上 下
1 / 8
第一章 悩める大人たちの狂騒曲

プロローグ

しおりを挟む
 わたくし、ルーシェ・アリスベルガーは、無事に王立魔法学院を卒業いたしました。そして、婚約者であるクリストファー・リザーズ様に嫁ぎ、はや二年になります。相変わらず、社交の場が苦手なために、限られたお茶会にしか顔をださないひきこもり妻となっています。それでも、クリストファー様もリザーズ侯爵家の方々も、そんなわたくしを暖かく見守ってくれています…といいたいのですが、やはり、嫁という立場でひきこもりというのは、外聞が悪く、舅のガルム侯爵様からは、遠回しに『息子の将来が不安でならんな』と言われる日々。
 ですが、ご招待もされていないお茶会に出ることはできませんし、わたくしがお茶会を開いても、招待するのは学院時代に仲良くしてくださった方と決めています。だって、お茶会なんですから、楽しく女子トークに花を咲かせたいじゃありませんか!
 とはいえ、ガルム様の手前、そうもいかず、リザーズ家の執事であるラフィードさんのご指導の下、侯爵家とご縁のある方々やガルム様がお付き合いを広げていくうえで重要とお考えになっている方々のご令嬢に招待状をお送りいたします。概ねご出席くださるのですが、ご挨拶を交わした後は、こちらから近づいても、みなさま何故かそそくさと適当なお天気などの話で茶を濁し、速やかにお帰りになられます。
 学院時代のボッチスキルは、まだまだ健在のようですが、正直、助かっています。
「お嬢様…また眉間に皺がよっておりますよ」
「ごめんなさい。マリー…」
「わたくしに謝っても、お子ができるわけではございませんわ」
 マリーは苦笑しながら、わたくしの髪を梳いてくれます。彼女はわたくしが嫁ぐときに、一緒についてきてくれた有能な侍女です。三つ年上で、わたくしにとっては姉のような存在であり、クリストファー様にも負けないほどわたくしを甘やかすのが上手です。
「ガルム様の言葉など気にする必要はございません。お子は天からの授かりもの。それにまだまだ新婚のお二人ですもの。焦る必要などございませんよ」
「それはわかっているのだけれど…」
 たとえ義理の父であるといっても、男性から『まだ孕まぬのか』とあざ笑うように言われると、大変な侮辱と怒りを感じずにはいられません。
「ほらほら、そんな風にむくれていては、クリストファー様が心配されますよ。さあ、お嬢様お口をあけて」
「?」
「わたくしの実家から取り寄せたレモングラスのキャンディですわ。気分が落ち着きましてよ」
 そういって、マリーはわたくしの口の中に甘くて澄んだ香りのキャンディを放り込んでくれます。
(うはぁ…美味しすぎますぅ)
 こうしてわたくしの機嫌を、あっという間に治してしまうマリー。
「マリーがいてくれて本当にうれしいですわ」
「わたくしは一生お嬢様から離れる気はございませんから、ご安心くださいまし」
 マリーはわたくしをぎゅっと抱きしめて、いつもそう言ってくれるのでした。

 そんなある日のことでございます。
 国王陛下のご命令により、クリストファー様が、ルシフィール王国の北北東に位置する辺境の地『ドラグーン』に向かうことになったのです。それも、わたくしを必ず同伴させよとの厳命でした。
「陛下は我が家を断絶させるつもりか!」
「父上、言葉が過ぎます」
「何をいうか!『ドラグーン』など不毛の地。ああ、こんなことになるのなら、もっと金をばらまいてでも家格の高いところから嫁を貰うべきだった!商魂たくましい子爵家の娘などにするのではなかったわ!」
 クリストファー様が口を開きそうになったので、わたくしは袖を引いて首を横に振りました。クリストファー様は、小さくため息を吐くとわたくしを抱き寄せて、ガルム様の執務室を後になさいました。無言のままわたくしたちは夫婦の部屋へ戻りましたが、クリストファー様は悔しそうに噛んでいた唇から、ちいさくごめんという言葉をこぼされました。
「どうして謝ることがありますの?クリストファー様は何も悪くございませんわ」
 わたくしはぎゅっと抱き着いて、大好きな旦那様の背中を撫でます。わたくしのために、怒ってくださることがとても嬉しいから。
「でも、あんな暴言…」
 わたくしは、それ以上の言葉を必要としないので、自らの唇でクリストファー様のお口を塞ぎました。ちょっと血の味がするキスでしたが、とても幸せな気持ちになります。
「ルーシェ…」
「わたくしの実家が、商業が盛んな領地であることは事実ですし、わたくしは誰が何と言おうと領民たちを誇りに思っています。わたくしや両親がそれをきちんと理解していれば、それでいいのです。クリストファー様だって、みんなのことを『生き生きと楽しく働く、すばらしい人たちだねっ』て言って褒めてくださいましたわ。それで充分です」
「僕は自分が情けないよ」
「どうしてですの?」
「君をどんな害悪からも守りたいのに…」
「あら、いつも守っていただいてますわ。毎日、こうやってぎゅって抱きしめて甘やかしてくださるから、心が穏やかになって安心していられるんですもの」
 それにとわたくしはまっすぐクリストファー様を見上げていいました。
「ガルム様のご事情がどうであれ、わたくしにクリストファー様をくださったことに変わりはありません。そこだけは心から感謝していますわ」
 クリストファー様はようやく笑顔になってくださってわたくしはとても嬉しくなりました。
「ああ、僕の可愛いルーシェ。僕は陛下に感謝したいよ」
「どうしてですの?」
「だって、君を連れて行くということが絶対条件だから…。もし、単身で行って来いなんていわれてたなら、君をつれて行方をくらませることも辞さないよ」
 クリストファー様はいたずらっ子のように微笑んでいらっしゃるので、わたくしも国中を二人で逃避行するつもりになってお答えしました。
「大丈夫ですわ。わたくし、クリストファー様から離れる気なんてございませんもの。でも、きっとマリーもついてきてしまいますから、わたくしの実家に逃げ込むように手配をしてくれるでしょう」
「そうだね。君のマリーは有能だから」
「ええ、自慢の家族ですわ」
 クリストファー様は嬉しそうに、キスの雨を降らせます。
 ああ、わたくし、本当にしあわせ者ですわ。
 五歳でクリストファー様に出会ってから、前世の記憶を取り戻し、この世界が前世における乙女ゲームだと信じて悩み苦しみながらも、がんばって生きてきて本当によかったとしみじみ思っていると扉をたたいて、ラフィードさんがお湯の支度ができたことを伝えてくださいました。
 クリストファー様は、わかったと返事をすると、わたくしの耳元で今日はいっしょに入ろうねと甘く囁くのでした。

 それから、一週間は『ドラグーン』へ向かうための準備に追われました。マリーはそんな忙しい日々の中で、『ドラグーン』に関する詳細な情報を集めてまいりました。
「大変、治安が悪うございますわ」
 わたくしとクリストファー様にお茶を出しながら、マリーは仕入れた情報を詳らかに語ります。
「警備隊は常駐していますが、日々、魔物退治に追われていますから、領内の治安を守るための人員が不足しています。その結果、領民のほとんどが盗賊として近隣の領地を荒らしています。土地は不毛と言われるほど、やせており、これといった産業を興すための手立てもありません。領主であるはずのブランカ伯爵は、長年にわたり、王都暮らしを続けており、領地に帰ることも、管理することも怠り続け、昨年お亡くなりになりました。ブランカ伯爵家の跡継ぎであるバンダム様は、遺産を放棄し、奥方のご実家であるサリルナ侯爵家の領地の一部を管理しています」
 マリーはそこまで一気にしゃべると、ふっと深いため息を吐きました。そして、すぐにまた話し始めます。
「不毛の地ではありますけれど、魔物の出現は年に数回を数えるほどだったので、ブランカ伯爵が長年領地管理を怠っていても、警備隊がいれば十分だったそうですが、三年前から徐々に魔物の出現回数が増え、かつかつの暮らしをしていた領民たちは、逃げ出すか、近隣の領地を荒らす盗賊として生きるかを選ばざる得ない状況まで追い込まれてしまったそうです。警備隊からの報告と人員補充の依頼は、何度もあったようですが、国王の元に届いたのは、ほんの二か月前ということでしたわ」
 それとといって、マリーは一枚の紙をテーブルに置きました。そこには、王家の紋章の上に二本の剣が交差している図案があります。
「これは、なんですの?」
 どこかでみたような気もするのですけど、わたくしは思い出せませんでした。けれど、クリストファー様は、とても厳しいお顔で『グランジット』とつぶやかれます。マリーもどこか表情が硬いようなのですが…。
「質の悪いいたずらと流したい気分でございますが…どうお考えになられますか。旦那様」
「うん…マリーの言う通り、僕もそうであってほしいと思う。だが、魔物の出現が急激に増えている以上…見過ごすというわけには行かない。そう思うよ」
 わたくしは、二人の会話がよく理解できませんでしたので、とりあえず、テーブルの紙をじーっと見つめます。穴が開くほど図案を見つめましたが、見たような、見なかったような…全く思い出せません。
「…お嬢様。そんなに見つめていても答えはでません。ああ、わたくし、幻をみたのでしょうか?学院を首席でご卒業されたお嬢様の幻を!」
 マリーは大げさに嘆きます。ひどいですわ。幻ではございません。まあ、わたくし自身も未だに信じられない事実なのですが…。隣で吹き出すクリストファー様。
「…二人してひどいですわ。…わたくし、座学は苦手なのでがんばりましたのよ。その、首席というのは、確かに何かの手違いではと未だに思いますけど…」
「ごめん。ごめん。拗ねないで、ルーシェ」
 クリストファー様は、わたくしを抱き寄せて、頭をなでながら『グランジット』について教えてくださいました。

 『グランジット』。それは、ルシフィール王国建国百年目に起きた大規模な召喚術師たちの反乱でした。発端は酒に酔った貴族たちが、召喚術師たちが崇める『天使の子』と呼ばれていた少女を蹂躙し、殺害したという、とても忌まわしく悲しい事件だったそうです。召喚術についての文献は、この反乱によってすべて焼き捨てられ、現在、召喚術を受け継いだ者はいないと言われているそうですし、すでに事件発生から四百年は経っていますので、召喚術自体が失われた幻の術といっても過言ではないそうなのです。
 ただし、絶対にとも言い切れず、特に魔物の出現に関わりそうな場合は、慎重にならなくてはいけないとクリストファー様は、おっしゃいました。

「怖い?行くのが嫌になった?僕はルーシェが嫌だと言うなら、陛下に土下座してでも『ドラグーン』行をやめるよ?」
「それは、駄目ですわ!」
 わたくし、つい大声を出してしまいました。ごめんなさい。
「えっと…だって…新婚旅行だと思って…楽しみにしていますのに…」
 ああ、恥ずかしい!わかってます!わかってますわよ!王命なんですから、お仕事なのだということくらい!!
やっぱりって顔で見ないでください!マリー!!
「…旦那様にお願いがございますわ。可能でございましたら、わたくしマリーを先に『ドラグーン』に派遣してくださいませんでしょうか。現地の状況は自分の目で確かめとうございますし、できるだけお嬢様が満足するような旅程で『ドラグーン』入りしていただきたいのですけど」
「マリーはそれでいいのか?僕としてはとてもありがたい提案だけど」
「まあ、お嬢様のお世話ができないことは心苦しくもありますが、状況が予断を許しませんので、最終的な安全確認はわたくし自身で行いたいのです。ついでに、領主の館の大掃除も必要でしょうから」
「わかった。お願いするよ。ただし、君一人で行かせるわけにはいかない。ラフィードを同伴させてくれ」
 マリーの表情が一瞬で固まりましたわ。実は、歳が近いラフィードさんが、苦手なのです。それに彼の有能さはマリーに引けを取りません。
「わ、わかりましたわ。旦那様」
 ああ、マリーが滅多に見せない引きつり笑いをしています…。わたくし、ラフィードさんは親切・丁寧・信用第一が服を着ているような方だという印象があるのですが、マリーは違うようなのです。それでも、ここまで露骨に表情に出てしまうほど、マリーが苦手意識を持つなんて珍しいこともあるものです。

 そして、『ドラグーン』での新たな生活に向けてすべてが動き出したとき、その未来に待っているのがわたくしの早すぎる『死』だということなど、誰一人知る由もありませんでした。 


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】新しい我輩、はじめます。

コル
ファンタジー
 魔界を統一した魔王デイルワッツ、次に人間界を支配するために侵攻を開始する。  そんな時、人間界で「天使の剣を抜いたものが勇者となり魔王を討つべし」とお触れが出た。  これを聞いたデイルワッツは自分の魂と魔力を人間の体に移し、自ら剣の破壊と勇者を始末しようと儀式に紛れ込むがなかなか剣を抜けるものは出てこなかった。  見物人にも儀式参加となりデイルワッツの順番が回っきてしまう、逃げるに逃げれなくなってしまい仕方なく剣を掴んだ瞬間に魔力を吸われ剣に宿る精霊エリンが具現化し剣が抜けてしまった。  剣を抜いた事により勇者と認められ魔王討伐の命が下る……がその魔王は自分自身である。  自分が自分を討ちに行く謎の冒険記はじめます。 【完結済】 ・スケルトンでも愛してほしい![https://www.alphapolis.co.jp/novel/525653722/331309959] ・私が勇者を追いかける理由。[https://www.alphapolis.co.jp/novel/525653722/132420209]  ※この作品は「小説家になろう」さん、「カクヨム」さん、「ノベルアップ+」さんとのマルチ投稿です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

勘当された悪役令嬢は平民になって幸せに暮らしていたのになぜか人生をやり直しさせられる

千環
恋愛
 第三王子の婚約者であった侯爵令嬢アドリアーナだが、第三王子が想いを寄せる男爵令嬢を害した罪で婚約破棄を言い渡されたことによりスタングロム侯爵家から勘当され、平民アニーとして生きることとなった。  なんとか日々を過ごす内に12年の歳月が流れ、ある時出会った10歳年上の平民アレクと結ばれて、可愛い娘チェルシーを授かり、とても幸せに暮らしていたのだが……道に飛び出して馬車に轢かれそうになった娘を庇おうとしたアニーは気付けば6歳のアドリアーナに戻っていた。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、マリアは片田舎で遠いため、会ったことはなかった。でもある時、マリアは、妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは、結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

処理中です...