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2.賭け

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「殺しに来た、の間違いではなくて?」
 牢獄に押し入ってきた見知らぬ男が自分を助けに来たと思う程、リーゼは夢見がちな少女ではない。刺客を放ったのが第二王子でないのならば、彼の婚約者となったリリアンヌに違いないと思っていた。

 リーゼが牢に入ることになったのは、リリアンヌが暴漢に襲われる事件が発生し、すぐに捕まった犯人の男がリーゼに頼まれたと告白したからだった。もちろん、リーゼは身に覚えはない。
 その事件はリリアンヌの自作自演だとリーゼは思っている。そう感じている人も多かったが、第二王子が強引にリーゼを断罪して牢に入れてしまった。
 しかも、その牢は貴族女性を収監するような場所ではない。王太子とリリアンヌの二人は、リーゼがこの牢で死んでしまうことを望んでいたのだろう。
 しかし、第二王子が様子を見に来てみれば、リーゼは死ぬほど弱ってはいなかった。あの二人ならば、刺客を贈ってでも亡き者にしようとしてもおかしくないとリーゼは考えていた。

「違う、本当にリーゼを助けに来たんだ。嘘じゃない。僕を信じて」
 顔は柔和だけれどかなり大柄な青年が眉を下げて頭を横に何度も振っている様子は、少し可愛いとリーゼは思ってしまい、微かに口角を上げた。
 しかし、相手は不審人物であることを思い出し、彼女は顔を引き締める。

「貴方は牢番さんに酷いことしたもの。そんな人を信じられないわ。嘘はもういいの。一瞬喜ばせてその後で絶望を味わわせるつもりかもしれないけれど、無駄なことよ。私を殺したいならさっさと殺しなさい。でも、牢番さんには手を出さないで」
 牢番は未だに激突した壁にもたれて座り込んでいる。助けに行きたいが目の前に黒装束の男が立っているため、リーゼは動くことができずにいた。

「あの男はリーゼをこんな所に監禁した奴の仲間だろう? あいつはリーゼに酷いことをしなかったか? 貴族女性用の牢だと聞いていたのに、男の牢番が一人しかいないとは、なんて酷い扱いをする奴らなんだ!」
 男はなぜかかなり憤っていた。悔しそうに歯を食いしばっている。
「違うわよ。牢番さんは私に親切にしてくれて、生きろって言ってくれたの。牢番さんがいなければ私は今頃死んでいたかもしれない。私の命の恩人よ」
 リーゼがそう言うと、大柄な男は驚いた顔で牢番の方を見て、ゆっくりと近づいて行った。

「済まない。僕は誤解していたようだ。蹴ってしまって本当に悪かった。大丈夫か? 立てそうか?」
 穏やかな声で素直に謝罪する男を、牢番は信じられないものを見る思いで見つめていた。
 目の前の男はさっきまで圧さえ感じるほどの殺気を放っていた。新人の騎士などはそれだけで倒れてしまいそうなほどの迫力があったはずだ。それが今、まるで気の良い青年のように申し訳なさそうな顔で謝っている。

「死ぬかと思ったぞ」
 牢番は本気で死を覚悟した。十五歳から騎士になり二十年以上持ち続けてきた矜持を一瞬で打ち砕かれた衝撃は小さくはない。この男が怖いと、この男から逃げたいと思ってしまったのだ。
「本当にごめんなさい。リーゼが怒っているから、許してくれると有難いのだけど」
 男は牢番に手を差し出した。牢番はその手を握り立ち上がる。


「リーゼをどうするつもりだ?」
 この男がリーゼを連れて行くと言うのであれば、牢番には止めることができない。しかし、リーゼの行く末だけは確認しておきたかった。
「僕の国へ連れて行く。こんな国にはリーゼを置いておくことはできない。誰よりも国民の幸せを願っていた女性なのに、こんな扱いをする国などに」
 牢番はその言葉に頷きそうになる。この男はリーゼのことを知っているのかと不思議に思い、リーゼの方を振り向いた。
「この男のことを知っているのか?」
「いいえ、全く存じ上げない方です」
 牢番の問にそっけなく答えるリーゼ。

「僕の名はディルク。僕はリーゼのことをよく知っている」
 そう言って切なそうにリーゼを見つめるディルクが嘘を言っていると牢番には思えなかった。

「リーゼ、賭けをしないか? ここにいても第二王子やリリアンヌとかいう女が刺客を寄越すかもしれない。それならば、この男について行ってみろ。こいつが誠実な男で本当にお前を助けに来たのならば、リーゼの勝ちだ。もしこいつが悪い男ならば、俺を恨めばいい」
 食事だけはきちんととるものの、生きる気力をすっかり失ってしまったようなリーゼのことを、牢番はとても痛ましく思っていた。
 
 リーゼを怖がらせるために、牢番は妻と子を亡くして自暴自棄になっている男だと第二王子が告げると、公爵令嬢という高い身分であるにも拘らず、牢番の妻と娘の死を悼み、大国ブランデスへ使節として訪れた際に知った、平民も入学できるという医師養成所をこの国にも作りたかったと悔しがるリーゼのことを、牢番はどうしても助けたかった。しかし、悔しいことに牢番にはリーゼを守り切る力はなかった。
 ディルクが何者かわからないが、この男ならばリーゼを何者からでも守ることができるのではないかと牢番は思い始めている。


「わかりました。私は、ディルクさんと一緒に行きます」
 牢番が認めたことが嬉しくてにこにこと笑っているディルクを見て、リーゼは賭けに応じることにした。ここで無為に生きていくくらいならば、賭けに負けて死んでもいいと彼女は思っていた。すべてを失った今、生きることに執着する理由も気力も残っていない。

「俺は突然襲われて、リーゼを奪われたと報告しておく」
 これで完全に解雇だなと牢番は思うものの、若い娘を収監した牢にたった一人の牢番しか置かないのは、ディルクの言う通りあまりの酷い扱いだ。こんな事態を見越していたのならば被害者は牢番の方だと思った。

「でも、そんな報告をすれば牢番さんは責任を問われるのではないですか?」
「心配するな。俺にはもう守るべき家族もいない。辞めさせられでもしたら、俺もこの国を出るさ。この国はもう終わりかもしれないからな」
 牢番はリーゼの心配を一蹴した。
「わかりました。今まで本当にお世話になりました。牢番さんがいなければ、私は死体となってここを出ることになっていたでしょう。貴方は私の恩人なのです。だから、くれぐれも体をご自愛くださいね」
 そう言って牢番の大きな手を握るリーゼも、この国に未来はないのではないかと不安になっていた。


「ディルク、リーゼを幸せにしてやってくれ」
 牢番はリーゼの手を引いて出ていこうとするディルクの背中に声をかけた。
「もちろんだよ。僕はリーゼを幸せにするためにここに来たのだから、言われるまでもない」
 ディルクが自信ありげに頷くので、牢番は彼を信じてもいいかと思っていた。
 リーゼも牢番に微笑みかける。ディルクを信じたわけではないが、それでも、幸せになってみたいと思っていた。
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