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二話
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夜会から戻ったリーザは、ドレスもそのままにベッドに倒れ込んだ。物凄い疲労感に襲われる。
あれは一体何だったのだろうか……。未だに心臓が煩く脈打っているのを感じた。
『もう一度、触らせて欲しい』
あの時は混乱していて深く考えなかったが、もう一度とはどういう意味だろう。
会った事がある様な、ない様な、ある様な……やはり記憶にない。
(あんな変わった人、見た事ないわ。うん、忘れよう……)
それが一番だ。
リーザは今夜の事を無かった事にして眠りに就く事にした。
ーー数日後。
リーザがうんざりしながら自室で山積みにされたお見合いの資料に目を通していると、扉が叩く音が聞こえた。
上機嫌な母から猫撫で声で呼ばれ客間へと行ってみると、そこには何時ぞやの彼が長椅子に座っていた。
目を見張り扉の前で固まっていると、腕を掴まれ強引に彼の向かい側へと座らされる。
「もうリーザちゃんたら、お母様驚いてしまったわぁ。まさかオードラン公爵様とお知り合いなんて」
(リーザ”ちゃん”ね……)
これまで生きて来た中で母から”ちゃん”付けなどされた記憶はない。
母を見ると頬を染め恍惚とした表情で彼を見ていた。流石面食いで男好きな人だと冷めた目で見る。
「それでオードラン公爵様、本日はうちのリーザちゃんにどの様なご用件ですか? もし込み入ったお話でしたら別室をご用意致します。あぁそうですわ! 実は娘は極度の人見知りでして、オードラン公爵様に粗相があるといけません。ですから私が娘の代わりに二人きりでお話をお伺い致しますわ」
母は彼の隣に座りながら馴れ馴れしく腕や手に触れる。そんな様子をリーザが困惑しながら見ていると母と一瞬目が合い睨まれた。邪魔だから出て行けという意味だろう。
一体何の為に呼ばれたのか分からない。だがリーザもこの場から早々に立ち去りたいので、不本意ではあるが席を立った。
それに人見知りなのは嘘ではない。
「リーザ嬢」
すると彼から呼び止められた。彼もまたリーザに続き席を立つと、それと同時に母の手を振り払う。まるで埃を払う様な仕草に見えて呆気に取られた。
「ロワリエ夫人、お気遣いは有難いのですが、私はリーザ嬢御本人と直接話したい事があります。ですので、お嬢さんを少しお借りしたいのですが宜しいでしょうか」
「……えぇ、それでしたら構いませんわ」
一瞬険しい表情になるが、直ぐに和かになって快諾をする。だが口元が少し引き攣っているのが分かった。
少し躊躇ったが、リーザは彼を自室へと通した。他の客間でも構わなかったが、また母が何だかんだと理由を付けて部屋に入って来るに決まっている。リーザの部屋なら母は絶対に入っては来ない。
「私に何か御用でしょうか、オードラン公爵様」
ーーオードラン公爵。
社交界に疎いリーザですらその名は知っている。若くして公爵位を継ぎ、容姿端麗、文武両道と完璧な白銀の貴公子と名高い方だ。令嬢等の憧れの君であり、かなり人気がある。ただリーザはお目に掛かった事は無かった。元々人見知りで物静かなリーザは、夜会では何時も隅や壁に寄り一人静かに過ごす事が殆どだ。それに比べ元婚約者の彼は明るく社交的で、夜会などでは何時も人の輪の中心にいた。そんな彼の邪魔にならない様にとリーザは極力目立たない様に息を潜め、視線は自然と床ばかり映し、気が付けば人の顔を見ない癖がついてしまった。故に殆ど人の顔は覚えていない。
それにしても先日の夜会といい、まさか屋敷を訪ねて来るとは思わなかった。だがここまでするのだ。余程重大な用件に違いない。
リーザは人払いをすると居住まいを正し、彼の言葉を固唾を飲んで待った。
「先ずは、初めに謝罪をさせて欲しい。すまなかった。先日の夜会の件と急な訪問、紳士たる者のする言動ではないと反省している」
丁寧に頭を下げる姿に正直目を見張った。
これまでリーザの周囲には利己的で傲慢な人間ばかりだった。決して過ちを認めず、他者に頭を下げて謝罪など以ての外だ。
「遅くなったが改めて名乗らせて欲しい。私はヴィルヘイム・オードランだ。普段は騎士として城で務めている」
「い、いえ。こちらこそ先日は失礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした。改めまして、リーザ・ロワリエでございます」
互いに頭を下げ謝罪し合う自分達の言動が、妙に可笑しく感じてリーザは思わずくすりと笑い声を洩らした。すると彼も釣られた様に笑い、緊迫した空気は穏やかなものに変わった。
「本題なんだが、実は私は……不能なんだ」
微笑ましかった空気は一瞬にして吹き飛んだ。リーザは笑顔のまま硬直した。
(今、なんて仰いました……? 不納? 未払い。富農? 農民。不能? 不能って何だっけ……)
「情けない話、その要するに……」
固まるリーザからヴィルヘイムは視線を逸らし口籠る。心なしか照れている様に見える。それにかなり気不味そうだ。それはそうだろう。
「つまり、勃たないんだ」
幾ら鈍くて経験がなくても、この歳になれば、彼が言った言葉の意味くらい理解出来る。出来るが分からない。何故そんな話をほぼ初対面である自分にするのか……。
リーザの思考は停止した。
あれは一体何だったのだろうか……。未だに心臓が煩く脈打っているのを感じた。
『もう一度、触らせて欲しい』
あの時は混乱していて深く考えなかったが、もう一度とはどういう意味だろう。
会った事がある様な、ない様な、ある様な……やはり記憶にない。
(あんな変わった人、見た事ないわ。うん、忘れよう……)
それが一番だ。
リーザは今夜の事を無かった事にして眠りに就く事にした。
ーー数日後。
リーザがうんざりしながら自室で山積みにされたお見合いの資料に目を通していると、扉が叩く音が聞こえた。
上機嫌な母から猫撫で声で呼ばれ客間へと行ってみると、そこには何時ぞやの彼が長椅子に座っていた。
目を見張り扉の前で固まっていると、腕を掴まれ強引に彼の向かい側へと座らされる。
「もうリーザちゃんたら、お母様驚いてしまったわぁ。まさかオードラン公爵様とお知り合いなんて」
(リーザ”ちゃん”ね……)
これまで生きて来た中で母から”ちゃん”付けなどされた記憶はない。
母を見ると頬を染め恍惚とした表情で彼を見ていた。流石面食いで男好きな人だと冷めた目で見る。
「それでオードラン公爵様、本日はうちのリーザちゃんにどの様なご用件ですか? もし込み入ったお話でしたら別室をご用意致します。あぁそうですわ! 実は娘は極度の人見知りでして、オードラン公爵様に粗相があるといけません。ですから私が娘の代わりに二人きりでお話をお伺い致しますわ」
母は彼の隣に座りながら馴れ馴れしく腕や手に触れる。そんな様子をリーザが困惑しながら見ていると母と一瞬目が合い睨まれた。邪魔だから出て行けという意味だろう。
一体何の為に呼ばれたのか分からない。だがリーザもこの場から早々に立ち去りたいので、不本意ではあるが席を立った。
それに人見知りなのは嘘ではない。
「リーザ嬢」
すると彼から呼び止められた。彼もまたリーザに続き席を立つと、それと同時に母の手を振り払う。まるで埃を払う様な仕草に見えて呆気に取られた。
「ロワリエ夫人、お気遣いは有難いのですが、私はリーザ嬢御本人と直接話したい事があります。ですので、お嬢さんを少しお借りしたいのですが宜しいでしょうか」
「……えぇ、それでしたら構いませんわ」
一瞬険しい表情になるが、直ぐに和かになって快諾をする。だが口元が少し引き攣っているのが分かった。
少し躊躇ったが、リーザは彼を自室へと通した。他の客間でも構わなかったが、また母が何だかんだと理由を付けて部屋に入って来るに決まっている。リーザの部屋なら母は絶対に入っては来ない。
「私に何か御用でしょうか、オードラン公爵様」
ーーオードラン公爵。
社交界に疎いリーザですらその名は知っている。若くして公爵位を継ぎ、容姿端麗、文武両道と完璧な白銀の貴公子と名高い方だ。令嬢等の憧れの君であり、かなり人気がある。ただリーザはお目に掛かった事は無かった。元々人見知りで物静かなリーザは、夜会では何時も隅や壁に寄り一人静かに過ごす事が殆どだ。それに比べ元婚約者の彼は明るく社交的で、夜会などでは何時も人の輪の中心にいた。そんな彼の邪魔にならない様にとリーザは極力目立たない様に息を潜め、視線は自然と床ばかり映し、気が付けば人の顔を見ない癖がついてしまった。故に殆ど人の顔は覚えていない。
それにしても先日の夜会といい、まさか屋敷を訪ねて来るとは思わなかった。だがここまでするのだ。余程重大な用件に違いない。
リーザは人払いをすると居住まいを正し、彼の言葉を固唾を飲んで待った。
「先ずは、初めに謝罪をさせて欲しい。すまなかった。先日の夜会の件と急な訪問、紳士たる者のする言動ではないと反省している」
丁寧に頭を下げる姿に正直目を見張った。
これまでリーザの周囲には利己的で傲慢な人間ばかりだった。決して過ちを認めず、他者に頭を下げて謝罪など以ての外だ。
「遅くなったが改めて名乗らせて欲しい。私はヴィルヘイム・オードランだ。普段は騎士として城で務めている」
「い、いえ。こちらこそ先日は失礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでした。改めまして、リーザ・ロワリエでございます」
互いに頭を下げ謝罪し合う自分達の言動が、妙に可笑しく感じてリーザは思わずくすりと笑い声を洩らした。すると彼も釣られた様に笑い、緊迫した空気は穏やかなものに変わった。
「本題なんだが、実は私は……不能なんだ」
微笑ましかった空気は一瞬にして吹き飛んだ。リーザは笑顔のまま硬直した。
(今、なんて仰いました……? 不納? 未払い。富農? 農民。不能? 不能って何だっけ……)
「情けない話、その要するに……」
固まるリーザからヴィルヘイムは視線を逸らし口籠る。心なしか照れている様に見える。それにかなり気不味そうだ。それはそうだろう。
「つまり、勃たないんだ」
幾ら鈍くて経験がなくても、この歳になれば、彼が言った言葉の意味くらい理解出来る。出来るが分からない。何故そんな話をほぼ初対面である自分にするのか……。
リーザの思考は停止した。
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