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第一章

果実はとても甘くて

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「八十二点」

 店の外で顔を合わせるなり突然の点数報告。これは今の店に対する点数ではない。どうせ俺に対しての、彼氏ポイントなる意味不明なものだ。

「だったんだけど、またダサイ服に着替えてるから二十点」
「おい下がりすぎだろ。この服になんの罪があるんだ。もう五年も一緒に付き添ってる相棒なんだぞ」
「ものを大事に使うのはいいことだけど限度があるでしょ。ファスナー、壊れてる」

 その言葉にハッとし胸元に手を当てる。上がったファスナーは本当にただ上がっているだけで、開いた胸元を閉めるという本来の役目を全うできていなかった。

「まぁでも、さっき買った服は出かける時だけにしなよ? 普段使いして、いざって時シワとかよれが目立つなんてことになりかねないから」

 そんな楠木の助言に俺は「わかった」と短く答える。

 出かける時だけか・・・・・・。この服を着る時は来るのだろうか。

 そう思っていると楠木が俺が持っているものと同じ袋を差し出してきた。

「これ、ベルトとシャツ。一応、佐保山に似合いそうなの買っておいたから」
「えっ? でも、いいよ」

 中を見るとシャツは何着も入っていて、ベルトは革製の高そうなものだった。

「いいよって言われても、じゃあこれどうするの? あたし一人っ子だし彼氏もいないから他にあげる人なんていないんだけど?」

 なら返却してくれば、などと言えるほど俺の人間性は奈落の底に落ちてはいないようだった。

「じゃあ、貰う。その、ありがとう・・・・・・」

 ここまで色々としてきてもらった俺だが、初めて楠木に礼を言ったかもしれない。すると楠木は、

「いいって!」

 俺の背中をバチンと叩いた。いつか健人にやられた時のような強いものではない。弱く優しい、女の子の力でだ。

 いつのまにかいい時間になっていたようで空は夕焼けに染まっていた。

「そうそう、佐保山にもう一つプレゼントがあるんだった」
「え?」
「はいこれ」

 楠木はなにやら青い紙っぺらを財布から取り出した。

 それを受け取ると『ハーモニー 半額券』とデカデカと書かれていた。

「佐保山どうせずーっと床屋行ってたんでしょ? それ、あたしの行きつけの美容室。従業員が女の人だけだからちょっと緊張するかもしれないけど、腕は確かだから。それに女の人のほうがカッコよく切ってくれるしね」
「でも、いいのか?」
「いいのいいの。あたしもそれたまたま店のクジで当たっただけだから。当分は行く予定もないし、佐保山にあげる。だから明日にでも行ってきなよ、そしたら今日買った服も、もっと似合うようになるから」
「そうか」

 話を聞くと、そのハーモニーという美容室は本来五千円らしいのだが、この券を使えば二千五百円で切ってもらえるとのことで、いつも行っている千円カットに行くよりは少しだけ得な気がした。一人暮らし特有の金の魔力に負けた俺はその半額券を快く受け取った。

「あとさ」

 夕焼けの逆光でどういう表情をしているのかは見ないが、声色からは楠木が時々見せる真剣な様子が窺えた。

「誰も、佐保山を嗤ってなんてないよ」
「く、楠木・・・・・・?」
「さっきの服もすごい似合ってたし、少なくともあたしはカッコイイって思った。目が肥えてるあたしが言うんだもん、間違いない!」

 元気よく言い放った楠木は、「だから」と語尾に付け足して、

「俺なんか、だなんて。もう二度と言わないで」
「・・・・・・ッ」

 逆光で、やはり表情はよく見ないが。震えていて、泣きそうな声だった。どうしてそこまで楠木が俺を気にかけてくれているのかわからない。

 初めて会った時も、今日のことも。人と関わろうとしてこなかった俺が、いくら考えてもそれはわかることではないのかもしれない。だが、この時ばかりは、楠木のことをもっと知りたいと思った。何故、どうして? と、聞きたくなった。

 そんな、他愛のない話を、自分からしてみたくなった。

「ゼロ点!」
「は?」
「だからゼロ点だって。彼女がこんな言葉、勇気を振り絞って言ってるんだから、彼氏のあんたは何か言ってあげなきゃダメだよ。無言だなんて論外! よってゼロ点! ううん、さっき持ち点が二十点に下がったから・・・・・・マイナス八十点です!」

 なんと言っていいかわからずに押し黙っている間に持ち点を全て毟り取られてしまった。

「というわけで今回のチャレンジは強制終了となりまーす!」
「そんなシステム初めて聞いたんだが」
「ひひっ、言い訳禁止でーす」

 そう言う楠木は後ろに手を組んで夕日をバックにおどけてみせる。赤の世界に揺れる黄色の髪がとて幻想的に見えて、俺はやはり言葉を発することができなかった。

「それに今日の店じまい、あたしが当番なんだよねー。だからそろそろ帰らないと」

 店というのはおそらく楠木の家が経営しているという花屋のことだろう。たびたび手伝いをしているとも言っていた。

「なんだよ、用事があるなら先に言ってくれればよかったのに」

 そう、気を利かせて言ってみるが。

「だって、佐保山ともっと一緒に居たかったんだもん」

 完全に不意打ちだった。

 からかうような様子から一変、甘えるように言う楠木に俺の心臓はドクンと鳴った。いや、ドキンかもしれない。ただの脈動ではなく、意味を含んだ胸の高鳴り。自分の顔が赤くなっていくのを感じる。どうにか夕焼けで隠してほしいと思ったが、こういう時に限って夕日はほとんど地平線の下に隠れてしまっていた。

「だから、無言はダメって言ったでしょ」

 そうは言われても、俺の引き出しにはこういう時に言うべきセリフは収納されていない。

「まぁ、赤くなって俯いてるとこは、ちょっと可愛かったけど」

 顔に手を当て、白い歯を見せる、黄色のギャル。

「じゃあ、また学校でね!」

 手をブンブンと年甲斐もなく大振りして何度もこちらを振り返るその姿を見て、俺の中で、彼女の名前のように酸っぱい何かが込み上げてきたのを、一人感じていた。
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