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第二章
檻の中の自由
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絶対にエルファンス兄様の元へ帰る!!
そう決意したものの、問題はその時期だった。
たとえ今すぐお兄様の傍に戻ったとしても、いわゆるゲームシナリオの強制力が働いて、悪役令嬢として処刑されればずっと一緒にはいられない。
それより数年間ここで我慢して、その間に逃げる算段をつけた方がいいんじゃないかな。
実際問題として、現時点では逃げ出す方法がまるで思いつかないし……。
私が現在いる最奥殿の構造は、外に出る扉のあるエントランス部分、広間と続き、この二つの部屋の間に扉がある。
でも、その奥にあるセイレム様と私の生活スペースは、それぞれカーテンで仕切られただけの4つの続きの間だった。
私のベッドが置いてあるのは最も奥の間だから、エントランスに行くには必ずセイレム様がいる部屋を経由しないといけない。
セイレム様の人前に出ない主義のせいで、ここに移住してからの軟禁生活は以前より悪化していた。
私は毎日基本的にこの建物に閉じ込められ、ごくたまに外に出られても人目のない場所限定。
しかもその時は必ずセイレム様が影のように傍にぴったりとくっついている。
今のところ逃げられる余地が見つからない。
一度試しに書物庫へ行った際、狙い済まして走り出してみたことがある。
ところが次の瞬間、後ろにいたはずのセイレム様がなぜか前方に立っていた。
この神殿内ではほぼ万能の力を使えると言っていたし、闇雲に逃げようとしても通用しないみたい。
逃げる時期についてもそうだけど、もっと緻密な計画を立てなくては……。
だけどそれって私の一番苦手な分野かも……。
そうして具体的な方策もなく、漫然と新生活を送るうちにいたずらに日数だけが過ぎていった。
悲しいかな、私の流されやすい性格も手伝い、あんなに拒絶していたセイさん=セイレム様という現実にも、だんだんと慣れてきていた。
あれ以来、セイレム様は私を刺激するようなことはいっさいしなかったし。
それでも、やはり以前と決定的に違うのは、私に対する好意をセイレム様がはっきり示すようになったこと――
「自分でできるから止めて下さい!」
その日も朝から私はブラシを持ったセイレム様から逃げ回っていた。
「そんなことを言わずに、髪の手入れぐらいさせて下さい。
ここではあなたのお世話をするのは私だけなんですから」
本殿から長い通路を経ないと辿り着けない最奥殿には、食事を運ぶのと清掃以外いっさい人がやって来ない。
セイレム様の言う通り、ここには私付きの女官もいない、基本的に二人きりの生活なのだ。
「わ、私は自分のことぐらい自分で出来ます!」
「その割には髪も身なりも手入れが行き届いていないようですが?」
「そ、それは……」
痛いところをつかれて私はぐっと言葉に詰まる。
手入れが行き届いていない理由――それは私が元々、身なりに気を使うという概念の薄い喪女だったから……。
たしかにここに来てから髪をとくのも、身体を洗うのも、服装を整えるのも、我ながら適当になっていた。
35年間で身についた習慣はなかなか変わらないみたい。
この何もする事がないニートのような生活に、フォローする女官達が一人もいない現在、私は急速に自堕落な喪女時代の生態を取り戻し始めていた。
「認めるなら素直にそこに座って下さい」
私はしぶしぶセイレム様の指示に従い、椅子にストンと腰を下す。
「今回、だけですよ……」
断りを入れながら、これからは指摘されない程度には身だしなみに気をつかおう、と心から反省する。
セイレム様はといえばさっそく後ろに立ち、私の髪束を掴んで丁寧な手つきでとかし始めた。
「ああ……綺麗な黒髪ですね……」
そのうっとりとした口調と声に、私は背筋にぞくぞくっとしたもの感じる。
「セイレム様の方が綺麗な髪をしているじゃないですか」
「褒めてくれるんですか? 嬉しいですね」
「だって本当に綺麗だから」
そう言ったのは本心からで、セイレム様の青銀の髪は私が今まで見た中で一番美しい。
極上の絹糸のような光沢を放っていて、思わず手で触りたくなってしまう。
そんな事を考えて私が油断していると、
「……可愛いうなじですね」
突然、背後から身体の前側に腕を回され、首の後ろ側にちゅっと吸い付かれた――
私は「きゃっ!」とその唇の感触に飛び上がる。
「や、や、やめてください!」
「ずっとこうしたかったんです……」
セイレム様はそう言うと、そのまま愛しそうに私を少し抱きしめてから、すっと腕を離した。
「――すみません。我慢しようと心がけていても、つい目の前に愛しいあなたがいると、衝動が抑えられなくなってしまう……」
表面だけはしおらしくセイレム様が謝罪する。
彼がこういう人だとわかっていたのに、髪の手入れを許した私が馬鹿だったのだ。
「もういいです!」
私は上気した顔をぷいっと背けると、セイレム様からなるべく離れた位置に移動して、得意の読書に逃げることにした。
そう前世から一人で過ごす時の私の親友、本。
大勢の中に一人でいても、本を読んでいれば孤独であることを忘れ、楽しい世界へ浸っていけるというぼっちの七つ道具の一つ!
「良ければ、新しい本を借りに後で書物庫へ行きましょうか?」
「大丈夫です。私本を読むのはそれほど早くないので、この分厚い一冊に、明日までかかりそうだから」
「そうですか……でも毎日本だけ読んでいる、という生活はいかがなものでしょうか?」
暗に豚になるとでも言いたいのだろうか。
「誰のせいでこんな生活してると思っているんですか?」
非難の気持ちをこめてキッとセイレム様を睨みつける。
「それについては悪いと思っているんです。それでもし良かったら、ここの屋上へ出てみますか?」
「屋上!」
「ええ最奥殿の上は物見の塔になっているので、本殿の屋上よりずっと高い位置から遠くまで見えます」
「い、行きたいです」
「では、行きましょうか」
そう決意したものの、問題はその時期だった。
たとえ今すぐお兄様の傍に戻ったとしても、いわゆるゲームシナリオの強制力が働いて、悪役令嬢として処刑されればずっと一緒にはいられない。
それより数年間ここで我慢して、その間に逃げる算段をつけた方がいいんじゃないかな。
実際問題として、現時点では逃げ出す方法がまるで思いつかないし……。
私が現在いる最奥殿の構造は、外に出る扉のあるエントランス部分、広間と続き、この二つの部屋の間に扉がある。
でも、その奥にあるセイレム様と私の生活スペースは、それぞれカーテンで仕切られただけの4つの続きの間だった。
私のベッドが置いてあるのは最も奥の間だから、エントランスに行くには必ずセイレム様がいる部屋を経由しないといけない。
セイレム様の人前に出ない主義のせいで、ここに移住してからの軟禁生活は以前より悪化していた。
私は毎日基本的にこの建物に閉じ込められ、ごくたまに外に出られても人目のない場所限定。
しかもその時は必ずセイレム様が影のように傍にぴったりとくっついている。
今のところ逃げられる余地が見つからない。
一度試しに書物庫へ行った際、狙い済まして走り出してみたことがある。
ところが次の瞬間、後ろにいたはずのセイレム様がなぜか前方に立っていた。
この神殿内ではほぼ万能の力を使えると言っていたし、闇雲に逃げようとしても通用しないみたい。
逃げる時期についてもそうだけど、もっと緻密な計画を立てなくては……。
だけどそれって私の一番苦手な分野かも……。
そうして具体的な方策もなく、漫然と新生活を送るうちにいたずらに日数だけが過ぎていった。
悲しいかな、私の流されやすい性格も手伝い、あんなに拒絶していたセイさん=セイレム様という現実にも、だんだんと慣れてきていた。
あれ以来、セイレム様は私を刺激するようなことはいっさいしなかったし。
それでも、やはり以前と決定的に違うのは、私に対する好意をセイレム様がはっきり示すようになったこと――
「自分でできるから止めて下さい!」
その日も朝から私はブラシを持ったセイレム様から逃げ回っていた。
「そんなことを言わずに、髪の手入れぐらいさせて下さい。
ここではあなたのお世話をするのは私だけなんですから」
本殿から長い通路を経ないと辿り着けない最奥殿には、食事を運ぶのと清掃以外いっさい人がやって来ない。
セイレム様の言う通り、ここには私付きの女官もいない、基本的に二人きりの生活なのだ。
「わ、私は自分のことぐらい自分で出来ます!」
「その割には髪も身なりも手入れが行き届いていないようですが?」
「そ、それは……」
痛いところをつかれて私はぐっと言葉に詰まる。
手入れが行き届いていない理由――それは私が元々、身なりに気を使うという概念の薄い喪女だったから……。
たしかにここに来てから髪をとくのも、身体を洗うのも、服装を整えるのも、我ながら適当になっていた。
35年間で身についた習慣はなかなか変わらないみたい。
この何もする事がないニートのような生活に、フォローする女官達が一人もいない現在、私は急速に自堕落な喪女時代の生態を取り戻し始めていた。
「認めるなら素直にそこに座って下さい」
私はしぶしぶセイレム様の指示に従い、椅子にストンと腰を下す。
「今回、だけですよ……」
断りを入れながら、これからは指摘されない程度には身だしなみに気をつかおう、と心から反省する。
セイレム様はといえばさっそく後ろに立ち、私の髪束を掴んで丁寧な手つきでとかし始めた。
「ああ……綺麗な黒髪ですね……」
そのうっとりとした口調と声に、私は背筋にぞくぞくっとしたもの感じる。
「セイレム様の方が綺麗な髪をしているじゃないですか」
「褒めてくれるんですか? 嬉しいですね」
「だって本当に綺麗だから」
そう言ったのは本心からで、セイレム様の青銀の髪は私が今まで見た中で一番美しい。
極上の絹糸のような光沢を放っていて、思わず手で触りたくなってしまう。
そんな事を考えて私が油断していると、
「……可愛いうなじですね」
突然、背後から身体の前側に腕を回され、首の後ろ側にちゅっと吸い付かれた――
私は「きゃっ!」とその唇の感触に飛び上がる。
「や、や、やめてください!」
「ずっとこうしたかったんです……」
セイレム様はそう言うと、そのまま愛しそうに私を少し抱きしめてから、すっと腕を離した。
「――すみません。我慢しようと心がけていても、つい目の前に愛しいあなたがいると、衝動が抑えられなくなってしまう……」
表面だけはしおらしくセイレム様が謝罪する。
彼がこういう人だとわかっていたのに、髪の手入れを許した私が馬鹿だったのだ。
「もういいです!」
私は上気した顔をぷいっと背けると、セイレム様からなるべく離れた位置に移動して、得意の読書に逃げることにした。
そう前世から一人で過ごす時の私の親友、本。
大勢の中に一人でいても、本を読んでいれば孤独であることを忘れ、楽しい世界へ浸っていけるというぼっちの七つ道具の一つ!
「良ければ、新しい本を借りに後で書物庫へ行きましょうか?」
「大丈夫です。私本を読むのはそれほど早くないので、この分厚い一冊に、明日までかかりそうだから」
「そうですか……でも毎日本だけ読んでいる、という生活はいかがなものでしょうか?」
暗に豚になるとでも言いたいのだろうか。
「誰のせいでこんな生活してると思っているんですか?」
非難の気持ちをこめてキッとセイレム様を睨みつける。
「それについては悪いと思っているんです。それでもし良かったら、ここの屋上へ出てみますか?」
「屋上!」
「ええ最奥殿の上は物見の塔になっているので、本殿の屋上よりずっと高い位置から遠くまで見えます」
「い、行きたいです」
「では、行きましょうか」
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