【完結】狐と残火

藤林 緑

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 忍の里は里と言うには粗末な物であった。竹林の生えっぱなしの雪の野山の中、小屋が幾つか建っている。中には崖を掘り抜いた様な横穴に住んでいる者も居た。しかしながら、何処に隠れていたのか。人は不思議と多かった。
「よう!!仁之助!!元気か」
「仁之助殿、お出掛けですかい」
「仁之助様!!」
 仁之助と歩いているとあらゆる場所、あらゆる人から声を掛けられる。その度に仁之助は話をする。体調はどうだとか、良い山菜が入ってるかとか。焔は彼の様子を遠目で眺めていたが、彼はなるべく早く話を終わらせようと努力しているように見えた。
「ゴメン、急がないとな」
「あ、うん」
「君を助けた場所は向こうのはず。結構距離あるけれど、休みながら行こう」
 仁之助は焔の手を引いた。

「そっか、普通の人間は木を伝って移動しないか」
「……仁之助君って、ちょっと頭弱いところある?」
「な、し、失礼な……」
 忍の里を抜けて雪山に入った二人はなるべく雪の少ない所を歩いていた。少ないと言っても藁靴がすっぽり埋まるほどの雪の為に足取りは重かった。仁之助が先を行き、雪をならした所を焔が後をつけていた。
「忍なら木を越えて楽なんだけどな」
「……そういえば、最強の忍を目指すって言ってたけど」
「ああ!!」
 突然勢い良く振り返った仁之助に焔は驚いた。
「俺は父上みたいな強くて優しい忍になるんだ!!今も修行を続けてる!!」
「いいね、そういうの」
「だろ!?」
 褒められた仁之助は白い歯を見せて笑った。わざとらしく彼は身体を回して周囲を警戒する。
「忍ってのはな、こう、敵が何処から来ても対応出来るようにしなきゃならないんだ、がっ!!」
「仁之助くん!?」
 突然、影が仁之助の上方から落ちて来た。木に積もった雪にしては大きく、灰色がかっていた。その影は人であった。灰色の装束を身に纏った男。面頬からは白鬚がはみ出て見えた。
「……ふんっ!!」
「ごっ!?」
 灰色の装束は脚を仁之助の首に回すと、身を捩り転倒させる。
「ぐっ!!」
 仁之助の襟首が掴まれ、雪中に縫い留められる。灰色の装束は腕を外転させると、背負った刀を抜いた。銀の刃が雪景色の中、妖しく閃いた。切先は仁之助に向いている。
「じ、じ」
 仁之助の呻き声は雪に掻き消された。まさに切先が動く瞬間であった。
「む」
「と、止まれっ!!」
 焔が叫ぶと、灰色の装束の手元に衝撃が走った。しかし、それは柔らかい。何がぶつかったか、確認が遅れる。灰色の装束の刀を握る手には水滴が付着している。焔が雪玉を投げたのだ。灰色の装束は焔を見やる。
「仁之助くんを離せ!!」
 焔は雪を蹴り上げ走り込む。灰色の装束は刀を下ろし、焔を睨み付ける。面頬の奥から覗く瞳は糸のように細く見えたが、焔の動きを止めるのに充分な威圧感を持っていた。その時、口元が動いた。
「……仁之助、あの娘が雪玉を投げねば二度は死んでいたぞ」
「……じ、爺ちゃん」
「え、爺ちゃん?」
 再び灰色の装束、仁之助の祖父の口元が動く。溜息。
「……そこに直れ、仁之助」

「お前はどうせ鈴を騙くらかしてやっただの思ってるかもしれんが、鈴は気付いておる筈だ」
「な、馬鹿なっ!!」
「……馬鹿はお前だ。鈴ほど利口な女もおらん。お前がこうやって失敗するとわかってて放っておいた。そんな事もわからんのか」
「くっそぉ……」
 仁之助は雪面に正座させられ説教されている。一体何を見せられているのか。
「大体、この山は危険だ。直ぐに引き返す」
「……危険って」
 仁之助の祖父の言葉に焔は胸騒ぎを覚えた。彼は焔に向き合い、言葉を選んだ。
「私の馬鹿孫が済まない事をした。この山には化物が出た形跡があってな。遺体があった。ここは危険だから里へと戻って、飯にでもしよう」
「……熊のような、背丈の、禿頭の男の人、ですか」
 絞り出すような言葉に、仁之助の祖父は固まった。彼はしばらくして、焔の肩に手を乗せた。
「……知り合いだったか。鍛冶小屋で倒れていた者なら、日の当たる所に弔った」
「……ありがとう、ございます。うっ、ううっ……」
 泣き出す焔は膝をつく。仁之助は何も言わず、ただ彼女を見つめていた。

「無理を言って、すみません」
「良い。荷物もあるだろう」
 その後三人は、焔と鉄蔵の暮らした鍛冶小屋と家屋へ向かった。先日まで世話になっていた筈の場所は、既に物寂しさを覚える地へと変わっていた。
 一同は最初に家屋へと向かう。戸を開けると、あの日の夜のままであった。土間に置かれた薪、床に敷かれた布団。焔は自身の日記を手に取ると、二人へ向かって頷いた。そそくさと家屋を後にする。
 次は鍛冶小屋。戸を開けようとした時、仁之助の祖父は焔を制した。彼は咳払いをすると眉を顰めた。
「……御遺体は弔ったのだがな。その、掃除まではしておらん。欲しい物が有れば儂が取ってこよう」
「……小刀を。最後に見たのは……壁際の床に落ちているかと」
 焔はあの瞬間の痛みと惨めさを思い出した。言葉には悲痛の感情が混じり、時に上擦る。仁之助の祖父は聞き届けると、焔の背に手を触れた。
「待っていろ」
 そう言うと、仁之助の祖父は戸を開け、背中で覆いをするようにするりと中へと入っていった。しばらくすると、彼は戸の隙間から這い出てくる。
「約束の品だ」
「これです。ありがとう、ございます」
 焔は薄黒く汚れた柄を持つ小刀を受け取ると、礼を言った。彼女は大事そうにそれを抱き留め、目を閉じた。
「……もう一つ、我儘を言って良いですか」
「なんだ」
「……お墓は、何処ですか」

「これだ」
「……鉄爺」
 鍛冶小屋の裏手、木々の少ない開けた場所。雪が払われ、地面が大きく露出している。柔らかそうな土の上には大きめ石が添えられている。恐ろしく簡素な墓であった。知らぬ人が見れば、その下に仏が眠っているとは思わないだろう。
「うっ、うう……」
 焔は蹲る。涙が流れた先から落ちていく。この場へ来てからずっと耐えていた涙だった。家屋を早く後にしたのも、小刀を手にして目を閉じたのも。鉄蔵を失ったと信じたくなかったのだ。しかし、焔が家屋を去ろうとする時、瞼を閉じた時、その度に鉄蔵の影を垣間見た。ならば、と覚悟を決めて墓を目にしたが、耐え切れるような物ではなかった。
「……む」
 仁之助の祖父は焔の痛ましい姿を認めつつも、周囲に気を配っていた。しかし、気付かぬうちに仁之助の姿を見失った。
「……こんな時にあの馬鹿は」
 仁之助の祖父は米上を掻いた。足元では焔が蹲り泣き続けている。どうしようもなく、時間ばかりが過ぎる。仁之助の祖父の眉が動いた。忙しない呼吸の音を感じ取ったのだ。
「はっ、はっ、はっ……、な、なぁ!!」
「仁之助、何処へ行っていた」
 仁之助の祖父は何処からか帰って来た仁之助に静かに怒りをぶつけた。仁之助はびくりと身を震わせたが、その様子が少しおかしい事に祖父は気付いた。既に彼は、泣き腫らしたような赤目をしているのだ。そして手には花を持っている。冬にも花を咲かせる、山茶花の花であった。
「これしか、見つからなくて……」
「仁之助……」
「爺ちゃん、ごめん」
「……供えてやれ、二人でな」
 俯く仁之助の背を祖父は押してやった。仁之助は屈み込むと、焔の肩を揺する。焔が顔を向けた先には山茶花の花弁。彼女はそれを手に取った。目を擦り、赤目の二人は鉄蔵の墓前へとそれを供えた。手を合わせ、瞼を閉じる。
「……どうか、安らかに」
「必ず、刀を取り戻します。必ず……」
 仁之助がそう祈り、焔がそう誓った。
「そろそろ、行くぞ」
 仁之助の祖父は二人へそう呼び掛けた。名残惜しそうにする焔に、彼は諭すように言った。
「また来れば良い」
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