牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈

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 楽しそうにダンスを踊っているディルクとリーナを、ヴェルレ公爵はぼんやりと眺めていた。
 ハルフォーフ将軍の伝説は大陸中の者が知っていると言っても過言ではなく、その強さは人の規格に収まりきらず神と同列に語られている。そんな化け物じみた伝説にまみれた男に、ごく普通の公爵令嬢だったリーナが心惹かれるとは思えないと、ヴェルレ公爵は不思議に思う。そして、一見優男にも見えるディルクに、リーナは騙されていると考えた。

 人は見たいものを見て、信じたいものを信じる。第二王子は悪女に騙された被害者であり、リーゼは裏切られてもなお第二王子のことを想いながら嘆き悲しんで死んでいった。宰相が広めたそんな悲恋物語は、ヴェルレ公爵にとってとても心地良ものであった。少なくとも、酷い扱いをして殺してしまったと思うよりは。

 もし、ハルフォーフ将軍の婚約者がリーゼであるのならば、ヴェルレ公爵は愛し合っていることをブランデス国王に伝えて、帰国の許可を貰うつもりでいた。
 この会場の皆に離れ離れになってしまった妻を迎えに来たと訴えれば、来場者の全てが自分の味方になり、いくら武力に秀でていても無理やりリーゼを引き止めればハルフォーフ将軍は孤立してしまうと考えていた。
 ところが、リーナは嬉しそうにディルクを見上げながら楽しそうに踊っていて、来場者は彼ら達の婚約を祝っている。
『皆も騙されているんだ。直接会えばリーゼはわかってくれる』
 ヴェルレ公爵はそう考えていた。
 結局、薄笑いを浮かべながらディルクとリーナを見つめているヴェルレ公爵は、来場者の令嬢たちから不気味がられて誰とも踊らなかった。ヴェルレ公爵本人は、妻に義理を通したと悦に入っていた。


 迎賓館へ戻ったヴェルレ公爵は五人の護衛を集めた。スランは初めて入る貴賓室の豪華さに気後れを感じていた。今まで身分が低い彼は部屋の外の護衛担当だったのだ。
「ハルフォーフ将軍の婚約者はリーゼだと皆は理解したと思う。これからリーゼが訪ねてくるので彼女を国へ連れ帰りたい」
 ヴェルレ公爵の言葉に近衛騎士たちは驚き、スランは呆れ返った。

「お前は自分が何をしたか、覚えていないのか?」
 スランがヴェルレ公爵を睨みながらそう言うと、若い近衛騎士が突っかかった。
「平騎士の分際で公爵閣下になんて失礼なことを。身の程を弁えよ!」
 スランはそんな近衛騎士に向かって薄笑いを浮かべる。
「このまま放っておいたら、この馬鹿はハルフォーフ将軍の婚約者を拐おうと言い出すぞ。当然ハルフォーフ将軍は激怒するだろうな。お前たちはあの男を止めることができるとでも思っているのか? 例え皆殺しにされたとしても、ブランデスの将軍を怒らせて殺されたのならば、国は抗議さえできない。まさしく犬死だ。まあ、俺は逃げるからいいけどな」
 近衛騎士はハルフォーフ将軍が抜剣した時に全く動けなかったことを思い出し、黙るしかなかった。

「で、あんたはリーゼの髪を切れと俺に命じたよな。俺が命令に従わなければ、解任して嗜虐趣味のある男を牢番に据えると脅した。食事は一日一回で十分だとも言った。高位貴族令嬢のリーゼに侍女も付けずに一人で生きていけと言い放った。そんな男をリーゼが好きになると思うか?」
 スランの話は、騎士道を重んじる騎士にとって許しがたいものである。若い近衛騎士も憮然とした顔でヴェルレ公爵を見る。
「リーゼが私のことをどう思っているか関係ない。彼女を好きでもない男と結婚させる訳にはいかないだけだ。元々私のせいであの男に連れて行かれたのだから。彼女を助けるのは私の役目だ」
 スランはため息をついた。ヴェルレ公爵から見ると、リーナとディルクが想い合っていないように見えるらしい。


 そんな時、ディルクとリーナが訪ねてきた。今回は舞踏会の後ということもあり、正式にハルフォーフ将軍とその婚約者として面会を求めてきた。
 ヴェルレ公爵から椅子を勧められたリーナは不安そうに座った。そんな彼女を見たディルクは当然機嫌が悪い。リーナの側を絶対に離れないとでもいうように、ディルクは彼女の後ろに立ち、ヴェルレ公爵を睨めつけた。殺気を放ってる危険そうなディルクに近衛騎士たちも腰が引けている。
 スランはドアの近くに移動した。もし、ヴェルレ公爵がディルクを怒らせるようなことをしたら、さっさと逃げようとしたのだ。大国の英雄と剣を交えて勝てると思うほど、スランは剣に無知ではない。

 後ろでディルクがヴェルレ公爵を威嚇しているとは全く知らないリーナは、不安な思いを押し殺してヴェルレ公爵を睨んでいた。まとっている青碧のドレスが守ってくれているようにリーナは感じている。
「サンティニ公爵から託されたものとは何でしょうか?」
 リーナの問いに、ヴェルレ公爵は余裕の笑みを浮かべた。リーナはそれを確かめずには帰らないと安心したからだ。
「その前に一つ聞きたい。国へ帰りたくはないのか?」
 リーナが帰りたいと言ったのならば、ヴェルレ公爵はブランデス国王に頼むつもりでいた。ブランデス国王はかなり怒っていたが、ヴェルレ公爵はそのことに思い至らず、小国とはいえ王家の血を引く彼の言葉に耳を傾けてくれると信じている。

「おかしなことを尋ねるのですね。私の国はブランデスです」
 その言葉はリーナの覚悟の表れだった。国を捨ててきたリーナを、ハルフォーフ家もウェイランド家も暖かく迎えてくれた。そして、ブランデス国王も自国民として扱ってくれた。今のリーナにとって国はブランデスのみである。
 その言葉を聞いてディルクは頬を緩める。反対にヴェルレ公爵の顔は厳しくなった。
「本当にそんな乱暴な男と結婚するつもりか?」
 ヴェルレ公爵がディルクを指差すと、つられてリーナが振り返った。それまでヴェルレ公爵を睨みながら威嚇していたディルクは、リーナが振り向くと途端に柔和な顔になる。にこにこと笑うディルクにリーナも微笑みを返した。
『詐欺臭いほどの表情の変化だな。いっそ清々しい』
 ディルクの表情の変わり方が激しすぎるので、スランは妙に感心していた。

「ディルクは私を助けてくれた恩人です。親切で優しくて、とても素敵な人なんです。そんな彼と結婚できることは本当に嬉しいです」
 微笑むリーナを見て、ヴェルレ公爵は打ちのめされたように下を向いた。そして、小箱を取り出す。
「これがサンティニ公爵から預かったものだ」
 ヴェルレ公爵が差し出した小箱を受け取ったのはディルクだった。
「僕が開ける」
 ディルクは毒や刃物を仕込まれていると危険だと思い、自分で開封することにした。

「これは、お母様の形見」
 小箱から出てきた大きな青碧の宝石を使った首飾りを見て、リーナはとても驚く。この宝石はリーナの母親の実家である伯爵領でしか産出しない非常に珍しいものだった。母がサンティニ家に嫁ぐ際に嫁入り道具の一つとして持ってきたものだ。
「君がハルフォーフ将軍との結婚を望んでいるのならば、渡してほしいと言われた」
 サンティニ公爵はこの希少な宝石をとても大切にしていた。母の形見でもある。それを贈られたのだ。
「見捨てられたと思っていました」
 美しい青碧の首飾りを手に取り、リーナは亡くなった母と国に残してきた父を想って涙を流していた。

「リーゼ、いや、今はリーナ嬢だったな。本当の申し訳なかった。君を辛い目に合わせた」
 ヴェルレ公爵はリーナに頭を下げる。スランに言われて自分が行った非常な所業にやっと思い至った。
「その謝罪はお受けできません。私はリーナ・ウェイランド。リーゼは既に亡くなっているからです」
 リーナがヴェルレ公爵を睨むと、彼は怯んだように唇を噛む。
「私に何かできることはないか?」
「それならば一つだけ願いがあります。リーゼと離婚してください。私の身も心も全てがディルクのものです。捨てた名だとしても、他の方に渡したくありません」
 それほどの拒絶を受けると思わなかったヴェルレ公爵はがっくりと肩を落とす。

「リーナ様、ご安心ください。貴女の意思は必ずサンティニ公爵にお伝えしますから」
 口も利けないヴェルレ公爵に変わって答えたのは、近衛騎士の一人だった。
「ハルフォーフ将軍閣下とリーナ様をこれ以上煩わせることはありません。本当にお許しください」
 もう一人の近衛騎士が頭を下げた。もうこれ以上、自国の恥をさらしたくないと彼らは思った。

「リーナを連れて会いに行くと、サンティニ公爵閣下にお伝えして欲しい」
 そんな近衛騎士たちに、ディルクが頭を下げる。
「承知した。必ずやお伝えしよう」
 近衛騎士の一人が約束をするように腕を前に向けた。 
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