幻影の地球防衛隊

灘猿丸

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幻影の地球防衛隊

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「幻影の地球防衛隊
        ~ある少年が夢見た奇跡」


 21世紀初頭、世界に疫病が蔓延した。
 それまでの繁栄と自由を少しずつ失い始めた人類は、知らぬうちに心の劣化が始まっていた。それは閉塞感と盲信の世紀の訪れを暗示していたのかもしれなかった。


[第一幕 侵略]

 20××年、ある場所で戦争が勃発した。
 前世紀の二度にわたる世界大戦を経て、不戦を誓った人類だったが、急速な心の劣化が為政者の欲望の歯止めにヒビを入れていた。小さな民族動乱や、局部的な領土紛争はしばしばあったが、国家対国家の全面的な戦争はそれでもなかった。
 だがある日、大国Aが隣接国への侵攻を始めた。自分勝手な正義の名を高々と掲げた、「平和のための侵略」だった。為政者は人を殺すことを躊躇わず、自分の欲望だけを満足させようとしていた。
 世界はそれに驚きまた憎んだが、その侵略を阻む手段はなかった。
 他の世界の大国B、Cなどは核による最終戦争への恐れからか、直接対決を避けた。その間にも大国Aの欲望の侵略が止まることはなかった。
 世界が絶望して戦車に踏み殺される人々を無念の中で見ていた時、一つの奇跡が起こった。
 延々と続く侵攻する戦車の列に、天の一点から光の筋が走ったのだ。
 そして侵攻する戦車群は炎を挙げて破壊されていった。それは一箇所だけで起こったのではなく、侵攻する多くの地点で同時に起こった光景だった。
 戦場で起こったことなので、普通の人がその光景を目撃することはなかったが、侵略された国の兵士や侵攻したA国の兵士は、空に聖母の姿を見たと後に証言した。
 当然、侵攻国Aの政府は敵対陣営の攻撃と考えたが、その兆候はどこにも見えなかった。この時代、軍事行動は偵察機や監視衛星、レーダーによりすぐに察知される。だがどこにもその攻撃軍の姿は確認できなかった。
 そしてどこからともなく「直ちに戦闘行為を停止せよ。さもなくば攻撃を再開する」というメッセージが発せられていた。だがこのメッセージは誰にも注目されることなく、謀略かフェイクニュースの一つとして捉えられていた。


[第二幕 謎の閃光]

 不可解な攻撃への混乱から、一度侵略の足を止めたA国軍は侵攻を再開した。
 閃光の攻撃が再びA国軍を襲うことはなかったが、その代わりのように突如A国首都の政治施設すぐ側に、天から飛来物が突き刺さった。正体は何かわからなかったが、それは鈍く鈍色に輝く巨大な槍のように見えた。
 これは大変な事態だった。大国Aの防空体制は完璧で、誰の仕業にせよ未確認物体が首都中枢に落下することなどないはずだった。
 だが現実にそれは起こったのだった。
 大国Aはすぐさま、この犯人は大国B、Cの仕業であると発表した。勿論大国B、Cはそれを否定したが、大国Aは自らの行為を棚に上げて、これこそ侵略であると他国を責めた。そして大国B、Cに対して核兵器を含めた臨戦体制を取ることにした。心の劣化が招いた行動だったかもしれない。
 大国同士がそうした睨み合う状態なので、当然地球上の多くの紛争地域でも戦闘が活発になった。領土紛争がある地域では、このドサクサにというように大小の侵略行為が発生した。世界はまるで一触即発の第三次世界前夜の様相を見せようとしていた。
 一度おさまっていた天からの光の攻撃が、再び各地で起こった。それは前回よりも激しく、今度は徹底的に戦闘する全ての軍隊を殲滅していった。それは侵略する方も、侵略される方も関係なく、まるで戦闘や戦争自体を憎んでいるような苛烈さだった。
 その時、世界に対して再びメッセージが発せられた。それはどこから発せられたのかは不明なのだが、不思議と世界中の通信網に介入して同じメッセージを流した。
「直ちに全ての戦闘行為を停止せよ。停止せねば、各本国に対して戦場と同様の攻撃を行う。直ちに戦闘行為を停止せよ」
 何度もメセージは繰り返され、世界中の人々がどこかでそのメッセージを耳にすることになった。だが心の劣化した大国A、B、Cの為政者がこの言葉を信じることはなく、局地的な戦闘が継続された。
 すると再び、奇跡のような閃光の攻撃が世界各地で起こった。特に大国A、B、Cの関わる戦闘地域でそれが多かった。今回も空の一点から光の筋が走り、地上の戦闘部隊や空をゆく超音速の兵器を焼いていったのだった。
 再び世界は凍りつき、同時に敵対する大国の仕業ではないと認識した。
 ではいった誰の仕業なのか。今回も、攻撃された地域の空に聖母が現れたという目撃談が多数起こった。各国が隠していたこの異様な攻撃は、もう世界中が知ることになった。


[第三幕 地球防衛隊]

 世界にはこの攻撃の主は誰なのかという詮索と調査が渦巻いた。大国同士はとりあえずの停戦を申し合わせ、攻撃の犯人を探した。
 一番言われたのが宇宙からの介入説だった。風聞と噂は「地球を監視する宇宙の生命体が人類の戦争を見かねて、手を差し伸べた」というものだ。それに多くの尾鰭がついた。
 次に多かったのが「神」の御心が戦争を止めたというものだった。特に世界宗教と言われる一神教宗教を信じる世界でこの説が流れた。不思議と一神教ではない国々ではこの説は言われなかった。
 だが大国の為政者はもっと現実的だった。国家ではない何者かの組織的活動を考えた。そしてそのための調査を開始した。昨日まで戦っていた国同士だが、この調査には協力体制がとられていた。
 そうするうちに、第三のメッセージが世界を走った。
「我々は地球防隊である。我々は人類のみならず、地球に存在する全ての生命を守る者である。戦争は人類の行為の中でもっとも地球環境を壊し、人類のみならず全ての命の生存を危うくさせる。戦争で生み出される有害物質は通常の生存活動での発生の数千倍に及ぶ。我らはもはやこれを見過ごすことはできない。今後50年間、国家による全ての戦闘行為、侵略行為を禁止する。国家の交戦権は地球の名により一切認めない。これを破る国家に対しては、その軍事力の全てを消滅させる」
 そうメッセージを送った後、突如として大国B、Cと核兵器を持つ国々の首都中枢部に、大国Aに打ち込まれたのと同じ鈍く輝く巨大な槍が飛来して突き刺さった。
 各国は震撼した。大国Aと同じに全くこの槍を感知できなかった。地球上全ての防空体制がほぼ役に立っていないことが証明されたのだった。槍がもし核兵器なら、その国の首都は消滅していたのだ。
 この槍には、時限核兵器説や宇宙からの地球消滅兵器説などが囂しく言われたが、その正体は要としてわからなかった。
 ここに至って世界の人々は、「宇宙生命体説」や「神説」などの超常の説を信じざるを得なくなった。
 少なくとも地球防衛隊は、今の人類のレベルを遙かに超えたオーバーテクノロジー(超科学)を持った集団であることは確かだと認識された。新たに「タイムトラベル未来人介入説」が登場していた。


[第四幕 仮初の平和]

 各国はメッセージの内容から、まず環境団体を疑った。そしてしらみ潰しに探されたが、このような力を持つ団体は発見できなかった。
 次に疑われたのが前世界大戦後に隠れたD国の残党だった。前大戦終結から100年近いが、ロストテクノロジーがあるのではないかと、陰謀論の世界では語られていた。そのせいか南極や北極、あるいはヒマラヤの奥地まで各国の偵察機が捜索をし、また軍事衛星の目が世界中を隈無くなく見つめていた。
 結局こうした行為のために、戦争は停止されていた。「地球防衛隊」の力量がわからないので、おいそれと戦争を再開できなかった。
 本当に軍事力を消滅されては目も当てられないと各国は躊躇した。ブラフ(虚言)の可能性もあるが、どの大国も危険を犯すわけにはいかなかった。
 こうして突如として出現した地球防衛隊により、世界中の戦争行為が驚くほど鮮やかに停止していた。謎の勢力「地球防衛隊」の出現に、世界(特に軍事関係者)は身を縮めたといっていい。
 各国の情報機関は必死になって地球防衛隊を捜索した。それは正体不明の脅威を取り除くという以上に、地球防衛隊の持つオーバーテクノロジーを獲得しようとする欲望からだった。
 大国や各国の思惑とは別に、世界中の人々は地球防衛隊を支持する意見が大勢を占めていた。少なくとも地球防衛隊出現後は、戦争と環境破壊は停止していたのだ。世界の人々は素直にこの事実を喜んでいた。むしろ各国の為政者の精神が人々から離れていたといっていい。それはやはり心が劣化していたせいかもしれなかった。
 そうした時、各国の気象観測施設から不思議な現象が報告されるようになった。閃光の攻撃(世界の人々はそれを『聖母の慈光』と呼んだ)があった地点や地域において、さまざまな磁力線や重力波の異変があったと観測された。原因は不明だが空間がねじ曲がったといえるような現象だという。
 結局世界は人類以上の存在を確信せずにはいられなくなった。


[第五幕 図書館]

 それはある小国の病院の一室だった。
 その部屋にはもう何年にもなる入院生活を余儀なくされている少年がいた。少年がこの部屋を出るのは、死してからしかなかった。
 その部屋に一人の僧衣の男が入ってきた。どこの国の宗教かはわからないが、穏やかな表情の男だった。
 男は少年に心を鎮静させる方法を教えていた。それはどこかの神に頼るのではなく、自ら心を鎮め、死の恐怖を超える方法だという。男はそれを「KANSO(カンソー)」と呼んでいた。古の某国で生まれた、死を超える方法らしい。この方法で自ら死の先にある悟りを目指した僧もいたという。
 死から逃れられない少年は、この方法で死の恐怖から離脱しようとしていた。
「昨日は何をKANSOしていたんだい」と僧衣の男は少年に尋ねた。
 少年はただ「空」といった後、少し不思議そうな表情で「図書館」と付け加えた。少年はまだ本当の図書館に行ったことがなかったので、それが本当に図書館なのかどうかはわからなかった。
 そこには何人かの先客がいたという。
 男は少し不思議に思った。KANSOは自分の心を見つめ、心の眼で世界を眺望する方法である。だがそこに先客がいたという。少年の心が結ばない像はKANSO内には出現しないはずだった。
 興味を持った男は、少年にその図書館の話を求めた。少年の心に何か新たな変化が芽生えたのかもしれないと思った。
 少年は少し戸惑いながらも、嬉しそうに図書館のことを語り始めた。少年は生まれてから今まで、病院の外の世界を知らなかった。唯一の世界を眺める窓は、ベッド横に置かれた小さなテレビの画面だけだった。だから少年の知る光景は男もまた知る光景である。
 少年は生まれて初めて、自分だけが知る世界「図書館」の話を男に語り始めた。それは少年には新鮮な経験であり、また悦びに満ちた行為だった。
 少年がKANSOで見た図書館は不思議な場所らしく、世界のどことも通じており、またこの世界にある全ての知識がそこで垣間見えるという。図書館は現在だけでなく、過去にも未来にも通じており、過去の知識も未来の知識も見ることができたのだ。そうした知識を見るために、何人かの先客がそこにはいたらしい。
 男は少年の話を不思議に思ったが、昔聞いたある伝説に似ていると思った。それは男にKANSOを教えた男の師匠が語った話で、KANSOがあるチャンネルに同調すると全知の泉に辿り着くことができるという伝説だった。全知の泉が何を表すかは不明だが、泉に触れると過去から未来までの全ての理(ことわり)が理解できる場所らしい。
 古代の神話には知恵と生命の樹というものが語られているし、また近代の神智学では「アカシックレコード」と呼ばれる知識の集積概念が存在する。少年の見た図書館は、そうしたものに類似するのかもしれなかった。
 少年はそこで何人かの先客と話をしたらしい。そしてある本探しを頼まれた。それは「人の心を修復」する方法が書かれた本だといわれた。図書館のどこかにあるはずなのだが、それがなかなか見つからないと苦しそうに先客はいった。
 初めて他人に頼まれごとをした少年は、役にたとうと頑張った。しかし目的の本はなかなか見つからなかった。図書館にいた他の訪問者もその本探しに協力してくれた。
 皆一様に「早く見つけないと、人の心が壊れてしまう」と慄いていた。
 少年が「心が壊れるってどういうこと」と尋ねると、その人は天を指さした。
 そこには戦車に踏み潰される人々、剣や銃に殺される人々、ミサイルに破壊された瓦礫の街や、撒き散らされた有害物質に荒廃した大地が見えた。その光景は少年がつい最近、テレビの画面で見た戦争とそっくりだった。
「あの戦争が止められるの」と少年が尋ねると、その人は首を振った。
「今の戦争はすぐに止められないが、これから戦いを起こさないようにすることはできる」と答えた。
「人は心が劣化すると自分以外が見えなくなるんだよ。自分の隣にいる人、そのまた隣にいる人、その先にいる人たちとの繋がりが見えなくなる。そして世界には自分しか存在しなくなる。だから心を修復して他人が見えるようにするんだ。そうすれば隣の人もその先の人も、自分と繋がった人々が見え始め、無理に殺そうとはしなくなる。人は他人が見えないから殺すんだ」
 悲しそうにいって、その人は別の場所を探しに行った。
 少年も図書館の中を色々と探したが「心を修復する本」はなかなか発見できなかった。
 何度かその図書館を訪れるうちに、少年は別の本に出会ったらしい。
 それは「心を化現する本」だった。
 その本を持って本探しを頼んできた人に見せると、「心を修復する本」が見つかるまでこれで代用しようといって、他の何人かの訪問者と相談を始めた。
 やがて相談が纏まると、その本を少年に返しながらいった。
「知恵の本はそれを見つけた人にしか扱えない。これは君が使いなさい」と
 そして「ここにいる人たちは、皆この星をなんとか守りたと考える人たちだ。未来からも過去からも別の宇宙からも集まって、その方法を探している。私たちは自分のことを地球防衛隊と仮に呼んでいる。君もそれに加わってくれないか」といって、再び天に映された戦争を指さした。
「きっとこの時代が君を選んでここに寄越したのだろう。我々が心を修復する本を見つけるまで、この戦争を止めてはくれないか」
 少年は戦争が何なのかは本当の所わかっていなかった。ただあの光景は嫌だと思った。
 そして本を開いて本の知識を学んでいった。
 少年の語る内容を、ただ聞いていた僧衣の男は徐に尋ねた。
「世界が噂している聖母の慈光は、君がやったことなのかい」
 少年は首を横に振った。
「僕の読んだ本は、人の心を世界に化現する知恵の本だよ。あんな光は出せない。ただ困ったことにあの場にいた人々の心を純粋に具現化してしまった。あの場に存在した悪意や憎悪、それに欲望の心が閃光になって、持ち主自身を薙ぎ払ったんだよ。でも聖母を見た人もいるということは、心のどこかに聖母もいたんだと思う。憎悪も聖母も同じ人の心の中に棲んでいたんだね。僕はあの空に人の心を映し出す鏡を作っただけなんだ」
 少年は少ししょんぼりとしていた。少年の言葉を信じるなら「聖母の慈光」は我が身を滅ぼす悪意と憎悪の光だということだ。
 男は不思議に思って、あることを少年に尋ねてみた。
 「なぜ戦場の空に心を映す鏡を作ったんだい。侵略するA国首都の空に鏡を作れば、もっと効果が早かったんじゃないのかい」
  男の言葉に、少年は悲しそうに、いやむしろ皮肉な表情で首を振った。
「そうすれが早かったのかもしれないけど……今はしなくて良かったと思ってる。だってきっとA国の空に心を化現する鏡を出現させていたら、A国中が自分の持つ悪意と憎悪の閃光に焼き尽されていただろうからね。それは大国BやCでも同じだろうけど。図書館の人たちは、戦争が止まればいいといっていた。おとぎ話のソドムとゴモラのように、国まで滅ぼす必要はないと思うよ。僕は残酷な神様じゃないからね」
 少年は自分のしたことが正しかったのかどうかを、あまり考えたくはないようだった。
 だが戦場とはいえ、自らの悪意と憎悪の光に撃たれた各国は、結局戦争を停止させている。図書館にいたという「地球防衛隊」の人々の思いは、実現されたのだった。
 そしてあの人々は今も図書館で「人の心を修復する本」を探しているのだという。
 だが男は、少年のこの話を子供が夢見る空想の物語だと思った。現実に起こっている戦争の事実を取り込んだ夢物語ではないのかと。KANSOという心のメッソドが描かせた白昼夢だと思った。


[第六幕 夢の証]

 それから少し時間がたった頃、男は病院から連絡をもらった。少年の病状が思わしくなく、もう駄目かもしれないという。男は少年の病室を訪れ、最後の別れをしようと思った。
 少年に悟られないように、男は明るく病室に入っていった。少年は口と鼻に酸素吸入器を装着され、腕や首筋にいく本ものチューブが刺されていた。眠っているようだったので、ベット傍の椅子で少年が目覚めるのを待つことにした。
 朱い西陽が少年の青白い顔を死化粧するように照らした時、ふいに少年が目を開けた。
「先生、来てくれたんだね、よかったよ。最後に話したいことがあったから」
 男は優しく微笑みながら少年の手を握った。もうかける言葉が思い浮かばなかった。何を語っても、それは空々しい言葉に思えた。
 だが少年は自分で口の酸素マスクを外すと、少し息くるしそうに話し始めた。
「図書館の人たちが、やっと人の心を修復する本を見つけたんだよ。よかったよ、これで僕が死んで心の鏡が空からなくなっても、戦争は起こらなくなる」
 そう嬉しそうに少年は語った。男は少し驚いていた。死を前にして、まだあの夢物語の話をするのかと思った。
「それはよかったな。戦争が終わったら、君も早く元気になって外に出てみないか。春ももう近い、空気が気持ちいいぞ」
 だが少年は首を振って、少し笑いながら男の顔をマジマジとみた。
「嫌だな、先生はもうすぐ僕が死ぬことを知っているのに、そんなことを言うなんて。僕が先生を好きなのは、先生が決して嘘やその場だけの慰めを言わなかったからだよ。いつも現実と向き合わせてくれた。だから先生のKANSOを僕は信じられた。僕はね、先生への最後のお礼に、教えてくれたKANSOの成果を伝えたかったんだ」
 男を見る少年の眼差しがまるで年老いた賢者のように思えた。少なくとも何かを悟ったような表情だった。
「先生は信じてないのかもしれないけど、図書館は本当にあるよ。僕は何度も図書館に行って、あそこの人たちと本を探して、そして語り合ったんだ。心を修復する本はね、結局悪意と憎悪を拡散する本と一対になってあったんだよ。だからなかなか見つからなかった。それに心を修復する本は、心を作り替える方法じゃなくて、心を壊し劣化させる悪意や憎悪、欲望の渇きを心から取り除く方法だったんだ。もうそれは図書館の人たちによって世界中で実行されているよ」
 そこまで話すと少年は息苦しそうに何度か喉を詰らせた。男が話をやめさせようとすると、少年は男の静止を跳ね除けた。これまでにない少年の初めての行動だった。
「先生ごめんね、でも本当にもう僕には時間がないんだ。だから結論だけを言うね。世界の国々の首都に刺さった謎の槍を覚えてる?   あれこそが人の心から悪意や欲望を取り除く槍なんだよ。みんなが言うような時限核爆弾でもないし、宇宙の秘密兵器でもない。あの槍は最も悪意と欲望が渦巻く地に突き刺さって、そこの悪意や憎悪、欲望を吸い取って浄化してるんだよ。図書館の人たちが『心を修復する本』を読んで、世界中にあの浄化の槍を降らせたんだ。そして心の浄化が終われば、槍は自然に崩壊していくっていってたよ。だから全ての槍が同時に崩壊するわけではないんだ。悪意と欲望が深く根ざしている地の槍はそれだけ時間もかかる。僕は槍が崩壊する光景が見られないことだけが残念だよ」
 そういうと少年はやっと目閉じて、苦しそうな息をした。
「でも悔いはないよ。この世界に生まれた役目を果たせたからね。全部先生にKANSOを教えてもらったおかげだよ。僕は図書館で自分の本も見たんだ。そこには僕の命は今日までで終りと書いてあった」
 少年が突如、瘧のように体を震わせ始めた。男は急いでベットサイドの呼び出しブザーで医者を呼んだ。駆け込んできた医者は、瞳孔や心音を確認しながら、男に病室の外に出るようにいった。男が部屋を出ようとした時、激しく痙攣する少年が叫んだ。
「先生、槍……見て。代わりに」
 やがて少年は痙攣を停止した。
 医者が腕時計を確認して、誰にいうでもなく死亡時刻を虚空に告げた。

 それから何年が経ったのだろうか。僧衣の男も随分と年老いていた。
 世界の首都に刺さった槍は、まだ一つも崩壊してはいなかった。だが、世界の戦乱はこの長い時間、不思議と停止したままである。それは地球防衛隊の幻影に各国が今だに囚われていたからだった。
 槍の調査も長い間続けられていた。
 槍は今の科学では一切傷つけることも破壊することもできなかった。またその組成もわからなかった。最近ある調査結果が出たらしい。それによると槍は一種のエネルギー集約体ではないのかということだった。人類は集約化(または物質化)したエネルギーの形態をまだ知らなかった。
 最初に大国Aに槍が突き刺さってから50年が過ぎていた。世界の最も辺境に刺さっていた槍が、ある日忽然と失われた。誰かが槍の崩壊する場面を見たわけではないが、そこに50年間あったはずの槍がなくなっていた。
 そういえば地球防衛隊は50年間戦争行為を禁止するといっていた。その50年が経ち、首都を制圧していた槍も消え失せた。地球防衛隊の頸木からやっと解放されたのだとその国の人々は思い、喜んだ。だからといって戦争を口にする者は誰もいなかった。
 しかしその他の国々、特に大国A、B、Cの槍はまだ消えてはいなかった。地球上の戦争停止の頸木はもうしばらく続くようだった。

「これが50年前に私が体験したことです。少年の語ったことが本当かどうかは、今だに私には分かりませんが、50年が経ってやっと槍が一本崩壊しました。この点だけは少年の語った話が本当だと証明されたことになると思います」
 老人はそう呟くと、眠そうに目を閉じた。
「老師ご自身はその図書館に行かれたことはないのですか」
 老人の前に居並んでいる一人が尋ねた。
「ええ、何度もKANSOをしましたが、図書館への道は開かれませんでした。私にはそこに行く役目がなかったのでしょう」
 老人はそう自嘲気味に答えた。居並ぶ人の一番端にいた若い男が、遠慮気味に尋ねた。
「ではこの地にある槍がまだ崩壊しないのは、この国にはまだまだ悪意や憎悪、欲望が渦巻いているからだ、ということですか」
 少し悔しそうな響きがその声にあった。
 老人は知らなかったが、その若い男は先日の選挙で選ばれたばかりの大国Aの新しい為政者だった。50年前に戦争を始めた為政者から何代目かになる。この若い為政者は、50年前の侵略戦争を知らない世代だった。
 どこでどう調べたのか、大国Aはこの老人の50年前の体験に注目した。そして老人を槍が突き刺さる地のすぐ隣にあるこの官邸に呼んで、話を聞いていたのだった。
 老人は慰めるように、若い為政者に告げた。
「この国だけではありません、他の国の槍もまだ多くが残っているのです。人類はそうそう容易く悪意や憎悪を捨てられないということでしょう。だが50年を経て、戦争を知らない世代が地球の大多数になれば、槍もじきに消えるかもしれません。少なくとも50年もの間、戦乱のない時代など、人類の歴史は経験したことがないのですから。これは奇跡のような時間です。それだけでも新しい時代が来たといえるでしょう。私も死んだ後、少年に良い報告ができるというものです」
 話疲れたのか、老人はその場でコクリコクリと船を漕ぎ始めた。それを見た若い為政者は、部下に老人を下がらせるようにいった。
 老人が席を立って控室に下がると、若い為政者は居並ぶA国幹部に告げた。
「とにかくKANSOの可能な者を探し出して、図書館への道を開くのだ。そこには人類がまだ手にしていないメッソドが眠っているはずだ。それをなんとしても獲得するのだ。戦争とは異なる方法で、我がA国が世界を統べることができるかもしれぬ」
 静かに呟くと、若い為政者は窓の外の槍を憎々しげに見た。あの槍を排除する方法を図書館で見つけ出してやると誓った。
 だがその考えこそが、この地の槍の崩壊を未だに押し留めているということに、若い為政者は気が付いてはいなかった。
 その若い為政者の顔は、かつて侵略戦争を開始した50年前のA国の為政者によく似た表情をしていた。

(終幕)
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