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俺にできること②

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 調理場は相変わらず楽しげな会話で満ちていた。

「テレサさんが!!」

 俺の緊迫した表情と声で、空気が一変した。

 ナタリーをはじめとした女たちは、すぐに炊事を止めた。


「こっちです!!」

 血の気が引き始めた俺を先頭にして、テレサの元へ向かった。


「皆さん……ありがとう。……ご迷惑を……」

「謝ることじゃないよ! これから長い戦いが始まるよ!!」

 ナタリーはテレサと他の女たちを鼓舞し、団結力を強めた。

 各々が散らばって、出産に必要な準備を始めている。


 ……俺はどうしたらいいんだ?

 出産に立ち会ったことなんてないし、テレサはとても痛がっていたがあれが普通なのか?

 俺にできることがあるのか、ないのかさえ分からない。

 女たちは命の誕生を目前にして、全く動揺していない。

 むしろいつもより冷静で、地に足が着いた感じだ。


 オロオロする俺を見かねたカールが

「俺たちにゃ、何もできねぇよ。1人増えた分の食い物を確保しなきゃならねぇ。農作業に精が出るなあ!」

 と俺を畑へと誘導した。


 女の何人かは出産のサポートに専念するわけだし、余った人間で農作業から家畜の世話、大工、炊事まで全部こなさなくてはいけないんだ。

 俺はできるだけ平常心でいられるように、赤ちゃんのことは考えずに黙々と作業した。



 テレサが小屋に入ってから長い時間が経ち、日はすっかり落ちてしまった。

 フィリップが松明を持って落ち着きなく動き回っている。

「火を持って危ねぇぞ。こっちは大丈夫だから、お前はテレサと腹の赤子の心配をしろ」

 と松明を取られている。


 俺は自分の子供でもないのに慌てたんだ。

 フィリップは尚更気が気でないだろう。

 日中からずっとテレサの苦しむ声が響いている。


「ぎゃあああああああ゛」

 日中より叫び声がひどくなっている。

 聞いているだけで、俺も色んなところが痛くなってくる。


「カールさん、あれ何ですか?」

 朝にはなかった奇妙な……祭壇?

 胸の高さくらいまである木組みの台に、収穫した野菜が載せられている。

 台の四隅には松明が刺さり、絶対にこの野菜は食べるな!!

 ってのは伝わる。


「あれはブルーノのおっさんが作ったんだ。元気な赤子が生まれてくるように、神様に供え物をすんだよ」

 あのブルーノが?

 ブルーノは明かりがギリギリ届く遠くに座り込んでいる。


「ブルーノさんって子供好きだったんですね」

「あの人は子供っつうより、人間、生き物が好きなんだろうなあ」

 俺は嫌われてるっぽいけどな。


「お前はブルーノが嫌いか?」

「えっ!?」

 いくら俺に冷たいからって、悪口は言いたくないぞ。

「いやあ、分かんないですね~」


「顔に書いてるぞ」

 ……バレてしまった。

「だってブルーノさんは俺のこと嫌いみたいだから……」

「どうしてそう思った? どうせ顔が怖えとか、口がわりぃとかだろ?」

 その通りだと、頷いた。


「あの人はそういう人なんだ。人が大好きなクセして不器用なもんだから、誤解を受けてきた人生。お前がここに来た日、何て言ったか知ってっか?」

 初日、まだ俺がブルーノという名前すら知らなかった頃だ。

「あのしかめっ面で『純粋な若者が来てしまった。騙され陥れられ、なんと不憫な』ってよ? 俺は笑っちまったねぇ。あまりにも顔と言ってる内容が違う過ぎて、おかしいのなんのって」

 カールはクククと思い出し笑いしている。


「ブルーノはお前のことを嫌ってるんじゃねぇ。どう接して良いか分からねぇんだ。若ぇ娘を強姦から助けたのに、礼すらもらえねぇで強姦魔として仕立て上げられても、『傷ついた娘がいなくて良かった』とぬかすお人好しだ。人は見た目によらんもんだ」

 俺は見た目でブルーノを判断してたんだ。

 ――最初から決めつけずに、その人をちゃんと見れば――

 フレデリクが言っていたことを、今ようやく理解した。


「カールさん、俺ちょっと行ってきます!」

「おう。殴られねぇように気をつけろー」


 ブルーノは船を漕いでいた。

 祭壇まで用意して、疲れているんだ。

 起こすのはマズイか?

 だが、これを逃したら素直に話せる日がどんどん遠くなってしまう。


「……ブルーノさん?」

 ブルーノは体をビクッとさせ

「何だ? まだ働けってのか?」

 と不機嫌モード丸出しだ。

 カールを疑いたくなるが、多分、思っていることと口から出る言葉が違うタイプなんだろう。


「すみません!」

 ブルーノは目をぱちくりさせている。

「俺、ブルーノさんのこと誤解してました! もっと仲良くなりたいんで、明日、一緒に畑やりましょう!!」

 ブルーノは目をそらして

「疲れてるって言ってるだろ。うるせぇ声で体が休まらねぇ。……昼の眠気覚ましにはちょうど良いかもしれねぇな」


 これはつまり、これから仲良くしようって意味だよな?

 ブルーノの隣に失礼して、ニヤニヤもといニコニコする。

 今どんな顔してるのか気になる。


「俺はお前のそういうところが嫌いだ」

「どういうところですか?」

 ブルーノの人となりを知らなければ、喧嘩になるところだ。


「ちゃっかり甘い汁だけ吸おうって魂胆が丸見えだ。器量の良さや知識は貴族には必要かもしれんが、貧乏人になっちまえば苦労の原因だ」

 やっぱり俺は貴族だと思われてるのか?

「いいか、要領よく振舞ったって若いもんにしか通用しねぇ。人がやりたがらねぇことをやってこそ、働くってもんだ。それができねぇと、歳を食ってから後悔する」

「人がやりたがらないってのは、野菜の虫を取る、とか? ブルーノさんは真面目で働き者だから安心ですね!」


「バカ野郎!」

「イテッ」

 パーンと後頭部を平手打ちされた。

「後悔しねぇ人間はいねぇんだよ! だが、そうならんよう努めることが大事だっつってんだ。若いもんには腐るほど時間が残ってる。俺ができなかったことをお前はできるかもしれねぇだろうが。それにいつかここを出るんだろ?」


「必ず迎えに来るって言った不器用なヤツがいるんです。ブルーノさんみたいな人ですよ?」

 ハンスも頑固なオッサンになるかもしれない。

「俺はそういうところを嫌いだと言ったんだ!」

「痛いですよぉ~」

 背中をバンバン叩かれたが、ブルーノ流ハイタッチということにしておこう。


「俺、テレサさんが急に痛がり出して焦ってしまって……。大事な牛乳をこぼしたんです。皆に謝りたいんですけど、今はそういう雰囲気でもなさそうですね」

「命より大事なもんがあってたまるか。この期に及んで牛乳の心配するとんまはいねぇよ」

 そんな会話をポツリポツリと交わした。


「あ、そういえば、あの祭壇はブルーノさんが――」



「おぎゃあああああああああああ」


 外で待機していた男性全員が、小屋の方を見た。

 
 ナタリーが出てきて

「フィリップ、中に入んなさい! 元気な男の子だよ」

 と言うやいなや、外で待機していた男たちは、うおーーーーーーーーーーっと、ずっと押さえ込んでいた熱気で沸き立った。


「ブルーノさん、聞きましたか? 男の子ですって!」

 ブルーノは顔を涙でぐしゃぐしゃにしている。

「見るんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ」

 この人にとっては孫みたいなものだろう。

 いつもの怒り顔で泣いているから、俺は笑ってしまった。


 生まれてきてくれてありがとう――。

 誰もがそう思い泣いて笑った、何でもない日の夜。
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