【完結】狐と残火

藤林 緑

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妖怪

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 かくして、忍の修行が始まった。同年代の子供が十数人程度集まった班での生活であった。仁之助の話では、実際に妖怪と戦う事の出来る戦闘班の配属になるのは一握りらしい。焔は周囲の仲間と手を取り合いつつも、常に彼等より上を目指そうと努力を続けた。
 必要な体力を養うため、毎日のように山林を駆けずり、木々を渡り、川を越えた。暑い陽射しに焼かれる日もあった。凍てつくような冬の日もあった。挫けそうになった日々は幾度となくあった。だがその度に、鬼に奪われた刀を思い出した。あれを取り戻すため、鉄蔵の無念を晴らすために自身を捧げると決めたのだと言い聞かせると、力は自ずと湧いていった。
 そして、焔が弛まぬ努力をしなければならず、またそれを続けられる理由があった。
「今日はどうするよ」
 仁之助の存在である。
「んー、昨日雨だったから川はやめようか。山の方へ行って走り込みにしよう」
「そうか、川危ないもんな!!」
 この男、頭領の孫とは思えぬ程に頭が弱く座学では絶望的な成績を叩き出していたが、体力面では異常とも言えるようなしぶとさを誇っていた。
 二人がこうして日々修行を続けるようになった切っ掛けは至極単純な物であった。
「焔、夕飯の後に姿見えなくなるけど何処行ってんの?」
「自主練」
「俺も行くかな」
「いいんじゃないかな」
 その日から、仁之助は焔の個人的な修行に付き合うようになった。焔自身は当初「恐らく毎日は修行するまい」と高を括っていたのだが、彼は予想を遥かに超えてきた。まるで追い詰められるような心持ちになるほど、彼は焔の苦行とも言える訓練内容をこなしていた。
 男と女の体力の差はあると考えたが、それにしても仁之助は異常だった。やがて焔は仁之助を素晴らしい仲間であり、宿敵のように内心思っていた。


 焔が班の仲間と生活を共にして四度季節が巡った。忍の里での生活にも慣れた。背も伸び、体力も付いた。しかし、今もこうして食堂の夕飯の席で今日の自主練について考えていた
「そろそろ配属決めの時期だよね」
「医療班か補給班かなぁ。実戦は苦手だし……」
 夕飯を食べながら班の同期が話している。焔は聞き耳を立てようとした。
「な、なあ、焔」
「……仁之助、どうしたの?」
 その矢先、焔の目の前に仁之助の顔が近付いていた。彼は真っ直ぐに焔を見つめている。
「今日はどうするよ」
「……仁之助、私が言うのもどうかと思うけど、座学やったほうが良いよ。多分、四年前くらいから言ってるけど……」
「いや、まだ俺の強さは足りねぇ!!」
「頭が強くないのよ……」
 仁之助は自主練の成果もあり、徐々に実力を付けていった。今や、戦闘班行きを有望視されている一人である。だが、皆の話題に上がるのは「果たして戦闘能力だけで戦闘班へ入る事が出来るのか?」という半ば実験じみた内容であった。
「まぁいつも通り、夜更けに集まって、流れで良い?」
「臨機応変って事だな!!」
「……まぁ、そういう事で」
 焔は食事を終えると、身支度を整えに食堂を後にした。

「ん?」
 夕食からしばらく、焔は道場へと自身の小太刀を取りに向かった時の事である。目的の小太刀は普段と変わらずに置いてあったのだが。
「札?」
 木片の札に糸が通されて小太刀に引っ掛かっている。不思議そうに手に取り、裏面を眺めた。
「「山林、袈裟脱ぎ地蔵の前にて待つ?」」
 焔の身体が声の方へと振り向く。いつの間にやら、近くには仁之助が立っていた。
「ぬ、盗み見禁止!!」
「いや、俺の鎖鎌にもさ、同じの掛かってたんだよ」
「え?」
 見れば仁之助の手には同じような木札がぶら下がっている。仁之助はそれを指先でくるくると回した。
「多分同じ人だ。俺達に何か用でもあるんじゃないのか?」
「でも、誰が?」
「……ま、今日の訓練は暇しなさそうだ。行ってみようぜ」
「……確かに」
 焔は珍しく乗り気であった。彼女は木札を忍装束に突っ込むと、小太刀を背負った。視界の端では仁之助が仁之助が鎖鎌の刃を見つめている。二人は目を合わせて笑った。
「行きますか」
「おうよ、そうこなくっちゃな!!」

 二人は山林を進む。春先の地面は雪解け水で湿っている。植物の新芽が所々生えており、生命の息吹を感じさせた。
「袈裟脱ぎ地蔵ってこの先にある……」
「あの地蔵のことだよな」
 木札の文字には覚えがあった。山林の半ば、三つ並んだ地蔵の一つ。袈裟にあたる部分が酷く剥げた地蔵の事である。その地蔵は焔と仁之助がよく目印として使っていた物である。
「……懐かしいね」
「なんだよ急に」
「いや、仁之助と出会ったのも山だったなって」
「あの時、お前埋まってたよな」
 二人は出会った日の事を話した。次第に声の調子も上がっていく。この行動がまるで二人だけの秘密のように感じ、高揚感が身体を軽くする。気付けば、袈裟脱ぎ地蔵の近場まで来ていた。
「お、あれだな」
「……誰も居なくない?」
「いや、とりあえず行こう!!」
 仁之助は焔より先に駆け出した。
「おい、先に行っちまうぞっ……」
 仁之助はぐるりと身体を回して焔を見た。その時、焔は彼の姿に既視感を覚えた。
「……危ないっ!!」
「っ!?」
 闇夜の木々、仁之助の上方に何か居る。焔は足元の小石を投擲する。影は長い脚でそれを焔へ蹴り飛ばした。焔は飛び退く。
「仁之助っ!!」
「助かった!!あとは任せろっ!!」
 木々から飛び降りた影を仁之助は迎撃する。鎖鎌を上段に構える。金属同士がぶつかり合う音が聞こえる。仁之助は目を見開く。仁之助の腕の上に、影は着地している。
「……鞘っ!?」
 仁之助が鎖鎌で受け止めたのは鞘に収められた刀であった。影は鞘から刀を引き抜き、鞘口を足底で押し込んだ。
「ぐかっ!!」
 鞘尻が仁之助の額を打ち、仁之助は倒れ込む。影は仁之助へ狙いを定めた。
「貴様っ!!」
 焔が声を荒げた。小太刀を平突きの姿勢に構え突進する。影は焔を一瞥する。
「良いぞっ!!焔っ!!」
 仁之助は影の隙を狙った。倒れた際に鎖鎌の分銅を投げていた。それを一気に引き戻す。分銅が加速を増し、影の横腹に。
「ふんっ!!」
「何っ!!焔っ!!」
「がっ!!」
 届かなかった。分銅は影の回し蹴りに吹き飛ばされた。仁之助が引き戻す事も叶わず、焔へ直撃、彼女は転倒する。山林は静寂に包まれた。影は山林の中、息を荒げる事もなく立っている。
「か、あ、貴方は……」
「……少し焦ったぞ」
「じ、爺ちゃん、だよな」
 影の正体は仁之助の祖父、忍の里の頭領であった。頭領は覆面から顔を出した。
「惜しかった。実に惜しかった」
「は、はは……」
「敵わないに決まってんだろ!!」
 焔はその正体を知り、笑うしかなく。仁之助は憤りを隠せなかった。頭領は咳払いでそれを黙らせた。
「惜しかったと言っておるだろう。仁之助、もっと上に気を配れ。焔、囮になるなら二手三手考えて動け」
 焔と仁之助は寝転び、目を細めて聞いていた。頭領による戦術指南が終わると、焔が口を開いた。
「……その、これが目的だったのですか?」
「む、何の事だ」
「その、この木札。頭領が用意したんですよね」
「……そうだ、ったな」
 頭領は覆面を直す。
「……絶対今まで忘れていたろ」
 仁之助の言葉に頭領は腕を組んだ。
「……腕試しがしたくなってな。作用、これは本題ではない」
 二人はさらに目を細めた。溜息もついた。頭領は気にしないとばかりに話を続ける。
「お前達は見ておくべきだ」
「……何をですか」
「戦う敵と、戦い方だ」


 頭領と弟子の二人は木々の上を飛び、山林の各地を確認して回った。
「ここに居ないとなると、最後は……」
 頭領はぶつぶつと呟き木々を伝う。その後ろを追い駆ける焔の顔に、仁之助の顔が近付いた。
「なぁ、爺ちゃん何探してるか、わかる?」
「……んー、どうやら罠を張ってるらしい」
「罠?」
 仁之助は首を傾げた。焔は指を追って数え始めた。
「ここに来るまでに、回った先々で動物の腐肉が落ちていた。確か、一、二、三、四……」
「はぁ、なるほど!!良く見てるな」
 仁之助は思わず手を打った。焔は思わず得意気に笑ってしまい、恥ずかしそうに視線を前方に戻した。頭領が手招いている。頭領の立つ木の枝を足場に借りる。
「見ろ、あれが妖怪の類だ」
 頭領は低声で指で指し示す。下では頭領の仕掛けた腐肉の臭いに誘われ、虫のような生物が蠢いている。その姿はまるで蝉の幼虫をそのまま大きくしたような異形であった。鋭い爪で腐肉から丁寧に骨を取り外しながら食べている。時偶、腐肉からの飛沫が背中から生やした未成熟の半透明の羽にこびり付く。
「……あれが、妖怪」
「行かないの?」
「まだだ」
 蝉の妖怪は大きな目玉をぐりぐりと動かすと、羽根を広げた。
「逃げる?」
 仁之助が呟く。未成熟の羽根を必死にばたつかせて妖怪の身体が少し浮いた。その時には、既に頭領は動いていた。
「ふっ!!」
 頭領は浮いた蝉の背中に取り付くと、刀を薙いだ。自らの羽撃きも加わり、蝉の羽根は傷付き地へ落ちる。
「キイイイッ!!」
 金切り声を上げて蝉の妖怪は頭領を振るい落とした。頭領は転がり体勢を立て直す。蝉の妖怪は四本の足で身体を支え、鎌のような鋭い爪を頭領へ向けた。頭領は左爪の一撃をひらりと余裕を持って躱し、次いで右爪の攻撃を。
「爺ちゃんっ!!」
 仁之助の声が響く。頭領は既の所まで引き付けて躱した。左半身を引き、身体を開くようにして。敢えて、そうしたのだ。今、頭領の目の前にはがら空きの胴体。
「ぬんっ!!」
 頭領は深々と蝉の妖怪の懐へ刀を差し込んだ。傷口からは真っ赤な体液が噴出する。頭領は顔に体液が掛かろうとも瞬き一つせず、妖怪の動きを窺う。蝉の妖怪は苦痛からか狂ったように暴れ、爪で刀を引き抜こうとする。
 頭領はその瞬間を逃さなかった。刀に爪が絡み付く、そこで刀を回転させたのだ。爪が削がれ、砕ける。
「グキイイイッ!!」
 蝉の妖怪の悲鳴。それが最後の一声であった。刀を握り込んだ頭領は左逆袈裟に深々と妖怪を切り払った。切り払う軌跡が弧を描いた。
「うわっ……」
 仁之助はその光景に少しばかり慄き、隣りにいる焔を体液から庇おうと、自らの身体を壁とした。背中に飛び散る飛沫が気持ち悪く感じた。
「焔、大丈夫か?粘っこいの付いてなさそうか?……焔?」
 焔はそっと仁之助の腕を除けた。焔の視線の先には惹き込まれる美しさがあった。魅入られた。銀の刃と紅が月のように振るわれる。その一連の動作、正に剣舞。
「す、凄い……、あれが、忍の技……」
 焔は自身の目指す物を知った。忘れないよう、残酷で陰惨な一瞬の輝きを目に焼き付けたのであった。
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