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7.婚約披露の舞踏会
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「リーナさんにはお腹を締め付けないふんわりとした可愛らしいドレスを用意しましょうね。エルゼさんは主役なのだから、世界一の美女になるように気合を入れなければ」
マリオンとエルゼの婚約披露の日が迫り、母は鼻息も荒くそう言い放った。母にとって、自分好みに飾り立てた嫁を披露する舞踏会は戦いの場でもある。
「お義母様はドレスをお召にならないのですか? とてもお美しいのに」
リーナが両手を合わせて母を見上げた。半分はお世辞だが、半分は本気である。一回だけ侍女姿を披露した母は年齢不詳の美女だった。高身長で姿勢の良い母にドレスを着せてみたいと思うリーナは、随分と母に感化されてしまっているようだ。
「そうね。久し振りにドレスでも着ようかしら。社交界にハルフォーフ家の女の美しさを見せつけてやるわ。リーナさん、絶対に勝つわよ!」
母はどこまでも武家の女である。敗北など認めることができない。
「はい、お義母様! 私たちの美しさを見せつけてやりましょう」
リーナと母は思った以上に仲の良い嫁姑だった。そんな二人をディルクは複雑な表情で見つめている。
「リーナ。君は妊娠しているかもしれないから、絶対に無理してはいけないよ。リーナの美しさは僕だけが知っていれば十分だからね。他の奴らに見せたら減るような気がするし」
盛り上がっている母とリーナを恐る恐る止めに入るディルク。
「ディルク、私の可愛い孫がお腹にいるかもしれないのに、リーナさんに無理をさせると思っているの?」
大柄なディルクを睨み上げる母。ディルクは何歳になっても母が苦手だ。
「でも、母上は妊娠中でも戦場で戦っていたような女性なので、普通の妊婦のことなどわからないのではないですか? それから、リーナのお腹にいるかもしれないのは、僕の可愛い子どもですから」
青碧の闘神と二つ名で呼ばれ生ける伝説となっているディルクは、戦場で産み落とされたとの逸話を持っている。もちろん産んだのは母だ。
「私が普通の女性ではないとでも言いたいの? 今日はリーナさんを驚かせないために剣を抜かないけれど、二度とその言葉を口にしてみなさい。命はないわよ。それにリーナさんの子は私の孫ですから。女の子なら小さなドレスを作らないと。薄紅色がいいかしら。リーナさんの子どもなら絶対に可愛いに違いないもの。本当に楽しみだわ」
「僕の子どもですから……」
ディルクは力なく呟いた。
リーナはいつものほのぼのとした団らんだと微笑む。彼女もすっかりハルフォーフ家に馴染んでしまっていた。
この世界では、髪に守護の力があると信じられている。そのため、力の弱い子どもや女性は髪を伸ばすのが普通だ。少年が大人になって髪を切るのは、厄災を弾き返すほどの力を得たと証明することに他ならない。マリオンも婚約を機に背中の中ほどまで伸ばしていた金色の髪を切り落とす。
「残念ですわ。お美しい髪なのに」
「もう、ドレスは着られませんね」
侍女は残念がるが、マリオンはやっと大人になることができるようで喜んでいた。
「僕はもう二度とドレスなど着ないから」
そう言うマリオンの声は少し掠れていつもより低い。声変わりの時期にかかったらしい。
高身長の兄たちに交じると小柄に見えるが、マリオンは同年代の中では背が高く、エルゼと身長は変わらない。騎士の正装を身に着けたマリオンは、とても凛々しくて絵のように美しかった。
そして、艷やかな黒髪を結い上げて深い青のドレスをまとったエルゼは、上品でありながら華やかな雰囲気で、主役に相応しい装いだった。
彼らが婚約披露の会場に姿を見せると、参加者の目が一斉に向けられる。
結婚寸前で婚約を解消された地味で内気な令嬢と、家柄は良いがまだお子様の完全なる政略的な婚約。口さがない令嬢たちはそう言って陰で笑っていた。
そんな彼女たちは、一幅の絵のような美しい二人に圧倒されている。社交界デビュー前で、騎士見習いとして過ごしているマリオンの容姿は社交界であまり知られていない。エルゼは貴族令嬢とは思えない素朴な女性だったはずだ。
長引いた新興国カラタユートとの戦争時、女性貴族は守りが堅い王都に住み、男性貴族は領民を守るため領地に赴く家が多かった。
五年に亙る戦争時は結婚どころではなかったが、やがて戦争が終わり、平和が訪れた王都では多くの男女が出会い、大いに盛り上がり多数の男女が結婚したり婚約を交わしたりした。そのあおりで、当時十五歳以下だった令嬢の結婚相手が極端に不足している。やや年上か年下の男性しか残っていないのだ。
十五、六歳の令嬢たちは、マリオンの容姿を見て悔しがったが、その後で入場してきたヴァルターの姿に心奪われ、黄色い歓声が上がった。
二人の兄よりも細身だが、騎士として鍛えられた体躯はとても均整がとれている。髪は輝くような金髪で目の色は美しい紫。その整った顔は少し憂いを帯びているが、それさえも彼の魅力を引き立てているようだ。
そんなヴァルターを熱心に見つめている令嬢の中にロビンの娘がいるのを確認して、大柄なツェーザルは小柄なリタを背中に隠した。
「もう大丈夫ですから。悪夢も見なくなりましたし」
大きなツェーザルの背中にリタは声をかける。そのさりげない優しさがとても嬉しいと感じるが、やはり背中だけではなく、ツェーザルの全身を見ていたいから隣に立ちたい。
リタの意図を感じ取り、横に並んだツェーザルは腕を差し出した。ためらうこともなくリタはその腕を取る。
十日間一緒に旅をしたと言っても、リタは侍女と護衛を引き連れていたし、ツェーザルは裏最強部隊と一緒だったので、二人きりになれる時間は限られていた。それでも、武器のことはツェーザルが教え、商取引のことはリタが教え、互いに自分にとって重要であり、尊敬できる人物だと確認するのには十分であった。
「マリオン様の婚約者はとても綺麗ですね」
最高級の絹の深い輝きにも負けていない美しいエルゼに、リタはうっとりと見惚れていた。
「リタ嬢もとても美しいですよ。次は私のためにドレスを着てくださいますか?」
それは照れ屋なツェーザルの精一杯の婚約の申込みだった。
「はい」
リタは顔を赤くして頷く。その意味は正確に伝わったらしい。
二人はぎこちなくマリオンとエルゼに近づいていった。
ハルフォーフ家当主のディルクの挨拶に続いて、新しくペーターゼン子爵となるマリオンと婚約者エルゼが多数の来場者に婚約したことを宣言した。そして、楽団が音楽を奏で始める。
中央に出ていきファーストダンスを踊るマリオンとエルゼ。ツェーザルとリタも少し遅れて踊り始める。そして、多くの来場者も優雅に踊の輪に加わった。
そんな中、ディルクはリーナの体調を慮り、二人で早々に退出していた。
「ヴァルター様、私とダンスを踊っていただけないでしょうか?」
ヴァルターは誰もダンスに誘わず、壁際に立ち、冷めた目で会場を見渡していた。そんな彼の様子にじれたロミルダが声をかける。
「申し訳ありません。本日は護衛としてここにいますので、ダンスはお断りしているのです」
ロミルダの後ろにいるヘルムートに目を留めたヴァルターは、不機嫌を隠さずにそう言うと、小さく頭を下げてその場を離れていった。
いつもは社交的なヴァルターだが、結婚間近だったエルゼとの婚約を一方的に解消したヘルムートに怒りを覚えていたし、ロミルダに罪はないとはいえ、父親が妻殺しの罪で拘束されていて処刑間近だというのに、祝いの席に出てくるのは非常識だと感じ、作り笑いさえ浮かべない。
後に残されたロミルダは、ヴァルターの冷たい態度に呆然としていた。まさか断られるとは思ってもいなかったのだ。彼女は悔しそうに唇をかみながら、遠ざかるヴァルターを目で追っている。簡単に諦めるつもりなど微塵もない。
美少女だと社交界で評判になっているロミルダに全く興味を示さないヴァルターを見て、アマーリアはほくそ笑んだ。
愛人だった母親に似て下品なロミルダより、自分の方が遥かに魅力的な女性だとアマーリアは自信を深める。
「ヴァルター様、私と少しお話をしていただいていいですか? 護衛の邪魔はいたしませんわ」
アマーリアはいきなりダンスをねだったりせず、仕事の邪魔をしない良い女を演出する。
「申し訳ありませんが、護衛しながらおしゃべりをするほど器用ではございませんので」
アマーリアが年下のマリオンとの婚約を断ったのは仕方がないとヴァルターは思っている。しかし、エルゼの婚約者であったヘルムートとの婚約を父親にねだり、エルゼを不幸にするところだったのにも拘わらず、叔父が殺人犯だとわかった途端にヘルムートとの婚約を破棄して、このように色目を使ってくるアマーリアが信じられなかった。
「アマーリア様、ヴァルター様が迷惑していますわ。私と従兄のヘルムートとの仲を変に勘ぐって婚約破棄したばかりなのに、ヴァルター様を誘惑しようとなさっているの?」
ヴァルターがアマーリアにも冷たい態度をとっているのを見て、ロミルダは復活していた。
「ヘルムート、どういうことだ!」
アマーリアの父であるウェラー侯爵は、公の場で娘を非難されて一気に不機嫌になる。ヘルムートは司法局の部下なので、冷遇は確定した。
「申し訳ありません。今すぐ会場を出ていきますので。ロミルダ、来い!」
腕を掴もうとしたヘルムートの手を、ロミルダは思い切り振り払った。
「嫌よ! せっかくドレスを着たのに帰らないわ。護衛なら強そうなツェーザル様がいらっしゃるではないですか。ヴァルター様だって、一曲くらいダンスを踊ってもいいでしょう? 私といかがですか?」
ロミルダは若い貴族男性にいつも褒められる笑顔をヴァルターに向けた。しかし、彼には胡散臭い笑顔だと感じる。
「ちょっとお待ちになって。私がヴァルター様に話しかけているのですよ。邪魔をしないでもらえるかしら。その不実な男とさっさとお帰りになれば」
ヴァルターに近づこうとしたロミルダを止めたのはアマーリアだった。その声にははっきりとした険が含まれている。怒りを隠そうともしていなかった。
「アマーリア様、だから、ヴァルター様が迷惑していると言っているでしょう? 貴女こそ席を外して頂戴」
「ロミルダ様。貴女に指図をされる覚えはないわ。とりあえず、お静かにしてもらえるかしら。ハルフォーフ家に迷惑をかけるわよ」
「アマーリア様の声の方が大きくてよ。淑女とはとても思えないわね」
元々、年も近く同じ五侯爵家の令嬢ということで二人はいつも比べられていた。ロミルダの母親が男爵令嬢であり元愛人だったので、気位の高いアマーリアは比べられることをとても嫌っていた。
ロミルダは年の近い令嬢を取り巻きにしていて、孤高を好むアマーリアと敵対していたのは社交界では有名になっている。
それが社交界でも数少ない優良な未婚男性を巡って、一気に揉め事にまで発展してしまった。
「アマーリア、それくらいにしておけ」
ヴァルターが早々に場を離れて、揉める二人を皆が遠巻きにしているのを感じたウェラー侯爵は、無理やり娘の腕を引っ張っていった。ロミルダに負けたようで納得できないアマーリアだったが、父親には逆らえず素直についていくことしかできない。
「勝ったわ」
父親に連れられて会場を出ていくアマーリアを見送るロミルダは勝利を確信していた。そして、ヴァルターを探したが、その前に顔色をなくしたヘルムートに強制的に会場から連れ出された。
少し離れた場所でアマーリアとロミルダのやり取りを冷めた目で見ていたヴァルターは、やはり結婚などしても不幸になるだけだと感じていた。
マリオンとエルゼの婚約披露の日が迫り、母は鼻息も荒くそう言い放った。母にとって、自分好みに飾り立てた嫁を披露する舞踏会は戦いの場でもある。
「お義母様はドレスをお召にならないのですか? とてもお美しいのに」
リーナが両手を合わせて母を見上げた。半分はお世辞だが、半分は本気である。一回だけ侍女姿を披露した母は年齢不詳の美女だった。高身長で姿勢の良い母にドレスを着せてみたいと思うリーナは、随分と母に感化されてしまっているようだ。
「そうね。久し振りにドレスでも着ようかしら。社交界にハルフォーフ家の女の美しさを見せつけてやるわ。リーナさん、絶対に勝つわよ!」
母はどこまでも武家の女である。敗北など認めることができない。
「はい、お義母様! 私たちの美しさを見せつけてやりましょう」
リーナと母は思った以上に仲の良い嫁姑だった。そんな二人をディルクは複雑な表情で見つめている。
「リーナ。君は妊娠しているかもしれないから、絶対に無理してはいけないよ。リーナの美しさは僕だけが知っていれば十分だからね。他の奴らに見せたら減るような気がするし」
盛り上がっている母とリーナを恐る恐る止めに入るディルク。
「ディルク、私の可愛い孫がお腹にいるかもしれないのに、リーナさんに無理をさせると思っているの?」
大柄なディルクを睨み上げる母。ディルクは何歳になっても母が苦手だ。
「でも、母上は妊娠中でも戦場で戦っていたような女性なので、普通の妊婦のことなどわからないのではないですか? それから、リーナのお腹にいるかもしれないのは、僕の可愛い子どもですから」
青碧の闘神と二つ名で呼ばれ生ける伝説となっているディルクは、戦場で産み落とされたとの逸話を持っている。もちろん産んだのは母だ。
「私が普通の女性ではないとでも言いたいの? 今日はリーナさんを驚かせないために剣を抜かないけれど、二度とその言葉を口にしてみなさい。命はないわよ。それにリーナさんの子は私の孫ですから。女の子なら小さなドレスを作らないと。薄紅色がいいかしら。リーナさんの子どもなら絶対に可愛いに違いないもの。本当に楽しみだわ」
「僕の子どもですから……」
ディルクは力なく呟いた。
リーナはいつものほのぼのとした団らんだと微笑む。彼女もすっかりハルフォーフ家に馴染んでしまっていた。
この世界では、髪に守護の力があると信じられている。そのため、力の弱い子どもや女性は髪を伸ばすのが普通だ。少年が大人になって髪を切るのは、厄災を弾き返すほどの力を得たと証明することに他ならない。マリオンも婚約を機に背中の中ほどまで伸ばしていた金色の髪を切り落とす。
「残念ですわ。お美しい髪なのに」
「もう、ドレスは着られませんね」
侍女は残念がるが、マリオンはやっと大人になることができるようで喜んでいた。
「僕はもう二度とドレスなど着ないから」
そう言うマリオンの声は少し掠れていつもより低い。声変わりの時期にかかったらしい。
高身長の兄たちに交じると小柄に見えるが、マリオンは同年代の中では背が高く、エルゼと身長は変わらない。騎士の正装を身に着けたマリオンは、とても凛々しくて絵のように美しかった。
そして、艷やかな黒髪を結い上げて深い青のドレスをまとったエルゼは、上品でありながら華やかな雰囲気で、主役に相応しい装いだった。
彼らが婚約披露の会場に姿を見せると、参加者の目が一斉に向けられる。
結婚寸前で婚約を解消された地味で内気な令嬢と、家柄は良いがまだお子様の完全なる政略的な婚約。口さがない令嬢たちはそう言って陰で笑っていた。
そんな彼女たちは、一幅の絵のような美しい二人に圧倒されている。社交界デビュー前で、騎士見習いとして過ごしているマリオンの容姿は社交界であまり知られていない。エルゼは貴族令嬢とは思えない素朴な女性だったはずだ。
長引いた新興国カラタユートとの戦争時、女性貴族は守りが堅い王都に住み、男性貴族は領民を守るため領地に赴く家が多かった。
五年に亙る戦争時は結婚どころではなかったが、やがて戦争が終わり、平和が訪れた王都では多くの男女が出会い、大いに盛り上がり多数の男女が結婚したり婚約を交わしたりした。そのあおりで、当時十五歳以下だった令嬢の結婚相手が極端に不足している。やや年上か年下の男性しか残っていないのだ。
十五、六歳の令嬢たちは、マリオンの容姿を見て悔しがったが、その後で入場してきたヴァルターの姿に心奪われ、黄色い歓声が上がった。
二人の兄よりも細身だが、騎士として鍛えられた体躯はとても均整がとれている。髪は輝くような金髪で目の色は美しい紫。その整った顔は少し憂いを帯びているが、それさえも彼の魅力を引き立てているようだ。
そんなヴァルターを熱心に見つめている令嬢の中にロビンの娘がいるのを確認して、大柄なツェーザルは小柄なリタを背中に隠した。
「もう大丈夫ですから。悪夢も見なくなりましたし」
大きなツェーザルの背中にリタは声をかける。そのさりげない優しさがとても嬉しいと感じるが、やはり背中だけではなく、ツェーザルの全身を見ていたいから隣に立ちたい。
リタの意図を感じ取り、横に並んだツェーザルは腕を差し出した。ためらうこともなくリタはその腕を取る。
十日間一緒に旅をしたと言っても、リタは侍女と護衛を引き連れていたし、ツェーザルは裏最強部隊と一緒だったので、二人きりになれる時間は限られていた。それでも、武器のことはツェーザルが教え、商取引のことはリタが教え、互いに自分にとって重要であり、尊敬できる人物だと確認するのには十分であった。
「マリオン様の婚約者はとても綺麗ですね」
最高級の絹の深い輝きにも負けていない美しいエルゼに、リタはうっとりと見惚れていた。
「リタ嬢もとても美しいですよ。次は私のためにドレスを着てくださいますか?」
それは照れ屋なツェーザルの精一杯の婚約の申込みだった。
「はい」
リタは顔を赤くして頷く。その意味は正確に伝わったらしい。
二人はぎこちなくマリオンとエルゼに近づいていった。
ハルフォーフ家当主のディルクの挨拶に続いて、新しくペーターゼン子爵となるマリオンと婚約者エルゼが多数の来場者に婚約したことを宣言した。そして、楽団が音楽を奏で始める。
中央に出ていきファーストダンスを踊るマリオンとエルゼ。ツェーザルとリタも少し遅れて踊り始める。そして、多くの来場者も優雅に踊の輪に加わった。
そんな中、ディルクはリーナの体調を慮り、二人で早々に退出していた。
「ヴァルター様、私とダンスを踊っていただけないでしょうか?」
ヴァルターは誰もダンスに誘わず、壁際に立ち、冷めた目で会場を見渡していた。そんな彼の様子にじれたロミルダが声をかける。
「申し訳ありません。本日は護衛としてここにいますので、ダンスはお断りしているのです」
ロミルダの後ろにいるヘルムートに目を留めたヴァルターは、不機嫌を隠さずにそう言うと、小さく頭を下げてその場を離れていった。
いつもは社交的なヴァルターだが、結婚間近だったエルゼとの婚約を一方的に解消したヘルムートに怒りを覚えていたし、ロミルダに罪はないとはいえ、父親が妻殺しの罪で拘束されていて処刑間近だというのに、祝いの席に出てくるのは非常識だと感じ、作り笑いさえ浮かべない。
後に残されたロミルダは、ヴァルターの冷たい態度に呆然としていた。まさか断られるとは思ってもいなかったのだ。彼女は悔しそうに唇をかみながら、遠ざかるヴァルターを目で追っている。簡単に諦めるつもりなど微塵もない。
美少女だと社交界で評判になっているロミルダに全く興味を示さないヴァルターを見て、アマーリアはほくそ笑んだ。
愛人だった母親に似て下品なロミルダより、自分の方が遥かに魅力的な女性だとアマーリアは自信を深める。
「ヴァルター様、私と少しお話をしていただいていいですか? 護衛の邪魔はいたしませんわ」
アマーリアはいきなりダンスをねだったりせず、仕事の邪魔をしない良い女を演出する。
「申し訳ありませんが、護衛しながらおしゃべりをするほど器用ではございませんので」
アマーリアが年下のマリオンとの婚約を断ったのは仕方がないとヴァルターは思っている。しかし、エルゼの婚約者であったヘルムートとの婚約を父親にねだり、エルゼを不幸にするところだったのにも拘わらず、叔父が殺人犯だとわかった途端にヘルムートとの婚約を破棄して、このように色目を使ってくるアマーリアが信じられなかった。
「アマーリア様、ヴァルター様が迷惑していますわ。私と従兄のヘルムートとの仲を変に勘ぐって婚約破棄したばかりなのに、ヴァルター様を誘惑しようとなさっているの?」
ヴァルターがアマーリアにも冷たい態度をとっているのを見て、ロミルダは復活していた。
「ヘルムート、どういうことだ!」
アマーリアの父であるウェラー侯爵は、公の場で娘を非難されて一気に不機嫌になる。ヘルムートは司法局の部下なので、冷遇は確定した。
「申し訳ありません。今すぐ会場を出ていきますので。ロミルダ、来い!」
腕を掴もうとしたヘルムートの手を、ロミルダは思い切り振り払った。
「嫌よ! せっかくドレスを着たのに帰らないわ。護衛なら強そうなツェーザル様がいらっしゃるではないですか。ヴァルター様だって、一曲くらいダンスを踊ってもいいでしょう? 私といかがですか?」
ロミルダは若い貴族男性にいつも褒められる笑顔をヴァルターに向けた。しかし、彼には胡散臭い笑顔だと感じる。
「ちょっとお待ちになって。私がヴァルター様に話しかけているのですよ。邪魔をしないでもらえるかしら。その不実な男とさっさとお帰りになれば」
ヴァルターに近づこうとしたロミルダを止めたのはアマーリアだった。その声にははっきりとした険が含まれている。怒りを隠そうともしていなかった。
「アマーリア様、だから、ヴァルター様が迷惑していると言っているでしょう? 貴女こそ席を外して頂戴」
「ロミルダ様。貴女に指図をされる覚えはないわ。とりあえず、お静かにしてもらえるかしら。ハルフォーフ家に迷惑をかけるわよ」
「アマーリア様の声の方が大きくてよ。淑女とはとても思えないわね」
元々、年も近く同じ五侯爵家の令嬢ということで二人はいつも比べられていた。ロミルダの母親が男爵令嬢であり元愛人だったので、気位の高いアマーリアは比べられることをとても嫌っていた。
ロミルダは年の近い令嬢を取り巻きにしていて、孤高を好むアマーリアと敵対していたのは社交界では有名になっている。
それが社交界でも数少ない優良な未婚男性を巡って、一気に揉め事にまで発展してしまった。
「アマーリア、それくらいにしておけ」
ヴァルターが早々に場を離れて、揉める二人を皆が遠巻きにしているのを感じたウェラー侯爵は、無理やり娘の腕を引っ張っていった。ロミルダに負けたようで納得できないアマーリアだったが、父親には逆らえず素直についていくことしかできない。
「勝ったわ」
父親に連れられて会場を出ていくアマーリアを見送るロミルダは勝利を確信していた。そして、ヴァルターを探したが、その前に顔色をなくしたヘルムートに強制的に会場から連れ出された。
少し離れた場所でアマーリアとロミルダのやり取りを冷めた目で見ていたヴァルターは、やはり結婚などしても不幸になるだけだと感じていた。
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