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「僕は彼女を殺したこの国が憎い。リーナはどうだ? 父親が病気になっただけでやせ衰えるほど困窮してしまったんだろう。誰も助けてくれなかったんだよね。こんな国なんか滅びてしまえばいいと思っている?」
夕食後ディルクがそんなことを訊いてきたので、リーゼは慌てて首を振った。
「私を助けようとしてくれた人はいます。父の友人も、私の友人も親切にしてくれました。この国が滅びることなんて決して望んでいません」
リーゼの父の友人だとディルクに語った牢番は、リーゼのことを助けようとしてあんなことをしたのは疑いようもない。もし明るみに出るようなことがあれば自分の身も危ういというのに、生きる意義を見出せずにいたリーゼに生きる努力をせよと賭けを持ちかけたことは、リーゼも理解している。
友人のアドリーヌはリーゼを助けようとサンティニ公爵に訴えていた。実の父であるサンティニ公爵はリーゼを見捨てたが、領民を救うためだとわかっていた。
公爵家令嬢として、リーゼは国を守りたいと思っている。王子に裏切られた今となっても、国が滅べばいいなどとは思う筈はない。
「わかった」
ディルクは短く答えると口をつぐんだ。
「僕はこの国が嫌いだ。早く国に帰りたいと思う」
長い沈黙の後、ためらいながらディルクが話しだした。リーゼは黙って聞いていた。
「僕は母に妻を連れ帰ると豪語して国を出た。もし彼女を妻にできなかったら、母の選んだ女性と結婚する約束をしてしまったんだ。でも、僕は彼女以外を愛せる気がしない。愛のない結婚などしたくはないし、相手の女性にも失礼だ」
ディルクはリーゼの目を見つめる。リーゼは戸惑ったように目を逸らした。
「リーナ。僕の妻として我が国について来てくれないか? もちろん、本当の妻ではない。母を誤魔化すだけでいいんだ。君に何もしないと誓うし、将来好きな男ができたのであれば離婚にも応じよう。母はちょっと怖い人だけど、出来る限り君を守ることも約束する」
リーゼは目を見開いた。慕う男性からの求婚を受けたのだ。しかし、それは偽りの結婚を求めるもの。これほど残酷なことはない。
『彼女』に振られただけであるのならば、将来ディルクがリーゼを愛する可能性はある。しかし、彼女は死んでしまった。しかも、助け出せなかったとの思いは生涯ディルクを縛るだろう。
愛しい人の妻と呼ばれながら、決して愛してもらえない。そんな境遇に耐えられるのだろうかとリーゼは悩む。
それでも側にいて傷付いたディルクを支えたいとリーゼは思った。
「私はディルクの偽りの妻になります」
リーゼが偽りを強調したのは、これ以上ディルクを好きにならないための自らに科した戒めだった。
「君がこの国に残りたいと思うのならば、出来る限りのことをするよ。世話になったとか思わなくてもいい。結婚が女性にとって重いことは理解している。たった四日間の宿と食事で釣り合うわけない。ごめん。母の結婚しろ攻撃が怖くて変なことを言ってしまった」
リーゼの震える声での答えを聞いて、ディルクはとても後悔した。恩を売った状態でこんなことを頼めば嫌でも受けざるを得ないだろう。
「私もこの国を出たいと思います。国へ連れて行ってもらえますか?」
決意したようにディルクを見つめるリーゼ。
「もちろん君さえ了承するのであれば、僕に異論はないけど、本当にいいのか? 使用人として連れて行ってやりたいけれど、母が無理矢理結婚させようとして余計に大変なことになりそうで……」
リーゼは俯きながら微笑んだ。年上の男性で頼りになると思っていたディルクが、母親を怖いと言うのが可笑しかった。
それを見てディルクも笑った。久し振りにリーゼが見たディルクの笑顔はやはり悲痛だった。
「明日やり残したことを済ませて、明後日に出発しようと思う。なるべくリーナに負担をかけないようにゆっくりと進むようにするからね」
ディルクが気遣ってくれるのは嬉しいリーゼだったが、優しすぎるのは残酷であるとも思う。
翌日の昼過ぎにディルクは部屋を出ていった。リーゼに行き先を告げなかったが不安になることはない。例え母親の結婚しろ攻撃をかわすためでも、リーゼはディルクに必要とされていると思えるから。
「気をつけて行ってらっしゃいませ」
リーゼがそう言うと、柔和な笑顔を見せてディルクが頷いた。
その日は、第二王子の婚約者だったリリアンヌの悪行が暴かれた日である。第二王子は死ぬためにリーゼの墓を訪れて、リーゼの友人のアドリーヌに諌められて王宮へ帰る途中だった。
第二王子の乗っていた馬車が突然止まった。そして、一人の男が乗り込んでくる。それは剣を手にしたディルクだった。
「僕はこの国が気に食わない。しかし、この国の犠牲者であろう女性が滅びるのを望まないと言ったから、リーゼを殺したお前の命だけを貰い受けることにする」
驚いた第二王子が窓から外を見ると、彼を護衛してきた近衛騎士が倒れているのが見えた。
「四人の騎士は全て倒した。殺してもよかったのだが、リーゼが望むとも思えないので気絶させただけだ」
第二王子は安心したように微笑んだ。
「リーゼの友人が言うには、私の罪は刺されてたいして苦しまずに死ぬぐらいで許されるようなものではないらしい。リーゼが望んだのは、この国の貧しい者たちが自立して生活していけるようになること。それを一生かけて実現しろと言われた」
今にも第二王子の首を掻き切ろうとしていたディルクが手を止める。
「私はリーゼと書類上だけでも結婚する。そして、この国を変える。命乞いが許されるのであれば猶予をもらえないか? リーゼの思いを叶えてやりたい。無理ならいいんだ。首を一瞬で落としてくれるとは、お前は随分と優しい男なんだな」
微笑んで見上げてくる第二王子を、ディルクは射殺さんばかりに睨みつけた。
「もしリーゼの想いを裏切ったのならば、僕は必ずやお前を殺す。覚えておけ」
「ああ。覚えておこう。しかし、リーゼは私の妻だ。気安く呼ばないでくれるか」
悔しそうに剣を収めるディルクは、それでもおとなしく馬車を出ていった。
「あの男は……」
第二王子にはその危険すぎる男に心当たりがあった。
夕食後ディルクがそんなことを訊いてきたので、リーゼは慌てて首を振った。
「私を助けようとしてくれた人はいます。父の友人も、私の友人も親切にしてくれました。この国が滅びることなんて決して望んでいません」
リーゼの父の友人だとディルクに語った牢番は、リーゼのことを助けようとしてあんなことをしたのは疑いようもない。もし明るみに出るようなことがあれば自分の身も危ういというのに、生きる意義を見出せずにいたリーゼに生きる努力をせよと賭けを持ちかけたことは、リーゼも理解している。
友人のアドリーヌはリーゼを助けようとサンティニ公爵に訴えていた。実の父であるサンティニ公爵はリーゼを見捨てたが、領民を救うためだとわかっていた。
公爵家令嬢として、リーゼは国を守りたいと思っている。王子に裏切られた今となっても、国が滅べばいいなどとは思う筈はない。
「わかった」
ディルクは短く答えると口をつぐんだ。
「僕はこの国が嫌いだ。早く国に帰りたいと思う」
長い沈黙の後、ためらいながらディルクが話しだした。リーゼは黙って聞いていた。
「僕は母に妻を連れ帰ると豪語して国を出た。もし彼女を妻にできなかったら、母の選んだ女性と結婚する約束をしてしまったんだ。でも、僕は彼女以外を愛せる気がしない。愛のない結婚などしたくはないし、相手の女性にも失礼だ」
ディルクはリーゼの目を見つめる。リーゼは戸惑ったように目を逸らした。
「リーナ。僕の妻として我が国について来てくれないか? もちろん、本当の妻ではない。母を誤魔化すだけでいいんだ。君に何もしないと誓うし、将来好きな男ができたのであれば離婚にも応じよう。母はちょっと怖い人だけど、出来る限り君を守ることも約束する」
リーゼは目を見開いた。慕う男性からの求婚を受けたのだ。しかし、それは偽りの結婚を求めるもの。これほど残酷なことはない。
『彼女』に振られただけであるのならば、将来ディルクがリーゼを愛する可能性はある。しかし、彼女は死んでしまった。しかも、助け出せなかったとの思いは生涯ディルクを縛るだろう。
愛しい人の妻と呼ばれながら、決して愛してもらえない。そんな境遇に耐えられるのだろうかとリーゼは悩む。
それでも側にいて傷付いたディルクを支えたいとリーゼは思った。
「私はディルクの偽りの妻になります」
リーゼが偽りを強調したのは、これ以上ディルクを好きにならないための自らに科した戒めだった。
「君がこの国に残りたいと思うのならば、出来る限りのことをするよ。世話になったとか思わなくてもいい。結婚が女性にとって重いことは理解している。たった四日間の宿と食事で釣り合うわけない。ごめん。母の結婚しろ攻撃が怖くて変なことを言ってしまった」
リーゼの震える声での答えを聞いて、ディルクはとても後悔した。恩を売った状態でこんなことを頼めば嫌でも受けざるを得ないだろう。
「私もこの国を出たいと思います。国へ連れて行ってもらえますか?」
決意したようにディルクを見つめるリーゼ。
「もちろん君さえ了承するのであれば、僕に異論はないけど、本当にいいのか? 使用人として連れて行ってやりたいけれど、母が無理矢理結婚させようとして余計に大変なことになりそうで……」
リーゼは俯きながら微笑んだ。年上の男性で頼りになると思っていたディルクが、母親を怖いと言うのが可笑しかった。
それを見てディルクも笑った。久し振りにリーゼが見たディルクの笑顔はやはり悲痛だった。
「明日やり残したことを済ませて、明後日に出発しようと思う。なるべくリーナに負担をかけないようにゆっくりと進むようにするからね」
ディルクが気遣ってくれるのは嬉しいリーゼだったが、優しすぎるのは残酷であるとも思う。
翌日の昼過ぎにディルクは部屋を出ていった。リーゼに行き先を告げなかったが不安になることはない。例え母親の結婚しろ攻撃をかわすためでも、リーゼはディルクに必要とされていると思えるから。
「気をつけて行ってらっしゃいませ」
リーゼがそう言うと、柔和な笑顔を見せてディルクが頷いた。
その日は、第二王子の婚約者だったリリアンヌの悪行が暴かれた日である。第二王子は死ぬためにリーゼの墓を訪れて、リーゼの友人のアドリーヌに諌められて王宮へ帰る途中だった。
第二王子の乗っていた馬車が突然止まった。そして、一人の男が乗り込んでくる。それは剣を手にしたディルクだった。
「僕はこの国が気に食わない。しかし、この国の犠牲者であろう女性が滅びるのを望まないと言ったから、リーゼを殺したお前の命だけを貰い受けることにする」
驚いた第二王子が窓から外を見ると、彼を護衛してきた近衛騎士が倒れているのが見えた。
「四人の騎士は全て倒した。殺してもよかったのだが、リーゼが望むとも思えないので気絶させただけだ」
第二王子は安心したように微笑んだ。
「リーゼの友人が言うには、私の罪は刺されてたいして苦しまずに死ぬぐらいで許されるようなものではないらしい。リーゼが望んだのは、この国の貧しい者たちが自立して生活していけるようになること。それを一生かけて実現しろと言われた」
今にも第二王子の首を掻き切ろうとしていたディルクが手を止める。
「私はリーゼと書類上だけでも結婚する。そして、この国を変える。命乞いが許されるのであれば猶予をもらえないか? リーゼの思いを叶えてやりたい。無理ならいいんだ。首を一瞬で落としてくれるとは、お前は随分と優しい男なんだな」
微笑んで見上げてくる第二王子を、ディルクは射殺さんばかりに睨みつけた。
「もしリーゼの想いを裏切ったのならば、僕は必ずやお前を殺す。覚えておけ」
「ああ。覚えておこう。しかし、リーゼは私の妻だ。気安く呼ばないでくれるか」
悔しそうに剣を収めるディルクは、それでもおとなしく馬車を出ていった。
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