上 下
1 / 1

第1話 何かが始まる、そんな予感

しおりを挟む


 四限がまさかの休講だった。
 せっかくそれに合わせてギリギリの時間に大学へと来たというのに、もう全てが台無しだ。
 
 行く当てもなく、する事も無く、だから仕方がなく学食の奥の方の席に座る。


 開け放たれた窓から見えるのは、澄み渡るような青い空。
 遠くから聞こえる声たちはどれもが色付いて聞こえ、すぐ外を歩く人達の眩しい笑顔は目に毒だった。

 世の中の全てが明日への希望に満ちている。
 そんな風に見えてしまって、見たくなくて、聞きたくなくて。
 だから俺はイヤホンを耳にねじ込んで、スマホに目を固定する。


 耳の奥に流れ込む音は最近のアニソンだ。
 重低音と男の声、曲から醸し出されるダークな世界観と疾走感が気に入っている。

 今にも何かが駆け出しそうな、始まりそうな、そんな音。
 でも何故か不思議とそこに色合いは感じない、モノクロな音。
 だから聞いててとても体に馴染む。



 と、ここで不意にサラリと風が抜けた。

 吹く風が前髪を払っていく。
 揺れる髪が視界の端をユラユラと動くので、鬱陶しくてひどく邪魔だ。

「そろそろ前髪、切るかなぁ……」

 そう呟きながら、前髪を指で少し避ける。


 その瞬間、ほんの少し周りが明るくなって、視野が広くなった。
 だからこそ気が付いたんだと多分思う。

 何か居る。
 俺の向かいに何か居る。



 俺がさっきここに座った時には誰も、そこには居なかった筈だ。
 いつ来たのか、いつ座ったのか分からない。
 俺が音とスマホに没頭してたからだろうか、全く気が付かなかった。


 もしかしたら、ただ単に俺と同じように周りから隔絶されたくてここに来たのかもしれないと思った。

 それならまだ共感は出来る。
 まぁもしそうならば、こんなに近くに座るなよとは思うけど。


 でももしそうじゃないのなら、俺には多分、今見えちゃいけないものが見えてる。

 そんな経験まだ一度も無いけれど、もし何かヤバそうだったらすぐに逃げよう。
 そう密かに心に決めたら、手に力が勝手に入ってスマホが小さくミシリと鳴った。
 

 恐る恐る顔を上げると、予想外にまっすぐな瞳と目が合った。

 彼女は頬杖を突いていて、何故か俺を静かに見ている。


 造形の美しい女の人だった。
 少し擦れた印象を受けなくも無いが、白い肌に脱色した髪、色素の薄い彼女には黒のライダースジャケットがとても良く似合っている。
 
 しかし知らない。
 こんな人、俺は知らない。

 
 一体誰なのだろう。
 そして何故、わざわざ正面までやってきてまで俺の事を見ているのだろう。

 つい先ほどまで感じていた筈の煩わしさと恐怖をそっちのけにして、そんな疑問が湧いてくる。
 それが何だかとても不思議だ。

 もしかしたら、彼女の持つ色合いが少しモノクロじみていたなのかも。
 そう思いはしたものの、やはりたったそれだけで心を許そうとしている自分が、俺はやはり不思議だった。


 しかし幾らそんな風に思っても、結局言葉は口から出ない。

 異性に何を話していいのかなんて、俺は知らない。
 そもそも大学で人と会話なんてするのはいつぶりだろう。
 それさえ思い出せないくらいなのだから、筋金入りの経験不足だ。


 話そうとすればするほど、口の中が乾いていく。
 既にからっからなのだから、使い物になりはしない。 

 だから俺の口から出た第一声は、実に残念なものだった。

「ねぇ君は、スマホの中で人生でも探してるの?」
「……は?」

 突飛由もない言葉を向けられ驚いて出たソレは、疑問なのか呆れなのか良く分からない感情の、掠れたたった一文字だった。

 美人相手に、否、美人相手だからだろうか。
 こんな言葉しか出てこない自分がひどく情けない。

「だって君、ずっとスマホばっかり見てるから」

 そう言った彼女の唇が、ほんの少し弧を描く。

 笑った理由も分からなければ、何を考えているのかも分からない。
 だけど唇に付けられた銀のピアスが、僅かに揺れるプレートネックレスが、どこか俺を誘おうとしている気はしている。

「そんなところに、きっと君の世界は無いよ?」
「――な、んで」
「だって」

 何でそんな事がお前に分かる。
 そう言いたかったけど、やはり口は回らない。
 するとそれを察したのか、彼女の方が先回りして手を差し伸べる。

「君の世界を、多分私は知ってるし」

 だからおいでよと彼女が言った。

 果たしてそれに付いていっていいのだろうか。
 彼女の素性や学年、履修科目さえ俺は知らない。
 もちろん名前だって。
 ――それなのに。

 そう思いつつ、気が付けば左手が彼女の方へと伸びていた。


 スマホを持っていた右手の力が、ほんの少しだけ緩んで綻ぶ。


 BGMはずっと耳元で流れている、重低音のダークなアニソン。

 もしかしたら、ここから何かが始まるのかも。
 何となく、そんな気分にさせられた。

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

大好きな幼なじみが超イケメンの彼女になったので諦めたって話

家紋武範
青春
大好きな幼なじみの奈都(なつ)。 高校に入ったら告白してラブラブカップルになる予定だったのに、超イケメンのサッカー部の柊斗(シュート)の彼女になっちまった。 全く勝ち目がないこの恋。 潔く諦めることにした。

コートの不死鳥

光山登(kohyama-noboru)
青春
試合での失敗、仲間の沈黙、重くのしかかる挫折。 主人公は自分の弱さに打ちのめされる。 厳しい特訓を通じて何度倒れても立ち上がり、限界を超えようともがき続ける。 逃げないと決めた主人公の葛藤と成長を描く物語。

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)

チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。 主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。 ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。 しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。 その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。 「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」 これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。

将棋部の眼鏡美少女を抱いた

junk
青春
将棋部の青春恋愛ストーリーです

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

彼とプリンと私と。

入海月子
青春
大学生の真央は広斗と同棲している。 でも、彼とは考え方も好みもなにもかも違って、全然合わない。 ある日、広斗から急に留学をすると聞かされて……。 Twitterのお題で書いてみました!

覗いていただけだったのに

にのみや朱乃
青春
(性的描写あり) 僕の趣味は覗きだ。校舎裏で恋人同士の営みを覗き見するのが趣味だ。 今日はなんとクラスメイトの田中さんがやってきた。僕はいつも通りに覗いていたのだが……。

処理中です...