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美しい指

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「食事は私が作ります。でも、調理器具の使い方がよくわからないので教えてください」
 杏は食べることが大好きなので、料理を作ることは苦痛ではない。むしろ未知の食材や香辛料に興味がある。お菓子作りは母の直伝なのでかなり自信があった。
「私が使えるのはこのオーブンだけだ。ここに薪をくべると上が熱くなり調理にも使える。横は普通のオーブンだ」
 ユーマが指差したところには立派な薪オーブンがあった。扉が二つ並んでいて、片方に薪を焚くと、その上の鉄板が熱くなるので、そこで調理ができる。横のオーブンの庫内はとても広い。
 杏の母親が憧れていた大きな薪オーブンだったので、杏はとてもうれしくなった。

 高低差を利用した簡単な水道もある。
 王宮から運ばれてきた食材は地球にあるもととそれほど大差なかった。香辛料もそれなりに揃っている。
 これならなんとかなると杏は安心した。

「私はアンの前ではこの布を外せないので、食事を共にすることはできません。適当に残しておいてもらえたら自分で食べますから。後片付けもしておきます」
 後片付けをしてもらえるのは嬉しいけれど、一人で食べるのは寂しいと杏は思う。
 最初は貶められて怖い人かと思っていたが、ユーマは杏に優しく接してくれていて怖くない人だとわかった。これから一緒に暮らすのだから、食事ぐらい一緒にとりたい。
「でも、そんなものをかぶっていたら不便でしょう? 私は気にしないので家の中では外せばいいと思うのです」
「陛下から説明を受けなかったのか? 私は呪われて醜く産まれた。アンと同じようなことを言った者は過去にもいたが、姿を見た途端に私を恐れてここを去っていった。アンはここを出ていくことはできないので、私の姿を見ようとは思わないことだ」
 ユーマは頑なに布を取ろうとはしない。
 杏にはユーマの姿が想像できない。だから驚いたりしないと否定できなかった。もしユーマの姿を見て恐れるようなことがあれば、ユーマを傷つけてしまうような気がした。
 杏は仕方がなしに一人で食事をすることにした。


 食事を一緒に取れない寂しさがあるが、ユーマとの生活は思った以上に快適だった。
 ゆったりと広い風呂には毎日入ることができ、砂糖や小麦粉と言った菓子作りの材料も手に入る。牛乳も卵も新鮮なものが差し入れられた。
 薪オーブンの使い方にも慣れてきて、失敗も少なくなっていた。
 広い図書室には、大好きな恋愛小説や冒険小説もあった。ユーマから部屋に持ち帰ってもいいとの許可を得たので、何冊か借りて部屋に持ち込んでいる。
 

 新鮮な食材ときれいな空気、そして、日本よりは大変な家事の適度な運動。杏はとても美味しく食事をとっていた。食材はかなりの量が差し入れられる。趣味のお菓子作りは毎日行っていた。
 体重計などはなく体重を気にしなくても良い、杏にとっては理想的な生活であった。 

 杏が大量に作る食事やお菓子は、ユーマが全て食べてしまっている。それなのにユーマの体型は変わらないようにみえる。
 杏は少しうらやましいと思っていた。



 こんな生活をして二ヶ月が経っていた。
 日本にいたとすれば、杏は高校を卒業して大学に入学している頃だった。
 ふとした時に日本にことを思い出して切なくなる杏だったが、トラックにぶつかったことを考えると、おそらくもう日本に帰ることはできないだろうと、半ば諦めていた。
 図書室で探した地図は地球のものと全く違っていた。
 ここは死後の世界かもしれない。だから神の力という不思議なものが存在するのではないかと杏は考えた。
しかし、そんなことを考えるのは無駄かもしれないと杏は思った。ここがどこだろうと杏がここで生きていかなければならない事実に変わりない。


 杏がここの生活に不満があるとすれば、ユーマが明らかに杏を避けていることだった。
 ユーマは午前中は森へ行き、食材を調達したり木を切ったりしている。午後には門のところまで差し入れの物資を受け取りに行き、その他の時間は部屋からあまり出てこない。
 杏といる時は布をすっぽりとかぶらなければならないので、部屋にいた方が気楽なのだろうと杏は諦めていた。
 それでも顔を合わせた時の態度で、杏はユーマに嫌われていないと感じていた。



「薪が足らない。外へ取りに行かなければ」
 いつもは台所の隅に積まれている薪の在庫が少なくなっている。
 薪はユーマがいつも運んでくれていたが、少なくなっていることに気が付かなかったらしい。
 ユーマは森へ行って留守にしているので頼むことができない。
 今のままでは昼食を作るのに火力が足りないので、杏は外へ薪を取りに行くことにした。

 外には大量の丸太があったが、割られた薪は残り少なくなっていた。
 薪割りなどしたことはない杏だったが、テレビでは見たことがあり、自分でもできそうな気がしていた。

 薪割りに使う小ぶりの斧が立てかけられているのを見て、杏は自分でもやってみたくなった。
 五十センチほどに切られた丸太を一本、台に使っているだろう木の上に載せる。丸太を結構重かったが何とか立てることができた。
 杏が斧を運ぼうとして持ち上げると、思った以上に重くてびっくりしてしまった。引きずるようにして丸太の所まで斧を持ってきて、力を込めて斧を振り上げようとしたところ、杏はよろめいて倒れてしまった。その拍子に斧が地面に突き刺さる。
「足を切らなくて良かった」
 斧が刺さっている場所の近くに自分の足があるのを見た杏は、胸をなで降ろして安堵した。
 もう一度薪割りに挑戦しようと思って立ち上がろうとしたが、
「痛!」
 杏は足首を捻ってしまったようで立ち上がることができない。
 助けてくれる人もいるはずもなく、杏は途方に暮れたまま座り込んでいた。


 ユーマが森から帰ってくると、屋敷の後ろの薪置き場で杏が座り込んでいるのが見えた。
 驚いたユーマは、持っていたを採取用の籠をその場に置いて、黒い布をきちんとかぶり直して走り出した。

 杏のことが心配で顔色をなくしたユーマは、かなりの速度で杏のところまで走ってきた。
「アン、何をしているのです?」
 怒っているつもりのないユーマだったが、斧が地面に突き刺さり、その傍に座り込んでいる杏が心配で声が厳しくなる。
「ご、ごめんなさい。台所の薪が少なくなっていたので取りに来たのだけれど、ここにも少なくて、だから、自分で割ろうと思ったの。ごめんなさい。こんなこともできなくて」
 杏は自分の不器用さが情けなかった。家事動労を頑張ろうと思っているけれど、調理以外では殆ど役に立っていない。奴隷となったのに主人であるユーマに依存して生活している状態だった。
 このままではユーマに追い出されてしまうのではないかと、杏は恐れて何度も誤ってしまう。

「アンは自分で薪を割ろうとしたのか。私が薪割りを怠ってしまったせいだ。本当に申し訳なかった」
 ユーマがそう言うと、杏が潤んだ目で見上げてくる。ユーマは思わず目を逸らしてしまった。

 杏はユーマが怒っていないようなので安心して立ち上がろうとしたが、足が痛くて立てなかった。
「足を挫いたのか?」
 立ち上がれない杏を心配そうにユーマが見ている。
「そうみたいです。すみません。棒のようなものはありませんか?」
 杏は杖があれば何とか歩けるのではないかと思い、ユーマに棒を貸してもらえるように頼んでみた。

「私が触れてもいいだろうか?」
 ユーマはしばらく躊躇ったあと、杏にそう訊いた。
「もちろんです」
 杏は棒のことだと思って即答する。
 すると、ユーマは屈んで杏の膝裏に片腕を差し入れ、もう一方の手で背中を押さえながら、杏を横抱きにして立ち上がった。
 杏は驚いた。最近食べすぎている自覚はある。体重計がない環境に油断していたが、かなり体重が増えているに違いない。
「ユーマ様。重いですから、降ろしてください」
 背の高いユーマに横抱きにされると、目の位置が高くて思った以上に怖い。
「アンは随分と軽いよ。もっと食べた方が良いと思う」

 そんな馬鹿なと杏は思う。背は低いので見かけほど体重はないのかもしれないけれど、それでも結構な重さがあるはずだ。
 もう一度降ろしてくれるように頼もうと思った杏だったが、ユーマはふらつくこともなく思った以上の速度で屋敷の中に入っていった。
 杏は不安定な格好が怖くて、片手をユーマの背中に回す。

「あの、ユーマ様、壁を伝って歩けると思いますので、降ろしてください」
 今までこれほど男性と接触した経験がない杏は、恥ずかしくて頬を染めている。ユーマが頭から布をかぶってくれていて、本当に良かったと杏は思う。心配そうに杏を見ているユーマと目が合ったりしたら、恥ずかしくてどうにかなりそうだと思っていた。
「歩いたりしたらもっと悪くなってしまう。部屋まで送っていくから」
 ユーマはそう言って、杏を横抱きにしたまま二階に上がっていった。

 杏の部屋に着くと、ユーマはそっと杏をソファに座らせた。
「昼食は私が適当に作ってここへ持ってくるから心配しないで。まずは薬を塗ろう」
 そう言って部屋を出ていったユーマは、すぐに戻ってきた。一階の自分の部屋まで薬を取りに行っていたとは思えないほどの早さだ。

「足に触ってもいいか」
 ユーマがそう問うと、
「はい」
 真っ赤になっている杏が頷く。

 ユーマが杏の履いている靴を脱がせて、膝下まである長靴下を引っ張りながら下げた。
 杏のふくよかな足が見えて、ユーマは少し躊躇ったあと一気に長靴下を取り去り、杏の足首を剥き出しにする。
 ユーマは片手の手袋を外した。杏の予想通り長くて美しい指だった。 
 ユーマは赤くなって少し腫れている足首に丁寧に薬を塗っていく。
 美しいユーマの指が杏の肌をゆっくりをなぞっていく様子は少し淫靡だった。
 最後にユーマは包帯を巻いて足首を固定する。

 これは医療行為なのだから恥ずかしがってはいけないと、杏は顔を上げた。
「ユーマ様、ありがとうございます」
 杏が微笑みながら礼を言うと、
「いや」
 ユーマはそっけなくそう答え、部屋を出ていった。


 
「アンのような美味しいものは作ることができないので、これで我慢してほしい」
 パンにサラダ、杏が作りかけていた具がたくさん入ったスープを持ってユーマが杏の部屋を訪れた。森で採取したばかりの果物がついている。

「ユーマ様、本当にすみません。私が不器用で薪割りもできないばかりにこんなことをさせてしまって」
 あまりの申し訳なさに、杏は小さくなりながらユーマに謝った。
「気にするな。申し訳ないと思うのならば、しっかり食べて早く治せ」
 ユーマの声はとても優しかった。


 夜になると薬が効いたのか、杏の足首の腫れも引き、歩けるようになっていた。
 痛みが引いた報告と礼を言おうと思い、杏はユーマの部屋の前まで行った。

「うぅう」
 ドアの向こうからユーマの苦しそうなうめき声が聞こえてきて、驚いた杏はドアごしに声をかける。
「ユーマ様、どうしたのですか!」

「アン? 来るな」
 そう答えるユーマの声はとても苦しそうだ。
 アンはドアノブに手をかけると、抵抗もなくドアは開いた。

 異臭がする。部屋に入ったアンはまずそう思った。
 ユーマの部屋はアンの部屋の半分もない広さで、ベッドも天蓋などない普通のシンプルなものだった。そのベッドにユーマは腰掛けていた。毛布を頭からすっぽりとかぶっているので姿は見えないが、人形をしているのでユーマに違いないとアンは思った。

 ベッドの近くにある小さな机の上に開いた本が置かれている。
 杏がその本に目をやると、男女が絡み合っている絵が描かれていた。おそらくこの世界のエロ本だろうと杏は思ったが、それにしては絵はかなりデフォルメされていて、人物が太った三頭身ぐらいに描かれているので全くエロくないと杏は不審に思う。

 部屋を見回した杏は、異臭の正体がわかってしまった。床に白い液体がまき散らかされている。
 いくら処女の杏でも、ユーマがここで何をしていたか察することができた。

 ユーマは自分には全く興味が無いのに、こんな漫画みたいな絵でも欲情するのかと思うと、杏の目からは自然と涙が出てくる。
 杏の嗚咽を聞いてユーマは驚く。

「アンを汚していたわけではない」
 ユーマは小さい声でそう言った。
「わかっています」
 杏は耐えられずに部屋を出ていった。
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