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九話

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「男性の態度が変わる理由って、なんなんでしょうか……」

 心の声が口を衝いて出てしまい、アリシアは慌てて口を塞ぐも遅かった。

 学院を卒業して以来、顔を合わせていなかった友人の一人であるクラリス・ラクール伯爵令嬢の屋敷に招待を受けたアリシアは、お茶会の真っ最中だ。

「アリシア様、何かお悩みですか?」
「い、いえ! その……私の知人の話でして……」

 咄嗟に否定し知人の話だと取り繕う。
 バレてしまうかも知れないと、ドキドキするが彼女は納得をしてくれた。

「成る程ですね! それで具体的には、態度が変わってしまったとはどの様な感じなのですか?」

 代わり映えのしない話題ばかりで刺激の足りていなかっただろうクラリスは、興味深々な様子で目を輝かせた。

「えっと……以前までは、他の男性と挨拶をしただけでやきもちを妬いたり、二人の時には触れてきたりしていたのがなくなって、急に素気なくなり関心がない様に見えると言いますか……ーー」

 余り具体的に話すと自分の事だとバレてしまうので、曖昧に言葉を濁す。

「う~ん、倦怠期かしら」
「倦怠期? ですか……」

 眉根を寄せ呻りながらクラリスは口元に手を当て考え込む。

「もしかすると……」
「?」
「?」

 暫し沈黙がながれるが、そんな時今日のお茶会のもう一人の出席者であるロレッタ・ノエ伯爵令嬢が、深刻な面持ちで声を洩らした。
 アリシアとクラリスは、固唾を呑んで彼女の次の言葉を待った。

「浮気、かも知れません」
「浮気⁉︎」
「っ⁉︎」

 声も出ない程驚いたアリシアの手からカップが滑り落ちてしまった。

「アリシア様⁉︎ 大変ですわ! 誰か早く拭くものを!」

 クラリスが控えていた侍女等に声を掛けると、慌てながら布巾を持って来た。
 お茶はテーブルの上に溢れただけで、ドレスなどは無事だったと安堵する。
 アリシアが謝罪すると、細かい事気にしない性格のクラリスは笑って応えてくれた。

「それでロレッタ様、何故浮気だと?」

 気を取り直して、話を再開をした。
 相変わらずクラリスは乗り気で、期待に満ちた目でロレッタに話を促す。
 それとは対照的に、アリシアは話の続きを聞く事に不安を覚えた。
 
「男性の気が漫ろになっている時は、大抵色恋関連だと母が申しておりました。アリシア様のお知り合いの婚約者様は、きっと今別の女性に心惹かれておいでなのです。ですからそのお知り合いの方にまで気を回す事が出来ずにいるのではないでしょうか。男性は不器用な方が多いと聞きます」
「成る程ですね。浮気相手に夢中で、婚約者には興味がなくなってしまったという事ですか」

 アリシアは黙り込み、クラリスとロレッタの話をただ聞いていた。
 頭がボンヤリとするーー遠くに二人の声が聞こえてきて、まるで夢でも見ている気分になる。

「ですが、本当に浮気なら今後婚約破棄になる事もあり得るという事ですわね」
「そうですね。母の時代は浮気で婚約破棄などはなかったそうですが、今はそう珍しいお話ではありませんもの」

 確かにたまに社交界で、何処ぞの令息が浮気をした為に婚約破棄になってしまったとか耳にした事はある。
 だがまさか自分がその立場になるとは考えてもみなかった……。


◆◆◆

 豪華絢爛の装飾や華やかな人々ーー今宵城では舞踏会が開かれていた。
 リーンハルトにエスコートされたアリシアは、何時もの様に周囲から羨望の眼差しを向けられた。
 うら若き令嬢達は誰もがリーンハルトに夢中になっているのが分かる。彼もまた、彼女等に応える様に笑顔を向けていた。
 無論この光景は今に始まった事ではなく、疾うに慣れ切っているので普段なら気にする事はない。
 だが何故か、今は苦しくて仕方がなかった。

「じゃあ、行ってくるよ」

 ファーストダンスを終えたリーンハルトは、アリシアを残し行ってしまった。
 王太子の彼には役割があるので、常にアリシアが彼を独占する事は出来ない。
 
(何時もの事、ですから……)

 一人になったアリシアは、壁の花になりながら遠目に代わる代わる令嬢達とダンスをする彼の姿を眺めていた。
 艶やかで魅力的な女性ばかりで、皆一様に頬を染め恍惚な表情を浮かべている。

『浮気、かも知れません』

 ふとロレッタの言葉が頭を過ぎった。

(あの中に……いるのでしょうか……)
 
 そんな詰まらない事を考えてしまう自分が嫌だ。
 心なしか、リーンハルトも今宵は一段と愉しんでいる様に見えてきて、気持ちが益々沈んでしまう。

「リーンハルト」

 舞踏会も終盤に近付いた頃、とある人物が現れた。見覚えのあるその人物に、アリシアは表情を曇らせた。
 
「セレスティーヌ、君何時こっちに来たんだい?」

 金色の髪と空色の瞳の長身の女性が颯爽と歩いて来ると、リーンハルトの前で立ち止まった。
 暫し広間が騒ついた後、彼を取り囲んでいた令嬢達が居心地悪そうにしながら早々に散って行く様子が見えた。

「今し方よ。それより久しぶりね、リーンハルト」
 
 彼に親し気に話し掛けた彼女の名は、セレスティーヌ・ジラルデ、隣国の公爵令嬢だ。
 セレスティーヌの母とリーンハルトの母は姉妹であり、二人は従姉弟に当たる。
 彼女は昔からリーンハルトを気に入っており、時折こうして会いに来る。
 アリシアもその度に顔を合わせているが、気嵩な彼女が正直苦手だ。

「今回は随分と唐突だね」
「ちょっとね、色々あったの」

 二人は暫し雑談を終えると、ダンスを始めた。
 何時も思うーーセレスティーヌは本当に美しい女性ひとだ。容姿端麗であり、何時も自信に満ち溢れ堂々とした立ち居振る舞いの彼女は、同性のアリシアから見ても眩しく感じる。男性ならば当然誰もがそんな魅力溢れる彼女に惹かれるに違いない。
 悲しいが、リーンハルトとお似合いだとも思ってしまう。彼もきっとーー。

 呆然として二人を眺めていると、不意に手を後ろに引かれた。
 驚いたアリシアは、弾かれ様にして振り返る。

「オズワルド殿下」
「アリシア、一人か?」
「……はい」

 元気のない様子に、彼は訝し気な表情を浮かべた後、アリシアの後方へと視線を送る。
 すると直ぐに納得をした様に頷いて笑った。

「良し、アリシア。私と踊ろう!」
「えっ⁉︎ あの、オズワルド殿下⁉︎」

 有無も言わせず彼はアリシアの手を取ると、少し大股で広間の中央へと向かう。
 丁度曲が変わり、そのまま自然にダンスを始めた。
 アリシアより少しだけ背の低いオズワルドだが、アリシアの肩に手を添え確りと腰を引き寄せる力は意外にも力強かった。
 更には優雅に且つ軽やかにステップを踏む姿に目を見張る。
 リーンハルトがダンスを踊る姿は良く目にしているが、対照的にオズワルドは余り積極的ではなく、まさかこんなに上手だとは思わなかった。
 
「どうだ、アリシア? 兄上よりも上手いだろう?」
「ふふっ、はい、とてもお上手です」

 華麗にステップを踏む彼が大人びて見えるが、無邪気な笑顔で燥ぐ様子にやはりまだまだ子供だと笑ってしまう。
 ふと視界にリーンハルトとセレスティーヌの姿が入った。そして彼と目が合った瞬間、冷たく突き刺さる様な視線を向けられたアリシアは息を呑む。

「どうした?」
「い、いえ、何でもありません」

 動揺するアリシアにオズワルドは、眉根を寄せた。
 今はダンスに集中しなくてはならないとアリシアは気持ちを切り替えなくてはと考えるが、気も漫ろになり動きが乱れてしまう。

「キャッ」

 そんな時だった、互いの不注意からリーンハルト達とアリシア達は接触をしてしまった。
 アリシアは寸前の所で耐えて転ぶ事は免れたが、セレスティーヌは勢いよくリーンハルトに倒れ込み、彼はそれを抱き留めた。

「すまない、アリシア。大丈夫かい?」
 
 何故かリーンハルトは、セレスティーヌではなくアリシアに声を掛けてきた。
 目を丸くするアリシアが返事をする前に、セレスティーヌが不満を洩らす。

「ちょっと、リーンハルト。私の心配はしてくれないの?」
「あぁ、すまない。セレスティーヌも大丈夫かい?」
「えぇ、リーンハルトが受け止めてくれたから全然大丈夫よ」

 彼の胸元に顔を埋め、アリシアへ視線を向けてくると不敵な笑みを浮かべた。

「セレスティーヌ、問題ないならそろそろ良いかな」
「痛っ! 無理よ、一人じゃ歩けそうにないわ。どうやら脚を捻っちゃったみたい」

 上目遣いでリーンハルトに甘える姿に、彼女が何を言いたいのか直ぐに分かった。

(嫌……)

 我儘と言われても良い、断って欲しいとアリシアはリーンハルトに縋る様な視線を向けた。
 だがそんなアリシアの思いとは裏腹に、彼は小さな溜息の後彼女を横抱きにした。
 その瞬間、思考が止まった。

 頭が真っ白になって、何も考えられないーー。

 踵を返したリーンハルトは、セレスティーヌを抱き抱えたまま扉へと向かう。
 演奏も止まり静まり返っていた広間は再び騒然なり、周囲から好奇の目に晒される。
 早く立ち去りたいのに、身体が全く動かない。
 放心状態のアリシアは立ち尽くす事しか出来ずにいたが、不意にぎゅっと強く手を握られた。

「アリシア、行こう」
 
 オズワルドに手を引かれ、アリシアは広間を後にした。


 
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