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9話 婚約までの経緯(ノエル視点)

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私、ノエル・ネイジュは困っていた。

理由は婚約者が見つからないからだ。
つい一年ほど前、ネイジュ公爵家の当主であったレーヴェが私に当主の座を譲り隠居した。

稀代の天才として持ち上げられ十九歳にして父から公爵家当主の座を譲られたが、実際のところは公爵家当主としての仕事に疲れた父が早く引退するためにそのように持て囃していただけだった。
いきなり当主の座を譲られた私の心労は察することは容易いだろう。

そしてそれから一年ほど私は当主としての仕事を覚えたり、社交界でネイジュ公爵家と関わりの深い貴族に挨拶をして回るなど仕事に忙殺されていた。
その結果、ある日の社交界でダンスパーティーに出たのだが、一緒に踊る相手がいないことに気がついた。
その場にいた貴族の女性は私が独り身と分かるや否やすぐに私を取り囲み、ダンスパーティーどころではなくなった。

そういうこともあり早急に婚約者を探しださなければならなかったが、いくつか問題があった。
一つ目は私の公爵家には『生贄』と呼ばれる一番最初に婚約した女性はその後必ず婚約破棄するという伝統があったため、なかなか婚約者は見つからなかった。これについては先代たちの行いの結果なのでしょうがない。

また、二つ目の問題として年頃の貴族の女性は皆婚約していた。
そして三つ目。公爵家という立場にはその利権を欲する人間しか集まらない。

(仕方がない。伝統に従って仮の婚約の相手を探すとしよう)

真っ当に婚約者を探すことに嫌気が差した私はやむを得ず先代のお金の取引の記録を漁った。
その中で年頃の貴族からの評判も悪く、私の要望を受けざるを得ないほどの借金を抱えているマリヤック伯爵家を見つけた。

半ば強制的な内容で婚約してもらうことと、翌日屋敷に赴くことを記述して手紙を出した。
急な訪問なんて失礼にも程があるが、この時の私はもう婚約者探しから解放されたいと必死だった。
そして翌日、私はマリヤック伯爵家を訪問した。
私が通された部屋でソファに座って待っていると、しばらくしてマリヤック伯爵とその家族がやってきた。

(四人? 確かマリヤック伯爵家は三人と聞いていたが……聞き間違いか)

入ってきた伯爵の娘と思わしき二人の女性はどちらも目がチカチカとするようなドレスを着ていた。

(さすがは放蕩一家で知られたマリヤック家。ドレスが派手だ)

しかし私はそこで違和感を持った。

片方の、白金の髪の娘は赤いドレスを着ていたが、全く似合っていなかった。
サイズもあっていないし、彼女の持つ雰囲気がドレスの放つ力強さに負けている。
まるで無理やり着せられたみたいだ、という感想を私は持った。

そして私と伯爵、彼の家族と挨拶をした。
そこで私はマリヤック伯爵の妻は白金色の髪が有名だったことを思い出したが、今妻として紹介された女性は赤色の髪色をしていたので不思議に思って質問した。

「ん? おかしいですね、確か伯爵の夫人は白金色の髪をしていたと記憶していたのですが……」
「前の妻は七年前に亡くなりまして、こちらが現在の妻です」
「そうでしたか。お気の毒に」
「いえ、前の妻が亡くなった時は深い悲しみを感じていましたが、七年も前ですからもう踏ん切りはついております」

前の妻は亡くなっていたらしい。私は失礼なことを聞いてしまったと謝罪した。
そして私は今回の本題である婚約の件について切り出した。

「それで、今回の話ですが」
「はい、婚約の件、喜んで受けさせていただきます」

伯爵は食い気味に私の言葉に頷いた。
私はその伯爵の態度にまた違和感を覚えた。
私のお願いは言い換えれば借金の形にあなたの娘を寄越せ、というものだ。
自分の娘を借金の形にと脅し取られていい気分でいられるはずがない。
それなのに目の前のマリヤック伯爵は怒りどころか喜びの表情まで見せている。
それが私にとっては疑問だったのだ。

「……私のお願いは少々強引であったという自覚はあるのですが」

自分から言っておいてどの口が言うんだ、と思うが私はそう質問せざるを得なかった。

「いえいえ、公爵様の婚約者になるほど光栄なことはありませんから。そうだろう、リナリア!」
「はい、その通りでございます。公爵様の婚約者になれること、この上ない光栄です!」

伯爵は喜びを言葉で表現し、リナリアと呼ばれた娘もそれに同意した。
そこで私は理解した。

(ああ、この親子は我が公爵家の『生贄』について知らないのでしょうね)

この家族はこの婚約が婚約破棄前提で組まれていることを知らないのだ。
それならば伯爵の態度にも納得がいく。
伯爵は借金の形に差し出した娘が公爵と婚約までできて、怒りを感じるどころか歓喜しているはずだ。

(正直に話すべきか……)

私は迷った。
正直に彼女らに私の婚約について話すべきか。
この婚約は婚約破棄前提で組まれているということ。

(いや、利用できるなら利用させてもらう)

しかし私は頭を振って、彼らの勘違いを利用することにした。

「いえ、ありがとう。婚約をここまで喜んでもらえるなんて嬉しい限りです。それで、そちらの彼女が今回の私の婚約者と言うことでよろしいでしょうか」

嘘で固められたスマイルを浮かべてお礼を言い、婚約者について確認する。
すると伯爵はまだ紹介がまだだったことに気がついて、リナリアという女性を紹介し始めた。

「これは紹介が遅れました。私の娘のリナリア・マリヤックと申します」
「リナリア・マリヤックです。初めまして公爵様。このような婚約のお話をいただけて光栄です」

リナリアがスカートを広げて私に挨拶をする。
第一印象は儚げだ、というものだった。
ついこの間まで病人だったらしいが彼女は痩せ細っていて、それに妹のローラとは違い優しく、繊細な雰囲気を纏っていた。
それに加えて容姿もとても整っていた。
伯爵の亡くなった妻も白金の髪が美しい美女だったと聞いているので、彼女も今は痩せ細っているが健康な体を取り戻した今なら数年もすれば絶世の美女となるだろう。

「リナリア嬢。初めてお目にかかります。私はノエル・ネイジュ公爵です。婚約の話を受け入れてくださり感謝します。情熱的な赤色のドレスがあなたの美しい白金色の髪によく似合っていますね」

私もリナリアの手に唇を近づけて挨拶をする。
その時にちゃんと相手のことを褒めるのを忘れない。
ドレスについてはあまり似合っていない、というのが本心だったがそんなことにはおくびにも出さずにお世辞を述べるのが貴族としての最低限の作法だ。
挨拶が終わると私は伯爵に質問する。

「社交界ではローラ嬢しか見たことがありませんでしたし、二人娘がいるなんて伺ったことも無かったので驚きましたが、リナリア嬢は今まで何かご病気でも患っていたのですか?」

いくら何でも今まで社交界に一度も出てこず名前を聞いたことがないなんて病気で寝込んでいた、ぐらいしか理由がないので私はそう質問した。

「で、ですが今はもう健康です! 婚約者として問題なくお仕えできるかと!」
「そうですね。少なくとも今は健康的な問題は無さそうだ」

私が見る限りリナリアは至って健康そうに見えるし、健康的な問題は抱えていなさそうだ。
どうせすぐに婚約破棄する相手だし、いいだろうと考えていた。

「それで借金の件なのですが……」
「はい、私の屋敷にて正式に婚約を結び次第借金については精算させていただきます」
「はっ、はい! よろしくお願いします」

伯爵は分かりやすく喜んだ。
私はそれを見て眉を顰めた。
売り飛ばすことになる子供がいる目の前でその話をするのはいささか不愉快だった。
しかしその様子をリナリアが見ていたので私は急いで笑顔を取り繕いリナリアへと話しかけた。

「それではリナリア嬢。下に馬車を待たせています。今から私の屋敷へ行きましょう」
「え?」

私の突然の話にリナリアは困惑していた。
しかし私としても一刻も早く婚約を結んで退路を断っておきたいのだ。

「荷物などがあれば積み込ませますが」
「あ、えと……荷物は、ないです」
「……」

(荷物が、ない? そんなはずはない。貴族の娘なら必ず装飾品やドレスを何着かは持っているはずだ。それなのになぜ荷物を持っていないなんて嘘を……)

私は理由を考えて、答えに辿り着いた。

(なるほど、できるだけ公爵家に金を使わせようということか)

身の回りの必需品をあえて持って来ないことで公爵家の金を使わせてできるだけ金を節約しよう、ということだろう。それとも豪遊するつもりか。

(まあいい、婚約を結んだ後でちゃんと釘を刺せばいい話だ)

「あ、でも母のペンダントが……」

そう言ってリナリアは首元を触ったが──その手は空ぶった。

「な、なんで……どこに」

リナリアはそこにあるべきものがないことに気がついて焦り始めた。
そして伯爵に恐る恐る尋ねた。

「あ、あの……お、お父様……」
「なんだ」
「使用人の方に、母の形見を預けているんです」
「知らん。そんなもの置いていけばいいだろう」
「それはできません!」

リナリアは使用人に母の形見を預けたままにしており、それを持っていきたいがなぜか伯爵はそれに反対しているようだった。
私に使わせる金額を少しでも減らしたくないのだろうか。
リナリアと伯爵の意見は対立しているようだ。

「あれは大事な形見なのです。お願いですから、持っていかせてください」

リナリアが頭を下げてお願いした。

「お父様、お願いします」
「貴様──」

伯爵が今にも怒鳴り出しそうになったその時。

「伯爵。私からもお願いします。そのペンダントを持っていく許可を」

私はリナリアの味方をすることにした。
どうせすぐにバラすことになるが、好意は向けられておくに越したことはないし、後々購入することになる装飾品が一つ減るならそのほうがいい。

「形見とは誰にとっても大切なはずです。それに、同じく奥様を亡くされた伯爵なら彼女の気持ちが分かるでしょう?」
「ぐ……分かりました。すぐに持って来させます」

伯爵は私の言葉に一理あると思ったのかすぐにその形見を持って来させた。
リナリアはそのペンダントを受け取るとぎゅっと握りしめた。
その拳は震えていて、ペンダントがよほど大切なものだったことが分かった。
自分の元にペンダントが戻ってくると安心したのか、リナリアはホッとした表情で私にお礼を言った。

「ありがとうございます。公爵様」
「いえいえ、大切なものだったんでしょう?」
「はい、大切です。どんな物よりも」

私はそんなに大事な物を持っていくことができて良かったですね、と微笑む。
そしてリナリアの向こうの窓から何かおかしな物を見つけた。
この屋敷の中では違和感を感じる木造の小屋で、かなり劣化している。

「ん? あれは……」
「あっ」

伯爵が声を上げた。

「あ、あれは……馬小屋です!」
「あれが馬小屋? 窓がついていますし、どう見ても人が住むための小屋に見えますが……」
「ま、間違えました! 確かにあれはただの小屋です! 以前思いついて建てたはいいものの、全く使っておりません!」
「なるほど。そうですか」

私は適当に頷いておいた。
疑問が解消されたわけではないし、伯爵の反応を見るにあれは何か秘密があるに違いないが、別に今日は弱みを探りにきたわけではない。
伯爵は安心したように息を吐いた。

「それではリナリア嬢、行きましょうか」
「……はい!」

私はリナリアに腕を差し出す。
すると彼女は一瞬ポカンとして、次の瞬間私がエスコートをしようとしていることに気がついたのか嬉しそうに破顔した。
普通、私との婚約がどういうものか分かっているならこんな反応にはならない。
やはり彼女はこの婚約がどういうものであるのかを知らないのだ。

「……」

彼女の気持ちを弄んでいることに少し罪悪感を覚えたが、すぐにその思考を否定した。

「あ、あの……どうかしましたか?」
「……いえ、何でもありません。では、行きましょう」

リナリアが私の表情の変化に気づいたので私はすぐに取り繕い、リナリアをエスコートした。
そして馬車に乗り込み私の屋敷へ向けて出発したが、馬車の中での彼女もやはり私との婚約を喜んでいた。
本人から私と婚約できて嬉しい、と言っていたので間違いないだろう。

そして屋敷に着くなり私はリナリアを書斎へと連れて行き婚約の書類にサインをさせた。
契約書の文言の中には様々な私に有利になるような文言が記載されていたが、それが書かれているのは二枚目からであるし、難しい言い回しにしているので貴族の娘であるリナリアには分かるはずもないだろう。

騙しているようだが、わざわざ説明したりはしない。
貴族の契約とはそういうものだ。
リナリアも婚約に乗り気で、何も疑うことなく契約書にサインをした。

正式に私とリナリアは婚約者になった。
その瞬間、私は一線を引くことにした。
婚約を結ぶまでは勘違いしてもらったほうが良かったが、これからは勘違いして近づいてきてもらっては困る。

「婚約したとはいえ、私はあなたを愛するつもりはありませんので」
「え?」

取り繕った笑顔から一転、冷たい無表情でリナリアにそう告げると、リナリアは呆然としていた。
無理もない、婚約を結んだはずが愛することはない、と言われたのだ。困惑しないはずがない。

「その様子、やはり知らなかったようですね」

私は全てを明かすことにした。
公爵家の一番最初に婚約する相手は婚約破棄前提の婚約であること。
そしてこの婚約も最初から婚約破棄前提であることを。
加えて契約書には他言しないこと、ちゃんと婚約者として振る舞うことが書かれていること。
私が説明を終わるとリナリアは先ほどと同じように呆然としていた。

(さあ、次は激昂するか。それとも──)

私がリナリアの反応に身構えた時。

「えっと……私、知っています」
「え?」
「ですから、この婚約がすぐに破棄されることは知っていました」
「……」

今度は私が呆然とする番だった。

「どうして……」

私の口から一番最初に出てきたのは「なら何故私と婚約したのか」という疑問だった。
するとリナリアは何故か目を泳がせてから考え始めた。
リナリアは慌てて答える。

「ホ、ホラ、公爵様と私が婚約すれば伯爵家の借金をなくしてくれる、という話でしたので!」

なるほど、それは確かに納得できる理由だ。
しかしそれが本当の理由でないことは明らかだった。

「婚約破棄されても一向に構いません! それどころか逆に嬉しいくらいです!」

リナリアは近寄って力強くお願いしてきた。
私は最初はそのリナリアに驚いていたが、すぐに笑みが溢れてきた。笑みが溢れてきた。
それはきっとリナリアを騙さずに済んで安心していたからだろう。

「……では、そういうことにしておきましょう」

リナリアの目的がどうあれ婚約者として振る舞ってくれるなら問題ないはないのだ。
私がそう言うとリナリアは安心したようにホッと息を吐いた。
それから婚約について何度かやり取りをした後、私はリナリアに釘を刺すことにした。

「……言っておきますが、公爵家の金を目当てにしているようならそれは無駄ですよ。無駄遣いはさせないように見張をつけておきますので」

リナリアは不満を漏らすのではないか、と考えていたが──。

「ち、違います! 何なら私は平民の服でも構いませんので! 装飾品もいりません!」

リナリアは否定して、それどころか平民の服でも構わないと言い切った。
本人には本当に私の家の財産を使い倒そうという意思はないのだ、ということが分かった。
本当に先ほどから何なのだ、この娘は。
私は頭が痛くなりそうだった。
そして婚約についての話は完全に終わりリナリアを新しい自室へと向かわせた後、私は息を吐いて椅子に座った。

「リナリア・マリヤック……」

私はその名前を呟く。
病人のような見た目にも関わらず予想外の言動ばかりで最後はこちらが振り回されていた。
私はリナリアに対して油断のならない娘だ、という評価を下した。
ただ、同時にリナリアは私が今まで出会った欲望に満ち溢れた貴族の娘とは違うことは分かった。
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