牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈

文字の大きさ
上 下
15 / 52

15.

しおりを挟む
「はぁ」
 久し振りに自室に戻ったディルクは盛大なため息をついた。
 
 武に秀でた母親であるが、実は可愛いものが大好きである。常々息子しかいないことを嘆いていたので、可愛らしいリーナのことを気に入るとは思っていたが、母の反応はディルクの予想以上だった。
 リーナを取り上げられた気がして母に反感を覚えたディルクだったが、リーナは仮初の花嫁であることを思い出す。

 リーゼを救うためには母の制止を振り切って救出に向かうべきだったとディルクは思うが、もしそうしていれば、リーナと出会うことができなかった。
 リーナが他の見知らぬ男に託されるようなことになっていれば、今も生きているか疑わしいとディルクは思う。生きていても、娼館に売られてしまったり、無理やり体を奪わたりと、幸せに暮らしているとはとても思えなかった。

 リーゼはどうしても救い出したかった。しかし、リーナも助けたいと思う。二人とも幸せにしたかった。ディルクは強く手を握りしめながら、どうすれば良かったのかと思案に暮れていた。



「気持ちいいです」
 湯浴みを済ませ、侍女に体中を揉みほぐしながら香油を塗ってもらっているリーナが思わず呟いた。三ヶ月近く前から手入れしていない上に栄養不足だった荒れた肌に、優しい香りの香油が染み込んでいくようで本当に気持ちがいい。
「リーナ様はもともと美しい肌だったのでしょうね。すぐ元に戻りますよ」
 侍女たちも楽しそうにしている。
 ハルフォーフ家は職場としては思った以上に良い環境だが、武人の夫婦に四人の男の子では、さすがに華がなさすぎた。そこに若い当主が花嫁を連れてきた。しかも、花嫁は非道な継母に囚われていた姫君、肌も髪も痛んでいたので手入れのやりがいもあり、侍女たちは皆張り切っていた。

「ディルク様もリーナ様が美しくなると喜びますね」
「ずっと想っていた囚われの姫君を単身助け出してくるなんて、本当におとぎ話みたい。穏やかなディルク様だけど、やる時はやるのね」
 賑やかに侍女たちが会話しているのを聞いていて、リーナはディルクには想う人がいることを思い出してしまった。
 ディルクが救出に成功していたら、ここにいるのは彼女だったのだ。
 幸せになるのは彼女だったはずなのに、自分が取り変わろうとしている。彼女に申し訳ない思いがリーナの心を締め付けていた。


 リーナはディルクに彼女のことを聞いてみようとしたことがあった。もしかして知り合いかもしれないと思ったのだ。他国の将軍が交流を持つ女性は限られている。貴族令嬢ならば顔見知りである可能性が高い。しかし、ディルクにとっては辛い記憶だろうし、何よりも嫉妬してしまうのが怖かった。
 彼女が死んでしまって良かったと思ってしまうのではないかと、リーナは恐れていた。
 自分だけが助かったのにも拘らず、そんな醜い心を抱くのは耐えられない。だから、リーナは彼女のことを考えないようにしていた。

 ディルクの母親や弟が良い人だったのもリーナには辛かった。
 二人はリーナがリーゼであると気が付かず、ディルクの想い人だと信じて疑っていない。侍女たちにもそう紹介された。
 リーナはディルクの大叔父の縁続きの娘で、一年ほど前にディルクが大叔父の領地を訪れた時に出会い、運命のように恋に落ちた。しかし、リーナの父親が死亡してしまい、遺されたリーナは継母に虐待されて監禁されていた。そこをディルクが助け出しハルフォーフ邸に連れて来たことになっている。
 侍女たちはこのおとぎ話のような恋愛譚を素直に信じて、痩せて手入れの行き届いていないリーナを気の毒に思い、美しく変身させたいと張り切っている。

 ディルクの母は彼女に居場所を用意して待っていた。それはどこまでも優しく居心地がいい。
 だからこそ、この環境を享受することにリーナは罪悪感を覚えてしまう。
 リーナは彼女への申し訳ない気持ちで涙を流した。
「リーナ様、どこか痛いのですか?」
 侍女が驚いて香油を塗る手を止める。
「違うの。幸せだなと思って」
「お辛い目に遭ったのですものね。でも、これからもっとお幸せになりますよ。これぐらいで泣いていては涙が枯れてしまいます」
 侍女は微笑みながらそう言うと、ことさら優しく手を動かした。


「晩餐の時間が迫っていますから、ドレスをお召しになってもらえますか。髪は横を編んで上げて、薄くお化粧をしましょう」
 長旅の疲れを取るようにゆっくりとマッサージを受けて、気持ちよさのあまり目を閉じてうとうとしていたリーナは声をかけられて覚醒した。
「お化粧は可愛くなるようにお願いできますか?」
 ディルクにリーゼであることを知られたくないリーナは、以前とは違う雰囲気になる化粧を依頼した。
「畏まりました」
 うやうやしく頭を下げた侍女は、持ちうる技術の全てを使いリーナを可愛く飾り立てると拳を握りしめていた。


 広い食事室には久し振りにハルフォーフ家の全員が揃っている。
 中央には当主のディルク。その隣は空席でリーナが座る予定だ。反対の隣には次男、向かいには母親と三男、そして、四男が座っていた。
 そこに侍女に手を引かれたリーナが入ってきた。

「まぁ、可愛い!」
 母親の言葉に嘘はなかった。侯爵家の侍女たちが磨き上げたリーナは、見違えるほどに可愛くなっている。
「本当に可愛いですね。兄上もそう思うでしょう?」
 次男のツェーザルはディルクの脇腹を肘で突きながら笑っている。ディルクは思った以上に可愛いリーナを見て、顔を赤く染めたが、見惚れている自分に自己嫌悪を感じながら俯いてしまった。
「華やいで良いのではないでしょうか」
 三男のヴァルターは、整った顔に皮肉な笑みを浮かべてディルクを見ている。

「僕はそんな女なんて、ディルク兄様の花嫁と認めないから!」
 まだ十三歳の四男マリオンは、天使のような可愛らしい顔を歪めながら立上がり、リーナを指さしながらそう怒鳴った。

***
 二千十八年四月二十二日 鈴元 香奈 著
しおりを挟む
感想 120

あなたにおすすめの小説

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います

ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」 公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。 本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか? 義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。 不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます! この作品は小説家になろうでも掲載しています

デブスの伯爵令嬢と冷酷将軍が両思いになるまで~痩せたら死ぬと刷り込まれてました~

バナナマヨネーズ
恋愛
伯爵令嬢のアンリエットは、死なないために必死だった。 幼い頃、姉のジェシカに言われたのだ。 「アンリエット、よく聞いて。あなたは、普通の人よりも体の中のマナが少ないの。このままでは、すぐマナが枯渇して……。死んでしまうわ」 その言葉を信じたアンリエットは、日々死なないために努力を重ねた。 そんなある日のことだった。アンリエットは、とあるパーティーで国の英雄である将軍の気を引く行動を取ったのだ。 これは、デブスの伯爵令嬢と冷酷将軍が両思いになるまでの物語。 全14話 ※小説家になろう様にも掲載しています。

完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。 王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。 貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。 だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

【完結】ふざけるのもいい加減にしてください。お金に困った婚約者が私を賭け事のチップの担保にしてました。

西東友一
恋愛
目が覚めると、私は椅子の上で縛られており、目の前には婚約者のカイジンがポーカーをしていた。 なんと、金に困った彼は私を賭けのチップにしていた。 相手はなんと…王子であるウィン王子だった。 ※※ 5/5に完成予定でしたが、5/8になりました。 ご容赦ください。

時間が戻った令嬢は新しい婚約者が出来ました。

屋月 トム伽
恋愛
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。(リディアとオズワルド以外はなかった事になっているのでifとしてます。) 私は、リディア・ウォード侯爵令嬢19歳だ。 婚約者のレオンハルト・グラディオ様はこの国の第2王子だ。 レオン様の誕生日パーティーで、私はエスコートなしで行くと、婚約者のレオン様はアリシア男爵令嬢と仲睦まじい姿を見せつけられた。 一人壁の花になっていると、レオン様の兄のアレク様のご友人オズワルド様と知り合う。 話が弾み、つい地がでそうになるが…。 そして、パーティーの控室で私は襲われ、倒れてしまった。 朦朧とする意識の中、最後に見えたのはオズワルド様が私の名前を叫びながら控室に飛び込んでくる姿だった…。 そして、目が覚めると、オズワルド様と半年前に時間が戻っていた。 レオン様との婚約を避ける為に、オズワルド様と婚約することになり、二人の日常が始まる。 ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。 第14回恋愛小説大賞にて奨励賞受賞

処理中です...