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2章

44話

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 そして私はクレアの家であるアワード公爵家屋敷へとやってきた。

「お、おい! 何で急にこんなところに……!」

「一緒にきてください! クレアさん!」

「わっ!?」

 クレアを連れて馬車から飛び降りる。

「私は馬車の中で待っていますわ。お邪魔になりそうですし」

「了解しました!」

 マーガレットは馬車の中でお留守番するらしい。
 私はクレアの腕を引いて屋敷へと入っていく。

「ちょっとは説明を……!」

 腕を引かれているクレアが悲鳴を上げるが、あえて私は説明しない。
 そして通りがかった使用人の人にクレアの父はどこにいるのか、を質問する。
 使用人は私に手を掴まれているクレアに驚きながらも、書斎にいる、と説明してくれた。
 私がハインツの元へ向かおうとした瞬間、クレアは目を剥いた。

「父上のところに行くだと!?」

「ちょっと急用がありまして」

「ふざけるな! 離せ!」

 クレアが何とかして私の手を剥がそうとする。
 しかし腕を引き剥がそうとしたときには、すでに書斎の前までやってきていた。
 私は扉をノックする。

「入ってくれ」

 扉の中からそう聞こえてきたので扉を開けて中に入った。

「ん? おや、君は……」

 部屋の中にはハインツがいた。
 クレアはハインツの姿を見た途端表情が強張る。

「ハインツ様。面会の約束もないのに押しかけてしまい、申し訳ありません」

 私はまず約束も取り付けずに突然家に押しかけた失礼を詫びた。
 常識があるなら普通はしないことだ。
 しかしハインツは特に気にしていないように答えた。

「ああ、確かに驚いたが、気にしなくていい。クレアのことでそうしなければならない程急な用事があるんだろう?」

 やはり男爵家の私が無礼したにも関わらず寛大だ。
 普通押しかけられたら不快に思うだろうし、それが格下の貴族ともなれば尚更だ。
 この人以外だったら私を怒鳴りつけているだろう。
 しかしハインツは驚いているだけで、そんな素振りは全く見せない。
 やっぱりこの人がクレアに対して女装を命じたようには思えない。

「エ、エマ……! 何しに来たんだ!」

 クレアが私に耳を寄せて質問してくる。
 私はクレアに対してニコリと笑顔だけ返した。
 説明はしない。
 だって止められるだろうから。
 私は単刀直入に質問した。

「ハインツ様。本当にクレアさんに女装しろと命令したんですか?」

「なっ!?」

「ん……?」

 クレアは驚愕し、ハインツは眉を上げた。

「お、おおお前! 何を聞いてるんだよ!」

 クレアが私に詰め寄ってくる。
 私自身、身内でもないのに深く踏み込んだ自覚はある。
 これはもう無礼を超えてもはや罪に問われてもおかしくないような行動だ。

 しかし、それでも私は聞きたかった。
 ハインツが本当にクレアに対して女装しろ、と命じたのかを。
 ハインツは顎を触りながら少し考え込み、顔を上げると答えた。

「何を言っているのか分からないが──私はクレアに女装しろなんて言っていないぞ?」

「は?」

 素っ頓狂な声を上げたのはクレアだった。

「ち、父上? それはどういう……」

「私は別にお前に対して女装しろなんて言った覚えはない」

「はぁ!?」

 クレアは驚いたいた。
 しかし私にとっては予想通りの答えだった。

「う、嘘だ! あなたは俺に対して女装するように命じたじゃないか! 『お前は女装でもしていればいい』って!」

「ふむ。確かに私はそう言った」

 ハインツは頷く。

「っ! なら──!」

「ただ、それはお前は好きに生きればいい、という意味で言ったんだ」

「え?」

 クレアは疑問符を浮かべていた。
 ハインツの言葉の意味を捉え切れていないようだ。

「いや、父上は俺に女装しろと命令したんじゃ……」

「私はそんな命令はしていないぞ」

 ハインツは命令したことを否定する。
 ということは、ハインツの「女装でもしていなさい」という言葉は違う意味だったということだ。
 確かに話を聞く限りでは『お前は女装でもしていればいい』という言葉は命令ではなく、女装を促すようなニュアンスにも捉えられる。

「じゃあ何で女装しろだなんて言ったんですか……」

「それはお前が女装が好きだからだろう? ……違うのか?」

「え……?」

「他にどういう理由があるというんだ」

 クレアはハインツからでた思いがけない言葉に困惑していた。
 そして困惑しながらもハインツに話す。

「俺は今まで、父上に王子を籠絡するために女装しろ、と言われているんだと思っていました」

「私がそんなことを言うわけないだろう!」

 ハインツが叫んだ。
 その表情は本気で、息子にそんなことを言うわけがない、と言う気持ちが伝わってくる。

「じゃ、じゃあ何でそんなことを言ったんですか……?」

「四歳の頃、お前が使用人に薦められて女の子用の服を着ていた時があっただろう? その時満更でもないような顔をしていたから、てっきりお前は女装するのが好きなのだろうと思っていたんだが……」

「…………」

「覚えがあるんですか……」

 クレアは思い当たる節があるのか、目を逸らしていた。

「で、でもあの時は風変わりな服を着たことが嬉しかっただけで、別に女装したかったわけじゃ……」

「そうだったのか? あまりに嬉そうだったから私はてっきりクレアは女装したいのだと──」

「違います! 俺に女装癖はありません!」

 どうやらハインツはクレアに女装癖があると思っていたようだ。

「と、いうことは、女装しろというのは……」

「それはシュクセがいて跡取りは問題ないから、クレアは好きなことをしてもいい。という意味だ」

「そ、そんな……俺の勘違い……!?」

 実は女装しろなんて命令はされていなかったことに、あまりにショックを受けたのかクレアは口を抑えている。

「じゃあ、今までクレアさんへの態度がおかしかったのはどういうことなんですか?」

 最近クレアのドレスを作りにいった時、ハインツのクレアに対する態度は側から見れば素っ気ないように感じた。
 だが、私はただクレアに冷たく当たっているのではない、と考えていた。
 その姿がかつて見た誰かの姿と重なったからだが、それが誰だか分からない。

「それは……恥ずかしい話だが、クレアの好きなことを応援するとは決めたが、女装している息子にどう接していいか分からなくてな……。気がつけばそのまま月日が経ってしまった。だが、クレアはずっと悩んでいたのだな……」

 ハインツは後悔するように話す。

 私の頭の中ではピースがはまった。

 どこかで見たことのある、ハインツのクレアに対する態度。
 それは、前の世界での反抗期の私に接する父だ。
 反抗期を迎えた私にどう接していいか分からず、探りながら私に接する父の姿に似ていたのだ。
 だからハインツの態度には既視感があったのだ。

「つまり、女装するように命令したのではなく、クレアのことを思って女装してもいい、とそういう意味だったんですね?」

「そうだ」

 ハインツは頷く。

「クレア」

 ハインツはクレアに語りかける。

「どうやら私はお前にずっと勘違いをさせてきたようだ」

 そしてハインツはクレアに頭を下げた。

「すまない。ずっとお前としっかり向き合っていなかった。私は父親失格だ」

「そんな…………俺は今までずっとあなたに命令されたと思ったから女装を……!」

 全て勘違いだったと知り、クレアは行き場のない怒りをどこにぶつければいいのか迷っていた。

 ただ、すれ違いがあったとはいえ、ずっと命令で女装をさせられ、父に認められない喪失感を抱えながら生きてきたのは事実。
 今までずっと父親から見放されてきたと感じていたクレアは、様々な感情が心の中で渦巻いているのだろう。

「クレアともっと向き合っていたらこんなことにはならなかった。私の責任だ」

 ハインツは深く後悔のこもった声で謝る。
 恐らく本当に後悔をしているのだろう。
 クレアと今までしっかりと会話をしてこなかったことを。

 ハインツの言い方も確かに誤解を生むような言い方だったのは確かだ。
 しかし確かに女装が趣味の息子を持っていたら、まだ価値観の進んでいないこの世界では、誰でも困惑するだろうし態度もおかしくなるだろう。
 あんな口下手になっていたのは、きっとどう接していいのか分からなかったのだ。
 私はハインツにも同情してしまう。

「クレアさん」

 クレアを見た。
 クレアはハインツをやり場のない瞳で見つめていた。

「クレアさんは、どうするつもりなんですか?」

「どうするつもり……?」

「はい。許すのか、許さないのか。それとも怒るのか。怒らないのか。責めるのか、責めないのか。どうしたいですか?」

 クレアの手を握り、瞳を覗き込む。
 今、クレアの中の感情はごちゃごちゃだ。
 怒りも、悲しみも、憎しみも、全部が混ざり合っている。
 けど、きっとクレアは父と決裂したいわけではない、と私は思う。
 まだ短い付き合いかもしれないけど、クレアはそんなことを考えてはいない、という確信があった。

「俺は……」

 クレアは俯いて長い時間考え込む。
 そして顔を上げた。
 その瞳には、もう怒りはこもっていなかった。
 そしてクレアはハインツへと向き直った。

「……こちらこそ、ずっと勘違いしたまま父上という人間を決めつけていました。すみません」

 クレアも頭を下げて謝る。
 ハインツは意外そうな表情で顔を上げた。

「こんな私を許してくれるのか?」

「はい。元といえば俺の勘違いもありますし、それに、無駄になった時間は一つもありませんでした」

「……そうか」

 ハインツは息を吐くと、長年気を張り続けてきて、今ようやく安心することが出来たような表情になった。

「これからはもっと……自分の気持ちを話していこうと思います」

「ああ、そうだな。私もそうする」

 二人は歩み寄った。
 私はその光景を見て、前の世界のことを少しだけ思い出した。

 反抗期じゃなくなっても私はずっと父と話すことができなかった。
 結局父とまともに話せるようになったのは、高校を卒業して大学に入ってからだった。

 今となってはもう話すこともできないが。
 私は少し懐くなり、それと同時に寂しくもなった。
 もっとちゃんと話していたら、と思うことがある。
 もっと親孝行できたんじゃないか、と考えることがある。

 でも、前の両親にも、この世界の両親にも私はもうできない。
 だから、クレアには失ってほしく無かった。

 これは私のエゴだったのだ。

「エマ」

 クレアが私の名前を呼んだ。

「ありがとう。お前がいなかったら、ずっとちゃんと話せなかった」

「私も感謝する。君がいてくれたおかげで、私たちはやっと前に進めた」

 クレアが私に感謝の言葉を述べると、ハインツも同じように感謝してきた。

「いえ、とんでもありません。私はただ質問しただけです」

 実際、私は失礼な質問をしただけだ。
 それから歩み寄ったのは二人であり、私は何もしていない。

「いや……」

「そんなことはないと思うが……」

 クレアとハインツは否定するが、私は本当に何もしていないと思っている。
 二人が歩み寄ることが出来たのは二人のおかげだ。

「ではこれで私はお暇します」

 私はお辞儀する。
 これ以上この場にいるのは野暮だ。
 私はくるりと踵を返す。

「エマ! ……ありがとう」

 後ろからクレアの声が聞こえた。

「ええ、また明日学園で会いましょう」

 私は振り返ってクレアにそう言った。

 そして馬車まで戻ってきた。
 中にはマーガレットが待ちくたびれていた。

「終わりましたの?」

「ええ、全部解決しました」

「さすがは私の見込んだエマさんですわ!」

 マーガレットは誇らし気に胸を張っていた。

「でも、見捨てられましたけど」

「うっ……。あの時のことは本当に申し訳ないと思っていますわ……」

「冗談です。ちょっと恨んでるだけです」

「今度スイーツを奢らせてください」 

 私は少し笑う。マーガレットもつられて笑顔になった。

 そんなことを話していたら馬車が発進し始める。
 窓の外を見る。
 空はもう暗く、月が昇り始めていた。
 しかし今まで見たことがないくらい、綺麗に星が輝いていた。
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