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番外編 「禁断の花」(ルシアン視点)
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それは荒れ狂う風のただなかで、水のような髪を広げて祈りを捧げる乙女。
輝くような白肌と繊細で綺麗な顔。
透明感のある彼女の美しさに5歳だった僕はただただ見惚れた。
遅れてやってきた乳母のリーゼに呼ばれるまで。
「ルシアン殿下、こちらにいらっしゃったのですね。探しましたわ」
僕がいたのは王宮の奥まった一角にある通称”青の間”。
天井や壁中が王国の伝説を描いた絵で埋め尽くされた部屋で、駆け回っているうちに迷い込んでしまったのだ。
我に返った幼い僕はとっさに壁の中央を指差し尋ねる。
「この女の人は誰?」
「はい、そのお方は、三百年前、この大陸を救った聖女セリーナでございます」
リーゼが口にした名前を僕は知っていた。
『ルシアン殿下、あなた様はこのイクシード王国の第一王子なのですから、王国史も詳しく知らねばなりません』
そう言って彼女が何度も読んでくれた絵本に出てきていた人物だ。
ただ、デフォルメされた挿絵と写実的な壁画では姿がだいぶ違って見える。
「こんなに美しい人だったの?」
純粋な疑問を投げかける僕に、母と違って敬虔深いリーゼは神妙に答えてみせる。
「むしろ、この絵では彼女の美しさは充分に表現しきれていないかと思います。まさに精霊のようだったと伝えられておりますから」
確かに絵の中の彼女はその表現が相応しい繊細で儚げな容姿だった。
にもかかわらず嵐に負けず祈り続けている。
その美しくも強い姿が、幼い僕の心を惹きつけ捉えたのだ。
その日から聖女セリーナは僕の理想の女性像となった。
彼女のことをもっと知りたくて暇さえあれば乳母に話をせがむ。
結果、色んな話題を引き出すなかで、現在もその末裔がいることを知る。
「噂によると、公爵家に嫁いだディーナ様も娘のカリーナ様も、それはそれは美しい母娘だそうですよ」
「そうなんだ。ぜひ二人に会ってみたいな」
しかし、その機会が訪れる前の僕が9歳の時、ディーナ・デッカー公爵夫人は亡くなってしまった。
あまりに早すぎるその死の知らせ遠い出先で聞いた僕は酷く落胆する。
しかも旅から戻ったのは葬儀が終わった後。
それでも僕は残された幼いカリーナのことが気になって仕方がなく、できたら会って慰めの言葉をかけたかった。
だから、その日、思い切って母にわがままを言う。
「デッカー公爵の再婚祝いパーティーに僕も連れて行って」
デッカー公爵家はイクシード王国の貴族の序列では上から5番目。
前王朝の流れを汲む、由緒正しき名門家系だ。
お祝い当日、母と共に訪れた城も、かつての王が住んでいたという大層立派なものだった。
城内に入ってすぐの吹き抜けのホールに足を踏み入ると、さっそくデッカー公爵が近づいてくる。
「これはこれは王妃陛下。わざわざお越しになって頂きありがとうございます」
「まあ、ルイス。はとこのお祝いに駆けつけるのは当然のことよ」
うやうやしい挨拶を笑顔で受けた母は、皮肉を滲ませてつけ加える。
「ただ、ずいぶん早い再婚で、驚きましたけど」
「まだ幼い娘には母親が必要だと思ったんです」
デッカーは公爵は言い訳がましく答えた後、話題を変えるようにさっと僕に視線を落とした。
「ルシアン殿下もご足労頂きありがとうございます。また一段と成長されたお姿を拝見出来て嬉しく思います」
言いながら公爵はまだ9歳の僕に如才なくお辞儀してくる。
しかし、挨拶よりも、僕は早くここに来た目的を果たしたかった。
「その母を亡くしたばかりの娘さん、カリーナさんはどこにいらっしゃるんですか?」
「カリーナですか」
公爵は軽く目を見張った。
「……さて、パーティーが始まる前はその辺にいたんすが……またどこかに一人で閉じこもってるのでしょう」
「というと?」
「カリーナは母親が亡くなってからずっと塞ぎ込んだ状態で、いつも一人でいたがるそうです」
夫の代わりに答えてこちらへ歩いてきたのは新しいデッカー公爵夫人だった。
「王妃陛下、お目にかかれて光栄です」
遅れて彼女はすぐ無礼を詫びるように母に深くお辞儀する。
僕の目はその傍らにいる、ストロベリー・ブロンドの髪の少女に向けられた。
「その子は?」
「私の娘でリリアを申します。ルシアン殿下」
デッカー公爵夫人が紹介すると、少女は大きなリボンと二つ縛りの髪を揺らし、はにかんだ笑顔を浮かべる。
「始めてまして、ルシアン殿下、お会い出来て嬉しく思います」
まだ6,7歳に見えるのに、ずいぶんしっかりした受け答えだった。
「リリアだね。よろしく」
感心しつつ挨拶を返してから、僕は失礼を承知で彼女に訊く。
「ところで、君の新しいお姉さん、カリーナがどこにいるか知らない?」
リリアは目を丸くしてから、小首を傾げてみせる。
「さあ、わかりません。
わたしも挨拶したくて、今さっきカリーナお姉さまの部屋を見にいってみたのですが、いらっしゃいませんでした」
「そうか」
頷いた僕は母の横顔をさっと見上げた。
「お母様、少し城の中を見てきます」
言うや否や、止められる前に駆け出す。
背後から「ルシアン様」と呼ぶリリアの声が聞こえたが、もちろん足を止めなかった。
輝くような白肌と繊細で綺麗な顔。
透明感のある彼女の美しさに5歳だった僕はただただ見惚れた。
遅れてやってきた乳母のリーゼに呼ばれるまで。
「ルシアン殿下、こちらにいらっしゃったのですね。探しましたわ」
僕がいたのは王宮の奥まった一角にある通称”青の間”。
天井や壁中が王国の伝説を描いた絵で埋め尽くされた部屋で、駆け回っているうちに迷い込んでしまったのだ。
我に返った幼い僕はとっさに壁の中央を指差し尋ねる。
「この女の人は誰?」
「はい、そのお方は、三百年前、この大陸を救った聖女セリーナでございます」
リーゼが口にした名前を僕は知っていた。
『ルシアン殿下、あなた様はこのイクシード王国の第一王子なのですから、王国史も詳しく知らねばなりません』
そう言って彼女が何度も読んでくれた絵本に出てきていた人物だ。
ただ、デフォルメされた挿絵と写実的な壁画では姿がだいぶ違って見える。
「こんなに美しい人だったの?」
純粋な疑問を投げかける僕に、母と違って敬虔深いリーゼは神妙に答えてみせる。
「むしろ、この絵では彼女の美しさは充分に表現しきれていないかと思います。まさに精霊のようだったと伝えられておりますから」
確かに絵の中の彼女はその表現が相応しい繊細で儚げな容姿だった。
にもかかわらず嵐に負けず祈り続けている。
その美しくも強い姿が、幼い僕の心を惹きつけ捉えたのだ。
その日から聖女セリーナは僕の理想の女性像となった。
彼女のことをもっと知りたくて暇さえあれば乳母に話をせがむ。
結果、色んな話題を引き出すなかで、現在もその末裔がいることを知る。
「噂によると、公爵家に嫁いだディーナ様も娘のカリーナ様も、それはそれは美しい母娘だそうですよ」
「そうなんだ。ぜひ二人に会ってみたいな」
しかし、その機会が訪れる前の僕が9歳の時、ディーナ・デッカー公爵夫人は亡くなってしまった。
あまりに早すぎるその死の知らせ遠い出先で聞いた僕は酷く落胆する。
しかも旅から戻ったのは葬儀が終わった後。
それでも僕は残された幼いカリーナのことが気になって仕方がなく、できたら会って慰めの言葉をかけたかった。
だから、その日、思い切って母にわがままを言う。
「デッカー公爵の再婚祝いパーティーに僕も連れて行って」
デッカー公爵家はイクシード王国の貴族の序列では上から5番目。
前王朝の流れを汲む、由緒正しき名門家系だ。
お祝い当日、母と共に訪れた城も、かつての王が住んでいたという大層立派なものだった。
城内に入ってすぐの吹き抜けのホールに足を踏み入ると、さっそくデッカー公爵が近づいてくる。
「これはこれは王妃陛下。わざわざお越しになって頂きありがとうございます」
「まあ、ルイス。はとこのお祝いに駆けつけるのは当然のことよ」
うやうやしい挨拶を笑顔で受けた母は、皮肉を滲ませてつけ加える。
「ただ、ずいぶん早い再婚で、驚きましたけど」
「まだ幼い娘には母親が必要だと思ったんです」
デッカーは公爵は言い訳がましく答えた後、話題を変えるようにさっと僕に視線を落とした。
「ルシアン殿下もご足労頂きありがとうございます。また一段と成長されたお姿を拝見出来て嬉しく思います」
言いながら公爵はまだ9歳の僕に如才なくお辞儀してくる。
しかし、挨拶よりも、僕は早くここに来た目的を果たしたかった。
「その母を亡くしたばかりの娘さん、カリーナさんはどこにいらっしゃるんですか?」
「カリーナですか」
公爵は軽く目を見張った。
「……さて、パーティーが始まる前はその辺にいたんすが……またどこかに一人で閉じこもってるのでしょう」
「というと?」
「カリーナは母親が亡くなってからずっと塞ぎ込んだ状態で、いつも一人でいたがるそうです」
夫の代わりに答えてこちらへ歩いてきたのは新しいデッカー公爵夫人だった。
「王妃陛下、お目にかかれて光栄です」
遅れて彼女はすぐ無礼を詫びるように母に深くお辞儀する。
僕の目はその傍らにいる、ストロベリー・ブロンドの髪の少女に向けられた。
「その子は?」
「私の娘でリリアを申します。ルシアン殿下」
デッカー公爵夫人が紹介すると、少女は大きなリボンと二つ縛りの髪を揺らし、はにかんだ笑顔を浮かべる。
「始めてまして、ルシアン殿下、お会い出来て嬉しく思います」
まだ6,7歳に見えるのに、ずいぶんしっかりした受け答えだった。
「リリアだね。よろしく」
感心しつつ挨拶を返してから、僕は失礼を承知で彼女に訊く。
「ところで、君の新しいお姉さん、カリーナがどこにいるか知らない?」
リリアは目を丸くしてから、小首を傾げてみせる。
「さあ、わかりません。
わたしも挨拶したくて、今さっきカリーナお姉さまの部屋を見にいってみたのですが、いらっしゃいませんでした」
「そうか」
頷いた僕は母の横顔をさっと見上げた。
「お母様、少し城の中を見てきます」
言うや否や、止められる前に駆け出す。
背後から「ルシアン様」と呼ぶリリアの声が聞こえたが、もちろん足を止めなかった。
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