【完結】狐と残火

藤林 緑

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熱意

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 鍛冶小屋の中は、冬場だというとにも関わらず熱気が籠もっていた。息苦しさを感じる炉の近くでは鉄蔵がじっと座り込んでいる。群青色の石は炉の炎で真っ赤に染まっては、水に入れられ砕かれる。より柔軟で、より強靭な部位を見極める。鉄蔵は熱気の中、目が乾いても瞬き一つもせず作業に没頭していた。
「鉄爺、昼飯置いておくよ」
 焔の日課は鍛冶小屋へ鉄蔵の食事を運ぶ事であった。握り飯二個と青菜の汁を盆に載せて鍛冶小屋の中、左手の作業箱の上に置く。しばらくして様子を見に来ると、綺麗に平らげられた椀と皿が並ぶ。焔は会話の無い交流すら愛おしく思っていた。
「焔」
 いつも通り戸を閉めて自身も食事を摂ろうと家に帰る時だった。鉄蔵から声がかかった。
「手伝い?」
「いや、今から飯か?」
「そうだけど」
「ならば、一緒に食わないか。少し、作業が落ち着いてな」
 焔は鉄蔵が腰を上げる様子を久方振りに見た気がした。彼は鍛治手袋を脱ぐと、大切そうに作業箱の上に置いた。
「なら、私の分もおむすび握ってくる」
 焔は急いで家の竈の前へと走っていった。
「ふふっ」
 思わず、笑みが溢れた。

「「いただきます」」
 二人は手を合わせて、握り飯を頬張った。米の甘さが引き出つ塩加減に、鉄蔵は微笑んだ。
「美味い」
「そんなにかな」
「真心が籠もっている」
 真面目な顔で言う鉄蔵に、思わず焔は咳き込んだ。何度か胸を叩いて呼吸を整える。
「冗談も顔だけにしてよ」
「冗談などではない。心が籠もった物は、どんな物でも上物になる」
 鉄蔵は咀嚼した飯を飲み込むと、立ち上がり部屋の隅の棚を漁る。木で出来た筒のような物を取り出すと、焔へと差し出した。
「ほれ、抜いてみろ」
「……おお」
 鉄蔵から渡されたのは、小刀であった。古臭そうなそれは、持ち手周りの汚れとは無縁の美しい刃を保っていた。
「それは十年程前に俺が拵えた物だ」
「綺麗」
「そう、思ったろう」
「これも、鉄爺の真心が籠もってるの?」
「作用」
 小刀をまじまじと見つめた焔は、鞘に刃を収める。
「信じてみてもいいかも」
「だから、お前の握った飯も美味いわけだ」
 頬を赤くして小刀を押し付ける焔。鉄蔵は小刀を受け取ると、くつくつと笑った。焔は話題を変えようと目を逸らす。
「真心が籠もるなら願いとか呪いとか、そういうのも本当にあるんじゃないの?」
「御守りや、丑の刻参り。そういった物は実在する。思いっていうのは人により形を与えられる」
「動物の思いとかも?」
「人も動物だ」
 そっか、と焔は顎に手を当てた。しばらく考えて、彼女は鉄蔵に人差し指を向けた。
「土蜘蛛」
「ん?」
「河童、天狗、海坊主」
「……妖怪か」
 焔の述べた名前はどれも妖怪の名前であった。焔は幾つか名前を呼び上げる。
「そういうのもいるの?」
「いる」
 鉄蔵は真顔で答えた。思わず、焔は吹き出した。
「そんな馬鹿な……」
「いる」
「……え」
「この世の中、何が起こるかわからん。用心に越した事は無い」
 鉄蔵の瞳は一点を見つめていた。焔は彼が何を思っているのか、わからなかった。鉄蔵は立ち上がる。
「さて、美味かったぞ。俺は仕事に戻る」
「……あ、お粗末様でした。片付けておくから、その辺に置いておいて」
「すまんな」
 焔は鉄蔵の姿を少し遠くに感じた。


 数日後、冷え込む日の朝方であった。焔は身体が揺れ動くのを感じた。それは徐々に強くなる。
「んあ」
「……良く寝ているところ、すまんな」
「鉄爺?」
 目を擦ったぼやけた視界の先には鉄蔵の顔があった。彼の顔には煤が付いており、焔はそれを拭おうとした。焔の手は、伸ばしたところで鉄蔵に掴まれる。
「手を貸してくれ」
「うぇ?」

 支度を整えた焔は鍛冶小屋へ向かった。鉄蔵は焔の姿を認めると、壁にぶら下がった大きめの槌を引っ掴んだ。
「持てるか」
 焔は恐る恐る大槌を握った。少しよろけたが、焔は二度三度大槌を振るってみせた。鉄蔵は満足そうに笑った。彼は木箱に重い腰を降ろすと、自らはテコ棒と小槌を手に取った。
「今から俺が叩く強さを指示する。焔はその通りに叩け」
「え、でも、やったことなんて」
「これは俺の我儘だがな。お前と刀を作りたくなったんだ。それに、手伝うと言ったろう?大丈夫、お前になら出来る」
 鉄蔵の目は有無を言わさぬ意志を持っていた。それは焔にとって恐ろしかった。
「うん!!」
「先ずは思い切り叩け。俺が言ったらな」
 しかし、期待に答えたいという意志が先に勝った。焔は炉で鋼を熱する鉄蔵の合図を待った。鉄蔵の引いた腕、その先には真赤に熱された鋼。
「頼む」
「そらっ!!」
 鋼と焔の握る大槌がぶつかる。散る火花に焔は慄いたが、鉄蔵は冷静に見守っている。
「そこからニ割、力を抜け」
「わ、わかった」
 再び、焔は大槌を上段に構えて鋼を打ち付ける。その音は先程と変わった。身体に芯の通ったような焔の動き。
「少し弱いが……、今のは良かった。力加減を気にしつつ、今みたいにやってくれるか」
「は、はい!!」
 歪ながらも二人の共同作業が始まった。鉄蔵の小槌が音頭を取り、焔の大槌が音を刻む。時々、鉄蔵から言葉が送られる以外は、金属音が響くばかり。
「……」
 その無言を、焔は肯定と捉えていた。鉄蔵から何も言われないという事は、自身は仕事を間違い無く遂行していると、揺るがない自信へと変わっていった。
「……また熱する。少し休め」
「わかった」
 ずずいと身体を動かして、鉄蔵は炉に正対する。その背中は、以前よりも近くなったと感じた。
 二人は幾度も鋼を叩き、伸ばし、折り、熱し。長い時間の中で、交わされる言葉は数度。それでも充実した時間であった。
 どれ程の時間が経ったか。鉄蔵が口を開いた。
「これで良い」
「お、終わり?」
「ああ、良い物が出来上がる。……御苦労だったな」
 鉄蔵は流しっぱなしの汗をやっと拭った。汗の滴が格子戸から差し込む光に反射した。それが眩しくて、焔は目を逸らした。
「え、ええ?夕陽!?」
 眩しい理由がそこにあった。斜陽が雪を照らし輝いている。朝から夕まで、休憩も碌に挟まずに働いていた。途端、疲れがどっと湧いてくる。
「疲れたか」
「楽しかったし、それこそ夢中だったけど、まぁ……」
「風呂を沸かして入ると良い。飯は……そうだな、俺が作っておく」
「……ありがとう」
「礼を言うのは俺の方だ。ありがとう」
 二人の鍛えた鋼は美しく、澱みの無い姿を晒していた。鉄蔵と焔は、しばらくそれを見つめていた。
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