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15.エディトの幽霊

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「私はエディトの幽霊になります」
 確かにゲルティが言うように、このままロビンを野放しにする方が辛い。ここまで追い詰めてもらったのだから、最後は私の手で決着をつけたいと思う。
「しかし、ロビンの近くに行くことになる。とても怖い思いをすることになるから」
 ツェーザルは頭を振りながら気遣わしげな表情で私を見ていた。
「でも、このままではロビンは無罪になってしまうのでしょう? そうなれば、私はずっと苦しまなければならないわ。もう終わりにしたいの」

 ツェーザルはとても悩んでいるようだった。指紋採取の日にロビンと出会った時、倒れそうになった私を見ているので、心配してくれているのだと思う。
「僕も先日のリタ嬢の様子は聞いているので、ツェーザル殿が心配する気持ちはわかる。それでも機会を逃したくないんだ。だから、一度リタ嬢に取調室のところまで行ってもらわないか?」
 ゲルティがそう言うと、ツェーザルは渋々頷いた。


 ゲルティの実験室を出て、ツェーザルの先導で長い廊下を歩く。ゲルティも私の後に続いている。
 しばらく歩くとツェーザルはあるドアの前で立ち止まった。
「ロビンの取り調べに立ち会うため司法局長のウェラー卿が来ています」
 小声でツェーザルがそう言うので、私も声を潜める。
「えっ、司法局長がわざわざ来ているのですか?」
「はい。卿の令嬢がロビンの甥と婚約したらしいのですが、親族に犯罪者がいるとなれば、司法局長の令嬢の夫として相応しくないと考えて自ら確認に来たようです」
 もしかしたら、ロビンの甥は婚約破棄されてしまうかもしれない。可哀想だとは思うが、だからといってロビンの罪をなかったことにできない。

「この部屋の隣にロビンとウェラー卿、それに、兄がいます。この部屋に入ると隣の声がよく聞こえますので、覚悟しておいてください。もし怖いようならそのまま部屋を出ましょう。大丈夫そうなら私がドアを開けたまま隣の部屋に入りますから、後に続いてください。卿と兄には取調室に女性が来ても無視してもらうように頼んでおり、同意を得ています。ゲルティをここで待機していてくれ」
「わかりました」
「御意」
 怖くないと言えば嘘になるけれど、逃げたくはなかった。私は覚悟を決めて頷くと、ツェーザルは手に持っていた白い布を私に渡してきた。広げてみると薄い布でできたベールだった。
「これをかぶっておいてください」
 ベールをかぶると周りがぼんやりと白くなった。はっきり見えないから、恐怖が軽減される感じがする。

 私がベールをかぶり終えたのを確認したツェーザルは、部屋のドアを開け私の手を握って部屋の中に連れて行ってくれた。
 部屋には数脚の椅子が用意されていて、ツェーザルにその一つへ腰掛けるように促された。私が座ると、ツェーザルとゲルティも椅子に座った。

『ウェラー卿、私は妻を殺された被害者なんですよ。それなのに、私が犯人だと脅され、こんなところに拘留されているのです。ハルフォーフ将軍、いくら国を救った英雄だからといって、こんなことが許されるはずありません。抗議いたしますから、そのお積もりで」
 ロビンの声だ。不機嫌な物言いは変わっていない。
『シェーンベルク卿、本当に夫人を殺していないのか?』
 ディルクの声ではないので、司法局長の声だと思う。
『当たり前です。なぜ私が妻を殺さなければならないのです』
 ロビンは平然と嘘を言っている。私は悔しくて手を握りしめた。その手に大きなツェーザルの手が重ねられる。一言も発しないけれど、その優しさは伝わってきた。

『我が騎士団が誇る軍医が二代に渡って研究し、指紋で個人特定が可能であるとわかった。事件翌日の調書によると、シェーンベルク卿の帰宅は騎士団が手形採取した後だったとなっている。なぜ、事件現場に卿の手形が残されていた?』
 おそらくディルクの声なのだろうけれど、リーナさんと喋っている時とあまりにも違う地を這うような低い声だった。
『将軍閣下。個人特定が可能だと推察できるというだけで、可能だとまでは認めていませんので、お間違えなきように』
 司法局長がそう言うと、
『そうだ。そんなものは証拠にならない。妻は不貞を働き、情夫に殺されたのだ』
 ロビンはあくまでもエディトを貶めようとした。悔しい。不貞をしていたのはロビンなのに。
『黙れ、一度は妻とした女性をそこまで侮辱するのか!』
 部屋が揺れるほどの怒鳴り声が響き渡った。

「やばいな。これ以上閣下を切れさせると、ロビンを叩き斬ってしまうかもしれない」
「兄が切れたら私では止めることはできないぞ」
「ロビンのやつ、怖いもの知らずにも程があるだろう」
「ウェラー卿には手を出さないでもらいたいな」
 小声で話しているツェーザルとゲルティは頭を抱えている。

「隣の部屋へ行きます」
 そう告げると、ツェーザルが立ち上がり、入ってきたのとは違うドアを開けた。
 ロビンがいる。それでも怒りの方が恐怖より勝ったのか、私は歩き出すことができた。必ずやロビンに罪を認めさせてやる。そのために私はエディトの記憶を持って産まれてきたのかもしれないのだから。


 ロビンは昨日から拘束されているため、うっすらと無精髭が生えて、目の周りには隈ができていた。大柄なディルクやツェーザルに比べると、小柄なロビンはとてもみすぼらしく見えた。
 司法局長とディルクは私のことを見事なまでに無視していた。ツェーザルも私の方を見もしない。
「この女は何だ!」
 もちろん、ロビンは無視するはずはなかった。

「何を言っている? 女などいないが」
 司法局長はとんだ狸だった。表情一つ変えずにそう言ったので、ロビンは驚きながら私を凝視している。
「私を殺したことをもう忘れてしまったのですか? 私はひとときも忘れたことはなかったのに」
 私はずっと苦しんできた。痛くて、苦しくて、悲しくて。
 それなのに、エディトを殺したロビンは不倫相手と結婚して子どもまでいる。幸せに暮らしていたのだろうか? エディトの血で汚れたその手で、新しい妻と子を抱いていたのだろうか?

「まさか、エディト? この女をつまみ出してくれ! お願いだ」
 椅子から転げ落ちそうなほど驚いて怒鳴るロビン。
「どこにもいない女のことを持ち出せば誤魔化せるとでも思っているのか? エディトを殺したのはお前だろう!」
 ディルクも私の存在を否定する。
「ち、違う。私はエディトを殺していない」
「嘘つき! あの晩遅くにあなたがバルコニーの掃出し窓を叩いたから、何ごとだと思って鍵を開けたのよ。そしたら、机の抽斗から護身用の短剣を取り出し、私を壁に押し付けて逃げられないようにして私の胸に短剣を突き刺した。ロビン、あなたが私を殺したのよ」
 あの時のことを思い出すと恐怖が襲ってくる。それでも私は負けるわけにはいかない。ロビンの後ろに立っているツェーザルが心配そうに私を見ているけれど、無視してロビンを睨みつけた。

「私は殺してなど……」
 ロビンの顔が蒼白になっている。
「私は産業局の仕事に慣れていないあなたの役に立ちたかった。父にあなたのことを認めてもらいたかったからあれこれと口出ししたの。それが気に食わなかった? だから愛人を作ったの?」
 どんな理由があったとしても、エディトを裏切って殺したロビンは許せない。でも、理由は知りたかった。
「そうだ。夫と並び立とうとする生意気なお前が悪いんだ。それなのに、お前の父親は私に愛人がいることを責め、おまえとの離婚を求めてきた。あまっさえ、私のことを無能だと言ったんだ!」
 ロビンは司法局長やディルクのことを忘れてしまっているに違いない。虚ろな目線は私に合わせたままだった。
 そんなにエディトのことを嫌っていたのなら、離婚すれば良かったのに。

「なぜ父は騎士団に捜査打ち切りを求めたの?」
 それだけが謎だった。父は私を殺した犯人を明らかにしたいと思ったはずだから。
「私は司法局にいた時に文字鑑定の仕事をしていたのを知っているか? その知識を活かして、おまえが愛人に出した淫らな手紙を偽造し、犯人を騙って捜査を打ち切らせないとこの手紙を公表すると脅迫したんだ。お前の母親はそれを見て倒れてしまった。義父は偽造を疑っていたけれど、これ以上醜聞を世間に広げることはシェーンベルク家のためにはならないと判断した」
 なんてことを。絶対に許さない。

「父と母も殺したの?」
「いいや、直接的には何もしていない。義母はお前の育て方を間違ったと泣き暮らしていた。義父も一人娘を亡くしてすっかり気力をなくして、二人で領地へ行ってしまった。だから、私は領地でお前の噂を広めたんだ。シェーンベルク家の一人娘は淫乱で複数の情夫がいて、その一人に殺されたと。そうしたら、義母は自殺してしまったな。義父は病気で後を追った。私が殺したのはおまえだけだ」
 娘を亡くして弱っている親になんという酷い仕打ちをしたのだろう。母はどんな気持ちで自らの命を終わらせたのかと思うと、辛くて涙を止めることができない。

 やはり、結婚などしなければよかった。
 親戚筋から養子を迎えて爵位と産業局長を継いでもらい、私は一職員といて働いて、生涯独身を貫けばよかった。そうすれば、誰も不孝にならなかった。

「残念だよ。シェーンベルク卿。いや、ロビン」
 司法局長は冷ややかな目でロビンを見ていた。
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