牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈

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 一日一回与えられる食事には殆ど手を付けていない。半分以上残された料理を見て、牢番はため息をついた。

 この牢にやってきた時、その女は輝くように美しかった。長い髪は光り輝くプラチナブロンド、真っ白い肌に赤く色付いた唇が印象的だ。ふっくらとした頬はまだ少女の面影を残していた。
 たった十七歳の女性は、婚約者だった第二王子に裏切られ、家を守るために親に捨てられて、無実の罪で牢に入れられてしまっていた。

 絶望の日々を二ヶ月過ごし、女は見る影もなくやせ衰えて生きる気力も失われているようだった。
 そんな中、元婚約者の第二王子が牢を訪れた。
「私とリリアンヌの婚約が無事調った。これでリリアンヌは王子妃だ。お前は彼女に感謝しなければならない。本来ならばリリアンヌに対する数々の虐め行為のために処刑されるところを、彼女が嘆願したので収監するだけに留めているのだぞ」
 弱りきった女に向け鉄格子越しに尊大な態度で言い放つ第二王子を見て、牢番は不快に思ったが見守ることしかできない。そんな無力な自分が情けなかった。

 牢の中の女が振り向く。その表情には悲しみさえ浮かんでいない。全くの無表情で落ちくぼんだ目を第二王子に向けた。
「ひっ! 本当にリーゼなのか?」
 まるで骨と皮だけのように痩せ衰えた女を見て第二王子は驚く。
「はい、リーゼでございます。ご婚約おめでとうございます。殿下のお幸せを祈っております」
 かすれた声でそう言うと、リーゼは痛々しいほどの笑みを見せた。その笑顔を見て怯えたように第二王子が去っていくのを牢番はほっとしたように見つめていた。

 ただの牢番にはなぜリーゼと呼ばれる少女が収監されることになったのか詳しいことはわからない。しかし、先程の第二王子の態度から、リーゼには罪はないのではないかと感じていた。
「飯を食わなければ死んでしまうぞ」
 先程の笑顔があまりに痛々しくて、牢番は初めてリーゼに声をかけた。
「生きていることに意味があるのでしょうか?」
 リーゼが問う。命は風前の灯火のように見えた。

「賭けてみないか? 俺が貧民窟から餓死した女の死体を手に入れてくる。その女を身代わりにしてここを抜け出すんだ。俺は通りすがりの男にお前を託す。その男が酷い奴ならばお前は自ら死ねばいい。その男が大切にしてくれるのであれば生きる努力をしろ」
 貧富の差が激しいこの国を治めているのは愚王だと言っても、反対する者はそれほどいないだろう。貧しい地区では空腹を抱えた子どもや非力な女が路上で生活している。そのまま餓死してしまう者も多い。
「何の罪もないのに死んでから牢に入れられるその女性が気の毒です」
 力なくリーゼが答えた。
「放置されて腐っていくより、罪人としてでもちゃんと埋葬される方が幸せだぞ。ただし、お前は死んでも放置されることになるかもしれないが」
 第二王子に向けたリーゼの悲痛な笑顔は、牢番に病気で亡くなった娘を思い起こさせた。まだ十四歳だった娘は生きたいと願いながらやせ衰えて一昨年に死んでしまった。最後の笑顔がリーゼと重なる。
 娘の代わりにリーゼを生き延びさせたいのか、健康な体を持ちながら生きることを放棄したリーゼに罰を与えたいのか、そんな提案をした牢番自身でさえもわからない。
「その賭けをお受けいたしましょう」
 リーゼはまるで他人事のようにそう答えた。

 その夜牢番は女の死体を手に入れて、囚人服を着せた。そして、牢の中にそっと寝かせる。リーゼには娘の服を持ってきた。丈は少し短いがやせ衰えたリーゼには大きいぐらいだった。貧民窟へ行けばこのような女はごまんといる。それほど目立つことはないだろう。

 暗闇の中リーゼの手を引いて、託す相手を物色しながら走る牢番。久し振りに運動をしたリーゼは足がもつれそうになりながらついていく。
 遅い時間に外出したことなどなかったリーゼは、暗い夜道が珍しい。死ぬことを恐れているわけではないので怖いことはなかった。
「あそこに男が立っている。あの男にするぞ」
 王都の外れにある牢から小一時間ほど歩いた場所にあったのは水路にかかった橋だった。その欄干にもたれかかって月を見上げている男がいる。
 身なりは平民にしては上等だが、貴族ほど高価なものを着ているわけではない。少し大柄で筋肉質ではあるが、顔は柔和で騎士や傭兵などの戦闘職とは考えにくい。

「そこの人、ちょっといいか。友人が死んで娘が残されたんだが、病気の親の面倒を見ていたため働くこともできずとても貧しくて餓死しそうなほどなんだ。あまりに哀れで助けてやりたいが俺も貧しくてこの女を養う余裕などない。あんたがこの女をもらってやってくれないか?」
 男は驚いて牢番を見て、それから、ゆっくりと彼に手を引かれているリーゼに目を移した。痛々しいほどに痩せた顔を見ても動揺した様子は見せない。
「突然もらってくれと言われても困る」
 正論だと牢番は思ったが、これ以上牢を留守にするわけにはいかなかった。
 女の賭けの結末は知りたくないと思い、
「この女が哀れに思うだろう。とにかく頼む」
 牢番はリーゼを男に押し付けて、走り去っていった。  
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