【完結】狐と残火

藤林 緑

文字の大きさ
上 下
2 / 42

記憶

しおりを挟む
 暗がりから徐々に輪郭が浮かび上がる。それは視覚。寒さに混ざった鉄の匂い。それは嗅覚。
「必ずや、俺を殺しに来い」
「お前っ……殺してやるっ!!殺してやるからな!!」
 怨嗟の声。それは聴覚。
 ああ、また夢か。いや、あの悪夢のような、現実だ。俯瞰する。
 子が泣いている。怨敵が笑っている。眠る度に戻って来る。あの場所へ。あの瞬間へ。
 私はその都度思い直す。
 必ずや、奴を殺さねばと。


 ざざ、と夕暮れの風に吹かれて木々が揺れる。紅葉の隙間からは先程通りかかった宿場町が遠くに見えた。
「どれ、そろそろじゃよ。焔、大丈夫かい」
「はぁ、はぁ。う、うん」
 山中を老婆と女児が歩いている。それはまさに獣道。笹や林や雑草の生えていない露出した地面を見つけてはゆっくりと歩を進める。老婆は時折振り返り、深く皺の刻まれた顔を女児へ向けた。
 焔、と呼ばれた娘は息を切らしつつも、泣き言を言う事もなく懸命に老婆の後を追った。汗で蒸れるのか、焔は背負った荷物を頻りに背負い直し、頭巾からはみ出た後ろ結びの赤毛の髪を解すように頭を掻いていた。

 山の坂は緩まり、開けた土地が目に入った。二人は上がった息をゆっくりと整えた。
「ほれ、着いた」
 老婆の一言で、焔は腰を落とす。老婆は屈み込んで隣に座った。
「疲れたかえ」
「少し」
「はは、風呂にでも入りたいの」
 二人は目の前の景色をまじまじと眺めた。開けた土地には茅葺屋根の家。その近場には別の小さな小屋が建つ。茅葺屋根の家の窓からは煙が立ち上っており、中に人がいる事がわかった。
 一息つくと、老婆は焔に手を伸ばした。
「ささ、挨拶しにいくかい」
「……うん」
 彼女はおずおずと老婆の手を握った。

 建付けの悪い戸を開けると、土間の竈では火が焚かれていた。奥の部屋まで覗けるようになっており、そこで禿頭が胡座をかいて背中を丸めていた。綺麗とは言えない風体の大男は、時折うんうんと唸っている。
「鉄蔵、わしじゃ、継じゃ」
「おぅ、……婆さんか」
 鉄蔵と呼ばれた男が振り向くと、長い顎鬚が揺れた。鉄蔵はゆるりと立ち上がるとのそのそ歩み寄った。
 彼の目の前には、見知った老婆と見知らぬ女児が立っている。老婆の名前は継。それは勿論知っている。その横の女児、赤毛の娘。知らないわけではなかった。先日の文にて、名前は聞かされていた。
「すると、その赤毛。それが焔とか言う」
「ひっ」
 鉄蔵の獣のような瞳が焔を射抜くと、焔は継の足元に隠れた。鉄蔵は目を丸くした。
「ど、どうした」
「く、くま」
「熊?どこに」
 振り向く鉄蔵の姿に継は腹の中で笑っていた。

「と、いうわけでな。頼むぞ。鉄蔵」
「……わかった。ここは人目につかんからな。丁度良いだろう。生き方、ってのもなんとなく教えておいてやる」
「お前、人付き合い苦手だからのう」
「黙れ」
 継は焔の紹介を終えると、宿場町へ向かう為に山を降りて行った。そこで一泊し、城に仕えに戻るのだという。
 山小屋の中に、焔と鉄蔵が残された。
「どうした。足を崩せ」
「は、はい」
 焔は身を固くして正座し続けていたが、鉄蔵の一言で足を伸ばした。鉄蔵は鬚を弄りつつ目の前の娘を眺めた。
 まだ幼い娘、着物は安上がりの物で解れが目立つ。お下がりか何かを調達してきたのだろうと推測する。継め、せめて新しい物を着せてやれば良いだろうに、と鉄蔵は思った。彼は焔が暮らしやすいように話を始めた。
「なに、気にしなくて良い。ここは良いぞ。人の目を気にせず暮らす事が出来る」
「はい」
 焔の視線は何度も行ったり来たりする。囲炉裏を見ては自身の荷物を見やる。土間の瓶を見たと思えば鉄蔵の顔を見る。あまりにも落ち着かない様子の為、鉄蔵もまた居心地の悪さを感じていた。
 その時だった。焔の腹から気の抜けた音が聞こえてきた。
「なに、腹が減ったのか」
「……」
「隠す必要はない。もう夜だ、どれ」
 焔の腹の音を合図に鉄蔵は重そうに腰を上げた。彼は継の持ってきた荷物を漁る。
「あの婆さん、食料を持ってきたとも言っていたからな。今日はそれと汁物にでもしようじゃないか」
 鉄蔵は荷物を広げると、片眉を上げた。四角い物を手に取り、焔へと見せた。
「これは、お前のか」
「あ、えと、そう、です」
「……本か」
 焔は本が好きなのか、恐らくは継が暇だろうと気を遣って幾つか持たせてくれたのだろう。
 鉄蔵はその本を丁寧に捲る。何度か頁に目を通すと、ゆっくりと本を荷物へ戻した。
「物語が好きなのか」
「は、はい」
「そうか、そうか」
 鉄蔵は焔の答えに嬉しそうに微笑むと、手招きをした。焔は鉄蔵により奥の部屋へと連れて行かれた。
 部屋にはいくつかの本が乱暴に積まれている。そのどれもが擦り切れた表紙のものであった。
「俺も昔話好きでな。こうやって本を集めている。安売りの古い品だがな。飯の時まで、暇潰しにでも読むと良い」
「え、ええ」
「もう、この家はお前の物でもある。気兼ねなく使え」
 鉄蔵はそう言うと、土間の竈の前に向かい夕餉の準備を始めた。
「……」
 焔は部屋を眺めた。本の他には、大きな道具箱、床の間に置かれた乱雑な切り出しの群青色の岩しかない、なんの変哲のない部屋であった。ぐるりと周囲を見渡して、焔は鉄蔵に勧められた本を読み始めた。


 こうして奇妙な取り合わせの二人での同居生活が始まった。
 鉄蔵は見かけによらず文化人であった。書物を読み漁り、詩を書き、時には木彫りの面や仏像を彫り込んでいた。
 焔は最初こそ鉄蔵に警戒心を抱いていた。しかし時折、近場の町に降りては食料と共に物語の本を買って来る鉄蔵に徐々に心を許していった。最初は買ってこられた本の話、近場の宿場町の話、鉄蔵の趣味。季節を巡るごとに、会話の内容も増えていった。
「手ぇ気をつけろよ」
「わかってるよ」
「ぶっさいくな般若だのう」
「鉄爺の翁は助平の顔してる」
 いつの間にか二人は並んで笑い合う関係になっていた。小屋の中で二人は面を彫っている。どうやら鉄蔵は民芸品を拵えては、町まで降りて売りに出しているらしい。面はそのうちの一つであり、時には藁靴や手袋等も季節を見つつ売っていた。ごく偶にであるが、焔も頭巾を深めに被り、宿場町にて商売を手伝っていた。
 そのせいもあり、焔は手先が器用になりつつあった。
しおりを挟む
1 / 2

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

女性が少ない世界へ異世界転生してしまった件

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:154

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:0

扉を開けたら異世界でした《週末はお弁当持参で異世界へ》

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:71pt お気に入り:2

異世界には男しかいないカッコワライ

BL / 連載中 24h.ポイント:220pt お気に入り:1,055

処理中です...