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第二章

積み重ねてきたもの

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「フィーネ!」

 その時、死の淵へと沈みゆく私を引き戻すように、力強い声で名前を呼ばれた――

 刹那――バン――っと視界が真白き光で埋まり――
 一瞬後、私の身体はいつかのように、誰かの腕の中に抱きかかえられていた。

「セイレム様……!」

 悲鳴のような声でロザリー様が名前を呼ぶ。

「わ、私は……」

「消えろ!」

 ロザリー様の発言を遮切るようにセイレム様の殺気立った声が響き――続いて、グシャッと、何かが壁に叩きつけられたような、鈍い音がした。

「フィーネ、フィー! 大丈夫ですか!?」

 抱かれたままいったん床におろされる感覚がして、必死な様子で呼びかけるセイレム様の声がした。
 だけどもう瞳がかすみ過ぎて、目の前にあるものさえ見えない。

「毒を飲まされたんですね。すぐに中和しますから、嫌でも我慢して下さい!」

 切羽詰った叫びが聞こえた直後、唇を温かい感触で塞がれ、口中にぬるっとした物が入ってくる。

「……!?」

 死にかけている身でそんな場合ではないのに、エルファンス兄様以外の男性に深く口づけされていることに気がつき、全身が拒否感で硬直する。
 だけど弱り切ったこの身体には抵抗はおろか、指一つ動かす力さえ残されていない。
 成すがままに舌を絡め取られ、何度も吸われたあと、喉元までセイレム様の舌が侵入してくる。

 ――同時に温かい波動のようなものが口から口へと伝わり、流れ込み、私を内側から満たしていった――

 無防備を越えて死体同然の惨めな私の顔の上に、ぬるい液体がぽたぽたと滴り落ちてくる。

「……可愛そうに……私がもっと早く駆けつけていれば……!」

 嗚咽まじりの震え声。
 泣いているの?

 私が……悲しませている?

「フィー……本当に……すみませんでした……遅くなって……!
 怖かったでしょう? 苦しかったでしょう。もう大丈夫ですからね……」

 ――朦朧とした意識の中、私は不思議に思う――

 セイレム様は一つも悪くないのに、どうして謝っているの?
 なぜ私の苦しみのことなんか考えているの?

 私はあなたから逃げることばかり考えていたのに。
 なのにどうして私なんかのために――

 ――そう思った瞬間――
 自分の瞳から不可抗力の熱い涙があふれ出してくるのを感じた。

 答えは全て記憶の中にちゃんとある。

 それなのに、なぜ分かりきった問いかけをしているのだろう。

「フィーネ愛してます……! 私がついていますから頑張って……!」

 その愛がいつも惜しみ無く私に注がれてきたことを知っていたのに――



 ――前世の頃、私は3人兄弟の真ん中で、みそっかす的立場だった。

 両親の愛情や関心はつねに頭のいい兄か容姿が美しい妹にのみ向けられ、醜く要領が悪い私は幼い頃から家族に蔑まれ無視される存在。
 あまりにも他の兄弟と扱いが違うので、ひょっとしたら自分だけが貰われっこでは?
 そう疑って、ある日戸籍謄本を確認し、逆に実子だと知って絶望したことがあるぐらい。

 そんな愛情に飢えていた私の魂を、実にこの2年間、セイさんことセイレム様は、慈しみ育ててくれることで癒してくれた。

 にもかかわらず私がセイさんであるセイレム様にした事は何だっただろう。

 勝手に自分に都合のいいイメージを押つけ、それが違うとわかったとたん、もういらないと冷たく跳ね除けた。
 ずっと大切に扱われ世話になってきたのに、すべてなかったような態度を取って……。

 依存する自分の弱さや身勝手さは棚上げして、セイレム様の非ばかり一方的に責め立てた。

 色んな教えを受けて家族のような語らいや、温もりをいっぱい与えて貰ったのに――
 して貰ったことを全部忘れて、挨拶も感謝の言葉の一つも告げず、ただ私はセイレム様を捨ててここを出て行こうとしていた――

 こんな恩知らずの私は死んだって仕方がない――
 だからお願い。
 お願いだからこんな私のために泣かないで――

「……な…さ……様……っ」

 私は薄れゆく意識の中でひたすらセイレム様にたいして謝り続けた。




 ――再び意識を取り戻すと、私はいつものベッドの上に寝かされていた。

 傍らには私の手を握ったまま椅子に座り、長い青銀の髪を広げてベッドにつっぷしているセイレム様の姿があった。

 心配してずっとこうして付き添っていてくれたんだ――そう思ったとたん、目頭が熱くなった。

 この人はいつも私の事を一番に想ってくれている――

 死にかけないと、そんな大切な事にすら気づけないなんて、今までの自分はなんて恩知らずの愚か者だったのだろう。

 羽毛のような睫毛が伏せられたセイレム様の寝顔を少し見つめてから、私は急に思い立ち、そろそろとベッドから起き出した。

 精神的なものはともかく、身体はすっかりセイレム様が回復してくれたようで元通りに近い。

「フィー?」

 やがて握っていたはずの私の手がないことに気がついたのか、セイレム様がぱちりと目を覚ます。

「あ、セイレム様」

 呼ばれて私は顔だけ向けた。
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