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 騎士見習いが集う訓練所に放り込まれて二週間、スランは汗だくで樹の下に座り込んでいた。上半身を脱ぐとここに来た当初よりは随分と引き締まった筋肉が露わになる。下を向くと少し伸びた灰色の髪から汗の雫が滴った。
 使い込んだタオルで体を拭いているスランを、若い騎士見習いたちがにやにやしながら眺めている。同じ距離を走り込んだにも拘らず、息を上げているスランを馬鹿にしているのは明らかだ。

『ああいう時期が俺にもあった』
 眩しそうに若い騎士見習いを眺めながら、スランは希望にあふれていた若い頃を思い出していた。
 誰よりも強くなれると思っていた。
 誰よりも幸せになろうと望んでいた。
 しかし、それが幻想だと気づくのにそれほどの期間は必要なかった。

「そろそろ、あいつらと剣を交えてみるか?」
 そう声をかけたのは同期の騎士で、この訓練所の剣術師範である。強いと思っていたスランの鼻柱を叩き折った男でもあった。
「そうだな。少しは絞れた気がするぞ」
 訓練所に来てからスランは剣を握っていない。走り込みや腕立て伏せ、腹筋等で体を絞り込んできていた。三十九歳になる彼の肉体は悲鳴を上げていたが、目的のために無視して基礎鍛錬を続けていた。


「お前ら、こっちへ来い。剣に自信のある者は申し出ろ。このスランが相手してくれる」
 騎士見習いたちに動揺が走った。馬鹿にしていたスランが今まで見たこともない闘気を放っていたからだ。しかし、まだ本気で命のやり取りをしたことのない騎士の卵たちは、スランの力量を正確に測ることはできなかった。自分たちの速度についてこれない年配の騎士に負けるはずがないと、我先にと手を挙げる。
 適当に五人を選んだ師範は、闘技場へと皆を導いた。


「スラン、全力を出してもいいぞ。負けることも経験だからな」
 師範の言葉にスランは薄く笑ったが、選ばれた五人の騎士見習いたちは納得できない。元は正騎士であったとしても、落ちぶれて牢番をしていたような男に負けるとは思えなかった。
「全力出して俺たちみたいな若造に負けたら格好悪いからなんて理由で、手加減しないでくださいよ。練習にならないから」
 一番手に指名された騎士見習いが、余裕を見せるように笑いながらそう言った。
「あいにく、手加減するほど余裕があるとは思えないので、全力で相手する」
 そう言うが早いかスランが剣を薙ぐ。慌てて止めようと騎士見習いが剣を出すが弾き飛ばされる。スランの剣は鮮やかに騎士見習いの腹に決まった。刃を潰している練習用の剣なので斬れるようなことはないが、真剣であったのなら命は消えていた。
 腹を抑えて蹲りながら、騎士見習いは信じられない思いでスランを見つめていた。

「まだ、牙は抜けていないようだな」
 師範の言葉に、スランは凶悪な笑顔を見せた。



 スランにとって強さは価値を失っていた。いくら強くても病気の妻も娘も救えない。命を奪った病を斬ることもできなかった。
 しかし、リーゼの命を奪おうとした男なら斬ることができる。スランは再び強さに価値を見出していた。
 ブランデスへ入国できる護衛の数は限られている。彼の地ならば、元王族の公爵であったとしても命を奪うことは不可能ではない。 
 スランは既に国を捨てる覚悟も、命を捨てる覚悟もできていた。あとは仲間を斬る覚悟だけである。
 



「義父上、お伺いしたいことがあります」
 ヴェルレ公爵はリーゼの父であるサンティニ公爵邸を訪ねて面会を求めた。
 サンティニ公爵は会いたくなかったが、追い返すこともできずに応接室に入るやいなや、ヴェルレ公爵に詰め寄られるようにそう言われた。
「ヴェルレ公爵、私は君に義父と呼ばれる筋合いはない」
 サンティニ公爵は睨んだが、ヴェルレ公爵にひるむ様子はない。
「リーゼが生きていることを知っていたのではないですか?」
 サンティニ公爵の顔色が変わる。
「やはりお前があの牢番に命じてリーゼを連れ出したんだな。リーゼをどこへやった。死ぬほどの目に遭わせてもまだ足りなかったのか? 卑劣なお前なら娼館にでも売るかと思って探させたけれど、リーゼはどこにもいない」
 サンティニ公爵は憎い男の両腕を強く掴んで揺さぶった。

「違う。私ではない。あの牢番が死にそうになっていたリーゼを哀れに思って牢を連れ出したのだ」
「嘘をつくな! リリアンヌの嘘が発覚してリーゼの冤罪が晴れも、お前はリーゼが生きていることを告白しない。そのまま隠蔽しようとしたんだろう? だから、私はお前の断罪を求めなかった。幽閉などされてしまうとリーゼの行方がわからなくなるから」
 リーゼの父が憎い第二王子とリーゼとの書類上の婚姻を許したのは、政治的な思惑もあったが、主な目的はリーゼの行方を探るためだった。リーゼが生きていることを公表しなかったのは、知られてしまうと隠蔽するために殺される恐れがあると判断したからだ。
 サンティニ公爵は牢番とヴェルレ公爵となった第二王子を見張らせていたが、リーゼの行方はようとしてつかめないでいた。

「リーゼの行方がわかったかもしれません」
「どこだ! 今すぐ助けに行く」
「ブランデスのハルフォーフ将軍の婚約者がリーゼだと思われます。私はブランデスへ視察に訪れたいと申し入れました」
「まさか、青碧の闘神か」
 伝説に語られる有名すぎる名を聞き、サンティニ公爵は思わず憎い男の腕を離していた。
 何かを思い悩むサンティニ公爵。そして、部屋を出て行き、しばらくして小さな箱を持って戻ってきた。

「老齢の私がブランデスまで同行すれば足手まといになる。だから、これをお前に託す。リーゼがハルフォーフ将軍との結婚を望んだら渡してくれ。妻の形見だ」
 それは、青碧の不思議な輝きを見せている大きな宝石が中央についた首飾りだった。
「破壊神と言われるような男との結婚を、リーゼが望むでしょうか?」
「女に騙されて婚約者を殺そうとする男よりは、好ましいと思うが?」
 睨むサンティニ公爵に、ヴェルレ公爵は俯くしかなかった。



 それから半月後、ブランデスから視察を受け入れる旨の返事が来た。
「連れていける護衛は五人。国境までハルフォーフ将軍が迎えに来る。決して彼の国で騒動を起こしてはならん。この国など一瞬で潰されてしまうから」
 王は不肖の息子のそう告げた。
 ヴェルレ公爵は、それでもリーゼを助け出さねばならないと考えていた。
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