を抱えて二人で生きていくのには、金銭面でつらいものがある。
夫は今、無職である。
そんな夫といつまでも一緒に居ないで、別れた方が楽で良いわよと、散々、同じパート仲間のおばちゃん達に言われている。
しかし、別れられない理由がもう一つ。
今現在、とある男性とダブル不倫中なのだ。だから離婚してここから離れられないのだ。
その事を考えるとむやみに離婚に踏み切れないのだ。
そう、今日も玄関を開けると見慣れた車が家の近くに止まっている。
運転してきた男性は車の横に立ち、こちらの様子を窺っている。
彼の住まいは庭を一緒に利用している水色の屋根の家である。
つまり、お隣さんとかご近所さんという関係だ。
赤城家の赤い屋根の家と同じ敷地内に建ち、庭を通して行き来している水色の屋根の家は、全身白い毛の長毛種である[ペルシャネコ]の獣人が住んでいる。
こちらの一家はペルシャネコのお父さん、お母さん、娘が一人いる。
その娘と史織とは赤ちゃんの時から一緒に育った幼馴染であるし、ペルシャネコのお母さんとはママ友である。
さらにペルシャネコのお母さんの実のお姉さんとその娘が居候として一緒に住んでいる。
ペルシャネコのお母さんの実のお姉さんは、ココアウサギの夫と不倫関係である。
お姉さんはシングルマザーだが、男と遊びたいために妹に子供の面倒を見させている。
息子もいたが、今は、その存在を隠している。

ダブル不倫の相手が友人の旦那。
自身の夫も友人のお姉さんと不倫ということもあり、ややこしい関係になっているが、不思議と不倫の事実以外は問題の無いお隣さん同士である。
娘の史織に言われるくらいひどいのは承知だが、お互い離婚せずこのままで生きよう、と言われている以上、この関係は崩せないのだ。

お母さんは家の近くに止まっている車の隣に立っている男に声をかけ、その男の車に乗り込んだ。
いつも、パートのスーパーの前まで乗せてくれるのだ。
お母さんは男の名を呼んだ。
「誠司さん、いつもありがとう」
誠司と呼ばれたペルシャネコの男性はやさしく微笑んだ。

一方、赤い屋根の家の中では、史織が起きて一階に下りてきていた。
幼馴染の顔でも見たいな、と思ったのだ。
酒臭い父親を見ないようにして窓の外を見る。
中庭を見渡し、誰もいない事を確認すると窓を開け外に出た。
中庭をサンダルで歩き、タイルでできた通路を歩く。
途中、丸く曲がる道を道なりに進み、水色の屋根の家の前に立つ。
すぐに窓が開いて声がかかる。
「史織、おはよう」
声をかけたのはペルシャネコの獣人の女の子、幼馴染の深雪である。
二人は共に村立小学校の三年生である。
史織は不登校だが、深雪はちゃんと学校に通い優等生である。
子供の数が少ないから誰でも優等生レベルになれるのだ。
「おはよう」
「今日はどうするの?」
「これから、着替えて準備してコアラさんチ」
その時、史織の姿に気付いた人物が声をかけてきた。
「史織ちゃんおはよう、朝ご飯は食べたの?何なら、ウチで食べる?」
「おばさん、おはようございます、いえ、大丈夫です。これからコアラさんチに行くので、そちらで頂く予定です」
「そう、じゃあ、気を付けてね」
「はい、いつもありがとうございます」
声をかけてくれたのは、深雪のお母さんだ。
深雪のお母さんには、どうも気を使ってしまう。
両親が不倫している相手である以上、やさしいおばさんにこれ以上迷惑をかけたくないのだ。
史織は一旦、水色の屋根の家を出て自宅に戻った。
「お邪魔しました」と、声をかけて出てきたが、赤ちゃんの時から知っている家ではあるけど、自分の家ではない以上、微妙に落ち着かないのだ。
深雪の部屋にでも入れば多少寛げるのだが。
やはり、『やさしいおばさん』と、思っていてもどことなく避けてしまう。
それが史織の心情だ。

史織は自宅で着替えと準備をして戸締りをし、外に出てきた。
背負っている赤いリュックには一応、勉強道具も入っている。
中には「入学祝い」と言って、普段、何もしない父親が、十二色の色鉛筆セットを買ってきてくれた時、「こんなのいらない!」と、言ってしまったものの、結局ずっと使い続けて今でもリュックに入っている。
使いやすく、普通に使うには何も問題ない物だったから。という理由で使っているが、お母さんに名前シールに平仮名で名前を書いてもらい、色鉛筆セットの入れ物に子供向けの絵が書いてあり、それが白い毛のウサギの絵だったのもあって『いろえんぴつウサギのしろちゃん』なんて、勝手に名前など付けているのも、使う理由に含まれている。(はずである)
ちなみに、中身は減って使い物にならないものだけ新しい物を買ってもらい、それを入れている。(もちろん、ウサちゃんシリーズの物だ)
史織だってまだ小学三年生である。色々とお年頃なのだ。

コアラさんの家が見えた。
コアラさんの家は、史織達の住んでいるような赤い屋根の家だが、史織達の住む家より大きかった。
二階建ての家で中が広いのだ。
コアラさんの家の隣は緑の屋根のお家で、さらに大きい家だった。
史織は『いつか、こんな家に住んでみたい。』と思いながら眺めていた。
緑の屋根の大きな家から、コアラさんが住む赤い屋根の大きな家に目線を移し向かっていく。
ここまで来るとなんだか楽しさで一杯になる。
「コアラさん」と呼ばれている者は、コアラの獣人で、外国から来た人だ。
家族は四人で子供がまだ小さく、幼稚園に通う年齢の子と、まだ赤ちゃんの子供がいる。
コアラファミリーのお母さんは、史織達の住む家の中庭の手入れをしたり、その中庭にある小さな畑の手入れをしたりしている。
お父さんは現在、自宅でピアノ講師兼塾のような物を開いている。
史織が今日、この家に来た理由もコアラファミリーのお父さんに勉強を教えてもらったりする為だ。
『不登校の子供の面倒を見てくれる人』との認識が広まっている。
ちなみに元教師である。
その為、史織は「コアラのお父さん」への信頼が勝手に高まったのだ。
史織の言う「コアラさん」とは、この「先生」の事を指している。
「畑仕事をしている方のコアラさん」については「コアラさんの奥さん」と呼ばれている。
名前もちゃんとあるのだが、皆、親しみを込めて「コアラさんのお母さん」「コアラさんの奥さん」と呼んでいる。
そんなコアラさんの家の前まで着いた史織は玄関の前に立ちインターフォンを押した。
史織が押してからしばらくして、コアラさんがインターフォン越しに声をかけてきた。
史織は自分だと告げると「あっ、ちょっと待っててね、今、開けるから」と、男性の声が聞こえてきた。
聞こえてきた声はいつ聞いても優しい声だ。
外国から来た者特有の多少の訛りはあるものの、長くこの土地に住んでいるからか、気にならない程度の訛り方である。

ガタガタという音が聞こえてきて、ガチャっという音が聞こえると、どうやら鍵が開いたらしい。玄関が開くとコアラさんが顔を出した。
「しおりちゃん、いらっしゃい、今、掃除中で騒がしいけど中に入って!」
「お邪魔します」
コアラさんはドアを押し開けてくれ、背をドア側に向け立っている。
女性物のデザインのエプロンを身に着け、背中に女の子の赤ちゃんをおぶっている。
コアラの獣人は全身グレーの毛並みに、大きくて丸い形の耳、鼻が特徴的である。「子守熊」とも書かれる言葉通り、子を背におんぶする姿はまさに「コアラ」である。
本来ならたぶん、雌の役割なのだろうが。
本来有袋類であるコアラだが、獣人である為、コアラさんはおんぶ紐を使って、子を背中におんぶをしている。
史織は玄関から中に入り掃除中だという家の中を見渡した。
その姿を見て「しばらく二階に上がっててもいいよ」と、コアラさんは言ってくれた。
史織は「じゃあ、いつもの部屋にいます」と言い、二階に上がりいつもの部屋を目指した。
赤ちゃんや幼稚園に通う子達の部屋が、史織のいう「いつもの部屋」だ。
「いつもの部屋」は階段を上がり廊下を通っていくとある。
ドアを開けると狭いながらも子供の為の部屋が広がった。
この家の子供は二人とも女の子で、部屋は可愛らしい部屋になっている。
子供用ベッドが置いてある。それ以外、特に何もなかった。
おもちゃは下の階にあるのだろう。だいたい、いつもそうだ。
空いているスペースに座り、赤いリュックを床に置き自由帳を取り出して次に、色鉛筆セットを取り出すと、それも床に置いた。
色鉛筆セットが床に置いてあると小さい頃を思い出す。色鉛筆セットをもらったあの日だ。

父親からのプレゼントなんて初めてだった。
最初は「いらない」と言ってしまったが、よく考えればウサちゃんの絵柄の書いてあるグッズは史織は嫌いじゃなかった。
何もしてくれない父親が自分の好きな物を知っていた事にもびっくりしたが、色鉛筆というのもなんだかびっくりしてしまった。
その日の前日「小学校の入学祝いは、何が欲しい?」と母親に言われ、当時のテレビで、色鉛筆で楽しく絵を描くココアウサギの女の子のコマーシャルを見ていたから、当時「羨ましい」と単純に思い「これがいい」と、母親に伝えた。
母親なら知っていて当然だが、まさかそれを父親から貰えるとは思ってなかったのだ。
当時は父親も働き、その日は仕事が忙しく遅くに家に帰ってきた。
その次の日、入学祝いとしてその色鉛筆セットが貰えた事に驚きと感動を覚えたが、父親が買ってきたという事に何かあるのでは?と、幼心に思ってしまったのだ。
それで「いらない」と言ってしまった。
その後、母と二人で話し説得され、その色鉛筆セットは史織の物となった。
今にして思えば「パチンコの景品かな?」と考えてしまうが「父親が史織にプレゼントしてくれた」という物は単純に大切な物である。
史織はそんな事を思い出しながら、色鉛筆の箱を開けた。
その色鉛筆セットで史織の好きな赤色だけが減りが進んで一番短かった。
開いてある自由帳に下手なりに絵を描いていく。
体をうつぶせにして絵を描いていると、集中し始めたのか、何も考えずただ絵を描くことが楽しく思えた。
書き終わった絵には史織のお父さんとお母さんが笑顔で手をつなぎ、お花畑の中で史織が笑顔で花を摘んでいた。
史織はその絵を見てモヤモヤしていた。
なぜこういう絵を描いたのか、分からなかったからだ。
無意識に描いたのだろうか。いや、無意識ではないだろう。
史織の中、どこかにある感情を表現しただけだろう。
たぶんそれは蓋をしている部分にあるのだ。今は見つけられない、史織の隠している部分だ。

そうこうしているうちに家の中は静かになっていた。
掃除が終わったらしい、コアラさんは二階に上がってきていた。
ドアを叩かれ、コアラさんの史織を呼ぶ声を聞き、返事をする。
自由帳は見られたくない。そう思い、急いで赤いリュックの中にしまう。
色鉛筆セットもしまい、リュックを閉じると史織はリュックを手に持ち立ち上がった。

ドアを開けると、コアラさんが出迎えてくれた。
「下でお茶でも飲もうか」そう言われ、史織も「はい」と答える。
そういえば朝ご飯を食べてないが、コアラさんの家では朝ご飯は軽く食べ、お母さんが幼稚園に通う子を送り迎えし、そのままお母さんは畑などに行く。
お父さんは今のように家事をしている。
家事がひと段落すればお茶の時間である。
それが今の「お茶でも飲もうか?」なのだが、史織のお腹は腹ペコである。お茶と茶菓子だけでは足りなさそうだ。
廊下に出ると史織はコアラさんの後ろを歩き、そのまま階段も下っていく。
コアラさんの背中には赤ちゃんがおんぶされている。
赤ちゃんの後頭部はかわいい頭をしているが、今の史織には「コアラパン」という、コアラの形をしたパンでもあれば、そういうネーミングをされていそうなパンに見えてしまう。
実に美味しそうな「コアラパン」である。

一階に下りるとキッチンに通された。
コアラさんは史織の方を向き「しおりちゃん、朝ご飯はまだ食べてないの?」と聞いてきた。
「はい」と答える。
「だったら今日のお茶菓子は、ホットケーキでいい?」
笑顔のコアラさんである。
さすがにコアラのような形にして欲しいとはお願い出来なかった。
「ホットケーキでお願いします」
「わかった、待っててね」
そう言うとコアラさんはホットケーキの準備に取り掛かった。
ココアウサギの獣人は、獣人の肉を食べるような怖い化け物ではない。
食べ物としての肉は食べる。それは食べ物として売られている物だ。
化け物のような食生活をしている訳ではない。至って普通の食事を取る。
史織はキッチンのダイニングセットの椅子に座り荷物は足元に置き、ホットケーキが出来上がるのを待った。
朝起きて深雪に会い、準備して家を出た。
今現在、そんなに掛からない距離にあるご近所の家である。
もう、そんなに時間がたったのかな?と思ったが、自分が起きたのが朝七時三十分か三十五分頃、母親の声で目が覚めた。
何分か話してベッドを出て、深雪に会う頃には八時前。
七時四十分から五十分の間に家を出れば、小学校に余裕で間に合う。すでに深雪は朝の支度を終わらせているだろう。
あれから家に戻り、着替えと準備で三十分ほどかかった。
八時十五分頃、家を出て、ここまで十分くらいである。
二十五分から、三十分くらいには着いている。
と考えると、今はちょうど九時頃である。
十時のおやつなら分かるが、これは九時のおやつ?と一瞬思ったがたぶん二階の掃除がまだなのだろう。という結論にいたった。
たぶん史織が来るのは分かっているだろうから一階から掃除機をかけたのだろう。
子供もいれば多少なり時間がズレてしまう事もある。
『史織の到着はいつもまばらである。』それを考えれば特におかしい所もなかった。
“そうか、まだ九時か”キッチンの時計も九時を指していた。

コアラさんは史織の分のホットケーキを焼き、自分は適当な皿にお茶菓子を出して、史織にはココア、コアラさんはコーヒーを注ぎ、早めのお茶の時間となった。
甘い匂いが史織の鼻をくすぐる。
朝ご飯としてホットケーキというのは贅沢な気がした。
史織の家では朝からホットケーキなんて出ない。
お母さんが作る簡単な朝ご飯というのならしょっちゅう出てくる。
今日は、お母さんも寝坊でもしたのだろう。
ちゃんと起きる事ができた日は七時くらいに起こし、朝ご飯も用意してある。
それが今日は無かったという事は、夜寝るのが遅くなったのだろう。
また深雪のお父さんと出かけたりしていたのだろうか。
史織は考えるのも嫌になった。
父親が父親なら、母親も母親である。
言っている事と自分の行動が一致しない人だと史織は母親のことを思った。
まだ、口うるさくない父親の方がまともに思える。
実際はどっちもどっちだ。

ホットケーキを食べ終わると史織は「ごちそうさまでした」といい、食器をシンクに下げた。
コアラさんは「はい、おそまつさま」と一言だけ返した。
史織はここで、マナーや生活に必要な事も学ばせてもらっている。
将来、大人になって困らないようにする為、とコアラさんから教わっている。
特に文句なく、史織もそういったことを素直に覚えていってる。
家では反抗的な態度を取っているが、ここでは素直に子供らしく過ごしている。
それでも、言葉使いなど直さないといけない部分は厳しく躾けられる。
自分の親より親らしく、また先生である。
それが「コアラさん」という者である。
優しい口調であるが時に厳しく時にやさしく、しっかりと使い分けている。

コアラさんは「お茶の時間が終わったら、残りの家事を片付けるね」といい、その場に留まるらしい。洗い物をして二階の掃除機をするようだ。
史織は午前中の間は好きに過ごして良いと言われた。
「お昼を食べたら、お勉強会とピアノの練習をするからね」と言われた。
勉強会は、単純に学校へ行かない史織の為に、学校の勉強より簡単に史織にも分かるように教える物。ピアノの練習は夕方、深雪が来てから二人でピアノを習う事である。
コアラさんは元教師だが、今はピアノ講師をしている。
ピアノを教えるのが本業である。
その他にも史織達の住む家や、ほかにも土地を所有している。
史織達の住む家の中庭の畑もそうだが他にも畑があり、半分自給自足生活だ。
史織の面倒は、ほぼボランティアとか好きでやっているだけだが、土地代とピアノ講師だけで生活出来ている。
外国からの移住者にしては裕福な暮らしだが、それには秘密があるらしい。
史織はキッチンからリビングへ、荷物をもって移動し、テレビ前にあるソファーへ座った。
荷物はそのまま自分の横に置き、テレビをつける。この時間にやっている子供向け番組を見るためにチャンネルを変えていく。
自分が見たいチャンネルでリモコンの操作を止め、画面に見入った。

テレビは教育系統の番組がこの時間は面白い。
後は大人向けで面白くなかったり意味が分からなかったりして、見ていても暇つぶしにもならない。
「かわいい」のか「かわいくない」のか、センスを問われそうなキャラクターがテレビの中で動いている。
これはなかなか面白い番組だった。
時間が変わると番組も終わり、またチャンネルを変えていく。
お昼が近いからなのか、料理番組が始まった。
テレビでよく見る有名なブラウンウサギの獣人女性の番組である。
昼が近づくと料理を作り、おやつの時間が近づくとお菓子を作る人である。
この女性の料理番組はシンプルだが、何処となくオシャレで人気も高いようだ。
綺麗な女性がオシャレなキッチンで料理やお菓子を作る。
癖のない番組で子供が見ていてもそれなりに見る事ができる。史織も好きな番組だ。
外国風の感じがするキッチンに女性の名前も外国の名前である。
しかし、この国の言葉を喋っているという事は、この国に住んでいる人なのだろう。
外国から来た人が移住してくることは、この国では良くある事なので、史織は全く気にしていない。
むしろ「こういうお母さんだったら。」とは、しょっちゅう考えている。無理な話なのは承知だ。

お昼の時間はすぐにやってきた。コアラさんの手作りご飯を食べる。
毎日という訳ではないが、ここでの料理は外国料理が定番だった。
外国から来たのだから当たり前だが、なんだか不思議な気分になる。
味はちゃんと史織でも食べる事が出来る味だ。合わせてくれているのだろう。
午後からは勉強とピアノの練習。
史織は正直、ピアノはあまり好きじゃない。
「深雪がやりたい」と言っていたから自分も一緒にやるだけで、楽しいか?と聞かれたら、どう答えるべきか少々考えてしまう。
月謝は深雪も史織もちゃんと払っている。
「やりたくないなら、辞めなさい」と母親から言われても「辞める」という選択肢は無かった。
父親が無職になって以来、家計が厳しいと常に言うようになった。
元々貧乏な方だったが、何とか生活出来ていた。しかし、今父親の収入がゼロなのにパチンコと酒とタバコは確保している。
その辺は父親の不倫相手であるブティックで働く深雪の伯母さんのお金も含まれているのだろう。
母親は母親でパートの給料とダブル不倫中の相手である深雪の父親の支援も多少あるのだろう。
残るは史織の存在だ。
家ではまともな食事にありつくことは少ない。
だからこうして面倒見てくれる家に来て、ご飯を食べたりしているのだが。
母親は少しでも家計(もしくは自分の懐)に入れたいのだろう。だからこうして「ピアノ辞めたら?」と、言ってくるのだ。しかし史織にその気はない。
「ピアノのレッスン代」を浮かせたい史織の母親と、あまり好きではないが友達がやっているから一緒にやりたい史織の意見の食い違いの溝は埋まらないらしい。

午後は宣言通り、マンツーマンで勉強を教わる事になった。
場所は一階のリビングスペース横に広間がある。
そこで勉強やピアノのレッスンをするのだ。
その部屋では塾のようなテーブルが置いてある。
史織はいつもピアノ付近のテーブルで勉強している。
夕方が近づいた時、インターフォンが鳴りコアラさんが対応すると、コアラさんは「もう一人子供が来たけど、しおりちゃんはそのまま勉強しててね」と言われた。
数分して小さな女の子が、一階の広間に入ってきた。
その子はカンガルーの獣人で、史織が苦手なのか嫌いなのか、挨拶もせずに史織とは離れた別のテーブルに座る。
コアラさんもその子に関しては、アーテル語ではなく外国語で話す。
その言葉はコアラさんがいた国の言葉だ。
となるとその子も外国の子なのだろう。
コアラさんのように移住者なのだろうか、アーテル語の練習を始めたようだ。外国語とアーテル語が会話に混ざり合っている。
その子の面倒がひと段落すると、コアラさんは史織の元に戻り、今日来た子の説明をしてくれた。
やはり、コアラさんと同じ国から来た子で、最近隣にカンガルーファミリーが引っ越してきたと史織はコアラさんから聞いていた。そのカンガルーファミリーの子供だった。
史織はほとんど行ってないが、村の小学校に通う一年生である。
まだ引っ越して間もない為、家族そろってコアラさんに言葉やアーテル国の事を教えてもらっているらしい。
それで今日学校が終わった後、一旦家に帰り、その後こちらで言葉の勉強する為の道具を持ってコアラさんの家に来たという経緯である。
『だから、そういう態度なのか』と、史織は思った。
史織も無理に話す事はしない。知らない者に気軽に話せるような性格じゃない。
史織はこちらも関わらないようにするかと思い、自分の勉強に集中することにした。

しばらくコアラさんは史織よりカンガルーの女の子の相手をしつつ、史織の元へ来た。
それを繰り返すうちに夕方になり、カンガルーの子はコアラさんと一緒に隣の家へ行った。
コアラさんが帰ってくると、またもマンツーマンになり史織とコアラさんの授業となった。
その後、すぐにまた来客があった。
この時間ここに来るのは深雪しかいない。
史織は「深雪かな?」と言ったら、本当に深雪だった。
「さて、しおりちゃん、勉強道具を片付けてね!ビシバシ、次行くわよ!」
若干のオカマ口調が入ってきた。
コアラさん名物「ピアノ講師モード」に移行である。
コアラさんチのピアノの椅子に、まずは来たばかりの深雪が荷物を置いてから座る。
「みゆきちゃん、準備はイイ?」
「はい」
「じゃ、今日もレッスンいくわよ!」
「はい」
コアラさんと深雪の様子を見ながら、史織は勉強道具を赤いリュックにしまった。
いつもの楽しい時間の始まりである。
コアラさんはウキウキ楽しそうに、時折、オカマ口調で注意したり外国語で叫びだす。
史織にしてみればその喜怒哀楽が激しいコアラさんが見ていて一番好きだと実感する。
やはり今日も一人賑やかだ。ピアノは人を狂わせる何かがあるのだろうか?
深雪は特に変わった様子は見られないが。
「あんっ、そこ、気を付けて!違う!NO!」
史織は笑うのを我慢した、外国語で怒られると怖いからだ。

楽しい時間というのは、あっというまに過ぎていった。
時間は夜六時、コアラさんチのインターフォンが鳴る。
「あら、もうこんな時間!みゆきちゃんのお母さんかしら?」
そう言ってインターフォンの対応しに行き、部屋から出て行った。
史織と深雪はそれぞれ帰る支度をする。
やはり深雪のお母さんだったらしい。
コアラさんはすでに準備が整っている二人を見て玄関まで誘導すると「しおりちゃん、みゆきちゃん、気を付けて帰るのよ?またね」と、笑顔で声をかけてくれた。
「忘れ物ない?」と、深雪のお母さん。
二人は「大丈夫」と声をかけると順番に靴を履きコアラさんに挨拶をした。
手を振るコアラさんに手を振り返し、深雪のお母さんは頭を下げ、玄関の扉を開け扉を背に立った。
二人は順番に玄関の外に出て振り返る。
「それじゃあ、失礼します」と深雪のお母さんがコアラさんに声をかけ、頭を軽く下げた。
コアラさんも頭を軽くさげる。
その姿を見てから背の後ろにあるドアに手をかけ、玄関扉をゆっくりと閉める。
「じゃ、帰りましょうか」
と、子供達に声をかけ、深雪のお母さんはまず史織の手を握り反対側に深雪の手を掴む。
お母さんが真ん中、子供が左右に立ち、三人並んで歩き出す。
いつもの帰宅。
史織はこの方法には特に何も思わなかったが、お母さんのぬくもりはいつも、違和感があった。
自分の親とは手をつないだ記憶が薄れ、もう何年も前からつないでいない。
お母さんの手のぬくもりを覚えていなかった。
深雪のお母さんとは、こうして帰る事が多々あるからまだ抵抗せず手をつなげる。
しかし、実の母親とはもう、手をつなぎたいとは思えなかった。
嫌悪感なのか、嫌だという感情が湧いてくるのだ。
同じ敷地内の家に帰るのだから、深雪のお母さんが迎えに来るのは特に何もおかしな事ではないと史織も深雪も納得している。
深雪のお母さんも特に疑問には感じてないようだ。赤ちゃんの頃から史織を知っているから特に何も思わないらしい。
自分の子と差が無いように接してくれている。それは昔から変わらない。
自分の子と同じ年の子の面倒をみているだけだ。

家の前に着くと、史織は自分の家に入り、深雪とお母さんは自分たちの家に入った。
史織は玄関からリビングへ向かうと自分の母親の存在が目に映る。
一応「ただいま」と声をかけた。
「あら、おかえり。お母さんこれから出かけるから。史織のご飯ダイニングテーブルの上に置いといたから、温めてから食べてね」
言われた通りダイニングの方を見る。
この家はLDKの造りでリビング、ダイニング、キッチンと一続きだ。
リビングからダイニングへ歩き、テーブルを見た。
テーブルは父親が飲み散らかしたままになっていた。
ある程度ごみが退けられ、代わりにスーパーで買ったと思われるオムライスのお弁当が袋に入っていた。
子供が食べるにはちょうどいいサイズのオムライスで本来なら美味しそうな匂いもするのだろうが、酒の缶が転がっているせいか、なんだか酒の匂いがまだ残っている気がして美味しそうな匂いがなく、まずそうに見える。
史織がそう思っているだけで、ちゃんとした所に置いてあれば、それなりに見栄えの良い物だろう。
実に残念な場所に置いてある弁当だ。
史織は母の方を見る。
何も言わなくても分かる。母のお気に入りの黄色い花柄のワンピース。
不倫相手の深雪のお父さんに買ってもらったであろうワンピースだ。それに合わせた黄色い靴。
母親がこの時間に出かけるのはデートの為だ。
『今日も遅くなる』とでも言って出かけるのだろう。もう母が支度しているのを見るだけで次の行動に察しがつく。
史織は無言でオムライスの入った袋からオムライス弁当を出し、キッチンにある棚の所まで弁当を持っていくと、電子レンジの前で立ち止まり、レンジの扉を開けると弁当を中に入れて扉を閉め、ボタンを操作し「お弁当あたため」を選び、ボタンを押した。
「じゃ、史織。いい子でお留守番しててね
今日も遅くなるから、戸締りお願いね、行ってきます」
史織は返事を返さなかった。

一方、水色の屋根の家、深雪の家では、史織同様、晩御飯がダイニングテーブルの上に並んでいる。
ダイニングテーブルの真ん中には大きな器が置かれ、中にはサラダが入っている。取り分け用の皿がそのサラダの器の隣にあり、サラダと一緒にサラダを救う物も器の中に入っている。
サラダ以外では、それぞれのランチョンマットの上にメインディッシュが置かれていく。
史織と深雪を迎えに行く前に、それなりに用意して行ったらしい。
帰宅して間もないというのに、次々と料理が運ばれてくる。
今日のメインデッシュはグラタンである。
グラタンの他にもサラダの器の左右にパンが入った籠が並べられ、パンを乗せる為の皿がパンの入っている籠の横に置かれた。
グラタンの横にはスープが置かれていく。
スープはジャガイモと玉ねぎのスープだ。
フォークやスプーンも置かれて準備が整ったそうだ。
ダイニングに集まったのは、深雪のお父さんとお母さん、居候の母の姉は姿を見せない。
しかし、その子供は深雪のお母さんを「ママ」と呼んで、まとわりついている。
実の母親に冷たくあしらわれている為、関係としては叔母にあたる深雪のお母さんを「本当のお母さん」として実子のように甘えている。
深雪のお母さんもそれに答えていた。
深雪だけはその事に嫌気をさしていた。
甘えた声を出している自分より小さな子供。
「妹のように接してあげてね」と言われているが、それだけは出来なかった。
四人用ダイニングテーブルに父、父と向かい合うように母、父の隣に深雪。
深雪の前には誰も座っていない。
妹(深雪には妹に思えないが)は、ダイニングテーブルの端に子供用の椅子を置かれている為、そこに座っている。
その席で「ミルク飲みたい!ママ、ミルク飲ませて!」と、深雪のお母さんにせがんでいるが「駄目よ、今はご飯食べましょうね?」と言われている。
妹、彩芽(あやめ)は、不機嫌そうにグラタンを見つめ、スプーンでグラタンを叩き出し、グラタンの周りを汚し始めた。
「彩芽ちゃん、駄目よ」と深雪のお母さん。
それでも彩芽は止めなかった。
深雪のお父さんは何事もないといった感じで「いたただきます」と言い、サラダとパンを取り、グラタンを食べ始めた。
深雪もそれにならう。相手にする気が起きないからだ。
母だけが我が子のように彩芽に対して接している。
深雪にとっていつもの日常の光景だ。

伯母さんは出かけている。父も夕飯を食べてから出かけるのだろう。深雪はそう思っていた。
実際、夕飯が済み父親は知らぬ間に出かけていた。
母は家事に夢中で、彩芽はふてくされて伯母さんが使っている部屋にこもっている。
その部屋が伯母さんと彩芽の部屋だからである。
深雪はリビングでテレビを見る。
この家もLDKが一続きの家で、家事をしているお母さんの姿を確認できる。
お母さんは正直どう考えているのか気になる時がある。この状態をどう考えているのだろう。全て受け入れているのだろうか?
お母さんは何も言わず家事を片付けている。
お父さんもお母さんも、深雪には普通のお父さんとお母さんで、やさしく時に叱る普通の親である。だからこそ、両方の気持ちが気になった。
『別れてくれるならそれでいい。』とは、史織とよく話す。
しかし、双方、別れないで家族として生きている。この関係でこのままでいいのだろうか?
深雪も史織も何度も同じ話をしているが、答えにはたどり着かなかった。
親同士、または、伯母も含めて、このまま生きていくらしい。
大人には大人の事情があるとよく言われる。しかし、深雪と史織には、大人の事情という物が分からなかった。

深雪はテレビが面白くなくなると風呂に入り自分の部屋に戻る。
二階は夫婦の寝室と深雪の部屋がある。
部屋に入りピアノの前に立ち、弾けるようにしてから椅子に座る。
好きな曲を弾いてから、日記でも書いて寝よう。深雪はそう思い、鍵盤の上に指を置く。
ピアノを弾いているとピアノに集中する為、何も考えずにすむ。それだけが今現在、唯一のストレス発散方法だ。
深雪の部屋にピアノのメロディが流れ始める。
ある程度ピアノを弾き、満足すると深雪は立ち上がり、ピアノをしまう。
椅子もしまい、勉強机の方に移動する。
日記帳を取り出し新しいページを開き、色ペンを取った。
毎日、気分に合わせて色ペンを選び書き込んでいる。
今日は、大好きなピンク色のペンで書き込んでいく。
内容はいつも通り、学校の事、家の事、史織の事。それに加えて今日は、コアラさんの家での事を書き込む。
深雪は最後に「お母さんとお父さんが、昔みたいに仲良くしてくれますように。」という文字と「おばさんに『新しいカレシ』ができて、あやめと一緒にこの家から出ていきますように」という文字と「しおりの家の門だいが片づいて、しおりが学校に来れるように」と書き込んだ。
その辺で日記を書くのを止めると、色ペンと日記帳をしまい勉強机から離れた。
ベッドまで行くと、宿題があったのを思い出したが、明日、学校に行って休み時間にでもやろうと思い、寝る事にした。
お気に入りの布団はピンク色の布団である。
ピンク色の布団に体が包まれると安心感が出てきた。
今日もぐっすり眠ろう、そう思い、目を閉じた。

第一話 終わり
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