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「大奥様! ディルクおぼっちゃまがご帰宅されました。女性を伴っておいでです」
長年ハルフォーフ家に使える執事にとって、ディルクはまだ幼い少年のままらしい。青碧の闘神の噂は知っていたが、それは本人から戦略的な嘘だと聞かされていたので素直に信じていた。武人の家に産まれたにしては穏やかでおとなしい性格の長男、それが彼のディルク評だ。
「誰を連れて来たの?」
ディルク帰宅の第一報を聞き、母は剣を持って玄関ホールで待ち構えていた。ディルクが第二王子やリリアンヌを襲撃した形跡がない以上、リーゼ救出が間に合わなかった責を引き止めた母に求めるだろうと思っていたからだ。気持ちはわかるが、将軍であり侯爵でもある息子を母親殺しにする訳にはいかない。闘ってでも止める、それが母の愛だった。
弟のツェーザルも母の助太刀するために剣を手にしていた。
「存じ上げない女性でした。お気の毒なぐらい痩せていて、でも、とてもお美しい方です」
「まさか、救出は成功した?」
母親も弟も兄ほど察しが悪くなかった。
馬を馬丁に預けたディルクは、長旅で疲れているリーゼの手を引きながらゆっくりと屋敷に向かっていた。
リーゼは公爵令嬢であり、育った屋敷もそれなりに大きい。それでもハルフォーフ邸は驚くほど立派な佇まいであった。さすが大国の将の屋敷である。
家令がゆっくりと玄関の扉を開ける。普通なら玄関ホールに侍女たちが控えているはずが誰もいない。代わりに剣を持った母とツェーザルが仁王立ちしていた。
「母上、ただいま帰りました。それにしても物騒な出迎えですね。リーナが怖がってしまいます」
ディルクは穏やかにそう言うと、リーゼを背中に隠して青碧に塗られた剣の柄に手をかけた。
「まぁ! リーナさんと言うのね。よく来てくれました」
一目見るなりリーゼの正体を見破った母だったが、リーゼだと明かすことができないので、リーナと偽名を使っていると思った。
化粧のせいで冷たいほどの美人だと思っていたリーゼが、素顔は可愛らしい女性だったので大満足して母親は微笑んだ。長かった髪は肩までになり、前髪を眉の上で真っ直ぐに揃えているリーナは昨年より幼く見えるぐらいだ。
ツェーザルもまたリーゼを見て安堵した。しかし、本名を明かせない事情を理解しているのでリーゼだと知らない振りをする。
「リーナ嬢。私はディルクの弟のツェーザルと申します」
熊のような容姿だが、さすがに物腰は洗練されている。ツェーザルは恐る恐るディルクの背中から出てきたリーゼの手を取り、大きな身を屈ませてキスを落とす真似をする。
「リーナに触れるな。お前のような大男が触ってリーナの細い指が折れたらどうする!」
ディルクが言うように、リーゼの指は折れそうなほど細い。しかし、ツェーザルは軽く触れただけである。
「大男と言いますが、体格は兄上とそう違いませんよ。顔が厳ついので大きく見られてしまうだけです。力は兄上の方が強いではありませんか。兄上はリーナ嬢の指を折ってしまったことがあるのですか?」
「そんなことしない!」
動揺するディルクを面白そうに眺めていたツェーザルだったが、これ以上兄をからかうのは危険だと思い、リーゼに礼をして後ろに下がった。
「リーナと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
リーゼが頭を下げると、ディルクの母親がにっこりと微笑む。
「ようこそ。リーナ・ウェイランド様。叔父上の養女なら従妹になるのだから、リーナと呼んでもいいわね」
リーゼの小さな手を、戦うことに慣れた母親の硬い手がそっと握った。
こうして、リーゼはリーナ・ウェイランドとして生まれ変わることになった。
「皆さん、叔父上のところから私達のかわいい花嫁がやって来たわよ。存分に腕をふるって頂戴」
姿を見せていなかった侍女たちがどこからか湧いてきた。男子しかいないハルフォーフ家に仕えている侍女たちは、飾り立てる相手がいないので力を持て余していた。当主のディルクなどは、外国から要人が来ると夜会でさえ甲冑姿という侍女泣かせな出で立ちになる。
獲物を見つけて喜ぶ猛獣のように、侍女たちはリーゼ改めリーナ見つめていた。
「まぁ、髪の毛も肌もこんなに痛んでしまって、可哀想に。我が家の気の利かない長男は、香油を買い与える甲斐性もないのかしら。嫌われれてしまったらどうするの。でも安心だわ。我が家には後三人も息子がいるから」
リーナの短くなってしまった髪をすきながらそう言う母を、ディルクは驚いて見ていた。
「リーナは僕の花嫁です。弟に渡すつもりはありませんから」
「ディルク、あまり執着すると嫌われますよ。リーナ、長旅で疲れたでしょう。侍女にマッサージでもしてもらいましょう。髪にいい香油もあるのよ。大丈夫、髪も肌もすぐに元通り美しくなるわ」
「ちょっと待ってくれ、母上」
リーナの肩を抱いて奥へ連れて行こうとする母をディルクが止めようとする。
「勘違いしないで。リーナはお見合いのために我が家を訪れただけで、まだディルクの花嫁ではないのよ。疲れを取るために三日ほど我が家に滞在してもらい、一旦ウェイランド領に帰ってもらうの。もちろん、部屋も別ですからね」
「それは、今までも別の部屋で休んでいたから問題ないが、リーナは疲れているんだ。あまりおもちゃにしたりしないで欲しい」
「言われるまでもありません。リーナは私の従妹なのですから」
あれほど恋い焦がれていたのにも拘らず、ディルクがリーナと同衾していないと聞いて、母は息子が思った以上に紳士だったので安心した。
取り残されたディルクだけが、リーナはリーゼだと気付かずにいた。
***
二千十八年四月二十一日 鈴元 香奈 著
長年ハルフォーフ家に使える執事にとって、ディルクはまだ幼い少年のままらしい。青碧の闘神の噂は知っていたが、それは本人から戦略的な嘘だと聞かされていたので素直に信じていた。武人の家に産まれたにしては穏やかでおとなしい性格の長男、それが彼のディルク評だ。
「誰を連れて来たの?」
ディルク帰宅の第一報を聞き、母は剣を持って玄関ホールで待ち構えていた。ディルクが第二王子やリリアンヌを襲撃した形跡がない以上、リーゼ救出が間に合わなかった責を引き止めた母に求めるだろうと思っていたからだ。気持ちはわかるが、将軍であり侯爵でもある息子を母親殺しにする訳にはいかない。闘ってでも止める、それが母の愛だった。
弟のツェーザルも母の助太刀するために剣を手にしていた。
「存じ上げない女性でした。お気の毒なぐらい痩せていて、でも、とてもお美しい方です」
「まさか、救出は成功した?」
母親も弟も兄ほど察しが悪くなかった。
馬を馬丁に預けたディルクは、長旅で疲れているリーゼの手を引きながらゆっくりと屋敷に向かっていた。
リーゼは公爵令嬢であり、育った屋敷もそれなりに大きい。それでもハルフォーフ邸は驚くほど立派な佇まいであった。さすが大国の将の屋敷である。
家令がゆっくりと玄関の扉を開ける。普通なら玄関ホールに侍女たちが控えているはずが誰もいない。代わりに剣を持った母とツェーザルが仁王立ちしていた。
「母上、ただいま帰りました。それにしても物騒な出迎えですね。リーナが怖がってしまいます」
ディルクは穏やかにそう言うと、リーゼを背中に隠して青碧に塗られた剣の柄に手をかけた。
「まぁ! リーナさんと言うのね。よく来てくれました」
一目見るなりリーゼの正体を見破った母だったが、リーゼだと明かすことができないので、リーナと偽名を使っていると思った。
化粧のせいで冷たいほどの美人だと思っていたリーゼが、素顔は可愛らしい女性だったので大満足して母親は微笑んだ。長かった髪は肩までになり、前髪を眉の上で真っ直ぐに揃えているリーナは昨年より幼く見えるぐらいだ。
ツェーザルもまたリーゼを見て安堵した。しかし、本名を明かせない事情を理解しているのでリーゼだと知らない振りをする。
「リーナ嬢。私はディルクの弟のツェーザルと申します」
熊のような容姿だが、さすがに物腰は洗練されている。ツェーザルは恐る恐るディルクの背中から出てきたリーゼの手を取り、大きな身を屈ませてキスを落とす真似をする。
「リーナに触れるな。お前のような大男が触ってリーナの細い指が折れたらどうする!」
ディルクが言うように、リーゼの指は折れそうなほど細い。しかし、ツェーザルは軽く触れただけである。
「大男と言いますが、体格は兄上とそう違いませんよ。顔が厳ついので大きく見られてしまうだけです。力は兄上の方が強いではありませんか。兄上はリーナ嬢の指を折ってしまったことがあるのですか?」
「そんなことしない!」
動揺するディルクを面白そうに眺めていたツェーザルだったが、これ以上兄をからかうのは危険だと思い、リーゼに礼をして後ろに下がった。
「リーナと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
リーゼが頭を下げると、ディルクの母親がにっこりと微笑む。
「ようこそ。リーナ・ウェイランド様。叔父上の養女なら従妹になるのだから、リーナと呼んでもいいわね」
リーゼの小さな手を、戦うことに慣れた母親の硬い手がそっと握った。
こうして、リーゼはリーナ・ウェイランドとして生まれ変わることになった。
「皆さん、叔父上のところから私達のかわいい花嫁がやって来たわよ。存分に腕をふるって頂戴」
姿を見せていなかった侍女たちがどこからか湧いてきた。男子しかいないハルフォーフ家に仕えている侍女たちは、飾り立てる相手がいないので力を持て余していた。当主のディルクなどは、外国から要人が来ると夜会でさえ甲冑姿という侍女泣かせな出で立ちになる。
獲物を見つけて喜ぶ猛獣のように、侍女たちはリーゼ改めリーナ見つめていた。
「まぁ、髪の毛も肌もこんなに痛んでしまって、可哀想に。我が家の気の利かない長男は、香油を買い与える甲斐性もないのかしら。嫌われれてしまったらどうするの。でも安心だわ。我が家には後三人も息子がいるから」
リーナの短くなってしまった髪をすきながらそう言う母を、ディルクは驚いて見ていた。
「リーナは僕の花嫁です。弟に渡すつもりはありませんから」
「ディルク、あまり執着すると嫌われますよ。リーナ、長旅で疲れたでしょう。侍女にマッサージでもしてもらいましょう。髪にいい香油もあるのよ。大丈夫、髪も肌もすぐに元通り美しくなるわ」
「ちょっと待ってくれ、母上」
リーナの肩を抱いて奥へ連れて行こうとする母をディルクが止めようとする。
「勘違いしないで。リーナはお見合いのために我が家を訪れただけで、まだディルクの花嫁ではないのよ。疲れを取るために三日ほど我が家に滞在してもらい、一旦ウェイランド領に帰ってもらうの。もちろん、部屋も別ですからね」
「それは、今までも別の部屋で休んでいたから問題ないが、リーナは疲れているんだ。あまりおもちゃにしたりしないで欲しい」
「言われるまでもありません。リーナは私の従妹なのですから」
あれほど恋い焦がれていたのにも拘らず、ディルクがリーナと同衾していないと聞いて、母は息子が思った以上に紳士だったので安心した。
取り残されたディルクだけが、リーナはリーゼだと気付かずにいた。
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二千十八年四月二十一日 鈴元 香奈 著
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