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16話 アンナの過去(アンナ視点)

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私、アンナ・サレットは男爵令嬢……だった。

いや、厳密に言えばまだ私は男爵令嬢だが、実態としてはほとんど平民と同じ生活をしている。

私たちサレット家が没落したのは私が十二歳の頃だった。
サレット家は代々大きな負債を多方面の家に抱えており、私の父の代でついに返しきれなくなったため、サレット男爵家は没落を余儀なくされた。
父は借金を返済するために遠くの地で働かされており、別れて以来ずっと会えていない。

そして没落したと同時に双子の赤ん坊が生まれた。
私は育児で忙しい母の代わりに必死に働いた。
今までの貴族としての矜持を捨て、どんな仕事でもした。

でも私を含めて五人もいる家族をたった十二歳の私の働きの稼ぎで養えるはずもなく、私の家は貧しいままだった。
でもどんなに貧しくても苦しくても、私たちは支え合って生きてきた。
だからリナリアのような何も知らない人間に同情されるのは何よりも耐え難いことだった。 



これはリナリアが屋敷へとやって来る前日のこと。

私はこの日、休暇だった。
メイドの仕事は基本住み込みだが、私はたまに休みをもらって実家に帰っている。
平民街にポツンと立っている家の中に入っていった。

「ただいま」
「お姉ちゃん!?」
「お姉ちゃんが帰ってきた!」

私が家に入った途端、歳の離れた弟と妹が駆け寄ってきた。
二人は双子で、弟の名前はアラン。妹の名前はリタだ。
二人の歳は五歳で、よく私に懐いてくれている。

「アラン、リタ。良い子にしてた?」
「うん!」
「お母さんの看病も手伝ったよ!」
「そう、えらいね。じゃあご褒美にこれあげるね」

私は先ほど買ってきたパンを二人に渡すとアランとリタは目を輝かせる。
木の実が練り込まれたパンで美味しいが、普段公爵家の屋敷で出るようなパンとは比べ物にならないくらい硬いし、美味しさも違う。
でも食料が少ないこの家ではパンを食べられるだけでもマシだ。

「やった!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「ちゃんと椅子に座って食べなさいね」

私がそう言うとアランとリタは素直に椅子に座ってパンを食べ始めた。
一つのパンを半分に割って仲良く食べている二人を見るとリナリアのせいで心が荒れている私にも自然と笑みが溢れてきた。

「姉さん、帰ってきてたんだ。お帰り」
「エミル。ただいま」

アランとエリを見ていると一番上の弟がやってきた。
名前はエミルで、歳は十歳。この家の長男だ。

「ママはどう?」
「……最近、少しずつ体調が悪くなってる」
「……そう、ママのところに行ってくるわね。エミルもお土産を食べてちょうだい」
「分かった」

エミルはお土産、という言葉に反応してすぐに食べに行った。
大人びた雰囲気を持っていても、やはり年相応に食欲はある。
私は今さっきエミルが出てきた部屋の中に入った。

「ママ、ただいま」
「アンナ、帰ってきたの?」
「うん、最近帰って来れなかったから休暇をもらってきた」

ママはベットから起きあがろうとして、ゴホゴホと咳した。

「駄目だよママ! ちゃんと寝てて」

私はママをベットに寝かせる。ママは申し訳なさそうに私に謝ってきた。

「ごめんね。病気なんかに罹っちゃって。アンナにも無理をさせてるし、あの子達にもろくに食べさせてあげられないし、私、母親として失格ね……」
「そんなことない! ママは私の一番のママだよ!」
「ありがとう、アンナ」
「待っててね、ママ。今に私がお金を稼いでママの病気を治してあげるから」

私はママの手を握りしめた。
ママが病気に罹ったのは、一年前のことだった。
当時はよく咳をしているな、と思っていただけだったけど医者に診せたら思いもよらない診断が下った。

重病だった。
と言っても、ちゃんとした所で薬を飲んで治療したら治るものだ。
しかし、その治療には莫大なお金が必要だった。
貴族にとってはドレスを一着売ってしまえば用意できるが、私たち平民には簡単には用意することのできない金額だった。

それでもママの病気を治したかったから私はどうにかして今の公爵家のメイドの仕事を見つけた。
公爵家のメイドの賃金は高かったが、私を除いて三人の兄弟と母の生活費に当てたら貯まる額なんて雀の涙ほどだった。
そうしている間にもママの病状は悪化していく。

だから私は公爵家の当主であるノエル様の妾になろうとした。
妾になったらたくさんのお金が手に入って、ママの病気を治療できると考えたからだ。
時間がなかった私にはそれしかなかった。
必死に働いて成果をあげ、ついにノエル様の側付きに一人に抜擢されるまでに至った。

平民が妾に選ばれることはないが、幸い私は貴族の血を引いていたし血統的には問題はなかった。
貴族といっても、没落した男爵家の血筋だが。
後は妾になるだけ、そうすればママを助けることができる。

「ごめんね、アンナ。私たちが没落しなかったらもっとお金があったのに……」
「ううん、ママのせいじゃないよ」
「でも、私たちがもっと上手くやってれば……ゴホッ、ゴホッ!」
「ママはもう安静してて! 今ご飯作るから!」
「いつもありがとね。アンナ」

私はママがベットの上に寝るのを見届けて、部屋から出てきた。

「お姉ちゃん! 遊んで!」
「遊んでー!」

部屋から出てくると今度はアランとリナが私に抱きついてきた。
屋敷に住み込みで働いている私は滅多に帰ってこないので幼い二人は私と遊んで欲しいらしい。
だがこれからママと家族のために夕食を作らなければならないためそれはできない。

「二人とも、姉さんはこれから料理しなきゃだから、僕と一緒に遊ぼう」
「えー」
「お姉ちゃんと遊びたい!」
「ごめんね、二人とも。でも美味しいご飯食べたいでしょ?」
「そうだけど……」
「久しぶりに帰ってきたのに……」
「ご飯作ったらいっぱい遊んであげるから、ね?」
「分かった!」
「約束だよ!」

二人は私と約束すると元気よくエミルの元まで走って行った。
私が夕食を作れない日はエミルが作ってくれている。最初私が住み込みで働くことになった時は料理に苦戦していたようだけど、最近は慣れてきたらしい。

そして料理が出来上がり、私たちはテーブルについた。
今日の夕食は豆のスープとパンにサラダ、そしてソーセージだ。
いつもの夕食はスープとパンとサラダだけなので、肉がある分今日の食事は豪勢だ。
エミルが食卓を見て驚いたように目を開けた。

「今日はいつもより豪華だね」
「うん、帰ってくる時に市場で買ったから。それに今日はお給金が支払われる日だったしね」
「おいしい!」
「ありがとうお姉ちゃん!」
「そう、美味しかったならよかったわ」

笑顔で食べる二人の頭を撫でる。
本当はもっと美味しくて、お腹が膨れる食事を食べさせてあげたい。
でも私のメイドとしての給金ではたまに肉料理を食べるのが精一杯なのだ。

(このままで終わる訳にはいかない。もっと稼がないと……)

そう考えていた時、エミルがスプーンを置いて私に話しかけてきた。

「姉さん」
「ん? どうしたの」
「僕も働こうと思うんだけど」
「え」
「姉さんは頑張ってくれてるけどこのままじゃお母さんの治療費は貯まらないし、働いた方がいいと思うんだ」
「でも、エミルは学校に行きたいって……」

エミルは私よりも頭が賢く、ずっと前から学校に行きたいと言っていた。
あの時のエミルはキラキラとした瞳で語っていたのに、今は諦めたような笑顔を浮かべている。

「うん。でもお母さんより大切なものはないから。それに学校はまた遅れて入ればいい話だし」
「……」

反対したいのに、出来なかった。
エミルの言葉の通りだったからだ。
私の稼ぎでは到底ママの治療費は貯まりそうにない。十年後には貯まるかもしれないが、それまでママが生きてるかどうかは分からない。
現実的に考えるなら、エミルにも働いてもらうべきだ。

「……分かった。じゃあ、お願いね」

弟の夢を潰してしまった私は自分の不甲斐なさに拳を握りしめる。

(できるだけ早くお金を貯めてエミルを学校に通わせてあげないと)

そのためにはやはり早く公爵様の妾にならなければならない。
私はそう決意をした。

そう、思っていたのに。
次の日、リナリアが屋敷へとやって来た。
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