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1章
32話
しおりを挟むルーク王子は私のことを見下すように立っていた。
私は心臓が飛び出るかと思った。まさか王子が私のところへ来ると思っていなかった。
表情からして友好的な話をしにきたようには見えない。
「な、何か御用でしょうか……」
「クレアを男装させたのはお前だな」
「え、えっと……」
ズバリ図星だった。
図星をつかれたことが表情に出るのを抑えながら私はポーカーフェイスを保つ。
「考えたな。男装させるとは」
「な、なんのことでしょうか」
ルーク王子は私が仕組んだことなのではないかと疑っているようだ。
それは確かにそうだが肯定することは出来ないため必死に誤魔化す。
(た、助けてクレアさん……!)
助けを求めてクレアの方を見る。クレアは今一番最初にダンスを申し込まれた女子生徒と踊っているようだった。
当分の間帰ってくる気配はない。
私のしたことが結果的に自分で首を絞めてしまった。
私は必死に思考を巡らせる。
このままもしミスをして言葉尻を取り上げられたら、私がルーク王子に敵意ありと見なされるかもしれない。それは非常にまずい。
男爵家の私が王族に睨まれたら、商会も男爵家も潰される。
「王族に喧嘩を売るということはどういうことなのか理解しているのか、お前? 男爵家風情が俺の邪魔をして、覚悟は出来ているんだろうな……!」
ルーク王子は私を遠回しに脅してきた。
その高圧的な態度は、私が屈すると確信しているのだろう。
王子の圧から何とか逃れようとして、視線を逸らした時だった。
それは、本当に偶然だった。
ルーク王子の後方で、悲しそうに涙を流しながら王子を見つめているマーガレットの姿が目に入った。
きっと私達が踊っている最中もルーク王子に拒絶され続けていたのだろう。
マーガレットは簡単に涙を流す性格ではない。それは公爵家としてのプライドがあるためだ。
なので、よっぽどのことがなければマーガレットは涙を流したりなんかしない。
実際に私が取り巻きだった時はマーガレットが泣いているところは見たことがなかった。
そのマーガレットが、今泣いている。
原因は、間違いなくルーク王子のマーガレットに対する態度だ。
マーガレットがどれだけ尽くしても、ルーク王子はマーガレットに興味を示さない。
それどころか今マーガレットが悲しんでるのも分かっているのに、それすら何とも思っていない。
(正直、私はマーガレットをよく思ってない。見捨てられたし、取り巻きだった時間も短いし)
マーガレットは善人とは言い難い。クレアに嫉妬して教科書は切り裂くし、水だってかけた。
今マーガレットが泣いているのは、本人の行いの結果なのかもしれない。
それでも。それでもだ。
人として、やっていいことと悪いことがある。
目の前で泣いている婚約者を放置してクレアを口説こうとしているルーク王子に、私は怒りを覚えた。
「失礼ですが、私がどんな邪魔をしたのでしょうか」
「何?」
「私はルーク王子に何もしていません。私が何か危害を加えたと仰るなら、何をしたのか説明していただけませんか?」
突然豹変した私にルーク王子は困惑していた。
私はとても怒っていた。いや、激怒していたと言ってもいいかもしれない。
それぐらい、目の前の男を許すことができなかった。
「ああ、もしかして以前からやけにクレア様へご執心のようですが、まさかルーク様がクレア様に恋心を抱いていて、クレア様との恋路を邪魔した、と言う意味ではありませんよね?」
クレアに好意を寄せているルークは図星をつかれて驚いたのか狼狽え始めた。
「い、いやそれは……」
「ですよね。だって王子にはマーガレット様という婚約者がいらっしゃいますから。でも、もしそうだとしたらわたくし、気が動転して国王様に相談してしまうかもしれません……」
暗に国王にチクるぞ、と言うことを仄めかすと、ルーク王子は焦ったような表情になった。
流石にやりたい放題のルークといえど、国王に報告されるのはまずいようだ。
「い、いや……」
「でしたら問題ありませんよね?」
私はニコリと笑う。するとルークは悔し紛れに叫んだ。
「お、お前みたいな男爵家、すぐに潰せるんだぞ!」
「なっ!?」
男爵家を、潰す。
その言葉を発するルークが、かつて敵対した貴族と重なった。
半ばトラウマになっているあの時の出来事が思い出し、私は動揺した。
それを見てルークは優位に立ったのが分かったのか私に詰め寄り、私の腕を掴んで引き寄せた。
目の前にルークの顔が迫る。
「あまり王族を見くびるものでは──」
ぱしん、と私の腕を掴んでいるルークの腕を誰かが掴んだ。
「何をされていらっしゃるんです?」
「クレア……!」
声の主はクレアだった。
どうやら一曲踊り終わり、私を助けに来てくれたらしい。
ルークも驚いたように目を見開いている。
「王子には婚約者がいたはずですが、そんなにお顔を近づけて話していれば浮気と捉えられても仕方がないと思いますよ?」
クレアの声には鋭い棘があった。
それはルークも感じ取ったのか、まずいという表情になる。
「クレア、違う。これは──」
「では、もしかして暴力を振るっていたんですか?」
「そんな、俺はただお前のために……!」
騒ぎを聞きつけて、周囲には人だかりが出来始めた。
流石にルークも分が悪いと感じたのか、私から手を離す。
「どうやらクレアの気分を悪くさせてしまったようだ。出直すとしよう」
(いや、二度と出直さなくていいです)
ルークはそう言って去って行った。
まだ諦めていなそうなのでまた戻ってくるかもしれないが、ひとまずは安心できるだろう。
私は安心して息を吐くと、クレアにお礼を言った。
「ありがとうございます……」
「これで貸し借り無しだな」
クレアは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「でも、よく気づきましたね。さっきまで踊ってたんじゃないですか?」
「お前があいつに絡まれているのを偶然見つけてな」
それでダンスが終わった瞬間駆けつけてくれたらしい。タイミングが良かった。
私はクレアに感謝すると同時に、あることを思い出した。
「そうだ! あの人これ以上逆らうなら男爵家を潰すって……!」
私は焦る。
動悸が早くなり、視界が暗く狭まっていく。
「もしかしたら子供たちがまた狙われるかも……!」
かつて、孤児院の子どもたちが貴族に狙われた時のことがフラッシュバックする。
またあの時と同じことが起きるかもしれない──
思考が頭の中でぐるぐると回って、いてもたってもいられなくなる。
その時、クレアが肩に手を置いた。
私は我を取り戻した。
「落ち着け、勢いでそう言っただけだ。ホワイトローズ商会はこの国を支える大商会だし、男爵家を潰そうとしたら不利益を被るのは王族だ。あいつが何かしようとしても国王が止めるさ」
「そう、でしょうか……」
「ああ。だから安心しろ」
私は今度こそ安心して深呼吸する。
その時、ちょうどマーガレットの姿が目に入った。
「……ちょっと行って来ます」
「え? あ、おい!」
私は未だに泣いているマーガレットの所へと向かう。
マーガレットを慰めたかったのだ。
しかし、この考え自体が間違っていた。
今まで貴族の政治的な駆け引きや戦いなどを経験していなかった私は考えが及んでいなかったのだ。
敵に同情し、慰められるのがどれほど惨めな気持ちにさせられるのかを。
プライドをズタズタに引き裂くのかを。
マーガレットが泣いている周りで、取り巻きたちはどう接すればいいのかが分からないのか狼狽えていた。
私はマーガレットの前に立つとハンカチを差し出す。
「これをどう──」
「触らないでっ!」
マーガレットが私の腕を叩いた。
ハンカチが地面に落ちる。
「私を笑いに来ましたの!? どんなに尽くしても婚約者に振り向いてもらえない私を笑いに来たのでしょう!?」
マーガレットは私を怒鳴りつける。
「ち、違います」
違う。そんなつもりはない。
私はただ、マーガレットを慰めたかっただけだ。
私はその言葉を否定した。
「なら私を憐れみに来ましたの!? 薄っぺらい憐れみで私に同情しないで! あなたに私の気持ちが分かる筈ないっ!」
マーガレットは怒鳴ると、また手で顔を覆って泣き始めた。
彼女を見下ろしながら私は呆然と立ち尽くす。
(何をしているんだ私は)
完全に間違っていた。
私ならマーガレットを慰めることができるだなんて、思い上がりも甚だしいものだった。
逆に傷心の彼女をさらに傷つけただけだった。
「でも、彼女はあなたのために王子に怒っていたんですよ」
クレアが私とマーガレットとの間に庇うように入ってきた。
「黙りなさい! 元と言えばあなたが原因のくせに……っ!!!」
「今のあなたの言動は間違っています。彼女に謝るべきです」
「っ! ふざけないでっ!」
マーガレットは激昂した。
そして手近にあったグラスを持ち、中身をクレアへとかけた。
水がクレアにかかる。
周囲の生徒は悲鳴を上げた。
その瞬間マーガレットは我に返ったのか、「やってしまった」と言う表情になった。
「ご、ごめんなさ……」
マーガレットはすぐにクレアに謝ろうとしたが、敵に頭を下げるわけにはいかないというプライドと葛藤しているのか、口を固く結んだ。
「これは何事だ!」
そうしているうちにルークが騒ぎを聞きつけてやって来た。
そしてクレアの状態を見て状況を察し、マーガレットを怒りの篭った目で睨みつける。
「マーガレットッ!! これはお前がやったのか!」
「あ……お、王子、これは……」
マーガレットは今にも泣きそうな表情で話す。
「お前がやったんだな!」
王子が怒鳴るとマーガレットは怯えた様子でびくりと体を振るわせた。
「これまでのクレアへの嫌がらせも、全てお前の犯行だな。言い逃れはできんぞ」
「……」
マーガレットは俯いたまま沈黙して答えない。
その沈黙はこの状況では肯定に他ならなかった。
ルークは冷たい目でマーガレットを見下ろす。
「醜い嫉妬で他人を貶める人間は俺の婚約者として相応しくない。──お前との婚約は、破棄する」
そしてルークは婚約破棄を宣言した。
「…………ルーク、様」
マーガレットは絞り出すようにルークの名前を呼ぶ。
「言い訳は聞きたくない」
しかしルークはそれを拒絶し、身を翻して歩いて行った。
「……」
パーティーで起こった事件に周囲がざわついているその中で、マーガレットはただ俯いていた。
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