【完結】狐と残火

藤林 緑

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完成、ある冬の夜

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 刀が、鉄蔵曰く傑作とも言える一本が完成した。冷えた刀身に弾かれた水分を鉄蔵が布巾で拭き取る。それを両手で携え、刀掛けに置いた。鉄蔵は長い息を吐いた。焔はその背中と、出来上がった刀を見つめていた。
「終わった」
「……」
「まるで、夢のような時間であった。夢中、とは良く言ったものだ」
「楽しかった?」
 焔は独り言ちる鉄蔵に聞いた。鉄蔵は振り返ると、頬を掻いた。
「とても。お前とやれて良かった」
 つう、と鉄蔵の額から汗が流れ出て来る。鉄蔵は慌てて手で拭った。焔は口元を押さえて笑った。
「汗凄いよ?風呂沸かすよ?」
「は、はは、頼む」
 鉄蔵は解けた緊張からか、声を上げて笑った。普段寝食を共にしていた焔からしても珍しい鉄蔵の大笑いであった。

 風呂と飯を終えた鉄蔵は疲労が溜まっていたか、布団に転がり直ぐに寝てしまった。焔は彼の身体に布団を掛ける。
「お疲れ様でした」
 焔は寝息を立てる彼から離れる。部屋の端で行灯に明かりを灯すと筆を執った。焔は日記に今日の出来事を書き込む。鉄蔵が、読む者は書けねばならん。とか言って買ってきた物だ。頁には限りがある為、何日かにまとめて書く事を習慣付けていた彼女であったが、今日は多くの事を書き込んでいた。
「……書き過ぎたけど、仕方ない」
 ここ最近はとても充実していた。その証であった。それが嬉しくて、彼女は自然と微笑んでいた。ふと、部屋の奥から唸り声が聞こえた。
「ぐおぉ」
「……ふふ」
 それが鉄蔵の寝言と気付くと焔は静かに笑った。そして、もう一度声を掛けた。
「本当に、お疲れ様でした」
 焔も寝支度を整え、行灯の火を消した。静かな夜であった。

 翌日、鉄蔵は友人への手紙をしたため宿場町へと山を降りた。彼の話では中々会う事が難しい友人らしく、宿場町のとある店に手紙を預けておくのだと言う。
「……綺麗だな」
 鉄蔵がいない間、焔は鍛冶小屋で座り込んでいた。視線の先には完成した刀が鎮座していた。まるで夜空を溶かしたかのような群青色の粒子が織り込まれた刀身は焔の興味を惹く。魅入られたようにぼんやりと眺めていた。
「ここに居たのか」
「あ、ごめんなさい」
 気付けば鉄蔵が宿場町から戻って来ていた。鉄蔵もまた焔の横へ座り込む。二人して、黙って作品を見上げた。
「綺麗だろう」
 先に口を開いたのは鉄蔵であった。焔はその言葉に頷いた。しかしな、と鉄蔵は続ける。
「刀が一番美しい瞬間は人間に使われている瞬間なのだ。その軌跡は何とも言い難い」
「見てみたいな」
「俺じゃあ駄目だ。やはり、闘い慣れた者でなければ」
「じゃあ、旧友って人は出来るの?」
 焔が首を傾げると、鉄蔵は焔の頭を撫でた。
「どうだかな。だが、やってもらわねば困る」
「なんで?」
「俺と、そして焔、お前が作った大事な刀だからな。中途半端に使われては堪らんだろう?」
「そうだね」
 焔は頭に乗せられた手を除けた。ふと、鉄蔵はその手を打った。
「そうだ、忘れていた」
「どうしたの?」
「まぁ見ていろ」
 鉄蔵は立ち上がり、刀掛けから刀を持ち出した。それを作業台に置くと、小箱から道具を取り出した。焔は不思議そうに覗き込んでいたが、その顔が驚愕に染まる。
「な、なんで傷付けちゃうの!?」
 刀の茎に鉄蔵は切れ込みを入れている。焔には信じ難い行為であった。
「違う、銘切りだ」
「何それ」
「名前を付けるのだ。刀にだって名前は必要だ」
 鉄蔵は身体を丸く畳みながら、繊細に作業を進める。やがて、刀身に銀の文字が浮かび上がる。
「一、途」
「これを作っている時、そうだったからな。楽しかった」
 一途。良く似合っている、焔は思った。鉄蔵は再び、刀掛けに一途を戻した。そして、顎へと手をやった。
「どうだ、少し面構えが変わったと思わんか?」
「……なんか、もっと格好良くなった気がする」
「ふふ、そうだろう、そうだろう」
 鉄蔵は、一途の真の完成に満足そうに何度も頷いた。


 一途、刀の完成により鉄蔵と焔の生活は元に戻った。二人は季節物の藁靴を編み、生活の足しとしていた。
「鉄爺、遅いぞ」
「何を、お前の作っているのは子供用ではないか。俺が作っているのは大人用だ」
 時々お互いに茶化し合いながら作業を進めていた。びゅう、と外から風の音が聞こえ、隙間風が入って来た。焔はぶるりと体を震わせた。
「もう遅い。適当なところで切り上げるか」
「そうしよう」
 二人はせっせと最後の詰め終わらせると、そそくさと寝る準備を整えた。

 夜、物音が聞こえた。
「ん……」
 再び、物音が聞こえた。
「ん?」
 風の音か、戸のガタつく音か。激しい音。しかし、焔は違和感を覚えた。その割には部屋に冷気が入ってこない。心のざわつく感覚があり、少し離れて眠る鉄蔵の布団を引っ張ってみた。
「鉄爺、鉄爺?」
 何度か布団を引くと、抵抗感がない。二度三度、そして四度目に強く引くと、ずるりと布団を引き摺る。そこに、鉄蔵の姿は無かったのである。
「え?」
 自身の布団から起き上がり、周りを見渡し、土間を見下ろした。鉄蔵の藁靴が無い。外へ出たか。焔は戸を開けた。静かに、しんしんと雪が降っていた。雪面には深々と足跡が残っている。それは鍛冶小屋へ続いていた。
「こんな時間に何を……」
 焔は半纏を引っ掴み、急いで鍛治小屋へ向かった。
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