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4.出産
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ハヤテもサヨも本当に幸せだった。半身を得たように二人はいつも一緒にいる。
サヨは鬼がこれほど情が深く優しいとは思ってもみなかった。ハヤテの力強い大きな手は、サヨに安心をもたらし、サヨの白い小さな手はハヤテの心を包み込むように感じていた。
囚われている不幸など感じる暇もないほどに、二人は幸せで満たされていた。
二人はそんな幸せな時がずっと続くと思っていた。
サヨに妊娠の兆候が見られたので軍医の診察を受けることになった。
「ハヤテに妊娠のことを告げていはいけない。鬼は妻を愛するあまり、嫉妬で男の子を殺してしまうことがある。だから、胎の子が男の子だった場合は、しばらく内緒で育てた方がいい」
軍医の言葉はでたらめだったが、サヨには判断がつかない。鬼の生息数はとても少なく、生態は詳しく知られていなかった。
温厚で人を傷つけるのを怖がり、家族をとても大切にする鬼は、息子を殺すようなことは絶対にしない。
しかし、妻や子が傷つけられ理性をなくした鬼が、多数の人を殺してしまうような事件がごく稀に発生する。それを知った多くの者は鬼は残酷で乱暴者だと勘違いしていた。
サヨも売られた相手が鬼だと知って我が身を嘆いたものだ。今ではハヤテがとても優しいと知っている。しかし、息子を殺さないとの確信は持てないでいるサヨだった。
「女の子ならすぐに一緒に暮らせばいい。男の子なら研究所で預かるから心配するな」
軍医の真意はそこにあった。
鬼は愛情深く、我が子を手放すようなことは絶対にしない。丈夫で不思議な力を持つ鬼が若くして死ぬことも稀である。ハヤテのように自らを軍に売るような事態になることは奇跡的と言っても良い。
ハヤテがこの研究所に来た時は十歳になっていて、既に成人男性より力が強かった。とても有用な能力を持っていることもあり、実験体にされることはなかったが、軍医はそれが残念でならない。
薬物により鬼を制御して兵士として使えないか、幼体で試したいと軍医は常々思っていた。それは、所長の思惑でもある。
理性を手放して暴れる鬼は無敵と言ってよいほどの存在で、その力を兵士として使いたいと思うのは軍隊として当然のことであった。
しかし、ハヤテがそのような実験を息子にするのを許すはずがなかった。だからこそ、ハヤテに知られずにサヨを出産させようと画策している。
「サヨは腹に水が溜まる病気になってしまった。私が良いと言うまでサヨに触れてはいけない」
サヨのつわりが始まった頃、ハヤテは研究所の医務室に呼ばれて、軍医からそう告げられた。
「俺が触れたから、サヨは病気になったのか?」
驚いてハヤテが訊くと、軍医は少し困った顔をしてみせた。サヨは病気ではないが、体調が悪いのは確かにハヤテのせいではある。
「サヨは大丈夫なのか?」
ハヤテの手は恐怖で震えていた。サヨを失うかもしれないと思っただけで、冷や汗が背中を伝う。
「ここは医療施設も充実しているし、医師の私もいる。サヨの病気は絶対に治してみせるから、安心しろ。とにかくサヨを大事にするんだ。わかったな」
「先生、サヨを助けてくれ。お願いだ」
ハヤテは深々と軍医に頭を下げていた。
「サヨ、食欲がないのか?」
今までハヤテが大量に食べるのを驚きながらも楽しそうに見ていたサヨが、食卓に並べられた料理を見て辛そうにしている。温かいご飯の匂いを嗅いでサヨは手で口を覆った。
「ハヤテさん、ごめんなさい。今日は自分でご飯をよそってもらえますか?」
吐き気をこらえてサヨは言った。一緒に食事をするのがハヤテの楽しみの一つであるのに、申し訳ないとサヨは思う。
「サヨ、布団を敷いてやるから横になれ。無理をするな」
大食漢のハヤテが食事に目もくれずに布団を敷き始める。
「本当にごめんなさい」
サヨは謝りながら横になった。つわりも辛いが、妊娠のことをハヤテに隠していることも心苦しい。
サヨはハヤテを信じている。
それでも軍医の言葉を無視できないでいた。
ハヤテは軍医の言いつけ通り、サヨに触れることはなかった。
出会った頃のように、二人は手を繋いで眠る。
それでも満たされていた。
「側についていてやりたいけれど、仕事をしないでここを追い出されても困るから」
今まで仕事や運動、勉強にもサヨを同伴していたハヤテだったが、病気のサヨを連れてはいけない。彼女を置いていくのは心配だが、仕事を拒否すればハヤテの利用価値はなくなる。ここを追い出されてしまうと、サヨの治療もままならないとハヤテは悩んでいた。
「私は大丈夫ですから、しっかりお仕事をしてきてください。頑張ってくださいね」
サヨは吐き気をこらえながらハヤテを送り出した。
そんな生活にも慣れて、三ヶ月ほどが過ぎていく。
サヨの妊娠は順調に進み二十三週に入っていた。つわりもおさまり腹が少し目立ってきている。
これ以上腹が大きくなると、ハヤテが妊娠に気づいてしまうのではないかと心配した軍医は、サヨを入院させることにした。
「サヨの体調は安定しているが、腹の水が増えてきている。医務室の隣に病室があるので、サヨをそこに移して治療することにした。一日二時間は逢わせてやるので安心しろ」
ハヤテは軍医からそう説明を受けた。一人で寝ることは寂しいが、サヨのためにはその方がいいとハヤテは思い、軍医に頭を下げた。
大きくなっていく腹を布団で隠して、サヨはハヤテと毎日逢っていた。手を握りその日の出来事を話すハヤテ。代わり映えしないハヤテの日常だが、サヨは話してくれることが嬉しかった。
サヨは女の子を希望していた。
女の子ならハヤテは喜んでくれるのに違いない。
あの小屋で三人で暮らすことができる。
サヨはそんな幸せな夢を見ていた。
産み月に入り三週間ほど経った頃、しばらく面会謝絶状態で治療しなければならないと告げられ、ハヤテはサヨに会うことができなくなった。
食事も取らないほど心配したハヤテを軍医が説得した。
「このままではハヤテが倒れてしまう。サヨの治療が終わったらまた一緒に暮らすことができるのに、ハヤテが病気になったらそれも叶わないぞ」
「わかった。絶対にサヨを治してくれよ」
「大丈夫だ。任せておけ」
ハヤテは自分が倒れるわけにはいかないと思った。サヨの治療が済んだ時、元気な姿で迎えなければと無理をして食事をとっていた。
それから三日ほどしてサヨは出産した。初産にしては軽いお産だと言われたが、想像より遥かに痛くて苦しかった。
サヨの希望に反し、子どもは男の子だった。ハヤテとよく似た黄色い髪と金の目を持つ鬼の子だ。母親の産道を傷つけないように角はほとんど表に出ていない。
サヨは産まれたばかりの小さな息子を抱きあげて母乳を飲ませた。小さな手がサヨの胸を掴もうとする。懸命に乳を吸う我が子を見て、どんなことがあってもこの子を守り抜こうとサヨは誓った。
サヨは鬼がこれほど情が深く優しいとは思ってもみなかった。ハヤテの力強い大きな手は、サヨに安心をもたらし、サヨの白い小さな手はハヤテの心を包み込むように感じていた。
囚われている不幸など感じる暇もないほどに、二人は幸せで満たされていた。
二人はそんな幸せな時がずっと続くと思っていた。
サヨに妊娠の兆候が見られたので軍医の診察を受けることになった。
「ハヤテに妊娠のことを告げていはいけない。鬼は妻を愛するあまり、嫉妬で男の子を殺してしまうことがある。だから、胎の子が男の子だった場合は、しばらく内緒で育てた方がいい」
軍医の言葉はでたらめだったが、サヨには判断がつかない。鬼の生息数はとても少なく、生態は詳しく知られていなかった。
温厚で人を傷つけるのを怖がり、家族をとても大切にする鬼は、息子を殺すようなことは絶対にしない。
しかし、妻や子が傷つけられ理性をなくした鬼が、多数の人を殺してしまうような事件がごく稀に発生する。それを知った多くの者は鬼は残酷で乱暴者だと勘違いしていた。
サヨも売られた相手が鬼だと知って我が身を嘆いたものだ。今ではハヤテがとても優しいと知っている。しかし、息子を殺さないとの確信は持てないでいるサヨだった。
「女の子ならすぐに一緒に暮らせばいい。男の子なら研究所で預かるから心配するな」
軍医の真意はそこにあった。
鬼は愛情深く、我が子を手放すようなことは絶対にしない。丈夫で不思議な力を持つ鬼が若くして死ぬことも稀である。ハヤテのように自らを軍に売るような事態になることは奇跡的と言っても良い。
ハヤテがこの研究所に来た時は十歳になっていて、既に成人男性より力が強かった。とても有用な能力を持っていることもあり、実験体にされることはなかったが、軍医はそれが残念でならない。
薬物により鬼を制御して兵士として使えないか、幼体で試したいと軍医は常々思っていた。それは、所長の思惑でもある。
理性を手放して暴れる鬼は無敵と言ってよいほどの存在で、その力を兵士として使いたいと思うのは軍隊として当然のことであった。
しかし、ハヤテがそのような実験を息子にするのを許すはずがなかった。だからこそ、ハヤテに知られずにサヨを出産させようと画策している。
「サヨは腹に水が溜まる病気になってしまった。私が良いと言うまでサヨに触れてはいけない」
サヨのつわりが始まった頃、ハヤテは研究所の医務室に呼ばれて、軍医からそう告げられた。
「俺が触れたから、サヨは病気になったのか?」
驚いてハヤテが訊くと、軍医は少し困った顔をしてみせた。サヨは病気ではないが、体調が悪いのは確かにハヤテのせいではある。
「サヨは大丈夫なのか?」
ハヤテの手は恐怖で震えていた。サヨを失うかもしれないと思っただけで、冷や汗が背中を伝う。
「ここは医療施設も充実しているし、医師の私もいる。サヨの病気は絶対に治してみせるから、安心しろ。とにかくサヨを大事にするんだ。わかったな」
「先生、サヨを助けてくれ。お願いだ」
ハヤテは深々と軍医に頭を下げていた。
「サヨ、食欲がないのか?」
今までハヤテが大量に食べるのを驚きながらも楽しそうに見ていたサヨが、食卓に並べられた料理を見て辛そうにしている。温かいご飯の匂いを嗅いでサヨは手で口を覆った。
「ハヤテさん、ごめんなさい。今日は自分でご飯をよそってもらえますか?」
吐き気をこらえてサヨは言った。一緒に食事をするのがハヤテの楽しみの一つであるのに、申し訳ないとサヨは思う。
「サヨ、布団を敷いてやるから横になれ。無理をするな」
大食漢のハヤテが食事に目もくれずに布団を敷き始める。
「本当にごめんなさい」
サヨは謝りながら横になった。つわりも辛いが、妊娠のことをハヤテに隠していることも心苦しい。
サヨはハヤテを信じている。
それでも軍医の言葉を無視できないでいた。
ハヤテは軍医の言いつけ通り、サヨに触れることはなかった。
出会った頃のように、二人は手を繋いで眠る。
それでも満たされていた。
「側についていてやりたいけれど、仕事をしないでここを追い出されても困るから」
今まで仕事や運動、勉強にもサヨを同伴していたハヤテだったが、病気のサヨを連れてはいけない。彼女を置いていくのは心配だが、仕事を拒否すればハヤテの利用価値はなくなる。ここを追い出されてしまうと、サヨの治療もままならないとハヤテは悩んでいた。
「私は大丈夫ですから、しっかりお仕事をしてきてください。頑張ってくださいね」
サヨは吐き気をこらえながらハヤテを送り出した。
そんな生活にも慣れて、三ヶ月ほどが過ぎていく。
サヨの妊娠は順調に進み二十三週に入っていた。つわりもおさまり腹が少し目立ってきている。
これ以上腹が大きくなると、ハヤテが妊娠に気づいてしまうのではないかと心配した軍医は、サヨを入院させることにした。
「サヨの体調は安定しているが、腹の水が増えてきている。医務室の隣に病室があるので、サヨをそこに移して治療することにした。一日二時間は逢わせてやるので安心しろ」
ハヤテは軍医からそう説明を受けた。一人で寝ることは寂しいが、サヨのためにはその方がいいとハヤテは思い、軍医に頭を下げた。
大きくなっていく腹を布団で隠して、サヨはハヤテと毎日逢っていた。手を握りその日の出来事を話すハヤテ。代わり映えしないハヤテの日常だが、サヨは話してくれることが嬉しかった。
サヨは女の子を希望していた。
女の子ならハヤテは喜んでくれるのに違いない。
あの小屋で三人で暮らすことができる。
サヨはそんな幸せな夢を見ていた。
産み月に入り三週間ほど経った頃、しばらく面会謝絶状態で治療しなければならないと告げられ、ハヤテはサヨに会うことができなくなった。
食事も取らないほど心配したハヤテを軍医が説得した。
「このままではハヤテが倒れてしまう。サヨの治療が終わったらまた一緒に暮らすことができるのに、ハヤテが病気になったらそれも叶わないぞ」
「わかった。絶対にサヨを治してくれよ」
「大丈夫だ。任せておけ」
ハヤテは自分が倒れるわけにはいかないと思った。サヨの治療が済んだ時、元気な姿で迎えなければと無理をして食事をとっていた。
それから三日ほどしてサヨは出産した。初産にしては軽いお産だと言われたが、想像より遥かに痛くて苦しかった。
サヨの希望に反し、子どもは男の子だった。ハヤテとよく似た黄色い髪と金の目を持つ鬼の子だ。母親の産道を傷つけないように角はほとんど表に出ていない。
サヨは産まれたばかりの小さな息子を抱きあげて母乳を飲ませた。小さな手がサヨの胸を掴もうとする。懸命に乳を吸う我が子を見て、どんなことがあってもこの子を守り抜こうとサヨは誓った。
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