【完結】狐と残火

藤林 緑

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宿敵邂逅

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 涙が乾く頃には、辺りの火は燻りつつあった。二人は残された残骸の軒先で身を潜めていた。
「落ち着いた?」
「……わざと泣かせたくせに」
 不貞腐れた焔に仁之助は失敗したとばかりに苦笑いした。
「悪かったよ、でも、すっきりしないか?」
「……さっきよりマシ」
 焔の頭の中は澄んでいた。物事を良く考えられるようになった気がする。これから、自身が何をすべきか。落ち着いて考えてみよう。そう思った。
「疲れたね」
「そうだな」
 そろそろ、と焔が唇を動かそうとした時。低い音が響いた。
「雷?」
「でも、光ってない。雨雲も見えない」
 再び、轟音。今度は建物が崩れる音に近い。そして泣き声。男性の低声だった。
「何かおかしくないか」
「……この声は」
「ウオオオオオッ!!」
 三度目、今度ははっきりと聞こえた。叫び声だ。雷鳴のような唸り声。焔はそれに近いものを覚えている。近場の長屋が砕け崩れる。その後方から見えた眼は青く光っていた。
「アカゲノォ!!」
「……もう、人じゃあない」
「あれ、知ってるのか」
 大人二人程の体躯。着ていたと思われる鎧は不格好にひしゃげ、身体に纏わり付く。犬のように四脚のまま、此方を睨みつけている。黒い鋼の肌を持った妖怪。薺国将軍、一道。で、あった者。鋼鉄と化した皮膚は光沢を放つ。その光が揺れた。
「シノビッ!!シイィノォビィー!!」
 雑音混じりの叫びが耳を劈く。脚が竦み、身動きの取れなくなった二人に大腕が迫った。
「くっ……」
 衝撃に備える。しかし、鋼鉄の妖怪の姿は突然に消えた。次いで、轟音。木の破片、土塊が舞い上がった。
「な、なんだ!?」
 仁之助と焔は走り去り距離を取る。鋼鉄の妖怪は土砂の上を転げ回っており、右腕を庇っている。その腕の先からは真白い骨が露出している。
「吹き飛ばされたのか?」
「……っ!!」
 ぎょろりと鋼鉄の妖怪の眼が動く。視線の先には大男。着流しを羽織った青白い肌。覗く腕と脚は太く、体幹の鍛えられた肉体。そして銀髪と一本角。
「くく、かかか、久方振りよな。娘よ」
「鬼……ッ!!」
 焔は歯を食いしばる。忘れるものか、一時も忘れられたものか。奴の腰に収まった刀を知っている。奴の所業を知っている。自身に生き方を教えてくれた恩師を惨殺した、あの化物を知っている。
「貴様ッ!!」
「ふむ、面白いものを見かけて寄ってみたが。ここで出会うとはな」
 既に鬼の視線は焔から外れている。鋼鉄の妖怪が巨躯を立て直し、二人へと突進を始めていた。
「ぬん!!」
「なっ……何故、庇う!!」
 鬼は意外にも焔の前へ立ちはだかり、鋼鉄の妖怪の身体を受け止めた。
「くははっ、お主に御執心だぞ。此奴」
 鬼は嘸かし愉快そうに喉を鳴らした。鋼鉄の妖怪は鬼に喰らいつきつつも、焔から目を離さなかった。
「ん?何をした?此奴に何をしでかしたか、言うてみい?」
「……死んだ家来ごと城の天守から叩き落した」
 鬼は面食らい、黙った。その後。
「がーっはっはっは!!見事!!その豪胆さたるや、良し!!」
「黙れ!!お前に言われたとて嬉しくもなんともない!!」
「くく、かか、そうかそうか。そこまでしたか。だがな、それでも死ねんのよな。ぬえい!!」
 突然、鬼の手刀が鋼鉄の妖怪の胸に突き込まれる。傷口からは紅の液体が垂れ落ちる。
「こう、されようと!!」
 鬼は身体から臓腑引き摺り出し、捻り上げた。鋼鉄の妖怪は口からごぼりと鮮血を漏らす。ねじ曲がった首と肩が乱暴に掴まれた。
「こう、なろうとな!!」
 まるで障子紙のように妖怪の肩口が裂ける。椎体と肩甲骨がひん剥かれ、鎖骨は木片のようにささくれだって折れた。それでもなお。
「ぐおおおっ!!」
 鋼鉄の妖怪は死なない。少しずつだが、傷は塞がりつつある。人の域を超えてしまったものは人として死ぬ事は出来ない。頭領の言葉を焔は思い出した。青褪めた顔をする忍達を鬼は嘲る。
「しかぁし!!殺す手立てはある!!」
 鬼は前蹴りを妖怪にくれてやると、刀を抜いた。群青の刀身が燻る炎に揺らめいて目に映る。
「一途、といったなぁ」
 焔の育て親を殺し、奪った刀が鬼の手に握られた。その刀身は、するりと軌跡を描いて鋼鉄の妖怪の首を落とした。
「ぐ、は」
 それが鋼鉄の妖怪、一道の最期であった。一道は、妖怪として死んだのだ。
「この刀は妖怪を殺す力を持っているそうな。……さて、何故にわざわざ打たれたのだろうな?この刀は」
 鬼はわざとらしく焔と仁之助に問い掛ける。
「何を言っている!!私達は既に妖怪を殺している!!」
 焔が一歩踏み出す。鬼は一笑する。
「まさか、本気で言っているのか?」
「何が……!?」
「ふふふ、そうかそうか。ならば聞こう。首を狙うよう、言われなかったか」
 正しく、鬼の言う通りであった。妖怪と正対した際、先ず狙うは首だと。忍の訓練の中で教わった。鬼は焔達の表情から答えを読み取り、続けた。
「首を斬り落とされたとて、妖怪は生きている。真の意味で死んではいない。瞬きはするし、声も聞いている。それに、喋ろうとする。呻きが煩いから、首を落とせと、喉を潰せと教わるのだ」
「……まさか」
 仁之助の唇が震えた。
「妖怪になった人間なんぞ、そんなもんよ」
「貴様ァァァッ!!」
 鬼がそう吐き捨てた瞬間、仁之助が駆けた。仁之助の鎖鎌と群青の刀が衝突し、火花が散る。
「くく、かか、何を熱くなっている?」
「許さねぇ!!その刀を、返せ!!」
「刀、ではないだろう?その怒りようは……」
「だ、まれ!!」
 仁之助は鎌に力を入れる。その様子を鬼は鼻で笑った。
「まぁ良い、ならば」
 群青の刀身に鎖鎌が滑る。鎌の一撃をいなされた仁之助は返す刃を鬼に向ける。しかし、それは仮初のの行為。本質は鎖分銅。刃を囮にした不意打ち、分銅で鬼の顎を砕き、脳を揺らしにかかった。
「ならばぁっ!!」
「なっ!?」
 全て読まれていた。鬼の手には既に分銅が握られている。鬼は鎖を引き、仁之助の身体を宙へ舞い上げた。
「この実力差を!!」
 仁之助は鎖鎌から手を離さなかった。乱暴に地面へ彼の身体が叩き付けられる。
「埋めて!!」
「がっ!!」
 何度となく。
「来るが良い!!」
 叩き付けられた身体が、再び引き寄せられた。腹部に拳がめり込む。仁之助は吹き飛ばされ、家屋の木材に頭から突っ込んだ。
「ば、馬鹿に、しやがって……」
 仁之助は手を伸ばした。その手から力が失われ、重力に引かれて落ちる。鬼は群青の刀のを背面に回した。
「……っ!!」
「くくっ、ふははっ」
 鬼の背面には焔の刃が迫っていた。鬼は片手で刀身を弾く。焔は後方へ飛び退き姿勢を低くする。
「不意打ちとは」
「気に障ったか!!」
「いや、それだ。それが気に入ったのだ。その目的に向かい、愚直に、確実に、手を汚してでも奪い取るような、その力強さが気に入った。だからあの時、殺さんでおいたのだ」
「貴様に気に入られようが!!」
「……そうだろうなぁ!!」
 焔と鬼が正対する。鬼は刀を納めた。
「なんのつもりだ」
「それで、俺を殺してどうする?」
「刀を返してもらう!!」
 焔は顔を顰め、舌打ちで返答する。当然とばかりに。
「何を言いたい!!」
「いや、俺の目的を知らず死ぬのもなんだ、と思ってな?」
「ふざけた事を!!」
 焔は歯を食いしばった。彼女の頭に一気に血が上る。砂埃を舞い上げ、駆け、飛び上がる。狙うは首元。より近く、より速い軌道で首を刈り取りにかかる。
「殺すっ!!」
「殺せぬわっ!!」
「死なすっ!!」
「死なぬわっ!!」
 鬼は焔の刀を受け止めると、彼女を勢い良く投げ飛ばす。叩き付けられた焔の肺から空気が逃げる。
「良い機会だ、教えてやろう。俺がこの国全体を治める。俺の夢、願いは天下統一。そして、世の平和よ」
「がっ、ぐっ、ぜぇ、ぜぇ。なにが、平和など……」
 苦しむ焔を見ても尚、鬼は話を続けた。
「その為には力、それが必要だ。この一途だって、世には二つ無い妖怪を殺す刀だ」
 そう言うと鬼は刀の柄を撫でた。
「あらゆる武力を俺の配下と俺自身に集中させる。そして、刃向かう者は殺し続ける。勿論、民を守った上でな。俺が平和の礎と成るのだ。そこに、なんの間違いがある。平和な世を創る男の意志になんの淀みがあろうか」
「……そこに到るまで、どれだけの人が死ぬ!!」
「もう、そろそろ頃合いだ。菘も、薺も墜ちた。残る国は雑兵よ。これ迄の死者は貴い犠牲、そう後世に伝えてやろう」
 そう言葉を紡ぐと、鬼は腰からずるりと群青の刀を引き抜いた。足で焔を押さえ付け、首筋に刃を当てる。
「此の世のために、死ねい」
 あとは、刀を引くだけであった。しかし、鬼の刀は動きを失った。
「させない……」
 目の前の少女が切先を握り締めた。掌からは血が流れ落ちるが、顔に苦痛の色は見えない。
「此の世が乱世になろうともか」
 鬼は問う。
「多くの民が死に、魑魅魍魎、悪鬼羅刹のような唾棄すべき外道共が這いずる世になってもか。それを許さぬ者を止めようとするのか」
 鬼の問いは、誰へ向けられた者か。周囲の建物の燃えさしの音へ消えてゆく。
「……そのような生き方が、平和の為に死んでいった者達に報いる生き方だとは、とても思えない」
「……」
「答えろっ!!鬼!!」
 その時であった。近場の燃え残りから火の手が上がった。ぼう、とまるで手のように広がったそれは鬼の身体を包んだ。
「ぬっ!?」
 鬼は堪らず飛び退いた。鬼の足裏が砂を踏み躙る頃には、焔は立ち上がっていた。彼女の周りでは炎をが揺らいでいた。
「……納得がいかない」
 焔は胸に手を当て、一息つく。
「この辺りがムカムカするし、熱くなる」
 しばし焔の視線が宙を泳ぎ、一点に定まる。
「道理とか、筋とか、人らしさとか、つまらないことかもしれないけど。私は、それを大切にしたい。私は理不尽に抗いたい。それだけでここに立っている」
「それで、民が死のうともか」
「それが私の生き様だ。死に様も、きっとそうだ」
 焔は再び刀を構え直した。
「私はお前を殺す。今まで死んでいった者達の思いと、これから未来を願い死んでいく者達の呪いを背負って、この身を捧げ復讐を果たしてみせる」
 焔は刀を振るう。鬼は心底嬉しそうに笑い続ける。
「くっ、ふっ、はははっ!!よもや、このような者が現れるとはなぁ!!認めよう、貴様こそ、我が生涯最大の敵とな!!」
「……」
「しかし、貴様は万全ではない。……近く、俺は大事を起こす。止めに来るが良い」
 鬼は大笑いをしてその場を去った。
「……負けない」
 辺りの火は風に揺られ再び燃え上がり始めた。焔は傷付く身体を無理矢理に動かし、仁之助を引き摺り忍の里へと向かった。
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