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第六章「結びあう魂」

12、結び合う魂――【前】

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「シア……」

 名前を呼ばれ、はっ、として目を覚ます。
 背中を覆う深く沈みこみ柔らかい感触から、赤ん坊の頃から使用している大きなベッドの上だと分かる。

 ぼやけた視界には、14年間毎日一緒に寝起きしている、最愛の人の顔が映っていた。

「悲しい夢でも見ていたのか?」

 優しく問いながら、カエインは私の頬を両手で挟み、涙でヒリヒリする目元を舌で癒やしてくれた。
 言われてみると悲しい夢を見ていた気がする……。

「……起きた瞬間、忘れちゃったみたい」

「そうか」

 カエインは、ちゅっと唇に軽いキスをしてくれたあと、身体を離して起き上がる。
 私は寂しくなって、もう一度キスをせびる。

「ねぇ、カエイン。もっと長いキスをして」

「毎回言ってるが、歯止めがきかなくなるから駄目だ。シアはまだ子供だからな」

「もう14歳よ」

「まだ14歳だ。これ以上は16になって結婚してからだ」

 そう言って笑ったカエインは、私が赤子の頃から16歳になったら結婚すると決めていたらしい。

 遡ること今から14年前、彼は旅の途中に通りかかった戦争中の都市で、母親らしき遺体の下で泣いている私を見つけたという。

『俺を呼ぶように必死に泣いていたシアが、抱き上げたとたんに泣き止み、この黒曜石みたいなつぶらな瞳で見つめてきたとき――運命を感じた――』

 その時点で育てて花嫁にしようと決断したという話を、小さな頃からしつこく聞かされてきたけど、何度聞いてもいまいち納得できない。

 直感的なものだと言われてしまえばそれまでだけど、果たしてカエインほどの魔法使いが、偶然、赤ん坊を拾ったぐらいで運命を感じるものだろうか?
 ましてや結婚相手にしようだなんて、絶対におかしい。

 素直に信じきれない気持ちと、自分の魅力への自信のなさから、私はつねに不安だった。
 そのうち誰かにカエインを取られてしまうんじゃないかって……。

 何しろこの魔法使いの協会の本部を兼ねる、クセルティス神殿に出入りする女魔法使いは、一人残らずカエインを崇拝しているのだ。

「二年も待てない、今すぐカエインと結婚したい」

「どうした? 今朝のシアはなんだかいつもより駄々っこだな。
 待ちきれないのは俺も一緒だが、結婚するということは子供を作るということだ。
 もう少しだけシアの身体と精神が、大人になってからのほうがいい」

 諭しつけるように言いつつも、私を優しく抱き起こしたカエインは、もう一度、今度はいつもよりも長めに唇を重ねてきた。

 それで機嫌を直した単純な私はベッドから飛び降り、身支度をするために姿見の前に立つ。

 うなされていたせいか、かなり寝汗をかいていた。
 下着ごと替えるために裸になると、生まれつき上腹にある縦長の痣。指の1.5倍ぐらいの太さと長さがある、くっきりとシミ状のものが目に入った。

 結婚する前に消せるといいな。

 今のところカエインの魔法でも消せないらしく、自力でどうにかしようと、日々、研究している。

 いつでも好きな人の前では綺麗でいたい私は、今日も時間をかけて服を選び、腰までの長い髪を念入りに梳かしつけた。

 といっても残念ながら、魔法使いの端くれである私の普段の衣装は、ドレスではなくローブなんだけど……。

 ただでさえカエインに特別扱いされていて悪目立ちしているので、服装だけでも皆と合わせるようにしているのだ。

 何しろ私は婚約者というだけではなく、カエインが120年ぶりに取った女の直弟子。二重の意味で女魔法使い達の羨望と嫉妬の的だった。

 魔法使いに限らず、彼は周囲にいる女性をことごとく魅了して惚れさせてしまう。
 女の弟子を取るのを止めていた理由も、恋慕をこじらせて自殺した者がいたからだと聞いている。

 カエインいわく、『あてつけに死なれただけではなく、そのせいで一番弟子に酷く恨まれてな。さすがに懲りた』とのことだった。

 何にしても特別扱いされるのは気持ちが良い。

 私は着替えを終えると、扉の近くで待っているカエインと腕を組んで、二人だけの空間である神殿の最奥の間から出た。

 そうして白い石造りの廊下を歩いている途中、

「カエイン様、お久しぶりです」

 豊満な肉体を誇示するような、体型にそった漆黒のローブを纏った女魔法使いと顔を合わせる。
 「西の魔女」と呼ばれている、現在、魔法使い順位6位のエフェミア様だ。

「ああ」

 カエインは軽く頷き返しただけで、一目もくれずにさっと通り過ぎる。

 すれ違うときエフェミア様は、あきらかに私を見下したような瞳で見て「ふん」と鼻先で笑った。

 たしかに私は彼女のような明るい金髪碧眼ではなく、暗い黒髪に黒瞳。顔立ちも人目をひくほど綺麗ではないし、色気もない。
 魔法使い第一位の実力と美貌の持ち主であるカエインと、全然釣り合っていない自覚はある。

 でも、だからこそ日々、人並以上に美しくなるべく努力していた。
 魔法使いになったのだって、美容と、見た目を若いままで維持できるからなのだ。
 カエインもさっき会ったエフェミア様も、20代に見えるけど実際はかなりの高齢だった。

 



「今から行くアスティリア王国は、俺が以前、宮廷魔法使いとして仕えていた国だ」

 説明しながらカエインは私を横向きに抱きかかえ、漆黒の翼を広げてベランダから飛び立つ。
 彼はとにかく心配症で、どこかへ出かけるのでも必ず私を連れて行くのだ。

「えっ、カエインって塔主なのに、一国に仕えていたの!?」

 初耳だった。
 14年間も一緒に暮らしてきたのに、一度も聞いたことがなかったことにびっくりする。
 話すほどでもないぐらい短い期間だったとか?

「どれぐらい仕えていたの?」
「……336年間だ……」
「ええっ、カエインって今、369歳だから、人生の大半じゃない!
 酷い、どうして今まで話してくれなかったの?」

 つい責めるような口調で言うと、カエインは眉間を寄せていかにも悲しげな顔をした。

「実は思いだすと辛くなるような、悲惨な思い出ばかりでな……。
 あえてお前には話さず、周囲の者にも話題にすることを厳重に禁じていた」

 話を聞いて、すぐに私は自分の無神経さを恥じる。

「事情も知らずにごめんなさい」

「いいんだ。シアのおかげでこうして口に出せる程度には立ち直れたし、17年ぶりにアスティリア王と和解する気にもなれた」

 もしかしたら、カエインが私を拾って育ててきたのは、アスティリア王国で起こった辛い出来事を忘れるために、気を紛らわす必要があったから……?

 だとしたら、完全に吹っ切れたあとは、もう私はいらなくなる?
 想像しただけで悲しくなって、目頭が熱くなる。

「どうした、シア?」

「私、もっと美人に生まれたかった……」

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