牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈

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 高い天井には精緻な絵が描かれている。床は木で美しい文様が描き出されていた。多くのシャンデリアが吊るされ、広いダンスホールの隅々まで光を届けていた。
 大国ブランデスの王宮で開かれる舞踏会は、王族として育ったヴェルレ公爵をも圧倒するだろう。ブランデスにはそれだけの国力があり、その国を守り抜いたのはハルフォーフ将軍に他ならない。
 ブランデスの英雄ハルフォーフ将軍が婚約者を伴い出席すると聞いて、本日の舞踏会は大いに賑わっていた。
 若き英雄はほとんど社交界に顔を出さない。外国の要人が参加するような大きな舞踏会では、甲冑をまとってやってきてすぐに退出してしまう。若い令嬢の中にはハルフォーフ将軍の素顔を知らない者もいた。ただ、大層な伝説にも拘らず優しそうな男性であることは知られている。


 勲章をいくつも飾り付けた騎士の正装をまとったディルクと、彼の色である青碧のドレスを身につけたリーナが仲良く会場に現れる。
 嬉しそうに細められた目でリーナの姿を見ているディルクと、微笑みながら背の高い彼を見上げているリーナの姿は、愛し合う恋人同士だと周囲に知らしめていた。
 英雄であるハルフォーフ将軍を見知らぬ女性に持ち去られて悔しがる令嬢も少なくなかったが、参加者の多くは英雄が伴侶を見つけたことを祝福していた。

 そんな中、ブランデス国王がヴェルレ公爵を伴って会場に姿を現した。夜会服を着たヴェルレ公爵は確かに美しい。しかし、ひげをたくわえた恰幅のいい国王の横では、いささか貧弱で威厳に欠けるのも事実だった。

 リーナの手を引きながら王に近づくディルク。王の横には今日の主役であるヴェルレ公爵が立っている。彼にリーナを会わせたくはないと思うディルクだが、王に挨拶しない訳にはいかない。
 リーナは不快そうにヴェルレ公爵を一瞥して、目線をディルクに戻す。途端に笑顔も戻ってきた。

「ハルフォーフ将軍、そなたの婚約者はとても美しいと聞いてはいたが、想像以上だ。まさしく月の女神のようだな」
 目の前にやって来たディルクとリーナを見て、国王は大変機嫌がいい。国の守護神であるディルクが想う相手と結ばれるのは王の願いでもあった。彼が安定した精神状態でいることは国のためでもある。
 王にリーナを褒められてディルクはとても機嫌がいい。リーナは少し恥ずかしくて頬を染めるが、その所作も可愛らしく王は微笑んだ。
「仲睦まじくて何よりだ。今夜は楽しんでくれ」
「ありがたきお言葉、感謝いたします」
 ディルクとリーナは仲良く頭を下げた。 

「ハルフォーフ将軍と違い、ヴェルレ公爵は残念なことにお一人での参加だが、ここには我が国の華が集まってきている。貴方も楽しんでほしい」
 王はリーナの事情を報告されていた。そして、娘を持つ親としてヴェルレ公爵には少なからず怒っていたので嫌味を言った。
「私は妻を唯一人の女性と決めておりますので、どのような美しい女性を見ても楽しめることはありません」
 ヴェルレ公爵はうっとりとした目でリーナを見つめている。ディルクは睨み返し、リーナは目も合わせなかった。

「ヴェルレ公爵は亡くなった女性と書類だけの結婚をしたと伺った。しかも、貴方が殺したのも同然の女性らしいではないか。その女性も気の毒にな。生前には無実の罪で婚約破棄をされて牢に押し込められ、様々な屈辱を与えられて死に追いやられたのにも拘らず、死後、その男の妻とされるなんて屈辱だろう。リーナ嬢もそう思わないか?」
 さすが大国の王である。声は広い会場の隅々まで届く。小国の王子の所業など知らなかった来場者たちは、興味深そうにリーナの言葉を待った。
「陛下。私もそう思います。私ならばとても耐えられません。既に亡くなっていて離婚を申し出ることができないその御方が気の毒で仕方ありません」
 リーナの目から一粒の涙がこぼれる。来場者たちはリーナの言葉に同意し、ヴェルレ公爵に突き刺さるような眼差しを向けた。

「しかし、リーゼは私との結婚を望んでいたはずだ!」
 ヴェルレ公爵はこの結婚をリーゼのためだと信じたかった。
「自分を殺そうとした男性との結婚を望むような女性がいるとは思えませんが。私の感覚がおかしいのでしょうか?」
 リーナはヴェルレ公爵を睨んだ。結婚など望んでいないと主張しなければ気持ちが収まらない。
「リーナ嬢の感覚は正当だと思うが」
 王が会場を見渡せば、来場者も皆頷いている。王も満足気に頷いた。

「リーナ、ヴェルレ公爵のことが気になるのか?」
 ディルクは握った手に汗をかいているリーナのことを心配していた。
「いいえ、全く。私には関係ない方ですから。だって、私はディルクの婚約者ですもの。他の男性を気にするはずありません」
 ディルクはきっぱりと言い切ったリーナを嬉しそうに見ている。
「僕もリーナ以外の女性には全く興味がないよ。君が唯一だ」
 恥ずかしそうに微笑みながら、リーナはディルクの手を握る指に力を込めた。

 壁際に並んでいたヴェルレ公爵の護衛たちは、リーナを見て事情を察していた。しかし、大国ブランデスの王がリーナを自国民だと扱っている以上、ヴェルレ公爵の妻だとは言い出せない。ヴェルレ公爵が公に侮蔑されているのも止めることができないでいた。
 そもそもヴェルレ公爵が悪いのだと、近衛騎士たちもわかっている。最後にリーゼに会いに行ったヴェルレ公爵には何人もの近衛騎士が付き従っていた。骨と皮になったリーゼの姿に驚いたのはヴェルレ公爵だけではない。ヴェルレ公爵への愛を本人から否定されては、騎士として彼を庇うことはできない。どのみち、小国からは抗議もできないが、ヴェルレ公爵は愚弄されて当然だと彼らも感じていた。

 スランはリーナを頼もしい思いで見ていた。ディルクから無条件に愛され、リーナは自信に満ち溢れて輝いている。生きる意義を見失い緩やかに死を望んでいたリーゼはもういない。輝くばかりの笑顔を愛するディルクに向けているリーナがそこにはいた。

 来場者からヴェルレ公爵へは嘲笑を、ディルクとリーナには暖かい眼差しが向けられていた。

 悔しそうに会場を見渡したヴェルレ公爵は、
「サンティニ公爵から預かっているものがある。後で逢いたいのだが」
 小さな声でリーナに告げた。
 もう彼に会うつもりはなかったが、父の名を出されてリーナは迷う。不安になってディルクの青碧の目を見ると、彼女の大好きな眼差しと重なる。リーナは安心したように頷いた。
「婚約者のディルクと一緒であれば、お会いします」
「もし我が婚約者を傷付けるようことを言えば、生きてブランデスを出ることは叶わないと覚えておけ」
 優しそうだったディルクの顔は、大国の将軍に相応しい厳しいものへと変化した。
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