8 / 67
第一章「復讐の序曲」
8、忘れられた恋人
しおりを挟む
『バーン家の女子たるもの、敵の捕虜になった際には、辱めを受ける前に自ら誇り高く死ぬのです』
この短剣は母がそう言って、私の10歳の誕生日に贈ってくれたもの。
刃は細く薄く小ぶりで、戦うためのものではなく、女性としての誇りを守るための自害用じがいようだった。
「こうするために出したのよ」
説明がわりに自らの髪を掴んで、短剣の刃を当て、肩の下あたりでざっくりと切り落とす。
カエインが大仰おおぎょうに嘆息たんそくした。
「せっかく美しい黒髪だったのに、ずいぶん勿体ないことをするな」
「――この髪はデリアンとの結婚式のために伸ばしていたんだもの――もう必要ないわ……」
虚ろに呟くと、私は手を伸ばし、切り落とした髪を塔の上から放り投げる。
長い髪が強い風に流されて、失った私の夢そのもののように、儚く散っていった。
式だけではなく、デリアンが私の真っ直ぐな黒髪をよく綺麗だと褒めてくれたから、長く伸ばして毎日入念に手入れをしていたのだ。
髪だけじゃなく、肌だって、身体だって。
全部、デリアンのために、一番美しい状態でいられるように努力していた。
だけど、もう全部不要なもの。
この命さえも。
ジークと一緒に死んだ私がデリアンより二年遅く生まれてきたのは、きっと探して追ってくるのに時間がかかったから。
私はデリアンと結ばれるためだけに生まれ変わってきたのだ。
だから捨てられた今では、生きている意味もない――
――静かに思うと、観察するように様子をうかがうカエインと反対側の端へと移動して、私はゆっくりと向き直る。
「ねぇ一つ訂正してもいい? カエイン」
「なんだ?」
「あなたは男を知らないと哀れんだけれど、私には前世の記憶があるのよ」
「そういえば、そうだったな」
素直に同意する、見た目だけは美しい悪魔の姿を見つめ、私は過去形で考えた。
この男が約束を果たしてくれるとは限らないし、その本心がどこにあるかも分からない。
それでも利用して、エルメティア姫やデリアンに仕返しするのも、一つの手だったのだと――
だけど私は、ジークと一緒に死ぬと決めたあの日に、心に誓ったのだ。
もう二度と愛する人以外には、この身を好きにはさせないと――
「ええ、そうよ、だからあなたが教えてくれる必要はないわ!
――だって私は、それがどんなに辛いことか、誰よりも知っているんだもの……!」
最後に声を張り上げると、後ろ手に掴んだ手すりへと身を乗り上げ、そのまま一気に背後へと倒れて塔から滑り落ちる。
上下が反転している途中、視界に近い雲が映る。
間違いなくこれほど高い位置から落ちたら、遺体は無残な状態になるだろう。
デリアン、少しは心を痛めてくれる?
――なんて――最期まで、デリアンのことばかり考える自分に笑いながら、逆さまに地上へと落下してゆく私の脳内を――瞬間的に――様々な記憶と思いが駆け巡る――
ジークと愛し合っていた頃の、天国と地獄を行ったり来たりするような日々と――最期の日の記憶。
『こうして手首をしっかり結べば、死後も離れない。俺たちは永遠に一緒だ』
袖を破って紐にして、ジークがお互いの手首を一緒に縛ってくれた。
そうして二人でしっかりと抱き合い、城の一番高い尖塔から、下を流れるアロイーズ川へと飛び降りたのだ――
――けれど今生はたった一人――
前世の私は、愛し合っているのに結ばれないということが、何よりも辛いと感じて、絶望していた。
しかし今の私はそれは違うと知っていた。
最も辛いことは、彼の身体ではなく心を――あるいは魂を――失ってしまうことなのだと。
死ぬことより何よりも、今はジークの魂を持つデリアンに完全に忘れさられたことが悲しい。
戦いに出る前、まだ15歳だった私にデリアンは言ってくれた。
『心配するな。必ずシアの元へ戻ってくる。
戦いが終わったら、すぐに結婚しよう』
子供の頃、私が前世の話をした時も、
『シアを見てると、たまらなく懐かしく感じるのはそのせいなのかな?』
そう言って笑ってくれたのに、全部、全部、嘘だったの?
ねぇ、ジークフリード。
『生まれ変わったら、今度こそ一緒になろう』
私はあなたの言葉を信じてずっと待っていたのよ――
「嘘つき」
しかもあなたは『全部終わったことだ』と、かつての誓いを否定するだけじゃなく、私の記憶を消して、全て無かったことにしようとした。
あなたを失った私にたった一つ残された、大切な「思い出」までをも奪おうとした。
そんなのあまりにも酷過ぎる……!?
デリアン。
愛した分だけ、死んでも、あなたを恨むわ。
――叶うならば、どうかこの私の悲しみが、無念さが、欠片でもいいからあなたへと届きますように――
願いは涙となってこぼれて空中で弾け。
最期の瞬間の痛みに備えて、私が目を瞑った――その数瞬後――
突如、誰かの両腕が胴体に巻きつく感触と、強い浮遊感ふゆうかんをおぼえた。
――ああ、どうして、自由に死ぬことすらままならないのだろう?――
絶望の思いで両瞳を開き、私を抱きかかえている人物の顔を睨みつけて、呪詛の言葉を吐く。
「――悪魔っ!」
「光栄な褒め言葉だな」
薄く笑ったカエインの、背中を覆っていたマントは漆黒の翼に変わっており――私を両腕に抱いた悪魔は、まるで鳥のように空中を飛んでいた――
この短剣は母がそう言って、私の10歳の誕生日に贈ってくれたもの。
刃は細く薄く小ぶりで、戦うためのものではなく、女性としての誇りを守るための自害用じがいようだった。
「こうするために出したのよ」
説明がわりに自らの髪を掴んで、短剣の刃を当て、肩の下あたりでざっくりと切り落とす。
カエインが大仰おおぎょうに嘆息たんそくした。
「せっかく美しい黒髪だったのに、ずいぶん勿体ないことをするな」
「――この髪はデリアンとの結婚式のために伸ばしていたんだもの――もう必要ないわ……」
虚ろに呟くと、私は手を伸ばし、切り落とした髪を塔の上から放り投げる。
長い髪が強い風に流されて、失った私の夢そのもののように、儚く散っていった。
式だけではなく、デリアンが私の真っ直ぐな黒髪をよく綺麗だと褒めてくれたから、長く伸ばして毎日入念に手入れをしていたのだ。
髪だけじゃなく、肌だって、身体だって。
全部、デリアンのために、一番美しい状態でいられるように努力していた。
だけど、もう全部不要なもの。
この命さえも。
ジークと一緒に死んだ私がデリアンより二年遅く生まれてきたのは、きっと探して追ってくるのに時間がかかったから。
私はデリアンと結ばれるためだけに生まれ変わってきたのだ。
だから捨てられた今では、生きている意味もない――
――静かに思うと、観察するように様子をうかがうカエインと反対側の端へと移動して、私はゆっくりと向き直る。
「ねぇ一つ訂正してもいい? カエイン」
「なんだ?」
「あなたは男を知らないと哀れんだけれど、私には前世の記憶があるのよ」
「そういえば、そうだったな」
素直に同意する、見た目だけは美しい悪魔の姿を見つめ、私は過去形で考えた。
この男が約束を果たしてくれるとは限らないし、その本心がどこにあるかも分からない。
それでも利用して、エルメティア姫やデリアンに仕返しするのも、一つの手だったのだと――
だけど私は、ジークと一緒に死ぬと決めたあの日に、心に誓ったのだ。
もう二度と愛する人以外には、この身を好きにはさせないと――
「ええ、そうよ、だからあなたが教えてくれる必要はないわ!
――だって私は、それがどんなに辛いことか、誰よりも知っているんだもの……!」
最後に声を張り上げると、後ろ手に掴んだ手すりへと身を乗り上げ、そのまま一気に背後へと倒れて塔から滑り落ちる。
上下が反転している途中、視界に近い雲が映る。
間違いなくこれほど高い位置から落ちたら、遺体は無残な状態になるだろう。
デリアン、少しは心を痛めてくれる?
――なんて――最期まで、デリアンのことばかり考える自分に笑いながら、逆さまに地上へと落下してゆく私の脳内を――瞬間的に――様々な記憶と思いが駆け巡る――
ジークと愛し合っていた頃の、天国と地獄を行ったり来たりするような日々と――最期の日の記憶。
『こうして手首をしっかり結べば、死後も離れない。俺たちは永遠に一緒だ』
袖を破って紐にして、ジークがお互いの手首を一緒に縛ってくれた。
そうして二人でしっかりと抱き合い、城の一番高い尖塔から、下を流れるアロイーズ川へと飛び降りたのだ――
――けれど今生はたった一人――
前世の私は、愛し合っているのに結ばれないということが、何よりも辛いと感じて、絶望していた。
しかし今の私はそれは違うと知っていた。
最も辛いことは、彼の身体ではなく心を――あるいは魂を――失ってしまうことなのだと。
死ぬことより何よりも、今はジークの魂を持つデリアンに完全に忘れさられたことが悲しい。
戦いに出る前、まだ15歳だった私にデリアンは言ってくれた。
『心配するな。必ずシアの元へ戻ってくる。
戦いが終わったら、すぐに結婚しよう』
子供の頃、私が前世の話をした時も、
『シアを見てると、たまらなく懐かしく感じるのはそのせいなのかな?』
そう言って笑ってくれたのに、全部、全部、嘘だったの?
ねぇ、ジークフリード。
『生まれ変わったら、今度こそ一緒になろう』
私はあなたの言葉を信じてずっと待っていたのよ――
「嘘つき」
しかもあなたは『全部終わったことだ』と、かつての誓いを否定するだけじゃなく、私の記憶を消して、全て無かったことにしようとした。
あなたを失った私にたった一つ残された、大切な「思い出」までをも奪おうとした。
そんなのあまりにも酷過ぎる……!?
デリアン。
愛した分だけ、死んでも、あなたを恨むわ。
――叶うならば、どうかこの私の悲しみが、無念さが、欠片でもいいからあなたへと届きますように――
願いは涙となってこぼれて空中で弾け。
最期の瞬間の痛みに備えて、私が目を瞑った――その数瞬後――
突如、誰かの両腕が胴体に巻きつく感触と、強い浮遊感ふゆうかんをおぼえた。
――ああ、どうして、自由に死ぬことすらままならないのだろう?――
絶望の思いで両瞳を開き、私を抱きかかえている人物の顔を睨みつけて、呪詛の言葉を吐く。
「――悪魔っ!」
「光栄な褒め言葉だな」
薄く笑ったカエインの、背中を覆っていたマントは漆黒の翼に変わっており――私を両腕に抱いた悪魔は、まるで鳥のように空中を飛んでいた――
16
お気に入りに追加
1,751
あなたにおすすめの小説

王子は婚約破棄を泣いて詫びる
tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。
目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。
「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」
存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。
王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。

生命(きみ)を手放す
基本二度寝
恋愛
多くの貴族の前で婚約破棄を宣言した。
平凡な容姿の伯爵令嬢。
妃教育もままならない程に不健康で病弱な令嬢。
なぜこれが王太子の婚約者なのか。
伯爵令嬢は、王太子の宣言に呆然としていた。
※現代の血清とお話の中の血清とは別物でござる。
にんにん。

真実の愛を見つけた婚約者(殿下)を尊敬申し上げます、婚約破棄致しましょう
さこの
恋愛
「真実の愛を見つけた」
殿下にそう告げられる
「応援いたします」
だって真実の愛ですのよ?
見つける方が奇跡です!
婚約破棄の書類ご用意いたします。
わたくしはお先にサインをしました、殿下こちらにフルネームでお書き下さいね。
さぁ早く!わたくしは真実の愛の前では霞んでしまうような存在…身を引きます!
なぜ婚約破棄後の元婚約者殿が、こんなに美しく写るのか…
私の真実の愛とは誠の愛であったのか…
気の迷いであったのでは…
葛藤するが、すでに時遅し…

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

婚約者の不倫相手は妹で?
岡暁舟
恋愛
公爵令嬢マリーの婚約者は第一王子のエルヴィンであった。しかし、エルヴィンが本当に愛していたのはマリーの妹であるアンナで…。一方、マリーは幼馴染のアランと親しくなり…。
さよなら、皆さん。今宵、私はここを出ていきます
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【復讐の為、今夜私は偽の家族と婚約者に別れを告げる―】
私は伯爵令嬢フィーネ・アドラー。優しい両親と18歳になったら結婚する予定の婚約者がいた。しかし、幸せな生活は両親の突然の死により、もろくも崩れ去る。私の後見人になると言って城に上がり込んできた叔父夫婦とその娘。私は彼らによって全てを奪われてしまった。愛する婚約者までも。
もうこれ以上は限界だった。復讐する為、私は今夜皆に別れを告げる決意をした―。
※マークは残酷シーン有り
※(他サイトでも投稿中)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる