【完結】狐と残火

藤林 緑

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零時、山中にて

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 夜の山中、枯れ葉を踏み、駆ける人影があった。中肉中背、袖無し羽織を羽織った浪人の走る姿から垣間見える手足。それは転んだ跡であろうか、土塊や木の葉が纏わり付いている。
「はぁっ、はあっ、はぁっ!!」
 息切れを起こす表情は蒼白に染まり、頬が窶れて見えた。
「のわっ!?」
 男は足を滑らせ、山中の窪みへと転がり落ちる。幸いにも、彼の身体を積もった落ち葉が受け止め大事には至らなかった。うつ伏せに倒れた彼が顔を上げると、すらりと伸びた脚が目の前に見えた。
「ひいっ!!」
 人影は忍装束を身に纏っていた。背負った二本の刀の内、一本を引き抜くと浪人へと突き出す。動きに迷いは無い。
「吐けぃ」
 嗄れた低声は男性のものだ。忍の男より脅しの刃を向けられた浪人は喉を震わせた。
「な、何故、何故俺を追う!?」
「しらばっくれてみせる」
 刃が閃く。浪人は両腕で顔を、身体を庇った。しかし、身体に傷は付かぬまま。その代わり、浪人の腰に結わえ付けられた小さな麻袋が切断されていた。幾つか、中身が零れ落ちる。
「あっ、あわわ!!」
 浪人は地面へと落下したそれらを這いずるようにして集め始めた。丸い粒のようなそれは、青白く不気味に色付いている。
「動くな。その丸薬の出処、それが知りたい」
「しっ知らねぇよぉ!!」
「……まぁ良い。知らぬのであらば仕方無い。元より、期待はしていなかったのでな。……全て投げ捨てよ」
「う……うぅ」
 浪人は腰の袋を掴むと、這いつくばって集めた丸薬と共に置いた。彼の視線は丸薬と忍、そして突き付けられた刃を行ったり来たりする。
「それで、良い。それで良い」
 忍は刀を収め、解した麻紐の切れ端と火打ち石を取り出す。手慣れた様子で着火させると、水分を失った枯れ葉へ放った。
「あ、ああ……」
「これで良し。……去れ」
 忍は、浪人が背を向けて姿を消すまで見届ける考えであった。しかし、浪人は彼の予想を裏切った。
「あ、ああああっ!!」
 浪人は火へと飛び込んだ。瞬く間に浪人の皮が、肉が焼け焦げる。独特の異臭が鼻を突いた。
「貴様っ、狂ったか!!」
「どうせ、これが売れねば終わりなのだ。その思いで、その思いで手に入れたのだ!!どうせ終わりなら……」
 浪人は地面へと手を伸ばし燃える丸薬を落ち葉や土、木の枝ごと口へと運ぶ。瞼が燃えて無くなり、目玉をぎょろぎょろと動かしてなお、一心不乱に丸薬を拾い、頬張る様子は狂気の沙汰としか言えなかった。呪詛のように彼は呟いた。
「道、連れに」
「っ!?」
 燃え盛る炎から腕が伸びる。忍は刀を抜きつつ飛び退いた。伸びて来た腕は先程の浪人の痩せた腕ではない。熊のように太く、牛革のような光沢のある皮膚を持った腕であった。体の所々に火傷の跡を残しながら、元々浪人であったそれが炎より出る。黒褐色の皮に包まれた身体。山羊のような角と顔。小さな歯はやけに綺麗に並び、二重の層を成している。下半身は細身でありながら、上半身はそれに似合わず肥大していた。
「成り損ないを成敗致す」
「アオオオオッ!!」
 忍は覚悟を決めた。最早言葉すら話せなくなった化物から、甲高い叫びが聞こえた。化物は地面を引き剥がしながら前進する。二本の角を振るう頭突きは間一髪で避けられた。
「くっ!!」
「オオッ!!アゴッ!!アオオッ!!」
 化物は手近にあった切り株を根っこごと引き摺り出すと、忍へと投擲する。忍は切り株を避けるが、後続の化物の突進に轢かれた。吹き飛ばされた彼は、山の斜面へと落ちることなく大木へと叩き付けられた。痛みが関節へ走るが怯んでいる暇は無い。続けざまの突進を避けると、先程まで背にしていた大木が化け物の突進で傾いた。

 その後、忍は何度か攻撃を掻い潜る。落ち葉を巻き上げ山中を駆ける。
「オオオッ!!」
 山羊頭の化物の突進が、忍を捉えきれず木へと衝突した。直後、木が不自然に揺らいだ。角が枯木に減り込んでしまったのだ。化け物は腕を枯木に押し当てた。
 忍はこの機を逃すか、と刀を振るった。山羊頭の左前腕、骨に喰い込む感覚を覚えた。続けざまに脇差を抜き、上段に構えた。
「ぬん!!」
 脇差の柄は刀の峰を捉えた。押し出されるようにして、刀が左前腕を勢いのまま切り落とした。
「アオオオッ!!」
 失った左腕の痛みから大きく身体が揺らいだ化け物は枯れ木から脱出するも、痛みに苦悶して上顎を空へ向けた。
 その時だった。刀が喉元を貫き、山羊頭の脳を抉った。
「……ゴ、ボオッ」
 口と喉に空いた刀傷から黒く淀んだ、泡立った血液が流れる。四肢は力無く垂れ下がり、声も出ずに地面へ倒れる。脳と声帯の損傷。山羊頭はぴくりとも動かなくなった。
「……終いか」
「お疲れ様です」
 忍が刀を振るい、血の滲みきった布で刀身を撫でた時、ふと声を掛けられた。仲間の忍が到着したのだ。仲間の忍は、戦いを終えた忍に伺い立てる。
「遺体はどうしますか」
「鳴き谷に捨て置け。処置は要らぬ。もう鳴けぬ」
「御意。……それと」
「何用か」
 仲間の忍は山羊頭に近付きつつ、顔だけ向けた。
「城主様より、城に帰るようにと。次の任があるそうで」
「……わかった」
 山羊頭の処理を仲間へ任せ、忍は山を降りた。

 山を降りた忍は城へ戻ると、また山へ向かう羽目になった。思わず、溜息が漏れた。
「山羊頭の次は化け狐とは。この世はどうかしてしまったみたいだな」
 城主より仕った命令は、「化け狐」の退治であった。忍は再び夜を駆けた。木々を上り、山を走り、川を飛び越えた。やがて、彼は木の上から標的を発見した。
「あれが化け狐か」
 眼下には真っ赤な毛色をした狐が悠然と山間の斜面を歩いていた。狐が歩く度に足元には炎が揺らぐ。しかし、枯れ草には燃え移らない。忍は違和感に気付いた。
「……本当に危険な生き物なのか」
 城主の話では山火事を引き起こす厄災であると聞いたが、その狐は大人しそうであった。その所作には優雅さすら感じる。時折、切り株を見つけては身体を擦り、白い腹を見せていた。
「……」
 どちらにせよ近付かねば。忍は油断している狐の近くへと飛び降りた。化け狐は驚く様子もなしに忍へ振り返った。お互いに、じっと様子を窺う。その時、狐が動いた。忍は刀に手を添えた。
「……!?」
 狐は自身の腕周りに頭を回すと、毛皮を千切り取った。青い血液が飛沫を上げる。一瞬にして千切れた毛皮は燃えて、鞣されたような美しい皮になる。化け狐はそれを咥えたまま、忍へ歩み寄ったと思えば、頭をずいと差し出した。化け狐の口元では皮が揺れている。
「……私にこれをやると言うのか?」
 甲高い声を上げた化け狐は、真っ直ぐに忍を見つめていた。気付けば、剥げた毛皮も元通りになっている。化け狐から皮を貰うと、化け狐はその場でくるりと回った。一声鳴くと、それは煙となって姿を消した。
「……俺を、待っていたのか?あれには、何が見えていたのだ?」
 化け狐が忍を見つめた時、不思議と見られている感覚がしなかった。狐は自身ではなく、その遠くを見ていたような。託されたかのような。
「これなら……あるいは」
 手に取った皮は、未だ暖かさを残していた。忍は皮を丁寧に折り畳むと懐に入れ下山した。
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