【完結】狐と残火

藤林 緑

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山茶花

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「もう、何日燃えている?」
「六日目だな」
 国中を巻き込んだ大戦が終わりを告げ三年。積み重なった死体の山や戦場の武具を喰らうように大空から星怪が地に降り立った。図体一つで国を覆い隠すほどの体躯を持ち、真っ白い身体から六本の腕を伸ばし、地を這うように国を潰し周っていた。仏のような顔で城を覗き込んでは何かを求めて町を千切り、人を喰っていた。
「しかしまぁ、不思議なものだな」
「まさか天災と思ったあれが燃え尽きるとは……」
 冬の日、星怪はある国境の山を越えようとした時、腕の一本が燃え始めた。ゆっくり火の手を伸ばし、やがて全身へと燃え広がった。最初こそ苦しむような素振りを見せ、山をのたうち回った星怪であるが徐々に動きが緩慢になり、二日経つ頃には既に腕の一部が灰となり動かなくなっていた。


「……」
 燃える星怪の足元で、狐面の忍が胡坐をかいていた。小太刀を抱いたそれは、目の前の灰を手に取っては風に揺蕩わせ遊んでいた。灰は風に乗り、雪へと消えた。ふと、足音がした。
「やっと見つけたぞ」
「ん?」
「覚えてるよな?」
 狐面は振り向く。そこには酷く汚れた忍装束を着た男が立っていた。狐面は首を傾げると、一言呟いた。
「誰?」
「……おい」
「ふふ、冗談」
 狐の面が仄かに上下に揺れた。目の前の男の腰に結わえ付けられた鎖鎌。そして、昔握った事のある鞘と刀。少し幼いような容姿。覚えのある喋り方。
「声、少し低くなった?仁之助」
「焔、ようやく追い付いた」
 焔と呼ばれた女は狐の面を外す。右頬に傷のある女であった。赤毛を揺らした彼女はくすくすと笑った。仁之助は呆れたような顔で腰に手を当てた。
「また、派手にやったな」
「うん、今までで一番の大物だった」
「それのお陰で見つけられたから……まぁ、良しとするか」
 仁之助は焔の隣にどかっと腰を下ろすと、一息吐いた。
「今まで何やってた」
「知っているでしょう。妖怪の薬を焼いて歩いてちた。それを使った人も、それで儲けようとした人も例外無く焼いた。勿論、妖怪も。妖怪は減ったけど、星怪は変わらず居るから、ずっと戦ってた」
 答える焔は心底つまらなそうに頭を掻いた。
「色々な村の人を守る為に戦ってる間に、火狐の噂が大きくなったみたいで、今度は私が化物みたいな扱いになっちゃったけど」
 焔は鍛冶手袋に包まれた手をくるくると回す。灰と火の粉が踊った。
「まぁ化物、その通りだよ」
「火狐。……鳴き谷も、その炎で焼いたのか」
「そう。火狐は妖怪、星怪、何一つ例外無く殺し、燃やし尽くす。……知ってたんだね、彼処が妖怪の墓場だってこと」
 焔は仁之助の方を見る。彼は困ったように頭を掻いていた。
「仁之助のお父さんも、燃やしてしまった」
「……知ってる」
「ごめん。一刻も早く、里を去りたかったから。去るべき人間になっていたから」
 仁之助は横に首を振った。
 焔は胸を痛める。何故、彼はここまで優しいのだろうか。眼の前に殺すべき、祖父と父の仇が座っているというのに。
「……それでさ」
「わかってる。殺しに来たんでしょ」
 焔は自身の首に人差し指を当てた。指先が喉を滑る。彼女の目線は仁之助の携えた刀に注がれていた。
「約束を果たして。例外無く、私も殺されるべきだから」
「……それなんだけど」
 仁之助は腕組みをする。
「俺は、君を殺さない」
「……何言ってんの」
 仁之助は再び頭を掻いて、背中を丸める。くぐもった声が続ける。
「俺は、殺さない」
「……意気地なし」
「そうだよ」
 焔の叱責に、仁之助は肯定する。彼は歯噛みした。
「あの時、俺が焔を庇えるほど、強かったなら」
「何を」
「里の皆を説得出来ていたら、と思い続けてた」
 仁之助の眼は真っ直ぐ、前を見つめていた。自身の瞳の色とは違う、焔は思った。
 仁之助は視線を感じて向き直る。
「……昔の話だよ」
「そうだな……。だが、済まない」
 仁之助は頭を下げる。焔は眉間に皺を寄せた。きっと、彼も祖父と同じように自身による呵責に苛まれるのだろう。
 しかし、彼女が欲しかったのは謝罪の言葉でもなく、ただ一刀のもとに斬り伏せて欲しかったのだ。
「早く、終わらせよう」
「駄目だ」
「なら、いつなら良いのさ」
「……俺が強くなるまで」
 焔は頬を膨らませた。耐え切れず、吹き出した。笑い声が漏れ出る。
「馬鹿だよ、仁之助。そうやって、私が病か何かで死ぬのを待とうって魂胆なんだろう」
「違う。殺されて終わりなんて、君に望んで欲しくないだけだ」
「……どういう意味?」
「死ねない、殺されたくない。そう思ってる奴を殺すからこそ、復讐は成り立つんだ。今の君を殺しても、なんの意味も持たない。そんなのは逃げ切りと同じだ」
 焔は目を丸くする。仁之助に返す言葉がなかった。
「鬼への復讐を終えて、何を目的に生きて来た?」
「妖怪や星怪を殺して、皆を守る為に」
 淡々と告げる。
「……それは、誰の思いだ?」
 焔は首肯しようとして、固まった。先程の言葉もそうだ。勝手に口から出てきたようなものだ。それらに、私の、私だけの思いがあっただろうか。
 仁之助は焔の両肩に手を置いた。
「結局、焔は他人の生を生きていたんだ」
 物心つく頃には復讐の為に修行に明け暮れ、復讐を終えた後も民の為に戦った。常に誰かの為に生きていた。自身という存在は、ただの意思の受け皿でしかなかった。
「そして、生きる意味の次は、死ぬ意味を俺という他人に委ねようってわけだ。そんなの、俺は許さない。焔の一生が、それで終わるなんてのは許さない」
 仁之助の手の力が強くなる。
「道理で言えば、君は俺に殺されるべきなんだろう。でも、俺は君を許す。君自身が許せない自分を、俺が代わりに許す。俺の答えを覆そうとは言わないな?もう、他人に行き方を縛られるのは辞めろ」
 仁之助は手の力を緩め、笑った。
「それに、この刀で君を斬ったら……」
「鉄爺が化けて出るだろうね。ふ、……お見事。はは、まさか、仁之助に言い負かされる時が来るなんて」
 焔の口元が歪み、一筋の涙が頬を伝う。
「……俺達は、きっと、焦り過ぎたんだ。目標やら復讐やら、それに追い掛けられて。長い時間を経たけれど、まだ考える時間が必要なんだ。こうして、ようやく出会ってもなお、必要だと、欲しいと思えるくらいには」
 仁之助は一途を撫でた。誰かの力を借りるよう、声を振り絞る。
「頼む。もう少しだけ、俺と生きてくれ」
 焔は狐の面を、鍛冶手袋で握り締めていた。
 仁之助は、焔の義務、使命、生き様。それら全てを理解し、許容という形で受け止めた。真の意味で、焔の生き方を奪い、虚空へ落とした。それは、彼女を殺す事と同義である。
「仁之助。貴方は私の生きる意味も、死ぬ術も、今ここで全部奪ってくれました。私という者を、殺してくれました。……死ぬことよりも、時間が欲しいと、一瞬、思えてしまいました」
 焔は両手を地につけ、蹲った。仁之助は側に寄り添った。
「ありがとう……」
「どうしたい?」
「少しだけ、泣きたい。泣いたら、落ち着くと思うから」
 それが、空の彼女の願いであった。
 
 橙色の木漏れ日が星怪の遺骸を照らす。燃え残りの灰が雪に混ざる。
「寒くなってきた、そろそろ行こう」
「……何処に?」
 立ち上がる仁之助に焔は問い掛けたが、彼の視線に彼女は目を泳がせた。仁之助は、焔の願望を待っている。しばらく唸った後、怖ず怖ずと小さな声を漏らした。
「御墓参り、行く」
「わかった」
「……遠いけど、来る?」
「おう」
 焔と仁之助は歩き始めた。彼女達が居る国は、芹国であった場所から遠く西の方角であった。
「仁之助」
「ん?」
「いつか、私が死にたくない程に幸せになった時。その時は、殺してください」
「……それなら、引き受ける」
「今度こそ、約束」
 二人は手を握り合い、雪山の奥に声は遠ざかる。
 雪の積もった山茶花を、熱の残った灰が包んでいた。
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みんなの感想(1件)

A.N.
2024.03.17 A.N.
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