上 下
6 / 8
第一章 悩める大人たちの狂騒曲

夜明け前の大騒ぎ(1)

しおりを挟む
 マルクは、今日一日ずっとスケッチブックに絵を描いていた。目の前で、繰り広げられる魔物との戦闘には一切かかわることなく…。それは、班長命令だからだ。

「お前は、まず、戦闘を無視しろ。ただひたすら、魔物を描け。いいな」
 トラストは昨日とは別人のように、晴れやかに笑う。マルクは、戦闘を無視できるのか自信はないが、きっと、足手まといにしかならないのだからと自分を納得させて、班長命令に従う。戦闘が始まって、本当に自分には何もできないのかという思いは沸いてきたが、隊員たちの動きに自分がついて行けないこともすぐに理解した。

(…僕は)

 弱気の虫が起こりそうになったが、振り払うように魔物に意識を集中した。そして、ひたすらスッケチブックに絵を描き続ける。初めて見る魔物たちのほとんどが、闇のように黒一色だった。だが、同じ形の魔物はいない。似ているけれど、必ずどこかに違いがあった。描いているうちに、いくつかの系統に分かれていることに、マルクは気がつく。
 動物の形をベースにしている魔物は、物理的な攻撃ですぐに退治できるようだが、人の形に近くなるほどそれが効きにくい。そして、効果のある魔法の属性も変わるようだ。足の部分が人間に近いモノは、水魔法が有効で土魔法は逆効果。胴体の部分が人間に近いモノは、風魔法が有効で水魔法が逆効果になる。腕が人間のような奴は、木魔法が有効だが、火魔法は逆。頭が人間に近いモノは、火魔法は有効で風魔法は逆…。
 マルクは気がついたことも、絵と一緒にメモしていく。不意に誰かに呼ばれたような気がして、スケッチブックから視線を離すと、すぐ隣に隊長が座り込んでいた。マルクは慌てて口を開こうとしたが、隊長が真剣な表情でスケッチブックをのぞき込むので、声をかけそこなった。
「…なるほどね~。いきなり復活したりするから何事かと思えば、そういうことかよぉ」
 隊長がぶつぶつと呟く。そして、顔を上げてマルクを見てお前さぁと呆れた口調で言った。
「こういう才能は、隠さすなよなぁ…半年前のお前に文句言いたくなるだろう?」
 マルクは何か失敗したのかと思って凹むと、隊長の手が彼の頭に伸びてガシガシと乱暴に撫でた。
「たった半日でよくできました。とりあえず、天幕に戻って飯食え~」
 マルクは、褒められていることに気づかず、しょぼくれたようにはいと小さく返事をすると、隊長はトラストはいい部下持ってるよなぁとニヤリと笑った。
『よい部下をお持ちですね』
 マルクは以前にも同じセルフを聞いた気がしたが、意味がわからず戸惑う。
「ほれ、さっさと飯すませてこ~い」
 隊長はポンポンとマルクの頭を叩いて、天幕に行くように促した。マルクは、よろよろと立ち上がって一礼すると天幕へ戻った。戦闘はまだ続いているが、気がつけばもうとっくに昼を過ぎていた。
 マルクが天幕に戻ると、ラヴィ班長が食事をしていた。ラヴィは、すぐにマルクに気がついて、部下に何か言うとこっちこいとばかりに手招きした。マルクは会釈して、ラヴィの隣に座る。
「隊長になんか嫌なことでもいわれたか?」
「いえ…天幕に戻って飯を食えといわれました」
 ラヴィは、ふ~んと言い、手を出す。
「スケッチブック」
 そう言われて、マルクはスケッチブックを渡した。そこへ、ラヴィの部下がサンドウィッチとマグカップを手にしてやってきた。
「ほい、おまたせ~」
 そう言ってマルクの前にサンドウィッチとマグカップを置いた。
「あの…」
 自分の分は取りに行くからと言おうとしたが、ラヴィがさっさと食え~と言いながら、スケッチブックを真剣な顔でめくっている。マルクは、ラヴィの部下にありがとうございますと言って、食事を始めた。
「班長、悪い顔になってますよ」
「…悪い顔って何だよぉ。グイード」
「悪役顔?ってか、なんか企んでるでしょ」
「失礼だなぁ。僕は紳士ですよぉ。情報収集してるだけっ」
 ラヴィは、パタンとスケッチブックを閉じると、テーブルにそっと置いた。
「マルク」
「はい」
 ラヴィはニヤッと笑いながら、言う。
「素敵情報ありがとうございま~す!」
 マルクは、礼を言われて驚く。戸惑っているうちに、ラヴィはサクサクと行動を開始した。
「お~い!お前ら、そろそろ起きろ~」
 テーブルに突っ伏していたり、その辺に寝転がっていた隊員たちから、えー嫌だぁと愚痴が飛ぶ。ラヴィは魔物最新情報いらないなら休んでてもいいぞとつぶやきながら、天幕を出て行った。その一言で、一気に雰囲気が変わった。寝ていた者たちは、ばね人形のように飛び起きて、それを先に言え!と言いながら、彼の後を追いかけて行く。
 マルクは何が起きたのか理解できず、ポカンとする。その背後で、ああなるほどねと声がして、振り返ればグイードがスケッチブックを眺めていた。
「班長に伝言!急がないと情報の鮮度落ちますよ!」
 そう言って、天幕を出て行く隊員たちの背中に叫ぶ。一人が振り返り、え~なんで!っと叫ぶと、グイードが誰をパシリにしたか思い出せ!と怒鳴った。それに対して、納得したとばかりに了解!と返事がかえり、爆発的な騒々しさが嘘のように、天幕の中は静かになった。
 何が起きたのか理解できないマルクの隣にグイードが座った。
「…隊長に行かせずに俺が行けばよかったなぁ」
 グイードはそう言いながら、スケッチブックを閉じた。
「どうした?飯食っていいんだぞ。マルク」
「え?あ…はい」
 マルクはとりあえず、食事を続けた。グイードが、面白れぇと笑いながらつぶやくと、マルクの手が止まる。
「だから…止まるなって…別にお前を非難してるわけじゃないからさ。むしろ、褒められてるんだから心配すんな」
 マルクは首を傾げつつ、サンドウィッチを口に運ぶ。
「褒められるようなことをした覚えがないって感じだな。お前」
「…はい」
 グイードはなるほどねと笑う。
「訓練校を出た奴は、基本的に地元採用になるけど…マルクはドラグーンに志願したか?」
「いえ…僕は成績が悪かったので、地元枠に入れませんでした。それに、祖母にできれば地元を離れるように遺言されていたので…」
「ん?成績って…もしかして、お前が通ってたところってクラスとかあった?」
「はい、成績順に一等クラスから五等クラスまでありました」
「うわぁ…そういうことかぁ。だから、ドナルドがギルを目の敵にしてたわけだ」
 
(どういう意味だろう?)

 マルクは今日はわからないことばかりだなと思った。
「ドナルドとは同じ学校だったよな」
「はい…クラスが違うので…配属が同じになるまで、顔も名前も知りませんでした」
「なるほどねぇ…フェルロー班長が頭抱えて当然だな。そんな十年も前に廃止された制度が生きてるとか、想像できねぇっつうの」
 グイードは楽しそうに笑っている。
「廃止?」
「うん。そう。警備隊にとって成績は重要じゃなんだよ。地元採用にしろ、他所からの配属にしろ…結局、現場が判断するんだ。使えるか、使えないかは…クラス制だと弊害しかないから」
「弊害ですか?」
「そ、成績が優秀だからと言って人材として優秀とは限らないし、配属先との相性もあるんだ。できるだけ、柔軟な考え方ができないと、この仕事は続かない。自分が優秀だと勘違いしてる奴ほど、すぐに辞めるか、人間関係で問題を起こすし、劣等感が強い奴も無理して体壊すか、その前に辞めちまうんでね。頭の柔らかいうちに自分の長所・短所を理解し、他人の長所・短所を受け入れる訓練の方が大事だから、クラス制は廃止されたわけ…」
 まさか、生き残ってるたぁねぇと、グイードが笑っていると、背後でぶっ潰すと小さな呟きが聞こえた。
「あ…フェルロー班長…」
「いつまでそこでサボる気かな?グイードさん?」
 グイードは、こりゃ失礼と言って、席を譲る。フェルローは長い手足を折り曲げて、グイードがあけた席に座る。
「夕食は依頼してきたから、搬入に回ってくださいね」
「了解…って、やっぱり?」
「うん、今日に限ってとめどなく…」
「そうっすか。でも、たぶん夕方には何とかケリがつくかもしれませんよ?」
「なんか情報あった?」
「マルクが頑張ってくれたので、奴らが復活する理由がわかりました」
「あらら~ラヴィがしこたま悩んだのに、半日で解決?」
 グイードがええと頷く。
「じゃあ、完膚なきまでに潰してもらおうかなぁ」
 フェルローは物騒なことを言いながら、幸せそうにサンドウィッチをほおばる。
「…ハサウェイ公爵領ですけど」
「公爵領だろうが、王家直轄だろうが関係ないよ。その程度のことで、邪魔なもん潰せなくてエヴァンズ家の跡継ぎが務まるわけないし…超端っこの血筋の俺でも、できそうだと思うことをアレが無視するとは思わないよ。邪魔なモノは、小さいうちに摘んでおくのがエヴァンズ一族の流儀」
「怖っ…俺の班長あんたじゃなくてよかったわぁ」
「そうか?諜報より策略のほうが、あんたには合う気がするけど」
「いやいや…俺こう見えて平和主義」
 どっちもどっちだろうと、また、背後で声がする。
「隊長にいわれたくないですよ」
「俺も」
「なんでよ?」
 二人は口をそろえて、あんたが一番腹黒いと言った。
「失礼な…まあ、クラス制が生きてるっぽいなぁってのは、なんとなくわかってたけどさ、言わなくても班長の誰かが気付くだろう。そこはさぁ」
「半年気づかなかった俺らが、馬鹿ですか?ひどいなぁ。警備隊での経験値が浅い俺たちに罪を着せるなんて…」
「フェル…人を罪人みたいに言うなよ。お前らのせいで俺、み~んなに白眼視されてんのに」
「白眼視?」
 なんのことだとフェルローは首を傾げる。グイードは笑いを噛み殺している。
「…気づいてないの?こいつら?」
 隊長が呆れたようにフェルローを指さすと、グイードはええと答えた。
「館の修繕に夢中でしたから、うちの班長もその辺は全然気がついてませんね」
 フェルローは、館の修繕と白眼視とつぶやきながら、考え込むが、さらに首を傾げるだけだった。

(この人たちは何の話をしているんだろう?)

 マルクはそんな疑問を抱きながらも、食事を済ませたのはいいが、その場から動くに動けない状態だ。背後で、隊長が深いため息を吐く。
「…その微妙な鈍さはなんなのよ?」
 チャームポイントでしょうねとグイードが笑いながら答えた。
「戦闘馬鹿の集団にそれ必要か?」
「必要だと思いますよ?俺らも一応人間ですから…欠点のない人間について行くのは難しいし、上司に愛すべき点がないのは悲劇でしょ?」
「そりゃそうだけどね…自分の部下が自分の上司に蹴り入れてることぐらい把握してほしいな。俺としては」
「蹴りの一つや二つで倒れるほど、まともな人間でしたっけ?」
「グイード…えぐい言い方すんねぇ」
「そうですか?…ああ、まあ、昔に比べれば人間になってきたなとは、思いますけど…」
「俺は化け物なの?」
「そうですね…だったかも。副長も最近、あんたが微妙に馬鹿になってるとは言ってましたけど…副長になんかしましたか?」
 隊長は不意に黙り込んだかと思うと、マルクの肩に手を置いた。
「さて、今日の功労者くんに、命令。お前はトラスト班長以外の言葉を真に受けないこと。特に後方支援の十班と情報処理の五班にはかかわるなよ。悪い大人の見本市だから」
 マルクは首を傾げる。
「あの…その命令だと隊長命令を無視することになりませんか?」
 グイードが思い切り大声で笑いだした。フェルローも思わず口を押えて笑いだす。隊長は、沈痛な表情で固まり、マルクの肩から手を離すと数歩後退る。マルクは、何を失敗したのかわからなくて戸惑った。
「さ、さすが…猛獣使い。素晴らしい一撃!トラスト先輩が俺たちに関わるなとか、絶対言わねぇし…」
「いやぁ…見事すぎる一撃だろ?むしろ、隊長には関わるなっていいそうだし…」
 フェルローとグイードは、腹を抱えて笑う。
「そうだった…あいつはそういう奴だった…」
 隊長は、頭を抱えて苦悩している。マルクは何が何だかさっぱりわからない。そのタイミングで、一班が天幕に戻ってくる。マルクが困った顔でおろおろしていると、古参の隊員が血相変えて飛んできた。
「何があった?」
 厳しい顔でそう言われて、マルクは隊長が出した命令と自分の答えについて話した。そして、何を失敗したのかわからないので困っていると言うと、彼はほっとした表情で問題ないと答えた。
「お前は何も悪くないし、失敗もしてないから。気にするな…単に、悪い大人が自滅したってだけだ」
 ポンポンと子供をあやすように、彼はマルクの頭を叩いた。
「そうでしょ?隊長」
「そうだよ…ガザの言う通り…俺たちが悪いの」
「え~悪いのは隊長。俺は無罪」
「俺も~」
 フェルローとグイードがそう主張するが、ガザはあんたらも同罪だと睨む。
「どうせ、うちの新人引き抜こうとして、なんかしたんだろ?」
 フェルローとグイードは、即答しないでそんなことしたっけとお互いを見てとぼける。
「ま、惚けたいならそれはそれで…ギルに一言いえばいいだけだがな…」
「それはちょっと勘弁して…俺、死にたくないです。ごめんなさい」
 フェルローがマルクとガザに頭を下げると、グイードもすまんっと手を合わせて謝った。隊長は、変わり身の早い二人に飽きれた顔をする。で?あんたは?とガザに聞かれて、隊長はそうだなぁと呟く。
「ま、ギルと一戦交えるのも面白そっ…」
 隊長は言葉の途中で、頭を抱えてしゃがみ込む。隊長の背後から、トラストがにこやかな顔で現れて、ギルへの報告は必要なしと言った。
「あんたは鉄拳一発で許すと?」
「ああ。一応な。隊長が墓穴掘るのは構わんが、自ら問題起こすような真似にギルを巻き込むのは、よくないだろ?」
「…正論だな」
 ガザは、そういうとその場を離れた。
「痛てぇよ…トラスト」
「自業自得。それより、報告があります。こちらの手法が変わったせいか、あちらさんは勢いがなくなりました。今、二班と四班が後処理に回ってますけど…このまま引き上げますか?それとも、何班か残しますか?」
「じゃあ、七班残して、あと撤収。日が落ちて異常がなければ、帰って来いって伝えとく」
「了解。マルク、帰るぞ」
 マルクは慌てて席を立った。マグカップと皿を片づけようとしたが、グイードが置いてけといいながら、スケッチブックを渡した。マルクはありがとうございますといって、頭を下げるとトラストを追いかけた。
 天幕の外に出ると、一班の隊員たちはすでに帰路についていた。マルクは慌ててトラストの隣にかけていくと、トラストは、お疲れさんと言ってくれる。マルクは疲れているというより、戸惑うことばかりだった。それが顔に出ていたのだろうか。トラストがどうしたと聞いてきた。
「いえ、その、戸惑うことがおおくて…」
 トラストは例えばと聞く。
「えっと…各班には何か役割が割り振られてるのかなとか…じゃあ、自分は一班にいて絵を描いているだけでいいのかなとか…正直、魔物と戦うには魔力も技量も全然たりないし…隊長や班長たちが話してることがさっぱりわからなくていいのかなとか…」
 トラストは、なるほどねとニヤニヤ笑った。
「ま、もともと、班に役割的なものはなかったんだ。俺が入隊したときは、日勤、夜勤、領内処理の仕事を交代制でやっててな。ただ、領内はあの通り、荒れてるし、領主は不在。その上、魔物の出没件数が増えていく。そんな状況で、人の入れ替わりが激しいし、新人は確保できても、それを育てる人間が減っていく…だから、隊長は隊の編成を変えたんだ。上には内緒でな」
 マルクは驚く。
「俺たちはここでは、班長という役付きにはなってるが、書類上、ただの平隊員だ。まあ、今は統括官が変わったから、班長職でも急な移動はないだろうが…前の統括官と今とさして差はないと隊長も副長も事務局長も思ってるみたいなんだ。ここの窮状は、十五年以上も前から訴えられていたらしいし、新しい統括官に変わっても変わらず訴えてはいたが、調査が必要だとか書類に不備があるとかで、なかなか国には実情が届かなかったそうだ。まあ、五年前に、事務局長が赴任してから、いろいろ裏工作はしてたみたいでさ。いつの間にか、ドラグーンは最悪の勤務先だと警備隊ではもっぱらの噂になったのさ」
「それだと、人材の確保どころじゃなくなりませんか?」
「いやいや、それがさ、血の気の多い奴は警備隊にごろごろしてるのさ。自分の腕をもっと活用できるところへ行きたい。ぬるい領内警備なんかに興味はねぇみたいな…だから、志願者は増えていった。まあ、それでも新人以外は厄介払いしたい奴を押し付けるように、送り込んでくるから志願者はほとんどドラグーンには移動できなかったらしい。どこの警備隊でも、血の気が多い奴の中には、それなりに実力も人徳もある奴が多いからさ。まわりは、簡単に手放さないってわけ…」
「じゃあ、人材は?」
 トラストは苦笑しながら、駄目だったと言った。
「長続きしないのさ。辞めちまうからな。ただ、ドラグーンにとっては、運がよかったと隊長は言ってたな」
「人手不足がですか?」
「いや、ここが過酷すぎるという噂が、俺たちを引っ張ったからだそうだ」
 俺たちとは当然班長達のことだということは、マルクにもわかる。だが、ドラグーンの現状は、悪化しているようにしか感じられない。
「もともと、ドラグーンは魔物の出没件数が他の領地より多いし、発生も規模も予想外なことが多い。だから、男子寮には百人は軽く入れるし、女子寮は救護院も兼ねていたから、他所とは規模が違う。今じゃ、半分もいないし、医療班もいなけりゃ、女子隊員も副長以外いないけどな。ここはもともとが危険地帯ではあったってわけだ。だから、ドラグーン勤めはそれなりに経験値の高い人間が自然と集まっていた。それが、この間、死んじまった伯爵殿が引っ掻き回したせいで、今みたいな状況ってわけだ。まあ、死んだ人間に何しやがったって言っても無駄だし、今はいい風が吹き始めた。そんなところだな」
「いい風というのは…ドラグーンの人たちにとってもですか?」
 マルクは事務局で働く少女たちや、坑道で細々と生活している人々を思う。トラストはすっと目を細めて微笑んだ。
「奇跡はこれから起こるのさ…ああ、そうそう、各班は役割分担してるわけじゃないんだ。ただ、今の班長たちの特性に合わせて、情報収集や後方支援、戦闘系とか適当に分類してるんだよ。隊長が。一応、一班は戦闘系ってことにはなってるけど、隊員の特性は、生かすのが俺らの基本ルールだからな。お前の、特性は集中力と観察眼、その画力だ。これからも、ばしばし使うから覚悟しとけよ。あと、ラビィは情報大好きな人間だから、何か気になることがあったら相談してみればいい。フェルローは…まあ、仲良くするなとは言わないがある程度の距離は、置いておいた方がいいかなぁ…あいつはエヴァンズ公爵家の超端っこの人間とはいえ、抜け目なく利用できるものは利用する。反対に邪魔なものは容赦なく潰すくらいの力はあるからなぁ。…ただ、あの人の影響を受けている以上、相当の理由がないかぎり、冷酷非道にはならんと俺は思ってるけどな」
 マルクは大体のことは理解できた。ただ、自分に対する評価は少し高すぎはしないかと不安になる。ちゃんと、その期待の応えることができるのかと。そして「あの人」とは誰だろうと思った。新しい管理者が来るという話を聞いた班長達は、なんだかとても楽しそうに領主の館の修繕に励んでいた。激務の中で…。

「あの人って…新しい領主様ですか?」とマルクは何気なくたずねた。
「…の奥様」
 トラストは、深いため息を吐くようにつぶやく。
「旦那の方も、成績優秀、品行方正な侯爵家の坊ちゃんで…まあ、どのくらいの力がある人物かは知らん」
 だが、次の瞬間、目を輝かせてトラストは話し始めた。
「とはいえ!あの人がご一緒されるからには、絶対に奇跡が起きる!俺はそう信じてるんだ。なにせ、国中に崇拝者がいる人だからな。先祖返りだとか抜きで…お前も会えばきっとわかるさ。あの人は、自分や他人を信じる力をくれる人だからな」
 トラストは、緩んだ笑顔でマルクの頭を撫でた。マルクは、そんなトラストの笑顔に驚きつつも、ふっと隊長の言葉を思い出す。
『…その微妙な鈍さは何なのよ』
 どうやら、班長達は周りが見えなくなるくらい、「あの人」という人に、特別な思いをそれぞれがもっているのかもしれない。マルクは、領民たちが班長達の行動に不信感を抱いていたことは、知っている。ドラグーンから多くのモノを奪いつくした貴族の館を、急に修繕しはじめて、あれこれと動き回っていた姿は、きっと、班長達は警備隊員といえども、所詮、貴族だったのだと失望させたかもしれない。ただ、警備隊からの支援が打ち切られたらと、恐怖したのだろう。誰も、班長達にはそんなそぶりは見せなかった。
 事実はまったく違ったけれど。
 少なくとも領民たちが考えているような意味で、班長達が動いたわけではないことは、今日のことでマルクは理解できた。そして、不法侵入者として坑道に住み着いているマリーと名乗った侍女のことを思い出す。

(あの人も…班長達と同じなのかな?)

 単身、敵地に乗り込むようなことをし、領民たちの心情を逆撫でて、何をしようというのだろう?その行動も「あの人」に繋がるものなのだろうか?
 マルクは、考えてもよくわからない。ただ、マリーが何かを見極めようとしているような気はした。トラストと話をしていた彼女からは、本気の敵意は感じなかったし、魔力の高さもトラストの説明でかなり高いこともわかった。だから、ドラグーンを亡ぼすという言葉も実行不可能には聞こえなかったし、あくまでも、主に害が及ぶならという条件に嘘はないと、マルクは思う。たぶん、トラストも彼女の真意が見えなくて困惑していたのだろうが、それは、館に行ってから、一晩で何かが解消されたようではある。
 マルクは、西に傾いて夕暮れを告げる太陽を、目の端に捕えながら、坑道の方に視線を動かす。緩やかに細い煙が上がり始めていた。どうやら、少女たちは定時に帰宅して、夕食の準備をしているようだ。

(なんだか、長いような短いような一日だったな)

 マルクがそんなことを思いながら、トラストの隣を歩いているとガザが道の途中にいた。
「どうした?」
 トラストが声をかけると、ガザは神妙な表情で少し引っかかることがあってなと答えた。その視線は、坑道の方をみている。
「なあ、あそこには千人の領民が住んでるはずだよな」
「ああ、それか…」
「なんだ?気がついてたのか?」
「まあ、なぁ。たぶん、隊長も事務局長もわかってると思うぜ」
 ガザは深いため息をつく。
「わかっていて、未だに千人分の物資の供給をやめてねぇのはどういう理由だと思う?」
「そうだな。俺には、そうすることでよそにいる領民が生き延びてる可能性が高いとは、思ってるんだがな。お前さんは?」
「俺も気がつき始めのころはそう思ってたがな。最近は、何かがおかしいんだよ」
「何かって?」
「よそに行ってた領民が、だんだん戻ってこなくなってる」
「それは、定住しはじめただけじゃないのか?」
「それなら、それで構わん。ただ、真実そうなら提供する物資の量を減らさないと、警備隊の人員確保も物資も回らなくなる気がするんだがな…」
 トラストは、確かになと頷き、しばらく考え込んだ。それから、今現在の警備隊の事情を口にした。
「千人分の物資は、ほぼ警備隊に入ってくる国費で賄ってるし、俺たちの給料はないからなぁ」
「ああ、それは別に後からでも請求してくれるだろう。事務局長は優秀だからな。それに魔物を退治して得られる副産物は、フェルロー班長経由でエヴァンズ公爵家の物になってんだろうが、いつまでそこから資金を調達できるかが、俺としては不安がある。別にフェルロー班長が信用できねぇってわけじゃないがな」
「その辺は、あまり心配はいらないと思うぞ。まだ、爵位はないとはいえ、あそこの跡取りはほぼほぼ公爵家の権力をがっちり握っているからな。現公爵殿は、南の領内で優雅な暮らしぶりだと聞く。まあ、事実かどうかは怪しいが」
 トラストはくすりと笑った。
「同期の人間性を信頼しすぎじゃないか、お前さんたちは…」
「そうかもしれないが、そうともいいきれんのさ。クロトア・エヴァンズは策に溺れるような馬鹿でもないし、情がないわけでもない。敵に回さなければな。今のところ、ドラグーンは彼の敵にはならない。むしろ、裏からここの警備隊に資金をまわすことで、それなりの利益はあるし、今後も大きな利益を得られると確信しているんじゃないかな。これからここにくる友人に貸しができるからな」
「リザーズ侯爵家の息子と縁があるのか?」
「ああ、学院で同じ生徒会役員だったし…何より、クロトアの嫁さんが俺たちと似た様なところがあるからなぁ。余程の被害が公爵家に出るようなことがないかぎり、何も心配はいらないさ」
「そうか。班長がそういうなら信じるさ」
 ガザはそう言って、歩き出す。トラストも何かを考えながら、黙って歩いた。マルクは二人の後をゆっくりと歩きながら、自分も抱いていた疑問に答えのようなものが見えてきた気がした。坑道に住む領民は千人と聞いていたが、当番小屋で彼らと関わるうちに、思っていたことがある。なんだか千人の人がいるようには思えないという、妙な感覚だ。ただ、もしかしたら、坑道ではなく、町のどこかで生活している人もいるのかもしれないと思っていたから、深くは考えなかった。だが、さっきの二人の会話を聞いていて、腑に落ちるものがある。隊で勉強をしながら仕事をしているのは三人の少女だけだし、坑道に物資を運んだり、領民からの要請で坑道に出入りしても、見かける顔ぶれはあまり変わらなかった。それはつまり、坑道にいるのはここから出て行けない事情がある人間だけなのだ。

(リンさんのお姉さんは、よそに行ったと聞いたけど…)

 定住しているのかどうかはわからない。マルクは、ちゃんと生活できていればいいなと思った。そして、いつかリンが姉と暮らせるようになればいいとも…。

 第一班が隊舎に戻ると、あたりはだいぶ暗くなっていた。マルクは風呂に入る前に、食堂でスケッチブックを開いて、書き忘れがないかと確認作業を始めた。どれくらい没頭していたのかわからないが、風呂上がりの隊員たちが食堂に集って食事を始めていた。
「マルク、風呂行って来いよ」
「もう全員戻ったぜ」
 何人かの隊員たちに、そう言われて慌てて風呂に行った。風呂にはほぼ誰もおらず、湯もだいぶ汚れていたが、マルクはいつも最後に入って、掃除をするので気にはならなかった。そして、いつもの癖で風呂上りに栓を抜いた。が、すぐに慌てて栓をした。お湯は、大して減ってはいなかったので、マルクはほっとした。まだ、ギルや領民たちが使うのだ。

(習慣には気を付けないと…)

 今日一日、あまりにいろいろありすぎたせいで少しぼうっとしていたようだと反省しつつ、風呂をでて食堂に戻った。そして、食堂にギルの姿がないことに気づく。何か手間取ることがあったのかなと考えつつ、足はギルがいる当番小屋に向いていた。

しおりを挟む

処理中です...