牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈

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 王都は日が落ちかけて赤く染まっていた。反対の空にはもうすぐ満ちる月が昇っている。
 自宅の庭で剣の素振りをしていたディルクは、手を止めリーナを想って月を見上げた。明日の朝には王都を発ち、翌々日にはリーナに会える予定だ。そのためには将軍職を頑張ってこなしていた。

「リーナに逢いたい」
 一年間片思いをしていたので、想いが通じてから一ヶ月待つぐらい何でもないと思っていたが、やはり逢いたい想いは募っていく。
 そんなディルクの耳に馬車が近付いてくる音が入ってきた。夕暮れ時からの来訪は通常ではない。緊急の用だと思われる。ディルクは急いで門に走って行った。

 馬車にはよく知るウェイランド伯爵家の紋章が掲げられている。リーナに何かあったのかと心配になり、ディルクは眉をひそめた。
 従姉に会うのが怖くて沈痛な面持ちになっているウェイランド伯爵に続いて、アリーセに手を引かれたリーナが馬車から降りてくる。
 リーナの無事な姿を確認して、ディルクは安心して息を大きく吐いた。
「リーナ! 何かあったのか?」
 リーナに近寄ろうとしたディルクをエドガーが剣で止めた。
「お嬢様に気安く近寄るな。呼び捨てにするなとも言ったはずだが」
 そのやり取りを目を白黒させて見ていたウェイランド伯爵だが、まだ婚約前なのだから節度を持って付き合ってもいいかと思い、そのままにした。リーナもディルクに近寄ろうとしたが、エドガーの剣幕に驚いてその場に立ち尽くした。

「ディルク。久し振りだな。従姉殿に会いたいのだが、取り次いでもらえるだろうか」 
 ウェイランド伯爵は日が落ちきる前に話を付けておきたかったので、挨拶もそこそこにディルクに頼んだ。ディルクの母親に話をしたかったのは、シュニッツラー侯爵の所業に怒ったディルクを止めることができるのは彼女しかしないと思ったからだ。
「どうぞ。こちらへ」
 ウェイランド伯爵の様子が普通ではないので、ディルクもすぐに家の中に案内することにした。


 屋敷の玄関には異変を聞きつけた次男のツェーザルがやってきていた。
「ウェイランド伯爵殿、リーナ、いががなされた」
 思ってもいない来訪者に驚くツェーザル。
「従姉殿と話があってな。ツェーザルも同席してくれるか?」
 ディルクを止める人員は多いほど良いと考えて、ウェイランド伯爵はツェーザルに同席を頼んだ。
「ツェーザル様、お久しぶりです。お元気でしたか」
「リーナ、私は元気でした。貴女もお元気そうで良かったです。かなりふっくらとしてきて、益々お美しくなりましたね」
 そう言ってリーナを褒めている厳ついツェーザルのことを、アリーセはハルフォーフ将軍その人だと勘違いしていた。
 リーナは普通に挨拶をしていたので、彼を嫌ってはいないことに安心していたが、恋人がいる女性に横恋慕して無理やり結婚をしようとするなんて、やはり悪い奴だと感じていて、ハルフォーフ将軍に頼らざるを得ないリーナのことをとても不憫だと思っていた。

 
 アリーセを控室に残して、応接室に向かう一行。
「お前、あの侍女殿に何かしたのか? すごい目で睨んでいたぞ」
 アリーセがかなりきつく睨んでいたので、ディルクがリーナに見とれている間に、ツェーザルが嫌われるようなことをしたのかと心配になる。
「何もしていません! 兄上だって見ていたでしょう」
 はっきり言ってリーナしか見ていなかったディルクだが、真面目なツェーザルが変なことをするはずないと思い直した。
『顔が怖いので警戒されているだけか』
 ディルクは内心かなり失礼なことを思っていた。

 応接室では、ハルフォーフ一家全員とウェイランド伯爵、そして、リーナが顔を揃えた。

「実は、アルノルトが失踪して……」
 ウェイランド伯爵はためらいがちに話し始めた。
 シュニッツラー侯爵がリーナを愛人に寄越せと言っているとウェイランド伯爵が話すと、今までにこやかにリーナを見ていたディルクの顔が一気に険しくなり、椅子を蹴り飛ばさん勢いで立ち上がった。手は剣の柄にかかっており、今にも抜きそうになっている。

「その男、叩き斬ってやる!」
 部屋を飛び出そうとしているディルクを母が止めた。
「激情のまま財務局の局長を切り捨てたりしたら、お前は罪人になってしまいます。我が家の功績を考えれば家の取り潰しまでにはならないでしょうが、お前が罪人になってしまえばリーナを守れない。それでもいいのですか?」
「しかし、母上、そのような男を放置しておいていいはずがない。リーナを愛人になんて、ふざけるにも程がある」
 怒り心頭のディルクは声を荒立てた。
 穏やかなディルクのいつもと違う様子に戸惑いながら、リーナも止めに入る。

「ディルク、落ち着いて。アルノルト義兄様が拘束されているかもしれないの。シュニッツラー侯爵の屋敷を調べてみたい。だから、私はシュニッツラー侯爵のところへ行こうと思います」
 自分のせいでアルノルトを巻き込んでしまったのではないかと心配しているリーナは、自ら王都のシュニッツラー侯爵邸へ行こうとしていた。
「駄目だ!」
 当然、ディルクが反対する。
「許可できないわ」
 母も同じ気持ちだ。
「無謀にも程がある」
 ツェーザルも呆れている。
「自ら危険に飛び込むなんて、愚かと言われますよ」
 三男のヴァルターも止めに入った。
「リーナに何かあったら、ディルク兄様が悲しむから」
 四男のマリオンはどこまでもディルクのためを思っている。


「でも、このままではウェイランド伯爵が潰れてしまうかもしれない」
 リーナは辛そうに呟いた。
「マリオン、僕は君のために何回も母上と戦っただろう。一回だけ恩を返してくれないか?」
 真剣な目でマリオンを見つめるディルク。
「もちろんだよ。兄様の恩は忘れたことがないから」
 笑顔で頷くマリオン。本当に天使のようだとリーナは思った。

「まぁ、リーナの代役なら私が務めてもいいのに」
 ディルクの求めを察した母がそう言った。
「母上は、年ま……」
 母の目が鋭く変わって、剣の柄に手をかけたので、ディルクは言葉を切った。
「ディルク、死にたいようね」
「いや、母上には侍女という大役がありますから」
「まぁ、いいわ。その役務めてあげましょう。さぁ、マリオン、ドレスを選びましょう」
 話についていけないマリオンはキョトンと長兄を見ていた。 
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