牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈

文字の大きさ
上 下
5 / 52

5.

しおりを挟む
「もう少し金の都合つけてくれ。二ヶ月も牢に入っていたのだからな」
 第二王子の婚約者となった子爵令嬢リリアンヌは、王都の片隅の小さな教会の裏で薄汚い男と会っていた。
 その男は二ヶ月前にリリアンヌを襲おうとしたが、彼女のあまりの美しさを前にして怖じ気付き何もできなかった。騎士団に逮捕された後、リーゼに依頼されてリリアンヌを襲撃したことを正直に告白し、未遂であることに加えて、リリアンヌが刑の軽減を願い出たことで、二ヶ月間拘束されただけで放免されていた。

「馬鹿なことを言わないで。報酬は十分に渡しているはずよ。今更何を言い出すの」
 リリアンヌはかなり苛ついていた。リーゼを追い落として無事に第二王子の婚約者になることができた大事な時期に、揉め事は起こしたくはない。
「金を素直に払った方がいいと思うぞ。あんたに頼まれたと訴え出たら、あんたは終わりだ。俺に何かしようとするなよ。俺が帰らなかったらあんたが俺に依頼した証拠が表に出るから」
 これは男がリリアンヌの依頼を受ける上で提案した安全策だった。直筆の依頼書をリリアンヌから受け取り、一年以上連絡がなければ仲間が騎士団に届ける手筈になっている。そのため、リリアンヌは男の刑を軽くするように願い出なければならなかった。

「そんなお金はないわよ」
 リリアンヌは男の仲間を探り当てようとしていたが、未だに判明していない。しかし、このような輩に唯々諾々と追加金を払えばいつまでもせびられるだろう。
 力のある騎士でも誘惑して、この男と仲間を消してもらおうとかとリリアンヌは思案していた。
「王子と結婚するんだろう。王子に宝石でもねだったらいいだろ」
 リリアンヌはどの騎士を誘惑したらいいかと上の空で男の話を聞いていなかったので、苛立った男がリリアンヌの腕を掴もうとした。

「そこまでだ」
 男を止めたのは第二王子の護衛を担当している近衛騎士だった。
「リリアンヌ様も一緒に来ていただけますか?」
 暴れる男を軽々と拘束した近衛騎士はリリアンヌを睨みながらそう言った。

「リリアンヌ、まさか、嘘だろう」
 地に膝をついて力なく呟くのは第二王子。リリアンヌとの婚約を強行した王子だったが、リリアンヌが複数の男性と親しくしているとの情報があり、不安になった王子がリリアンヌを尾行していたのだ。

「この女から自分を襲うように頼まれただけだ。俺に何の罪がある。こいつが襲ってくれと言ったんだぞ。証拠だってあるんだ」
 男は大声で喚きながら近衛騎士に引き立てられていた。
「こんなあばずれに騙される方がおかしいんだ。俺は悪くない!」
 馬に乗せられても喚き散らしている男は、沿道に出てきた多くの人に目撃されることになった。

 リリアンヌの調査に当たった騎士団は、リーゼがリリアンヌに対して行ったとされる罪は全て冤罪であると結論づけた。
 意地悪な高位貴族令嬢の妨害にもめげずに、真実の愛を貫いたと祝福されていた第二王子とリリアンヌの恋物語は、一気に醜聞にまみれた。
 リリアンヌの罪は白日のもとにさらされたが、リーゼの命は既に失われていた。



 リーゼの名誉は回復したが、父親であるヴァネル公爵は墓を移動させることに反対し、墓標だけが立派なものに変えられた。そこには『美しきリーゼ』と刻まれていた。
「リーゼ、すまぬ。お前を殺したのは私だ」
 第二王子がリーゼの墓の前で涙を流しながら懺悔していた。

「リーゼさんは餓死だったのよ。知っていますか?」
 第二王子の横でそう声をかけたのは、リーゼの友人であった伯爵令嬢のアドリーヌ。
「リーゼが亡くなる前に会いに行った。やせ衰えて今にも死にそうなリーゼに、私は暴言を吐いた。私はなんと愚かな男だろうか」
 アドリーヌは悔しくて唇を噛んだ。第二王子とリーゼの間に恋愛感情はなくとも、この国のために戦う同志だったはずだ。それを一方的に裏切って死に追いやった。
 死にそうになっていることを知っていたのに、王子は何もしなかったのかと思うと、悔しくて殴り倒したくなる気持ちを抑えるためにアドリーヌは手をきつく握りしめた。

「私はリーゼの刑が軽いと感じていた。だから、妻と子を病気で亡くして自暴自棄になっていた騎士を牢番にした。あの男がリーゼを襲っても構わないと思っていた」
「彼はそんなことをするような人ではなかった。この墓の前で長い時間祈っていたから」
 アドリーヌの目には牢番はとても良い人に見えた。彼女はリーゼがそれ以上辛い目に遭っていなかったと信じたかったのかもしれない。
「牢番になった男は、リーゼが食事を殆ど口にしないと度々報告し、侍女をよこしてくれと願い出ていた。それを無視しろと命じたのは私だ」

「人殺し!」
 不敬になるとは思っていても、アドリーヌは止められなかった。食事も取れないほどに王子の裏切りに苦しんでいたリーゼ。それを知っていながら見殺しにした第二王子のことをとても許すことなどできないと思った。
「その通りだ。私は罪なき婚約者の命を奪った人殺しだ」
 第二王子は懐から短剣を取り出した。
「私はリーゼのもとで死のうと思う。あの世で謝りたい」

「待って! そんな楽な死に方なんて許さない!」
 餓死がどれほど苦しいか、実際に経験したことがないのでアドリーヌにはわからない。しかし、二ヶ月も苦しんで死んでいったリーゼのことを思うと、短剣で一思いに死ぬことなど納得できなかった。
「私はどうすればリーゼに贖えるのだろうか。同じように餓死すればいいのか?」
 第二王子は悲しい目でアドリーヌを見ていた。
「そんなことで殿下がリーゼさんに贖えるとは思えません。自己満足でしかないもの。殿下は貧しい人たちの暮らしをご存知ですか。今も飢餓に苦しむ者たちがいるのですよ。殿下が恋に浮かれていた時に、リーゼさんはその者たちに心痛めて、食料を調達しようとしていました。そして、就職させることはできないかと、教会と協力していたのです。殿下が死んでも何も変わりません。せめて、生涯をこの国に捧げたらどうですか?」
 リーゼが公爵夫人としてしようとしていたことを、第二王子に罰として科したかった。しかし、軽い第二王子は一時の痛みを忘れてしまったら逃げ出してしまうだろうとアドリーヌは感じていた。


「私はリーゼと結婚してその死の罪を一生涯背負う。そして、この国の民のためにこの身を捧げよう」
 長時間考え込んでいた第二王子がそう口にした。
「しかし、リーゼさんは既に亡くなっております。結婚はできません」
「書類上は可能だ。この結婚は私が咎を忘れないようにするため。私はもう逃げたりしない」

 アドリーヌは第二王子のことを許すことはできない。しかし、この国のために王子を信じてみようと思った。
 第二王子が墓前を去った後もアドリーヌは祈り続けた。
しおりを挟む
感想 120

あなたにおすすめの小説

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います

ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」 公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。 本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか? 義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。 不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます! この作品は小説家になろうでも掲載しています

デブスの伯爵令嬢と冷酷将軍が両思いになるまで~痩せたら死ぬと刷り込まれてました~

バナナマヨネーズ
恋愛
伯爵令嬢のアンリエットは、死なないために必死だった。 幼い頃、姉のジェシカに言われたのだ。 「アンリエット、よく聞いて。あなたは、普通の人よりも体の中のマナが少ないの。このままでは、すぐマナが枯渇して……。死んでしまうわ」 その言葉を信じたアンリエットは、日々死なないために努力を重ねた。 そんなある日のことだった。アンリエットは、とあるパーティーで国の英雄である将軍の気を引く行動を取ったのだ。 これは、デブスの伯爵令嬢と冷酷将軍が両思いになるまでの物語。 全14話 ※小説家になろう様にも掲載しています。

完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。

音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。 王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。 貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。 だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~

湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。 「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」 夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。 公爵である夫とから啖呵を切られたが。 翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。 地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。 「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。 一度、言った言葉を撤回するのは難しい。 そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。 徐々に距離を詰めていきましょう。 全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。 第二章から口説きまくり。 第四章で完結です。 第五章に番外編を追加しました。

【完結】ふざけるのもいい加減にしてください。お金に困った婚約者が私を賭け事のチップの担保にしてました。

西東友一
恋愛
目が覚めると、私は椅子の上で縛られており、目の前には婚約者のカイジンがポーカーをしていた。 なんと、金に困った彼は私を賭けのチップにしていた。 相手はなんと…王子であるウィン王子だった。 ※※ 5/5に完成予定でしたが、5/8になりました。 ご容赦ください。

時間が戻った令嬢は新しい婚約者が出来ました。

屋月 トム伽
恋愛
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。(リディアとオズワルド以外はなかった事になっているのでifとしてます。) 私は、リディア・ウォード侯爵令嬢19歳だ。 婚約者のレオンハルト・グラディオ様はこの国の第2王子だ。 レオン様の誕生日パーティーで、私はエスコートなしで行くと、婚約者のレオン様はアリシア男爵令嬢と仲睦まじい姿を見せつけられた。 一人壁の花になっていると、レオン様の兄のアレク様のご友人オズワルド様と知り合う。 話が弾み、つい地がでそうになるが…。 そして、パーティーの控室で私は襲われ、倒れてしまった。 朦朧とする意識の中、最後に見えたのはオズワルド様が私の名前を叫びながら控室に飛び込んでくる姿だった…。 そして、目が覚めると、オズワルド様と半年前に時間が戻っていた。 レオン様との婚約を避ける為に、オズワルド様と婚約することになり、二人の日常が始まる。 ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。 第14回恋愛小説大賞にて奨励賞受賞

処理中です...