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13.逃亡
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「おかしい。静かすぎる」
ディルクを先頭に騎士たちは代官邸に突入する手はずになっていた。
この場所は崖の近くに建っている館のすぐ下になる。飛び出した岩の陰になっているので、直接代官邸を見ることはできないが、怒声も剣戟の音も聞こえない距離ではない。
ヴァルターは首を傾げていた。
「何か問題が発生したのだろうか」
ゲルディも心配そうに上を見上げている。
「あ、あの、父はどうなるのでしょうか?」
いきなり服を破ろうとした拷問が得意という軍医のゲルディ。死罪は確定と言い、自分に向けて矢を発射したヴァルター。どちらが怖くないかと思案した結果、ニコルはマントを貸してくれたヴァルターに話しかけることにした。
「一応、兄には人質がいるかもしれないとは話しておいた。人質を装い襲ってくるかもしれないから、十分気をつけるようにとも伝えたけどね。相手が男なら、兄もそうそう油断しないから心配はいらないと思うが」
二コルに答えるヴァルターの声も眼差しも相変わらず冷たい。
「父だけは助けてください。私とは血の繋がりはないのです。お願いします」
ニコルの声は震えていた。顔色は真っ白くなっており、握った手も小刻みに震えている。ヴァルターはディルクのように大柄ではないが、不機嫌な顔は整っているからこそ威圧感があった。睨まれていると身が竦む思いがする。
ニコルは怖くて逃げ出したかったが、震える脚ではこの二人から逃げ出すことはできないだろうし、逃げ出せば父が罪に問われるのではないかと思うと、ここに留まる他なかった。
ヴァルターはそんな怯えるニコルを無表情に見ているだけで、声を発しなかった。
一見哀れな娘に見えるが、情に流されることはできない。ヴァルターは場合によっては自分の手で二コルの首を落とそうと思っている。大国の将軍を務めるディルクは優しいだけの男ではない。必要とあらば女性の命を奪うことを躊躇いはないだろう。しかし、後で苦しむことは容易に想像できた。ヴァルターはそんな兄の罪悪感を少しでも減らす手伝いをしたいと考えていた。
「ヴァルター殿。いくらなんでも様子が変だ。不測の事態かもしれない。代官邸の近くまで行ってみないか?」
そんなゲルディの誘いを受けて、ヴァルターは迷っていた。
将軍であるディルクから掃討が済むまでここで待機しろと命じられている。一般の騎士ならば代官邸へ戻ることは命令違反となるだろう。しかし、ヴァルターには将軍が倒された場合司令官代理として生き残った騎士を率いて王都に戻るという任務がある。それは、何よりも優先しなければならない。そして、まだ幼い弟のことも心配だった。
「わかった。代官邸へ戻ろう」
ヴァルターはゲルディの言葉に従うことにした。
「ニコル、おいで」
ニコルに手を差し出すゲルディ。しかし、ニコルは怯えて一歩下がる。ゲルディは優しそうな笑みを浮かべていたが、それすら怖いと感じる。
「ゲルディ殿はその娘に触るな!」
ヴァルターはゲルディの様子に違和感を覚えながらも、服を脱がそうとしていたヴェルターにニコルを任せることはできないと思い、彼女の腕を取って歩き出した。
二コルは怯えながらもヴァルターについていく。心から怖いと思ったが、とても拒否できる雰囲気ではなかった。
ゲルディは理知的でとても優しそう。ヴァルターはお話に出てくる王子様のような美形。しかし、二コルの胸が早鐘のように打っているのは、もちろんそんな二人の容姿にときめいたわけではない。
けもの道のような細い山道を少し歩くと、ヴァルターとゲルディの馬が二頭並んで木に繋がれている場所に出た。道は少し広くなり、麓から代官邸へ続く緩やかな坂道に繋がっている。
「縛られたくなかったら、おとなしくしていろ」
ヴァルターの言葉に二コルは黙って頷く。もう反抗する気力さえない。ヴァルターはその返事を聞き、満足したように頷いた。それから、軽々と二コルを自分の馬に乗せ、手綱を木から外そうとした。そんなヴァルターにゲルディが声をかける。
「ヴァルター殿、僕の馬の様子が変なんだ。ちょっと見てくれないか」
ゲルディは手綱を木から外して手に持っている。
「尖った石でも踏んで蹄を痛めたのか?」
ヴァルターはゲルディの方へと近づき、しゃがみこんで馬の脚を良く見ようとした。
その時、ゲルディは手綱を離し馬の尻を叩いた。驚いた馬がいきなり走り出す。その脚に蹴られることなく咄嗟に反応して避けることができたのは、ヴァルターが体を鍛えた騎士だからだ。しかし、下を向いていたので、ゲルディが何をしたのか理解していなかった。
ゲルディは既に走り出していた。そして、ヴァルターの馬の手綱を木から外し、二コルの後ろに飛び乗った。
馬の腹を蹴ったゲルディは、あっという間に遠ざかっていく。
「待て、ゲルディ殿!」
何が起こったか未だに理解できないヴァルターだが、とにかく自分の馬を追いかけて走り出した。二人を乗せたヴァルターの馬も誰、も乗せずに軽快に走っていくゲルディの馬も見る見る小さくなっていく。
「お願い、待って! お父さんを助けないと」
いきなり動き出した馬に驚いたがニコルだったが、馬が代官邸から遠ざかっているのがわかり、ゲルディに馬を止めてもらうように頼んだ。
「誘拐犯の心配なんてしなくていい。このまま捕まればニコルは本当に死罪になるから、とにかく逃げなければ」
「お父さんは誘拐犯なんかじゃないわ!」
「自分の手当をしてくれた五歳児をさらったんだ。立派な誘拐犯ではないか。殺されたとしても自業自得だ。そんなことより今は二コルのことだ。絶対に助けてやるから安心しろ。速度を上げるからもう喋るな。舌を噛む」
ゲルディは一層馬の速度を上げた。さすがハルフォーフ家の三男であるヴァルターの愛馬だ。二人の体重をものともせず駆けていく。
ニコルはしゃべる余裕もなく鞍にしがみついていた。
なぜ、ゲルディが急に自分を助けようとしたのかもわからず、父のことも気になり、ニコルは強い不安を感じていたがどうすることもできない。
ゲルディの謎の行動はニコルに誑かされたせいだとヴァルターは考えていた。
カラタユートの刺客ならば、短時間で男を虜にしてしまえるのかもしれないが、あのゲルディが女のために作戦行動中に逃亡するとは信じられない思いである。
しかし、このままにしておくとゲルディは脱走罪に問われてしまう。規律を重んじる騎士団では、敵前逃亡の罪は重い。
とにかく公になる前にゲルディとニコルを捕まえなければと、ヴァルターはひたすら走る。
緩やかな坂道まで走ると、かなり下の方にゲルディの馬が目に入った。主人を見失い戸惑っているように、ゆっくりと歩きながら周りを見回している。ヴァルターは急いで馬のところまで駆け下り、手綱を掴んで馬に飛び乗った。
二時間も全速で馬を走らせると、馬の速度が落ちてくる。前に乗せたニコルのことも心配なので、ゲルディは森に入り、馬に水を飲ませることにした。
隣の領地へ抜ける道は、山間の一本道である。そこで見つかれば二人乗りのゲルディたちは逃げ切ることができない。
「森を抜けて山越えするか」
道を通らず山越えするとなると、一日では無理だった。
ゲルディは野営の経験がある。馬には最低限の物資も載せある。山越えは可能であるが、ゲルディはニコルのことが心配だった。
森をゆっくりと進んでいくと、澄んだ水を湛えた泉があったのでゲルディは馬を止めた。激しい上下運動のため、ニコルはぐったりとして馬を降りる元気もない。
ゲルディは馬から降りてニコルも抱き下ろした。
馬は泉に顔を突っ込みようにして水を飲み始める。
ゲルディは馬につけた荷袋から金属のコッブを取り出し、泉の水を汲んでニコルに渡した。
不審な目でゲルディを見上げるニコルだったが、喉の渇きに耐えかねて、コップに口をつける。
「なぜ、私を連れて逃げたのですか?」
ようやく人心地ついたニコルがゲルディに訊いた。
「我が国は四年もの間戦争をしていた。多数の騎士が戦死し、国境近くの町や村は略奪され、多額の国庫もつぎ込んでいた。そのせいで戦前よりも確実に国力は落ちている。敵国であるカラタユートに完全勝利したとはいえ、普通なら他国から侵略される恐れもあった。それを押し留めているのはハルフォーフ将軍閣下の様々な伝説だ。閣下が亡くなるようなことがあれば、我が国は再び侵略戦争を仕掛けられ、何人もの命が失われるかもしれない。だから、閣下の命を狙う者は国家転覆を計画したとして問答無用で死罪となる」
「それは先程も聞きました。私が訊きたいのは、貴方が私を連れて逃げた訳です」
辺鄙な村で生活していたニコルでさえ、偉大な将軍の噂は知っている。そんな偉大な英雄の命を狙ったとは思っていなかったが、あの弓の勢いならば鎧を貫いていた。止めてくれて本当に良かったが、狙う相手が将軍と知っていたとしても、父を見殺しにはできなかったとも思う。
「僕はゲルディだよ。ニコル」
「ゲルディ? ゲルディ! お兄様?」
父と逃げる以前の記憶は殆どないニコルだが、ゲルディの名には覚えがあった。
「そうだ。兄のゲルディだ。覚えていてくれたのか。こんなに苦労させたのは僕のせいだ。僕がニコルから逃げたから。本当にごめん」
項垂れるように頭を下げるゲルディ。
「嘘でしょう? 私の服を破こうとしたのに?」
「違うんだ! ニコルの脇腹に痣があったから、確かめたいと思った」
懐疑的なニコルの眼差しを受けて、ゲルディは慌てて言い訳をした。
「確かにここに痣があります。本当にお兄様なの?」
脇腹に手を当てて考え込むニコル。
「そうだ。今度こそニコルを助けるから、僕に任せて。絶対に処刑させたりしないから」
「でも、私を連れて逃げたりしたら、お兄様まで罪に問われるのではないでしょうか?」
「逃亡しただけで死罪になる。だから、絶対に逃げ切らなくてはならない。幸い僕は医者だから他国へ行っても生活は出来る。父も母も既に亡くなっているから、僕が逃げても家族に罪が及ぶことはない」
「駄目です! 私を騎士団に突き出してください。今ならまだ間に合うはずです。私の真意を確かめるために連れ出したとか言って、何とか誤魔化してください」
ニコルは兄と会えたことは嬉しいが、やっと会えた兄に死罪になるような罪を犯させる訳にはいかない。そして、父のことも心配だったので、代官の館に戻りたかった。
ディルクを先頭に騎士たちは代官邸に突入する手はずになっていた。
この場所は崖の近くに建っている館のすぐ下になる。飛び出した岩の陰になっているので、直接代官邸を見ることはできないが、怒声も剣戟の音も聞こえない距離ではない。
ヴァルターは首を傾げていた。
「何か問題が発生したのだろうか」
ゲルディも心配そうに上を見上げている。
「あ、あの、父はどうなるのでしょうか?」
いきなり服を破ろうとした拷問が得意という軍医のゲルディ。死罪は確定と言い、自分に向けて矢を発射したヴァルター。どちらが怖くないかと思案した結果、ニコルはマントを貸してくれたヴァルターに話しかけることにした。
「一応、兄には人質がいるかもしれないとは話しておいた。人質を装い襲ってくるかもしれないから、十分気をつけるようにとも伝えたけどね。相手が男なら、兄もそうそう油断しないから心配はいらないと思うが」
二コルに答えるヴァルターの声も眼差しも相変わらず冷たい。
「父だけは助けてください。私とは血の繋がりはないのです。お願いします」
ニコルの声は震えていた。顔色は真っ白くなっており、握った手も小刻みに震えている。ヴァルターはディルクのように大柄ではないが、不機嫌な顔は整っているからこそ威圧感があった。睨まれていると身が竦む思いがする。
ニコルは怖くて逃げ出したかったが、震える脚ではこの二人から逃げ出すことはできないだろうし、逃げ出せば父が罪に問われるのではないかと思うと、ここに留まる他なかった。
ヴァルターはそんな怯えるニコルを無表情に見ているだけで、声を発しなかった。
一見哀れな娘に見えるが、情に流されることはできない。ヴァルターは場合によっては自分の手で二コルの首を落とそうと思っている。大国の将軍を務めるディルクは優しいだけの男ではない。必要とあらば女性の命を奪うことを躊躇いはないだろう。しかし、後で苦しむことは容易に想像できた。ヴァルターはそんな兄の罪悪感を少しでも減らす手伝いをしたいと考えていた。
「ヴァルター殿。いくらなんでも様子が変だ。不測の事態かもしれない。代官邸の近くまで行ってみないか?」
そんなゲルディの誘いを受けて、ヴァルターは迷っていた。
将軍であるディルクから掃討が済むまでここで待機しろと命じられている。一般の騎士ならば代官邸へ戻ることは命令違反となるだろう。しかし、ヴァルターには将軍が倒された場合司令官代理として生き残った騎士を率いて王都に戻るという任務がある。それは、何よりも優先しなければならない。そして、まだ幼い弟のことも心配だった。
「わかった。代官邸へ戻ろう」
ヴァルターはゲルディの言葉に従うことにした。
「ニコル、おいで」
ニコルに手を差し出すゲルディ。しかし、ニコルは怯えて一歩下がる。ゲルディは優しそうな笑みを浮かべていたが、それすら怖いと感じる。
「ゲルディ殿はその娘に触るな!」
ヴァルターはゲルディの様子に違和感を覚えながらも、服を脱がそうとしていたヴェルターにニコルを任せることはできないと思い、彼女の腕を取って歩き出した。
二コルは怯えながらもヴァルターについていく。心から怖いと思ったが、とても拒否できる雰囲気ではなかった。
ゲルディは理知的でとても優しそう。ヴァルターはお話に出てくる王子様のような美形。しかし、二コルの胸が早鐘のように打っているのは、もちろんそんな二人の容姿にときめいたわけではない。
けもの道のような細い山道を少し歩くと、ヴァルターとゲルディの馬が二頭並んで木に繋がれている場所に出た。道は少し広くなり、麓から代官邸へ続く緩やかな坂道に繋がっている。
「縛られたくなかったら、おとなしくしていろ」
ヴァルターの言葉に二コルは黙って頷く。もう反抗する気力さえない。ヴァルターはその返事を聞き、満足したように頷いた。それから、軽々と二コルを自分の馬に乗せ、手綱を木から外そうとした。そんなヴァルターにゲルディが声をかける。
「ヴァルター殿、僕の馬の様子が変なんだ。ちょっと見てくれないか」
ゲルディは手綱を木から外して手に持っている。
「尖った石でも踏んで蹄を痛めたのか?」
ヴァルターはゲルディの方へと近づき、しゃがみこんで馬の脚を良く見ようとした。
その時、ゲルディは手綱を離し馬の尻を叩いた。驚いた馬がいきなり走り出す。その脚に蹴られることなく咄嗟に反応して避けることができたのは、ヴァルターが体を鍛えた騎士だからだ。しかし、下を向いていたので、ゲルディが何をしたのか理解していなかった。
ゲルディは既に走り出していた。そして、ヴァルターの馬の手綱を木から外し、二コルの後ろに飛び乗った。
馬の腹を蹴ったゲルディは、あっという間に遠ざかっていく。
「待て、ゲルディ殿!」
何が起こったか未だに理解できないヴァルターだが、とにかく自分の馬を追いかけて走り出した。二人を乗せたヴァルターの馬も誰、も乗せずに軽快に走っていくゲルディの馬も見る見る小さくなっていく。
「お願い、待って! お父さんを助けないと」
いきなり動き出した馬に驚いたがニコルだったが、馬が代官邸から遠ざかっているのがわかり、ゲルディに馬を止めてもらうように頼んだ。
「誘拐犯の心配なんてしなくていい。このまま捕まればニコルは本当に死罪になるから、とにかく逃げなければ」
「お父さんは誘拐犯なんかじゃないわ!」
「自分の手当をしてくれた五歳児をさらったんだ。立派な誘拐犯ではないか。殺されたとしても自業自得だ。そんなことより今は二コルのことだ。絶対に助けてやるから安心しろ。速度を上げるからもう喋るな。舌を噛む」
ゲルディは一層馬の速度を上げた。さすがハルフォーフ家の三男であるヴァルターの愛馬だ。二人の体重をものともせず駆けていく。
ニコルはしゃべる余裕もなく鞍にしがみついていた。
なぜ、ゲルディが急に自分を助けようとしたのかもわからず、父のことも気になり、ニコルは強い不安を感じていたがどうすることもできない。
ゲルディの謎の行動はニコルに誑かされたせいだとヴァルターは考えていた。
カラタユートの刺客ならば、短時間で男を虜にしてしまえるのかもしれないが、あのゲルディが女のために作戦行動中に逃亡するとは信じられない思いである。
しかし、このままにしておくとゲルディは脱走罪に問われてしまう。規律を重んじる騎士団では、敵前逃亡の罪は重い。
とにかく公になる前にゲルディとニコルを捕まえなければと、ヴァルターはひたすら走る。
緩やかな坂道まで走ると、かなり下の方にゲルディの馬が目に入った。主人を見失い戸惑っているように、ゆっくりと歩きながら周りを見回している。ヴァルターは急いで馬のところまで駆け下り、手綱を掴んで馬に飛び乗った。
二時間も全速で馬を走らせると、馬の速度が落ちてくる。前に乗せたニコルのことも心配なので、ゲルディは森に入り、馬に水を飲ませることにした。
隣の領地へ抜ける道は、山間の一本道である。そこで見つかれば二人乗りのゲルディたちは逃げ切ることができない。
「森を抜けて山越えするか」
道を通らず山越えするとなると、一日では無理だった。
ゲルディは野営の経験がある。馬には最低限の物資も載せある。山越えは可能であるが、ゲルディはニコルのことが心配だった。
森をゆっくりと進んでいくと、澄んだ水を湛えた泉があったのでゲルディは馬を止めた。激しい上下運動のため、ニコルはぐったりとして馬を降りる元気もない。
ゲルディは馬から降りてニコルも抱き下ろした。
馬は泉に顔を突っ込みようにして水を飲み始める。
ゲルディは馬につけた荷袋から金属のコッブを取り出し、泉の水を汲んでニコルに渡した。
不審な目でゲルディを見上げるニコルだったが、喉の渇きに耐えかねて、コップに口をつける。
「なぜ、私を連れて逃げたのですか?」
ようやく人心地ついたニコルがゲルディに訊いた。
「我が国は四年もの間戦争をしていた。多数の騎士が戦死し、国境近くの町や村は略奪され、多額の国庫もつぎ込んでいた。そのせいで戦前よりも確実に国力は落ちている。敵国であるカラタユートに完全勝利したとはいえ、普通なら他国から侵略される恐れもあった。それを押し留めているのはハルフォーフ将軍閣下の様々な伝説だ。閣下が亡くなるようなことがあれば、我が国は再び侵略戦争を仕掛けられ、何人もの命が失われるかもしれない。だから、閣下の命を狙う者は国家転覆を計画したとして問答無用で死罪となる」
「それは先程も聞きました。私が訊きたいのは、貴方が私を連れて逃げた訳です」
辺鄙な村で生活していたニコルでさえ、偉大な将軍の噂は知っている。そんな偉大な英雄の命を狙ったとは思っていなかったが、あの弓の勢いならば鎧を貫いていた。止めてくれて本当に良かったが、狙う相手が将軍と知っていたとしても、父を見殺しにはできなかったとも思う。
「僕はゲルディだよ。ニコル」
「ゲルディ? ゲルディ! お兄様?」
父と逃げる以前の記憶は殆どないニコルだが、ゲルディの名には覚えがあった。
「そうだ。兄のゲルディだ。覚えていてくれたのか。こんなに苦労させたのは僕のせいだ。僕がニコルから逃げたから。本当にごめん」
項垂れるように頭を下げるゲルディ。
「嘘でしょう? 私の服を破こうとしたのに?」
「違うんだ! ニコルの脇腹に痣があったから、確かめたいと思った」
懐疑的なニコルの眼差しを受けて、ゲルディは慌てて言い訳をした。
「確かにここに痣があります。本当にお兄様なの?」
脇腹に手を当てて考え込むニコル。
「そうだ。今度こそニコルを助けるから、僕に任せて。絶対に処刑させたりしないから」
「でも、私を連れて逃げたりしたら、お兄様まで罪に問われるのではないでしょうか?」
「逃亡しただけで死罪になる。だから、絶対に逃げ切らなくてはならない。幸い僕は医者だから他国へ行っても生活は出来る。父も母も既に亡くなっているから、僕が逃げても家族に罪が及ぶことはない」
「駄目です! 私を騎士団に突き出してください。今ならまだ間に合うはずです。私の真意を確かめるために連れ出したとか言って、何とか誤魔化してください」
ニコルは兄と会えたことは嬉しいが、やっと会えた兄に死罪になるような罪を犯させる訳にはいかない。そして、父のことも心配だったので、代官の館に戻りたかった。
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