11 / 52
11.
しおりを挟む
「あの、ハルフォーフ将軍閣下」
あまりにもディルクの容姿とハルフォーフ将軍の伝説がかけ離れているため、最初は冗談かもしれないと思っていたリーゼだったが、どうも本物らしい。そうなると今までのように気安く名前を呼び捨てにしてはいけないような気がして、リーゼはそう呼びかけた。
「リーナ、今まで通りディルクと呼んでくれ。それ、ちょっと恥ずかしいから」
牢に囚われた公爵令嬢を奪取するつもりだったので、最初は意図的に身分を隠していたディルクだが、リーゼの救出に失敗し、リーナに仮の花嫁になって欲しいと依頼した後は正直に伝えるつもりではいた。ただ、あまりにも派手な伝説となってしまったハルフォーフ将軍の名を告げるのが恥ずかしく、聞かれるまで黙っていたのだった。
しかし、それは仮にでも妻となるリーゼに不実なことだと思い至り、ディルクは自分のことを語ることにした。
「僕は勝利のために手段を選ばなかったという汚名を全て被って戦場で死のうと思っていた。最後まで正々堂々と戦った父を汚したくなかったから。でも、一度始めたことは最後までやりきれ、ハルフォーフ家の人間として逃げることは許さないと母に怒られたんだ。だから、未だに将軍をやっている。戦場で生き残ることができたのも母に死ぬほど鍛えられたからだ」
父と母に幼少より鍛え上げられたディルクは、最強の名に恥じない剣の技量を持っているのは事実である。しかし、戦争は個人の力だけで勝利できるものではないので、彼の伝説は真ではない。大国ブランデスらしからぬ卑怯な作戦を隠蔽するために、青碧の闘神伝説は意図的に流された。
周辺諸国はブランデスの勝利を切に願っていたので、その伝説を素直に受け入れることにした。
各国の町々で吟遊詩人が語る最強の武神の英雄譚は、人々に疑いもなく信じられた。それは、皆が望んでいたことだから。
「ディルクが生きていてくれたことをとても嬉く思います。私が今こうしているのもディルクのおかげだから。お母様に心から感謝したいです」
もしかすると戦場でディルクが死んでいたのかもと思うだけで、リーゼの胸が張り裂けそうに痛む。そして、暖かさが伝わるぐらいディルクが近くにいることに、リーゼは安堵していた。
「すぐ下の弟の方が将軍に向いているかもしれないけど。父に似て強面だし。剣の腕なら僕のほうが上だけどね」
生きていていてくれて嬉しいとリーゼに言われて、ディルクも嬉しいと思ってしまった。
「国とお父様のために命をかけて戦ったディルクが一番将軍に相応しいと私は思うわ」
それはリーゼの心からの言葉。青碧の甲冑をまとったハルフォーフ将軍は威厳に満ちて、他の兵士から尊敬と畏怖を捧げられていた。
そして、少年を救った心優しいハルフォーフ将軍がディルクと重なる。
当時を思い出したリーゼが柔らかく微笑んだ。
ディルクにはやはりその笑顔に見覚えがあった。リーゼを想う余りの気の迷いだと思っていたが、それにしては似すぎているので確かめてみることにした。
「リーナは、もしかしてサンティニ公爵家のリーゼ様ではないのか。あまりにも似ている」
リーゼは思わず首を横に振った。
「違います。私はリーナです。父を亡くしたばかりの元侍女ですよ。他人の空似ではないですか?」
そう言われてディルクはじっとリーゼを見つめていた。
リーゼは冷や汗が出る思いをしたが、努めて冷静を装った。今まで何も言わなかったので、まさかディルクがリーゼのことを覚えているとは思わなかったのだ。
リーゼがブランデスを訪問した時は十六歳だった。王子の婚約者として舐められないようにとかなりきつい印象になる化粧をしていた。雰囲気は素顔の今と随分違うはずだ。
常に第二王子の側にいたリーゼはハルフォーフ将軍とはあまり近付いていない。一番近くに寄ったのは彼が少年を馬から助け出した時だった。
これなら誤魔化せるとリーゼは思った。不安そうなディルクの声も確証があるわけではないと思わせる。
牢番のためにも正体を知られる訳にはいかない。そして、リーナが牢を逃げ出した元公爵令嬢の罪人リーゼと同一人物と知って後、ディルクがどう行動するかリーゼは不安だった。
優しいディルクのことだから、牢に囚われることになると知って国に戻すようなことはしないと思うが、国際問題になるとわかっていてこのまま仮の妻としてブランデスに連れて行ってくれるとも思わなかった。
優しいディルクを騙すことは心苦しく思うリーゼだったが、恋する気持ちを知ってしまった今、あの狭い牢獄で一生を終える覚悟が出来なかった。例え彼を騙したとしても側にいたいと思ってしまうリーゼだった。
「ごめん、変なことを聞いてしまって」
リーナがリーゼであるというような奇跡を信じたかった弱い自分をディルクは情けなく思う。そして、リーゼより長時間一緒に過ごしたリーナに心惹かれていることを自覚してしまった。
しかし、リーゼの救出に失敗したのも拘らず、たまたま出会った女性に心惹かてしまうようなことは許されない。リーゼを救えなかった罪を心に刻んで、この先一人きりで生きなければならないとディルクは自らを戒める。
ディルクは遅い初恋より一年後、二度目の恋をした。しかし、その恋もまた諦めなければならないと思っていた。
リーゼは他の人を想っているディルクに愛されることはなくても、側にいたいと願っていた。
複雑な胸中の二人を乗せた馬は、ブランデスに向かってゆっくりと進んでいた。
あまりにもディルクの容姿とハルフォーフ将軍の伝説がかけ離れているため、最初は冗談かもしれないと思っていたリーゼだったが、どうも本物らしい。そうなると今までのように気安く名前を呼び捨てにしてはいけないような気がして、リーゼはそう呼びかけた。
「リーナ、今まで通りディルクと呼んでくれ。それ、ちょっと恥ずかしいから」
牢に囚われた公爵令嬢を奪取するつもりだったので、最初は意図的に身分を隠していたディルクだが、リーゼの救出に失敗し、リーナに仮の花嫁になって欲しいと依頼した後は正直に伝えるつもりではいた。ただ、あまりにも派手な伝説となってしまったハルフォーフ将軍の名を告げるのが恥ずかしく、聞かれるまで黙っていたのだった。
しかし、それは仮にでも妻となるリーゼに不実なことだと思い至り、ディルクは自分のことを語ることにした。
「僕は勝利のために手段を選ばなかったという汚名を全て被って戦場で死のうと思っていた。最後まで正々堂々と戦った父を汚したくなかったから。でも、一度始めたことは最後までやりきれ、ハルフォーフ家の人間として逃げることは許さないと母に怒られたんだ。だから、未だに将軍をやっている。戦場で生き残ることができたのも母に死ぬほど鍛えられたからだ」
父と母に幼少より鍛え上げられたディルクは、最強の名に恥じない剣の技量を持っているのは事実である。しかし、戦争は個人の力だけで勝利できるものではないので、彼の伝説は真ではない。大国ブランデスらしからぬ卑怯な作戦を隠蔽するために、青碧の闘神伝説は意図的に流された。
周辺諸国はブランデスの勝利を切に願っていたので、その伝説を素直に受け入れることにした。
各国の町々で吟遊詩人が語る最強の武神の英雄譚は、人々に疑いもなく信じられた。それは、皆が望んでいたことだから。
「ディルクが生きていてくれたことをとても嬉く思います。私が今こうしているのもディルクのおかげだから。お母様に心から感謝したいです」
もしかすると戦場でディルクが死んでいたのかもと思うだけで、リーゼの胸が張り裂けそうに痛む。そして、暖かさが伝わるぐらいディルクが近くにいることに、リーゼは安堵していた。
「すぐ下の弟の方が将軍に向いているかもしれないけど。父に似て強面だし。剣の腕なら僕のほうが上だけどね」
生きていていてくれて嬉しいとリーゼに言われて、ディルクも嬉しいと思ってしまった。
「国とお父様のために命をかけて戦ったディルクが一番将軍に相応しいと私は思うわ」
それはリーゼの心からの言葉。青碧の甲冑をまとったハルフォーフ将軍は威厳に満ちて、他の兵士から尊敬と畏怖を捧げられていた。
そして、少年を救った心優しいハルフォーフ将軍がディルクと重なる。
当時を思い出したリーゼが柔らかく微笑んだ。
ディルクにはやはりその笑顔に見覚えがあった。リーゼを想う余りの気の迷いだと思っていたが、それにしては似すぎているので確かめてみることにした。
「リーナは、もしかしてサンティニ公爵家のリーゼ様ではないのか。あまりにも似ている」
リーゼは思わず首を横に振った。
「違います。私はリーナです。父を亡くしたばかりの元侍女ですよ。他人の空似ではないですか?」
そう言われてディルクはじっとリーゼを見つめていた。
リーゼは冷や汗が出る思いをしたが、努めて冷静を装った。今まで何も言わなかったので、まさかディルクがリーゼのことを覚えているとは思わなかったのだ。
リーゼがブランデスを訪問した時は十六歳だった。王子の婚約者として舐められないようにとかなりきつい印象になる化粧をしていた。雰囲気は素顔の今と随分違うはずだ。
常に第二王子の側にいたリーゼはハルフォーフ将軍とはあまり近付いていない。一番近くに寄ったのは彼が少年を馬から助け出した時だった。
これなら誤魔化せるとリーゼは思った。不安そうなディルクの声も確証があるわけではないと思わせる。
牢番のためにも正体を知られる訳にはいかない。そして、リーナが牢を逃げ出した元公爵令嬢の罪人リーゼと同一人物と知って後、ディルクがどう行動するかリーゼは不安だった。
優しいディルクのことだから、牢に囚われることになると知って国に戻すようなことはしないと思うが、国際問題になるとわかっていてこのまま仮の妻としてブランデスに連れて行ってくれるとも思わなかった。
優しいディルクを騙すことは心苦しく思うリーゼだったが、恋する気持ちを知ってしまった今、あの狭い牢獄で一生を終える覚悟が出来なかった。例え彼を騙したとしても側にいたいと思ってしまうリーゼだった。
「ごめん、変なことを聞いてしまって」
リーナがリーゼであるというような奇跡を信じたかった弱い自分をディルクは情けなく思う。そして、リーゼより長時間一緒に過ごしたリーナに心惹かれていることを自覚してしまった。
しかし、リーゼの救出に失敗したのも拘らず、たまたま出会った女性に心惹かてしまうようなことは許されない。リーゼを救えなかった罪を心に刻んで、この先一人きりで生きなければならないとディルクは自らを戒める。
ディルクは遅い初恋より一年後、二度目の恋をした。しかし、その恋もまた諦めなければならないと思っていた。
リーゼは他の人を想っているディルクに愛されることはなくても、側にいたいと願っていた。
複雑な胸中の二人を乗せた馬は、ブランデスに向かってゆっくりと進んでいた。
50
お気に入りに追加
3,231
あなたにおすすめの小説

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~
胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。
時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。
王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。
処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。
これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います
ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」
公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。
本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか?
義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。
不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます!
この作品は小説家になろうでも掲載しています

デブスの伯爵令嬢と冷酷将軍が両思いになるまで~痩せたら死ぬと刷り込まれてました~
バナナマヨネーズ
恋愛
伯爵令嬢のアンリエットは、死なないために必死だった。
幼い頃、姉のジェシカに言われたのだ。
「アンリエット、よく聞いて。あなたは、普通の人よりも体の中のマナが少ないの。このままでは、すぐマナが枯渇して……。死んでしまうわ」
その言葉を信じたアンリエットは、日々死なないために努力を重ねた。
そんなある日のことだった。アンリエットは、とあるパーティーで国の英雄である将軍の気を引く行動を取ったのだ。
これは、デブスの伯爵令嬢と冷酷将軍が両思いになるまでの物語。
全14話
※小説家になろう様にも掲載しています。
完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。
音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。
王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。
貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。
だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
【完結】ふざけるのもいい加減にしてください。お金に困った婚約者が私を賭け事のチップの担保にしてました。
西東友一
恋愛
目が覚めると、私は椅子の上で縛られており、目の前には婚約者のカイジンがポーカーをしていた。
なんと、金に困った彼は私を賭けのチップにしていた。
相手はなんと…王子であるウィン王子だった。
※※
5/5に完成予定でしたが、5/8になりました。
ご容赦ください。

時間が戻った令嬢は新しい婚約者が出来ました。
屋月 トム伽
恋愛
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。(リディアとオズワルド以外はなかった事になっているのでifとしてます。)
私は、リディア・ウォード侯爵令嬢19歳だ。
婚約者のレオンハルト・グラディオ様はこの国の第2王子だ。
レオン様の誕生日パーティーで、私はエスコートなしで行くと、婚約者のレオン様はアリシア男爵令嬢と仲睦まじい姿を見せつけられた。
一人壁の花になっていると、レオン様の兄のアレク様のご友人オズワルド様と知り合う。
話が弾み、つい地がでそうになるが…。
そして、パーティーの控室で私は襲われ、倒れてしまった。
朦朧とする意識の中、最後に見えたのはオズワルド様が私の名前を叫びながら控室に飛び込んでくる姿だった…。
そして、目が覚めると、オズワルド様と半年前に時間が戻っていた。
レオン様との婚約を避ける為に、オズワルド様と婚約することになり、二人の日常が始まる。
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。
第14回恋愛小説大賞にて奨励賞受賞
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる