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第一話 十年前

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 私たち一家は、町や村を巡回しながら雑貨を売ったり仕入れたりして生活をしている。家族は父と母と二歳下の弟。そして十三歳になる私の四人。
 移動には大型の荷馬車を使い、それが私たちの家でもあった。

 暮らしは貧しいけれど、色々な町や村へ行くのはとても楽しい。長い移動時には、母と一緒に布の端切はぎれで髪飾りや小さな布袋など作る。振動のある狭い馬車内での作業なので、それほど品質の揃ったものはできないけれど、却って味があると売れたりする。それも嬉しかった。

 生活必需品や乾燥させた日持ちする食品、それにおもちゃや本まで、父は手当たり次第に仕入れて、山間やまあいの小さな村まで売りに行く。町の商品を持ち込む私たちは随分と歓迎された。まるで久しぶりに会う孫の成長を喜んでくれるように、私や弟を可愛がってくれる村の人たちの笑顔に、こちらまで嬉しくなる。
 私はこの一家に生まれてきて本当に幸せだと感じていた。商品がたくさん売れて儲かったら嬉しいし、売れ残ってお金が無くなっても生きていける。荷馬車で森まで移動して、獣を狩ったり山菜や果物を採ったりして飢えを凌ぐ。そして、毛皮をなめして町へもっていくと結構高値で売れるのだ。
 私たちが住む辺境伯領はとても広く、多くの町や村がある。でも、最強の辺境騎士団がいるので、領内に盗賊などもほとんどいない。


 一か月ほど滞在していた町を三日前に出た私たちは、ここ辺境伯領の真ん中程にあるシャウテンの町を目指して草原を移動していた。
 急に雨が降ってきたらしく、荷台を覆っている幌が雨に打たれてパラパラと大きな音を立て始めた。幌には防水加工を施しているが、このままでは雨が染みてこないか心配になる。

「雨が強くなってきたわ」
 母が雨が入らないように少し前方の仕切りの布を上げると、御者台に座っている父が振り返った。幌は庇のように御者台の上までせり出しているけれど、この雨なので蝋を塗って撥水加工したローブを着ていても父はかなり濡れているはずだ。
「シャウテンの町はもうすぐだ。ここら辺には雨を凌ぐ場所もないので、このまま突っ切るぞ。ぼやぼやしていると雨が中に染み込んでくるかもしれない」
 父は馬車を進めることを決めたようだ。雨が止むのがいつになるのかわからないので、不安だけどこのまま行くしかない。

「わかったわ。中にはまだ水が染みてきていないから大丈夫よ。それじゃ気をつけてね」
 母は仕切りの布をしっかりと鉄の枠に括りつけた。
 昼間だというのに、荷台の中はとても暗く、鉄の梁に吊るした小さなランタンの光だけが頼りだった。
 強くなる雨の音と、揺れるランタンの光が不安にさせる。隣に座っている弟の手を握ると、不安なのか強く握り返してきた。十一歳の弟のエルヴィンは私よりも小柄だ。でも、手は少し私より大きい。

 そんな不安な時が過ぎていく。雨音は益々大きくなっていった。


 突然、大きな音と共に馬車が横転した。そして大量の水が入ってくる。水に押されるように垂直になってしまった床に押し付けられ、息もできない。

 水の中で必死にもがいていると、やがて水が引いていく。幌が外れて流されてしまったようで、鉄の骨組みだけが残っていた。
 水に浮いていた荷物が私の上に一気に落ちてきた。一瞬息が止まるほどの衝撃だったけれどすぐに楽になる。だけど、自力では脱出できそうにもない。
 水が引きようやく息ができるようになったので、周りを見る余裕ができた。辺りには荷物が散乱してかなりの惨状になっている。

「お父さんが! お父さんが!」
 母が狂ったように叫んでいた。御者台には父の姿が見えない。

 ここは橋の上だった。川が増水して、大量の水が橋の上を通り過ぎたらしい。私は必死で川下の方を見た。しかし、父の姿を見つけることはできない。
 橋の向こうまで逃げたのではないかと希望を持ったけれど、父は私たちを遺して一人だけで逃げたりしないだろうと、心の隅で思っていた。

「姉さん! 大丈夫? 今助けるから」
 弟は荷物の下から抜け出せたようで、私を助けようと腕を引っ張っている。でも、脚を怪我したらしくズキズキと痛い。荷物の下から助け出されたとしても、歩けそうになかった。
「エルヴィン、お母さん、早く逃げて!」
 川の上流が盛り上がっている。また高い波が襲ってきそうだった。

「姉さん、早く!」
 弟は苛立ったように強く腕を引っ張るが、脚も腕も痛いだけで、私の体は少しも動かない。
「私はいいの。だから早く逃げて!」
 そう言っても私の腕を握っている弟の手に力は緩まない。あまりの痛さに声を出す気力もなくなっていく。


「もう大丈夫だ。君も早く逃げろ!」
 突然私の上に載っていた重さが取り除かれた。そして、ふわっと抱き上げられる。驚いて上を見ると、まだ若い男性の顔が見えた。太い眉の男らしい顔つきで、とても頼りになると感じた。そして、安心してしまい、記憶がそこで途切れてしまう。


 目が覚めた時、私はベッドに寝かされていた。母と弟が心配そうに私を見下ろしている。
「良かった。目が覚めたのね」
 母の顔はかなり疲れているようで、一気に老けたように感じた。
「脚の怪我はちゃんと治るって。肩が抜けていたけど、この町の医者がはめてくれたんだ。ごめん、僕が姉さんの腕を無理やり引っ張ったから」
 弟は泣きそうな顔で謝ってきた。
「謝ることなんてないわ。エルヴィンは私を助けようとしてくれたんだもの」
「でも、先に荷物をけるべきだった。そんなことにも気がつかないなんて、僕は本当に駄目だ」
「あんな時だもの。誰だって正常な判断なんてできないわよ。ありがとう、私を助けようとしてくれて。でも、次にこんなことがあったら、さっさと逃げてね」
 弟は返事をせずに小さく首を振る。
 いつも喧嘩ばかりしていた小さな弟が、急に大きくなったような気がした。


 こうして、私と母、そして弟は間一髪救出された。積んでいた荷物の多くは流されたが、それでも重くて高価な物や母が握っていた硬貨は無事だったので、当面の生活に困ることはない。しかし、父が戻ることはなかった。

 翌日には雨は止み、三日後、父は下流で遺体として発見される。
 大水の原因は、川の上流で崖崩れが起き、川に大きな岩がいくつも転げ落ちたことだった。
 崖が崩れそうだとの報告を受けていたシャウテンの騎士たちが橋を通行止めにしようとやってきたが、私たちの馬車は間に合わず、大水に遭遇してしまったのだ。


 シャウテンの商業組合の組合長は、父を亡くした私たちを哀れに思って、小さな店舗付き住宅を貸してくれた。その店でささやかな雑貨屋を営みながら、私たちはシャウテンの町で定住することになる。
 お世話になっている組合長は家具や食器を扱っている店を経営していて、木の端材はざいやカーテンの端切れなどを格安で分けてくれているので、それらをアクセサリーや小さな家具に加工して、何とか生計を立てることができていた。

 シャウテンの町には、王宮騎士団と並び称されるほど強い辺境騎士団の分団が存在していた。
 私を助けてくれたのはそんな分団に所属する騎士のラルスさんといい、十六歳になったばかりだけどとても大きくて強いと評判の人だった。
 何度か制服姿で町を巡回しているのを見かけて、お礼を言おうと思ったけれど、お仕事の邪魔をするのは躊躇ってしまう。でも、いつかはお礼が言えれば嬉しいと思っていた。
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