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第六話

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「ーー姉上、姉上?」

 帰りの馬車に揺られながら先程の出来事を思い出していたクリスタだったが、リュークの声に我に返った。

「え……」
「大丈夫ですか? 余り顔色が良くありませんが……」
「大丈夫よ、リューク。少し疲れてしまったみたい。それよりどなたか気になる方は見つかったの?」

 あの後直ぐにリュークが戻って来た。何人もの令嬢に囲まれていたので一人くらい気に入った女性がいたのではないかと思ったが、弟は何も言わなかった。

「特には……。僕にはやっぱりまだ早いみたいです。でも、もし姉上のような女性がいたなら興味が湧くかも知れませんが」

 冗談交じりにそう言って笑う弟にクリスタも笑みを浮かべた。


    
 

 婚約したなら、どうして話してくれなかったのだろう……。そもそも何時婚約をしたのか? もしかしたらこの前のレッスンの時にはもうーー

「一睡も出来なかった……」

 翌朝ーーブラッドの事が頭を駆け巡り気付けば朝になっていた。完全に寝不足だ。
 その日クリスタは、部屋で読書などをして静かに過ごしていたがーー

「失礼致します。お嬢様、お手紙が届いております」

 午後を少し過ぎた頃、ブラッドから手紙が届いた。
 これまでと違い開けるのを躊躇してしまうが、結局気持ちが負けてしまい開封してしまった。
 中を確認すると日時は今日の夕刻だった。
 
 
「やあ、クリスタ」

 何時もと変わりなく笑顔で出迎えてくれたブラッドに手を引かれ部屋へと向かう。
 部屋に入るとソファに座らされ、彼は当然のようにクリスタのドレスに手を掛けた。

「ブラッド様」

 いつもと変わらない笑みを浮かべている彼の手にクリスタは触れゆっくりと遠ざける。

「どうしたの?」
「……」
「あぁ、もしかして今日はそんな気分じゃなかったかな? ならお茶でも飲もうか」

 ブラッドは、そう言ってテーブルに用意されている茶器を手にした。

「ブラッド様」
「なんだい」
「……婚約、されたんですね」

 一瞬彼は目を見張るが直ぐに笑みに変わる。

「良く知っているね。誰に聞いたの?」
「夜会で近くにいた方が話している声が聞こえてしまって……」
「そっか。それよりこの木苺のタルト美味しいよ。クリスタは木苺が好きだから気にいると思うな」

 焦る事もクリスタの様子を窺う訳でもなく、いつもと変わらないブラッドの様子に胸が苦しくなる。
 ふと昨夜のブラッドとエブリーヌが頭を過り唇をキツく結んだ。

(ちゃんと言わないと)


「ブラッド様、これまでありがとうございました」
「急に改まってどうしたの?」
「私にレッスンは、もう必要ありません。なので今日限りでここには来ません。だから私にも……もう会いに来ないで下さい」
「ーー」

 彼は手を止めるとゆっくりとこちらへと顔を向けた。
 予想外だったのか珍しく呆然とし黙り込む。
 青い瞳がクリスタを捉え、こんな時なのに綺麗だと思い切なくなった。
 
「どうかお幸せに」

 クリスタは丁寧に頭を下げると部屋を出る。 
 門の近くで待たせていた馬車に乗り込むと帰路へとついた。
 ブラッドは呼び止める事も、追いかけ来る事もなかった。

(これで良かったんだよね……)

 もしクリスタがブラッドが婚約した事を知らなかったら、何時も通りそのままレッスンをしていただろう。
 
 あの瞬間、彼が分からなくなってしまった。

 どうして……?
 浮気になってしまうからと、クリスタに婚約者がいる間はレッスンはしない約束だった筈。なのに彼自身に婚約者が出来ても彼は報告もしてくれず更には平然とレッスンをしようとした。
 軽んじられているようで、ショックで悲しかった。

(もう彼には会えない……)

 まさかこんな形で彼と縁を切る事になるなんて思わなかったーー
 
 

 それから暫くしたある日、クリスタは父から呼ばれ執務室へと行くと、ある事を告げられた。

「安心しなさい。今回こそは問題はない。家柄、人柄共に申し分ない」

 前回の婚約破棄から一ヶ月もせずにまた婚約者が決まった。
 相手はライムント・ソシュール、公爵家の次男で年はクリスタより六歳上だ。騎士団に所属しており誠実な人柄らしいが、正直期待は出来ない。どうせ今回も直ぐに浮気されるに決まっている。


「クリスタ嬢、お手をどうぞ」
「ありがとうございます」

 そんな風に思っていたが、ライムントは予想に反して紳士的で誠実な人物だった。

 婚約してから気付けば三ヶ月が過ぎた。
 ブラッドを除き、これまでで最長となる。今まで二ヶ月以上続いた事はないので正直自分でも驚いていた。

 あれからブラッドとは一度も会っていない。屋敷にも姿を現さないし、手紙だって来ない。
 当然だ。もう会わないとクリスタから宣言したのだから……。

 
 お茶の後、クリスタとライムントはロワリエ家の庭を散歩する事となった。
 柔らかな日差しと穏やかな風の中、ライムントがクリスタの腰に手を回しゆったりと歩みを進める。
 
(このまま何事もなければ、私はこの方と結婚をするのね……)

 チラリと彼を盗み見る。
 金色の髪と緑の瞳、程よく焼けている肌は普段騎士として鍛練をしているからだろう。
 彼は寡黙ではあるが優しく誠実で家柄も良い。これまでの婚約者達とは明らかに違う。クリスタには勿体無いくらいの婚約者だ。
 
 ようやく結婚出来る。これで行き遅れにはならなくて済む。だから本来ならば喜ぶべきだ。なのにーー

(胸に穴が空いてしまったように感じるのはどうしてなの……)

「クリスタ嬢」

 ライムントの声に我に返り隣の彼へと顔を向けた。その瞬間ーー

「っーー」

 クリスタは目を大きく見開いた。
 一瞬だったが、ライムントと彼が重なって見えた。
 ブラッドとライムントは当然だが似ている訳ではない。それなのに見間違えるなど重症かも知れない。
 
 ブラッドとは飽きるくらいこの庭を散歩した。
 広い庭の隅々まで彼と過ごした思い出がある。
 忘れたいのに、どうしても彼を思い出してしまう。

「クリスタ嬢、どうされましたか」

 ライムントは歩みを止めたクリスタを心配そうに見ている。

「……」

 暫し瞳を伏せ気持ちを落ち着かせた後、クリスタは再びライムントを見て口を開いた。


 

 
 
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